巣窟日誌

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使わなかったブレストフォームを必要な人の手へ

2013-04-14 18:42:04 | 日記・エッセイ・コラム
乳がんの全摘手術を受けたわたしにとって、切除した胸に近い重さを持つシリコン製のブレストフォーム(人工乳房)は必需品だ。

「胸を失って、自分が女ではなくなったような気がする」と、思ったことはない。むしろ、「わたしの戦歴のシンボル」ぐらいに考えている。こう考えているのは、わたしが精神的に強い人間だからだというわけではなく、わたしの精神構造のせいだ。かつてはその豊かさを褒められた胸の有無よりも数キロの体重の増減のほうが、若いころ摂食障害を体験したわたしにとっては、はるかに精神的なインパクトがあるだろう。

とはいえ、体のバランスを取るということを考えると、左右にきちんと釣り合った重さがあることは重要だ。臼蓋形成不全のあるわたしにとっては、体がアンバランスな状態のまま活動をし続けた場合の、股関節への影響も怖い。というわけで、適切な重さのブレストフォームを常に着用している。

さてここ3年ほど、いつも使っているブレストフォーム2つの他に、使っていないブレストフォームを1つ、ずっと保管してきた。使っていないブレストフォームは、手術直後にネット経由で、手術前後の胸の大きさに合わせて購入したものだ。ところが、傷が落ち着く術後3ヶ月後ぐらいまでの間に、なぜか健側の胸が急速にしぼみ、このブレストフォームは大きすぎるものとして、使用できなくなってしまった。

シリコン製のブレストフォームは、結構なお値段だ。最低でも20,000円ぐらいはする。この使わなかったブレストフォームは、付属品も合せると40,000円ほどした。

シリコンのブレストフォームは、わたしにとっては体のバランスの問題だったが、人によっては、体ばかりか心のバランスを取り戻す助けにもなる。そして体と心のためにこのようなブレストフォームを必要としていながら、その価格がネックとなって手を出せないで人もいるだろう。(結局がんの治療には、健康保険の限度額の適用認定証があっても、かなりのお金がかかるし、しかもその出費は長期にわたるのだ。)わたしはそんな人に、このブレストフォームを届けたかった。

しかし、どうやったらそんな人に、確実にこのブレストフォームを渡すことができるのか。

まずわたしには、他の乳がん体験者との交流はない。乳がん体験者としてのわたしの立場が、少しばかり微妙だからだ。

手術後に一切の療法を受けておらず、放射線療法やホルモン療法や、あるいは抗がん剤等にまつわる様々な苦労を、今のところは経験していないわたしは、患者同士の話の中では、なんとなく浮いてしまう存在になる。言ってみれば、乳がん体験者の多くの人にとっては、わたしはホンモノの乳がん患者ではない。

その一方で、乳がんというものをあまり知らない人からみれば、「胸を残すことができなかったほどの」乳がん患者だ。(念のために書いておくが、たとえ温存が可能な状態であったとしても、ホルモン療法や放射線療法を避けるために全摘出を選んだと思う。)そしてこの病歴は、一般的には社会では不利になる。この微妙な立場ゆえに、さまざまな葛藤もあるのだが、それはまた別の話なのでここで詳しく書くつもりはない。

話を戻そう。どうしたらこの使わないブレストフォームを、必要とする人に確実に届けられるのだろうか。

ヤフオクに出品しようかと考えたこともある。だがこの方法をとって、乳がんや他の病気で乳房を失って、しかしブレストフォームが高すぎて買えなかった人の手に確実に渡る保証はあるのか? それに、オークションの値段もどうしたらよいかわからない。安く設定して変なトラブルを呼び込んでしまったら? 最終価格が高くなりすぎて、本当に必要とする人の手に渡らなかったら? そんなことを考えて、わたしはこれまでずっと保管してきた。

数日前ネット上で、不要になったブレストフォームのやり取りを促進しようとするグループのウェブサイトを見つけた。わたしはそこに連絡を取ってブレストフォームの寄附を申し出た。

求められる人のところに行って、その人を笑顔にしておいで。


そう心の中で念じながら、まるで娘を嫁に出すような気分で荷造りして、宅配便で発送した。明日には先方の手元に届くだろう。そうして最終的には、必要とする誰かの手に渡ってくれるに違いない。

あのブレストフォームが本当に必要な誰かの役に立ってくれれば、こんなにうれしいことはない。