巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

コンデジの昔話

2011-12-04 23:51:26 | ガジェット/モノ
コンデジを買った。


2年前に、EOS Kiss X3という初心者向けのデジタル一眼レフを買った。オタクが入っているわたしなので、当初はもっとずっと上位の機種を買おうと思っていた。が、そこに乳がんの手術が入ってしまった。リンパ浮腫を防ぐために重いものを持ってはダメな体になった。初心者向けのデジ一は、デジ一としては軽いものが多い。そして突然の病の出費やら何やらでダメージを食らったお財布にもやさしかった。


ちょっと写真を撮りたい時は、このKiss X3をどこにでも連れて行った。何しろソニーのコンパクトデジタルカメラが壊れたあとだったので、携帯電話のカメラ機能を除けば、カメラはこれしかなかった。それに、初心者向けとはいっても、デジ一とコンデジではやはり違う。


が、やっぱり旅のお供には、写真撮影が旅行の目的でもない限り、デジ一はちょいとつらい。でも期待のミラーレス一眼はまだ発展途上だし、機能に対して値段も高めだ。そこで、ねらい目は、最新機種でなくてもよいので、それなりにいろいろなことができ、あまり高価でなないコンデジ。レンズがあまり暗くなくて、スピードがそれなりに早くてシャッターチャンスを逃さず、夜景がきれいに撮れるやつ。


今回購入したのは、カシオのEX-ZR100。17,800円也。この機種が発売されたのは今年の3月で、発売当時の店頭価格は39,800円ぐらいだったらしい。ここ数日いろいろいじってみたのだが、一昔前のデジカメでは本当に考えられなかった機能が満載だ。この値段でこの機能。ある意味、良い時代になった。






Finepix4700zわたしが最初に買ったデジカメは、富士フィルムのFinePix4700Z。この機種の発売時期は2000年3月で、メーカーの希望小売価格は当時のプレスリリースによればなんと、128、000円。うろ覚えだが、わたしは同年の6月海外旅行の直前に、充電器と予備の単3形ニッケル水素電池と、32MBのスマートメディア(!)と、スマートメディア用PCカードアダプターを一緒に購入して、たしか10万円を超える出費になったと思う。


同社のプレスリリース「デジタルカメラ「FinePix4700Z」の主な仕様」を見てもらうとわかるが、画素数は240万画素をハニカム信号処理し、当時としては驚異の432万画素という「超高画質」。今ではわたしの携帯のカメラだって、有効約1320万画素。(言っておくが、画素数が高ければ高いほど良いってことではない。)


そして初購入のデジカメを海外旅行に持っていったのだが、今考えれば、結構大変だった。


まずは、メディアの容量。2400×1800ピクセルで撮ると、32Mのスマートメディアには画質がFineで約18枚、Normalにしても約32枚しか入らない。撮影中は常に残りの撮影可能枚数を気にかけ、毎晩ホテルでVAIOの505Gにデータをダウンロードして、スマートメディア内のデータを消去していった。


そして、電池持ち。一度に2つ必要なニッケル水素電池は1日持たず、1日の撮影の途中で予備の電池に入れ替えて、夜はホテルで毎日充電作業。しかもこの充電器が、今とちがって100Vにしか対応しないというシロモノで、おかげで変圧器も持参しなければならなかった。


「残りの作業枚数を常に気にする」という、銀塩カメラのフィルムに対する配慮に似た配慮で撮った写真は、本当に「観光写真」のみ。今だったら、お店のちょっとした看板とかディスプレイとか、ピクトグラムとか、あるいは働く人の服装や道具とか、そんなものも撮影するのだろう。残りの枚数を気にしなくてよいのだから。だが、FinePix4700Zで撮った旅行写真では、建物全景とかきれいな風景しか撮影していない。


レスポンスが遅く、一瞬のシャッターチャンスを確実に逃すという代物だったけれど、わたしはこのデジカメを愛していた。ISOを変えられたし、マクロ撮影ができたし、3コマの連写だってできし、マニュアル撮影機能もついていた。今となっては、これらはみな微笑ましい機能だが、何といってもデザインがカッコよかった。縦長でマグネシウム合金で、後姿もステキだ。いまのコンデジにこんなものはない。


でも、このFinePix4700Z。ただでさえ電池食いなのに、しばらく使っていると、本当に大食漢になってしまった。フル充電しても数枚しか撮れずに電池切れ。新しい電池を買っても同じ症状がでる。しかもどうやら、この機種を使っていた多くの人が、同じトラブルを経験したらしい。


Glendalough_finepix4700z


(上の写真はFinePix4700で撮った風景。アイルランドのグレンダロック(グレンダロッホ)。元データの撮影日:2000年6月17日。元データのサイズは2400×1600、ファイルサイズ301KB。)


"全ての乳がん手術患者が乳房を取り戻すために"

2011-12-04 19:59:03 | 日記・エッセイ・コラム
この土曜日に、乳がん切除後の人工乳房による再建手術の早期実現に向けたシンポジウムが、新聞社主催であったようだ。


実は、このシンポジウムのお知らせが新聞に載ったとき、そのタイトルにびっくりした。いや、「びっくりした」というより、「ぎょっとした」と表現したほうが的確だと思う。


全ての乳がん手術患者が乳房を取り戻すために


これが、これは、乳がん後の乳房再建の適用の範囲を、シリコンの人工乳房を用いた手術に広げる提言を行うためのシンポジウムらしい。


ここでちょっと、乳がん切除後の乳房の再建手術について、素人ながら説明しておこう。


現状で保険適用になっている乳房再建方法がないわけではない。保険適用になっているものはいずれも自家組織を使うもので、主に二種類。腹部の皮膚と脂肪と筋肉に血管を付けたまま胸に移植する「腹直筋皮弁法」と、背中の皮膚と脂肪と筋肉に血管を付けたまま胸に移植する「広背筋皮弁法」だ。保険適用は良いのだが、どちらも体に大きな負担がかかる。


これらの自家組織を使うものに対し、シリコンの人工乳房を入れる再建手術は、体の別の部分を犠牲にすることなく再建ができる。だが、日本では人工乳房の薬事承認が得られていないため、人工乳房による再建を望む場合は自費診療となる。病院によっても違うのだろうが、100万円程度の費用がかかる。


こういう状況なので、乳癌診療ガイドラインに「早期乳癌の乳房切除後の乳房再建は再発診断の遅れにつながることはなく、安全性の面でもQOLの観点からも勧められる」と記載があろうと、実際に乳房再建を望む多くの乳がん手術患者が再建を断念し、つらい思いをしている。だから、人工乳房による再建手術を保険適用にすることには、わたしは賛成だ。


だが、気になるのは「すべての乳がん手術患者」というところ。


ひねた見方をすれば、「女性なのだから、胸は人工物だろうがなんだろうが、ちゃんと2つなければいけない」と、あおっているような響きがある。乳がん手術患者は「女性の象徴である胸」を失ったのだから、心が傷いていなければいけないのだろうか? 乳がん手術患者の誰もが、失われた乳房の代替を望まなければいけないのだろうか? 胸はちゃんと2つ揃っていなければNGなのか?


そうは思わない人もいるだろう。少なくとも私はそう思わないし、わたしの周りの乳がん手術患者の中にも、そう思わない人も複数いる。


それに、再建を望みながらもどの再建手術の適用にもならない人もいるのだ。「すべての乳がん手術患者が乳房を取り戻すために」では、その人たちを精神的にさらに追い込むことにつながりかねない。


胸が2つあるのは素晴らしいことだろう。だから、再建したい人がそれほど金銭的負担なく再建できる環境は必要だ。

でも、かならずしも2つ揃ってなくてもいいんだっていう考えも、もう少し当たり前になってくれたら…