巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

「希望退職」で考える

2009-07-12 00:19:47 | 日記・エッセイ・コラム
景気があいかわらず悪い。去年もおととしもそうだったが、今年になってからも、かつて何らかの形でかかわったことのある数多くの企業の複数が、新たに従業員の削減を行っている。

従業員の削減の場合、大抵は希望退職制や早期退職制の採用という形が採られる。希望退職の場合、希望退職と退職勧奨、そして指名解雇の境目は限りなくあいまいだ。あいまいでなので、しばしばトラブルが起こる。
「希望退職」という名目のもとでリストラを行った場合、トラブルの原因の一つは、どちらに退職を決定権があるかの解釈の違いから生まれる。すなわち、被雇用者が「自分が希望すれば退職できる」(またはその逆で、「自分が希望しなければ退職しなくて良い」)と考えがちな一方、雇用側は「誰を退職させて誰を残すかを決めるのは、企業側の裁量」だと思っている。

また、管理職側はしばしば読み間違える。「自分の部下は辞めたいとは、思っていないはず」と、根拠なく思ってしまっているのである。で、「誰を辞めさせようか」「どう説得して辞めさせようか」の方にしか頭が行っていないときに、辞めないだろうと思っていた部下が挙手をして、「ギャー!」と大パニックになってしまう。お気の毒さま。しかし同情はしませんぞ。

希望退職のようなことを行う場合、日本企業のゲマインシャフト(共同体、共同態とも)的な性質が、事態をややこしくすることがある。すなわち、「辞めないことで会社の存続を脅かす」だの「お世話になった会社に後ろ足で砂をかける行為」だのと、企業側の意思に従わないものが、「共同体において、その和を乱す裏切り者」とみなされてしまう場合がしばしばある。とくに「辞めてほしいのに辞めてくれない者」に対しては、村八分に近い仕打ちが行われることもあり、このような仕打ちが、企業の論理で正当化されうる。(この辺はかつて研究テーマのひとつだったが、いろいろ事例を調べていくうちに、さすがに途中で嫌になった。だって、「これを正当化するのは無理でしょう」って事例が多かったんだもの。)

また、「希望退職」の名のもとで、事実上の退職勧奨や指名解雇がなされている事実は、「希望退職をしたのは、組織の中において能力のないもの」という認識を生んでしまう。いろいろと見てきた経験では、もちろん「この人が辞めることになったのは納得」という退職者もいる一方で、上司よりも能力があったがゆえに上司の覚えが悪かったり、ついていた派閥のトップが勢力を失ってしまい、それに伴い「親ガメこけたら」式に退職に追い込まれたりしている人間は結構多い。

翻って、わたしが月―金の昼間に派遣で働いている会社は、正社員の雇用調整を行ったことがないらしい。この企業は業界大手の2社が合併してできた会社だが、合併のときでさえ企業主導の人員削減は行わなかったという話だ。組織が1つになれば少なくともアドミ部門は大々的にリストラがあるはず(総務だって、人事だって、経理だって、1つあれば良いんだし)と思っていたわたしには、新鮮な驚きだった。

だが、この企業も、それなりの人員削減の努力はしてきている。たとえば、どの企業もやっているように、新卒の雇用を抑えて、定年退職による自然減を狙うとか。本年度に入ってからは――これもどの企業もやっていることだが――派遣社員については契約の更新をしない方針を打ち出している。幸か不幸か、今のところわたしは業務の特殊性のせいもあって例外扱いされているが。

「幸か不幸か」と書いた「幸」の部分は、この不況下でこの年齢(オーバーエイジ)でこのスペック(明らかなオーバースペック)の派遣を雇うところはそれほどないことで、不幸については、「こ、こんな時給は…(以下、略)」。この「時給」については、景気の方かにやはり派遣労働法の改正法まずかったと思うのだが、ここでは本題ではないので省略しておこう。

で、「不幸」の部分を相殺しているのが、わたしの個人的な好奇心だ。良くも悪くも「そうか、『終身雇用で年功序列で、しかも女性の地位が低い』いう伝統的な日本企業に勤めていると、こんな考え方と行動になるのか」という見本のような企業なのだ。「数年以内に転職か、独立か、それとも体か心を病んで廃人になって退職か」という企業を多く経験してきたわたしにとってはものすごい異文化であり、ここで「異文化コミュニケーション」も専門としてきたわたしの研究者魂がうずくのである。これまでかかわった多くの企業といちいち比較しては、フムフムと納得する毎日。(しかし具体的にどうか…なんて、絶対にどこにも書きませんよ。一般的な守秘義務の上に、この企業と別途守秘義務の書類を交わしていますから。)

しかし、景気は悪い。そして昨今の状況を鑑みて、ついに6月からこの企業に「休業日」というものが設定された。(自分の給与明細に「休業手当」の文字を見る日が来るとは思わなかった。)あらゆる手を打って従業員の雇用をぎりぎりまで守ろうというとしているのだろう。しかし、この企業がさらなる手を打たなければならなかった場合、そして何らかの形で雇用の削減を行わなければならなくなった場合、一体何が起こるのだろうか。伝統的な日本企業らしく、おそらく誰が退職するかは会社主導で、そして「影響力を持つ上司の覚えがめでたいか否か」できまるのだろう。その結果、長年培ってきた組織のカルチャーに、そしてそこで定年まで働くのがあたりまえだと思っていた従業員たちの心理的契約にどのような変化がもたらされるのだろうか。その結果、企業の業績はどのように変化するのだろう。

そういう状況は、従業員たちと働いている一個人としては見たくもないものだが、研究者視点では興味深くもある。まぁ、そんなことが起こったとしても、それが起こるほど長くはこの企業のもとでは働かないはずだ。