巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

3合炊きタイプの炊飯器

2006-10-18 09:06:00 | インターネット (CMC)
13年使った炊飯器が壊れたので、新しいものを買いにいった。これまでの炊飯器はナショナルの5.5号炊きの「ニューロ・ファジィ炊飯」のIHジャー。「ニューロ・ファジィ」なんてことばは、今となっては20世紀の香りがプンプンする。

世は高価な炊飯器ブーム。釜でいえば「本炭釜」とか「旨火ダイヤモンド銅釜」とか「土鍋釜」とか。炊き方でいえば「7段圧力」とか「AI炊飯」とか「ナノスチーム蒸らし極上圧力炊き」とか「超音波大沸騰圧力」とか「新かまど技」だとか。よくはわからないが、白米のみならず、近頃はやりの無洗米や玄米などもおいしく炊き、しかも炊きたてに近い状態を長時間保ったまま保温することができるらしい。

ところでわが家の食生活では、何合炊きを買えばいいだろうか。そういえば、13年使った炊飯器で、いったい何合の米を炊いていたのかを考えると、通常は1.5~2合。多くても3合で、しかも3合炊くことはごく稀。わが家はおかず食いなので、ライフスタイルを考えれば3合炊きで十分なはずだ。

しかし、3号炊きタイプは上位機種のものがなく、選択の幅が狭い。しかしさらによく考えると、わが家で食べている米は高級ブランド米ではなく、あきたこまちの無洗米だ。いくら、炊飯器を最高のものにしたところで、米の味は最高にはならないだろう。というわけで、別に下位機種でもよいので、3合炊きを購入することに決定した。

事前にkakaku.comで調べてみたものの、昨今の炊飯器につぃてはいまいち不明な点が多かったため、池袋のビックカメラ本店で3合炊きコーナーでIHジャーの現物をしばし物色してみることにする。が、ここで3合炊きでは、不都合があることに気づく。

つまりわが家が3合の米を炊のは、炊き込みご飯のときなのだ。それも炊き込みご飯の素に3合で炊くようにとの指示があるため、3合を炊いているのだ。しかし白米3合が炊ける最大量のタイプには、炊き込みご飯は2合までしか炊けないものがある。これでは炊き込みご飯が炊けないではないか。

というわけで、急きょ白米3.5合のもだけを購入対象にすることに決める。こうなると選択の幅はいよいよ限られてくる。

Rice_cookerしかし幸運なことに、ビックカメラ池袋本店の3合炊きタイプの売れ行き第1位は、3.5合炊きであった。しかもこの1位の機種のみ、中身の入ったダンボールの箱がドーンと目の前に積んである。他の機種は忙しい店員を呼んでとってきてもらわなければならないが、こちらも忙しいので店員を呼ぶのは面倒くさい。そこで、深く考えずに、目の前に積まれているダンボールの箱の一番上のものをピックアップしてレジへ。この機種とは三菱のNJ-HS06で、税込み20,800円也。

家に帰って、まずいつものあきたこまちの無洗米を炊く。以前の炊飯器よりモチモチと炊けており、炊飯器の着実な進化を実感する。だが、あきたこまちでは満足しない誰かが、いつのまにか魚沼産こしひかりの新米を買ってきていた。これで炊いてみたところ…

おかしい。なんだか変だ。わが家はおかず食いでご飯はあまり食べないはずなのに、さっきからおかずが一向に減らない。みな一心不乱に江戸むらさきでご飯を食べ続けている。これはまずい。わが家の場合、「おかず食い」とはいっても、そのほとんどが火を通した野菜類であり、肉魚類はぽちっと。大量の野菜で健康を維持しているのに、ご飯にかたよってしまっては。それに良いお米は、家計にはよくない。

しかし、このクラスでこのレベルのご飯が炊けるのなら、最上位機種で炊いたご飯は、いかなる味・食感なのだろうか?

ところで、今回購入したIHジャーに計量カップが2つついているのには、時代を感じた。ひとつは白米用。もうひとつは一回り小さい無線米計量用。それだけ無洗米がポピュラーになったということだろうが、次に買い換えるときも無洗米のカップとメニューがあるのだろうか。そして、外見も今の炊飯器と同じように、メタリックなものが主流のままだろうか? それともさらに進化して、今は考えられないような炊飯器が現われるのだろうか?

数年から10年以上先になるであろう次の買換えも楽しみではあるが、とりあえずは今回買った炊飯器が壊れるまで、これで米を炊き続けよう。


女性議員の出産

2006-10-18 07:28:00 | 政治と選挙
AERAの06.10.23号(No. 49)に、参議院比例代表区の与党の女性議員であるH氏が、最近3人目のお子さんを生んだことが書いてあった。

出産のこと、出産直前まで国会を休まずにいたことは知っていたが、産後すぐに復帰したことと命名のことは知らなかったので驚いた。

わたしは、女性の議員が出産し、きちんと産休をとり、育児にコミットしていくことに100%賛成する。が、現実を見ると、普通の職場でも産休は取りにくいのに、ましてや国会議員となれば「国会議員が国民の代表であるという意識が欠如している」「国会議員は一人の体じゃないんだから、産休をとるなら議員を辞めるべきだ」との風当たりもいっそう強くなるだろう。国会議員はただでさえ忙しいのだから、その批判を乗り越えて産んだとしても女性議員のその後の子育ては大変だ。

しかしながら、今回は別の視点で女性議員の出産・育児をとらえてみたい。女性の議員が子供を生むことが、選挙対策になり得るという観点からだ。


このH議員の前回の改選のときに、わたしはやはり同じ党から比例代表で出馬する女性の新人候補を手伝っていた。この候補を仮にA候補とする。既婚だがまだ子供はいなかった。

公示の直前、この政党の某県のある県議の後援会の会合に、この新人候補にもお招きの声がかかった。比例区は全国区であるが、党本部から各県連に「この県は比例区の○○候補をもりたてるべし」とのお達しが行くらしく、この県が助けるべき候補者はH氏とA候補だったのだ。だからこの会合には、本来ならA候補本人が出席すべきだったのだが。

「この日A候補は、別のところに出席しなければいけないので、あなたに代わりに出てほしいの。舞台に出て代理挨拶をしてね」

そう言われてわたしが最初に思ったのは、「なぜ、わたしが?」という疑問だった。働いていた大学の学期末とスケジュールがぶつかり、試験やらレポートやらで、時間的な余裕がなかったからではない。わたしとこの候補の関係は、「友人」だったからだ。

それまでわたしは、ベテランの元党員のスタッフから、選挙がらみで本人が出席できない場合に、候補の代理として出ていくべきは家族であり、配偶者、親子、兄弟姉妹でないと、効き目がないと聞いていた。

「大学院の学友ということで出席してね。あなたなら候補と同世代に見られるから、ちょうど良いと思うの」

A候補の場合、選挙期間の中盤にならないと家族がでてこなかったこともあるが、こちらの事務所が、「友人」を代理に出しても大丈夫だと判断した根拠があった。

その根拠とは、「H氏自身はその会に出席しない」という事前情報だった。現職でしかもその県在住のH氏と、無名でしかもその県とは縁もゆかりもないA候補のどちらを県民は応援するだろうか。ただでさえ分が悪いのに、H氏本人が会合にこちらが代理をたてたりしたら、かなり印象が悪くなる。有権者は1人1票しか持たず、「非拘束名簿方式」だ。つまり、各党の当選人数が決まった後、党内では個人名の多い順に当選するから、自分の名前を書いてもらわなければそれだけ当選から遠ざかる。同じ党からの出馬とはいえ、H氏とA候補はライバルの関係でもあった。

穴を開けるという最悪の事態は避けるために、わたしはA候補の代理として、とにかく会場に向かった。事前の情報のとおり、会場にH議員は来ていなかった。

式次第にそって物事は進行していった。議事の中盤にさしかかったころ、H氏本人が会場に現われた。前年に出産したお子さんを連れてきていた。お子さんを舞台の袖に残し、H氏は舞台で着席している代理出席者と入れ替わった。

わたしの役目は単なる数分の代理挨拶だったが、H氏は現職なのでトリに「特別講演」という形でかなり長めの時間が与えられていた。わたしは、あえて事務所の希望通り「A候補と学友(当時、同じゼミに属していた)であり、同世代である」という雰囲気をプンプンとさせながら、とにかく先に代理挨拶を終えた。(一回りも年下のA候補と同世代に見られることに、内心は忸怩たるものがあったが、要するに当時のわたしが若干若作りで、A候補が老けてみえるため、何も語らなければ「同世代」と誤解されたのである。)

さらに議事は進行し、H氏の講演になった。

特別講演の中盤で、H氏のお子さんが舞台の袖からむずかるような声を上げた。1歳の子供のかわいい声が会場に響き渡った。客席には年配の女性が多かった。H氏は舞台の袖に一度引っ込むと、お子さんを抱いて再び現われた。政治がらみの会合の硬い雰囲気が、一瞬にしてほのぼのとした暖かいものに代わってしまった。わたしは舞台の上から、その空気の変化と、お子さんとその母親であるH氏に対して、客席から向けられる暖かいまなざしを見ていた。小さな子供にはかなわない。わたし自身もほんわかとした気分になってしまい、H氏親子に暖かいまなざしを注いでいる自分を感じていた。

「うちの広報部長です」H氏はお子さんをこう紹介した。確かに強力な広報部長であっただろう。まずは出産の事実からして、国会議員の場合はニュースになるのだから。

会が終わり、わたしはA氏の事務所に連絡をした。とにかく大きなトラブルもなく終えたことを報告し、ついでに「お子さんと一緒にH議員本人がいらっしゃいましたよ」と深く考えずに伝えた。それを聞いて、電話の向こうのスタッフの声の調子は、明らかに不安げなものに変わった。

翌日事務所に顔を出すと、A候補はかなり怒っていた。「絶対に本人は来ないって言っていたのに」そしてH議員とお子さんの顛末を話すと、怒りに満ちた表情でこういった。「子供を使うなんて…ずるい!」

選挙期間に入り、選挙ポスターが町中に貼られるようになった。H氏のポスターはお子さんを抱いているものだった。「自分が子育てしているからこそ、子を生み育てる母親の苦労がわかる」「自分が子育てしているからこそ、次代の子供のことを真剣に考えている」「子供を持っているからこそ、教育なども熱心に扱う」「出産・育児に冷たい社会に立ち向かう母親」「子育て世代の代表」 そんな雰囲気を、このポスターの写真はかもし出していた。そして、このポスターに対しても、A氏は不快感を示した。

その選挙は、小泉ブームと同じ比例代表区から出馬した国際政治学者のM氏の大量得票のおかげで、党の多くの比例代表候補が当選した。 (非拘束名簿方式とは、そういうものなのだ。) 個人名を書くことが可能になったにもかかわらず、個人名よりも党名で投票する人が多かったこも幸いした。その結果、現職のH氏のみならず、次回の選挙のために知名度を高めることが立候補の目的だった新人A候補も当選した。

当選後、周囲はA氏に「次の選挙までに子供を生んで、次回は子供を抱いて出馬する」ことを勧めた。そして彼女は妊娠・出産し、いまは子育てするママさん議員になった。女性の国会議員の出産はニュースになるのであるから、もちろんA氏の出産もマスコミに取り上げられた。

女性にとって出産・育児を巡る環境は厳しい。環境の厳しさを巡る原因は複合的なものだが、プライベートよりも仕事を優先することが良しとされる社会において、女性が働きながら子供を生み育てることについて、「自分の好き勝手なことをやって、周りに迷惑をかけている」とも受け取られがちなのも大きな要因だ。

その一方で、女性の出産・育児は、選挙という場においては強力な武器になりうる。しかも最近3人目のお子さんを産んだH議員の場合は、出産直前まで働き産後すぐに復帰することで、「国の仕事としてやっているのだから、産休を取るなら辞職すべきだ」という意見もシャットアウトし、これをもって、単なる出産ニュース以上のニュースを提供した。しかも子供の名前のつけ方でも話題を提供し、命名に関しては、多くの人がブログに記事を書いている。議員にとって、自分の名前がメディアに取り上げられることは、大きな宣伝になる。H氏の今回の出産は、おそろしく冴えた戦略であると解釈することも可能だ。(本人はそこまで考えていないのかもしれないが。)

わたしは必ずしも、女性議員が出産・育児を選挙対策に使うことに反対ではない。いわば「女を武器に使う」の変形版で個人的には好きではないが、それもありだと思う。ただし、子供のプライバシーや成長を考えて、慎重にやってほしい。

さて、A議員についてだが、わたしが興味あるのは、彼女が次回の選挙で、他人の行為に対しては嫌った「子供を使う」やり方をするかどうかだ。これまでのところウェブサイトや講演などで、自身の出産と子育てをアピールしてはいるが。選挙に子供を出すことに関して、国政への進出の話も出た元有力県議の子供でもあるA氏は、いったいどのように感じているのだろうか。