巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

Summer Dance

2012-05-16 22:47:31 | 音楽
Summer_dance_3いま、フリードリヒ・グルダ(1930-2000)のアルバム "Summer Dance" を聴いている。


音楽家としてのグルダは極めて守備範囲が広く、クラシックとジャズのみならず、ワールドミュージック、ダンスミュージック、テクノ、そしてわたしもいまだ理解できない「フリー・ミュージック」などを作曲し、演奏した。ピアニストと書いたが、サクソフォンやブロックフレーテ(リコーダー)も演奏し、「アルベルト・ゴロヴィン」という偽名でグルダ自身が作詞作曲したブルースを、ウィーン訛り丸出しで歌った。しばらくの間、世間は歌手ゴロヴィンとグルダが同一人物だとは気づかなかった。


アルバム"Summer Dance"は、イビサ島のDJ Pippiとともに作ったもので、グルダの亡くなる前年である1999年にリリースされた。わたしが持っているのは、元のアルバムに曲を3曲加えて2006年に再発売されたものらしい。ダンスミュージック系のアルバムだが、そこはグルダのことだから、ジャンルの壁は当たり前のように超え、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の6番の前奏曲やショパンの24の前奏曲の第4番を、極めて効果的に挿入している。また、モーツァルトの最後のソナタ(KV 576)をヤマハのクラビノーバで全曲入れている。


本日はグルダの誕生日。生きていれば82歳になったはずだが。70前にさっさと死んでしまうなんて、あんまりだぜ。まだやることがあったはずだと思うのだけれど。コンチキショウ。


(YouTubeにアルバムタイトル曲をアップした人がいる)




ゾフィエンザールとウィーン3区

2010-10-18 21:58:34 | 音楽
仕事を離れて、オーストリアへ行ってきた。「え? オーストラリアへ行くんですか?」と複数の人間に聞かれたが、「リア」と「ラリア」の差は大きい。「ラリア」だと、どうしても仕事になってしまう。「リア」なら、多分ならない。だから、オーストリアへ。そして行くからにはどうあってもウィーン市内めぐりは外せない。

しかし、週末のウィーン1区は、観光客しか存在していないのではないかと思われるほど、観光客であふれかえっている。それも世界各国からの団体さんが多く、様々な言語が耳に入ってくる。オーストリア人たちは金曜の午前で仕事を終えるとのことなのだが、そのあとは一体どこに行ってしまうのだろう。

見どころは1区に多いのだけれど、1区のあまりの観光客の多さに加えて、フンデルトヴァッサー・ハウスがあるからという理由で先に3区に立ち寄ってみようと、マルクサーガッセに足を踏み入れた。そこでまずわたしを圧倒したのは、廃墟と化したゾフィエンザールだった。

ゾフィエンザールは「ゾフィー(バイエルン王女、オーストリア大公妃)のホール」という意味だ。1826年に建築されたホールで、クラシック音楽ファンには、英国のデッカ・レコードが1950年代から1980年代半ばまで、ウィーン・フィルの録音に使用したホールとして有名だ。舞踏会に使われる広いホールに高い天井、そして地下には屋内スイミングプールがあったために音響が素晴らしく、録音向きだったらしい。また、ヨハン・シュトラウス父子もここで演奏を行っているなど、由緒のあるホールであるが、この歴史的建築物は2001年8月の火災で外壁を残して焼失してしまった。

修復プロジェクトが開始されたたという話も聞いたこともあるが、どこまで進んでいるのかわからない。だが、ともかく、外壁を残して焼失したゾフィエンザールの写真は、ネットのあちらこちらに散らばっているので、無残な姿を目にする心構えもあった。

しかしショックだったのは、そのような写真には写っていなかったグラフィティ(というか、単なる壁への落書き)が正面側の壁に描かれていたことだ。(下の写真は、クリックで拡大します。)

Sofiensaal_oct_2010_2

ウィーンの街にはグラフィティが多い。1区でもかなりの落書きを見た。が、さすがに観光名所になるような名のある歴史的な建造物にはない。ゾフィエンザールのファサードのグラフィティには、「この建物には、もう何の価値もない」と言われているようで、わたしはしっかり落ち込んでしまった。

マルクサーガッセを挟んでゾフィエンザールのほぼ斜め前になるザイドルガッセ21には、このブログで何回か取り上げているピアニスト・作曲家の故フリードリヒ・グルダが生まれてから20歳あたりまで過ごしたアパートがあった。(その後グルダ一家は1区へ引っ越した。)

今ではそのアパートはなく、別の黄色い(1960年代か70年代あたりに建てられたらしいデザインだ)アパートがあるが、オーストリアではこういう場合は「ここに、グルダが幼年期と青年期を過ごした建物が建っていた」というプレートが、この建物の外壁につけられるはずである。見れば、確かにそのようなプレートがついていた。こういうプレートが市内の建物の至るところにあり、こういうものを色々と探すのも楽しいものだ。(たとえばホテル・ザッハーには、ここがかつてアントニオ・ヴィヴァルディが住んでいた場所であることを示すプレートがある。)


Gulda_plate



ところで、ウィーン3区出身のピアニストといえば、ザイドルガッセ出身のグルダのほかには、エルトベルク通り出身のジャズ・ピアニストの故ジョー・ザヴィヌルがいる。両者とも偉大なピアニストである。ウィーンではこのような偉大な出身者は、公園にその名を残すはずである。

というわけで、フリードリヒ・グルダ公園という名の公園もジョー・ザヴィヌル公園という名の公園もウィーンの中にあり、しかも3区の中にある。どちらもGoogleマップで探せるので、探してみるとよい。なんなら、行ったついでに足を延ばしてみても良い。

わたしは、マルクサーガッセとザイドルガッセからウィーン国立音楽大学に向かう途中に、ちょいと回り道をしてフリードリヒ・グルダ公園の前を通った。話には聞いていたが、公園のを囲むように新しいアパート群を建設中で、周囲一帯が立ち入り禁止で、中がどうなっているのかはわからなかった。が、きっと、その辺にあるきわめて普通の小さな公園だと思う。


(注:本文中の、地名について、「ガッセ (Gasse)」は「小路」「路地」「横丁」の意味なので、Marxergasseは「マルクサー小路」とも訳される。個人的に「小路」のイメージがつかめないので、「マルクサーガッセ」と記載した。表記の統一のためにはErdbergstrasseを「エルクベルトシュトラッセ」とすべきかもしれないが、こちらのほうは「エルクベルト通り」のほうが分かりやすいと思うので、そのように表記した。)



葬儀に流す音楽・流してほしい音楽

2010-08-29 20:00:00 | 音楽
アニソン・カラオケに誘われた。先だって逝去された某氏の追悼だという。

生前ご本人が周囲に、「自分が死んだら、アニソンで送ってほしい」と言っていたことがあったとのこと。故人の希望は叶えたいが、生前に社会的地位があった方の葬儀であり、葬儀にもかなり社会的地位のある方がいらっしゃる関係上、どうしようかということになった。が、結局、葬儀を行う会場のほうから「あまりにぎやか音楽は…」と言われたということで、故人の希望には沿いかねる次第となった。

しかし、本人の希望は…
というわけで、ご遺族と仲間たちの間で、「故人の供養のためにアニソン・カラオケ大会を開くしかあるまい」という結論に達したとのこと。そういう趣旨であれば、蛮勇をふるって参加しようではないか。

しかしながら、わたしは子供のころからほとんどTVを見ない。というわけで、アニメもあまり見ていない。歌えるものは『おばけのQ太郎』ほか、『宇宙少年ソラン』、『サイボーグ009』、『デビルマン』、『一匹ガキ大将』くらいしか知らない。女の子ものはもっと知らなくて『魔法使いサリー』と『ひみつのアッコちゃん』、そして『ふしぎなメルモ』ぐらいだ。あまり時間はないが、取り急ぎレパートリーを増やしておかないと。

テレビまんが主題歌のあゆみテレビまんが主題歌のあゆみ
価格:¥ 2,940(税込)
発売日:2005-12-21


◆ ◆ ◆

昨年、父が他界した。「自分はこれまで激動の人生を送ってきたのだから、これからはなにものにも縛られずに生きたい。自由に生きたいところへいって、自由に死にたい」と9年前に家を出て行った父は、アパートで一人暮らしをしていて、死後数日たってから発見された。病死だった。(家族の名誉のために書いておくと、「激動の人生」を送る羽目になったのは、母をはじめ、父を家族にもった人間のほうだった。)

警察で発見されたときの話を聞いている間、わたしは、もう30年近く前に父が、子供向けのクラシック全集のレコードの中のグリークの『ペール・ギュント組曲』の1曲を聞きながら、「自分が流したらこの曲を流してほしい」と、言っていたことを思い出した。それが「オーセの死」だか「ソルヴェイグの歌」は忘れたが。

葬儀場は音楽が禁止だったので、棺に『ペール・ギュント』のCDを入れてやろうと、アマゾンから取り寄せた。父はカラヤンとベルリンフィルが好きだったはずなので、それをチョイス。アマゾンプライムできちんと翌日に届いた。

グリーグ:ペール・ギュントグリーグ:ペール・ギュント
価格:¥ 1,223(税込)
発売日:1996-12-02


ところが、お通夜の前に父のアパートに入ったところ、昔から父が持っていた古いレコードの他には、クラシックのCDが数枚あるだけ。しかもそのCDが「『一枚でわかるベートーヴェン』の類の入門編ばかり。生前、根っからのクラシック音楽ファンを自称し、「クラシック音楽のような高尚な音楽が分からない奴は馬鹿だ」などと周囲に言いまくっていた人間にしては、ちょっと情けないかもしれない。どうやらペール・ギュント発言は、酔った勢いだったらしい。さて、どうしようか。

で、アパートの部屋の中にあった古いステレオセットに目をやったところ、いつぞやの記事にもちらりと書いた、グルダ(ピアノ)/シュタイン(指揮) ウィーンフィルによるベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番『皇帝』のレコードが、レコード・プレイヤーのターンテーブルに乗っていた。ほこりをかぶっていないところを見ると、ひとり暮らしをするようになっても、たまには聴いていたらしい。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2001-04-25


そこで、私自身の手持ちのCDの中から同じ録音の『皇帝』が入っているものを、グリークのCDと一緒に棺の中に入れ、父と一緒に焼いてもらった。

◆ ◆ ◆

葬儀の音楽と言えば、私の周りではクラシックに限れば、フォーレの『レクイエム』、モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』、バッハの『無伴奏チェロ組曲』あたりを自分の葬儀に流してほしい音楽としてあげる人が多い。どれも美しい曲で、葬儀の雰囲気には合う。

問題は『レクイエム』と『アヴェ・ヴェルム・コルプス』はキリスト教の音楽だということ。宗教というものにこだわる参列者の中には、キリスト教の葬儀ではないものにこのような曲が使われると、気分を害する人がいる。歌詞が入っているのはダメだとしても、人によってはメロディーだけでも拒否反応を示す人がいる。

先だって、ある方の仏式の某宗派の葬儀で、フォーレの『レクイエム』のメロディーが流れていた。歌はなし。が、うっかり「あ、これ『ピエ・イェズ』ですね」なんて言ってしまったところ、その宗派の熱心な信者と思われる方が顔をしかめていた。

ところでフォーレの『レクイエム』といえば、母が所属するメトロポリタン・フロイデ・コーア東京の11月末の公演では、この曲をやるらしい。なので、もっとも美しいと思われる録音の一つを、母にプレゼントしておいた。MFC東京はアマチュア合唱団で、今まで見た限りでは、本番では一所懸命に力を込めて歌ってしまう傾向がある。この『レクイエム』は力を込めて歌うととんでもないことになってしまうので、観客のはずわたしのほうがいまからドキドキしている。(なお、ボーイソプラノを使うらしい。わたしもこの曲は、ボーイソプラノを使ったほうの録音が好きだ。)

フォーレ:レクイエムフォーレ:レクイエム
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2000-06-21


◆ ◆ ◆

わたしが死んだときに流してほしい音楽は、また別の機会に。

「ハートに火をつけて」による変奏曲

2010-05-05 00:04:34 | 音楽
先日、仲間うちの会話で話題になった、フリードリヒ・グルダ (1930- 2000)作曲の「『ハートに火をつけて』による変奏曲」 (Variationen über Light My Fire) (1970)でございます。もちろん、ドアーズのあの曲を使っています。

以下の2分割の白黒の映像は、Youtubeのかかるページの解説にによれば1971年のもの。つまり作曲直後の演奏です。

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そして、次のものは、服装から判断するに、1989年前後でしょうか。(1989年のミュンヘン・フィルとの『皇帝』の弾き振りと服も帽子もそして時計も、同じものを着用しているのよ。)

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この曲が収録されているCDは↓です。
Midlife HarvestMidlife Harvest
価格:¥ 7,188(税込)
発売日:2007-08-21


楽譜ですか? もちろん手元にございますとも。(輸入楽譜のお店で取り寄せてくれます。)初めて楽譜に目を通したときには、「ギャーッ」となってしまいましたが。(あたしには弾けねぇよ。)くやしかったので、ラリッった感じで歌っちゃいました。

"Come on baby, light my fire..."


音楽史では1月27日は

2010-01-27 20:00:18 | 音楽
オーストリアの作曲家・演奏家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの誕生日です。(1756年1月27日)

オーストリアのピアニスト・作曲家、フリードリヒ・グルダの命日です。(2000年1月27日。もう10年か…)

なんて考えていたら、最近のあまりの忙しさゆえに忘れてはいけないことを忘れてかけていたことを思い出しました。2010年1月27日はマイケル・ジャクソンのTHIS IS ITの発売日じゃありませんか。

というわけで、あわてて買いました。上記の故グルダもかなり昔(おそらく1990年ごろ)に言っていました。「マイケル・ジャクソンはルネ・コロより、よっぽどいい歌手だ」と。いえ、テノール歌手のルネ・コロも個人的には結構好きなんですが、ただ、マイケルが別格だし、やはり音楽史に名を残していますし…

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