Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

被災地でのボランティア(2)-陸前高田市-

2011-07-22 20:50:07 | 東日本大震災のこと
先日、まずは被災地に行く際の装備を中心に記事を書きました⇒こちら

個人的に連絡をいただいて、どんな手段で現地に行き、どこに泊まり、何をしたのか、などなど

色々質問があったので、装備以外のことも書き記したいと思います。

基本的にボランティアの経験が乏しい私でしたので、自分が行って迷惑にはならないのかが気になりながらも、考えを整理しながら、6月に入って決めました。

東京という地の利、労働に耐えうる体力、融通の効く働き方、プライベートで自由になる時間の多いことなど、私には現地に行くための条件がかなり揃っているのです。

6月は長距離の移動の仕事が多く、また土日も何かしら予定が入っており、残念ながら、暑さの厳しい7月になってしまいました。

当日も登壇を終え、荷物を取りに家まで帰り、震度4の地震に見送られての出発でした。

私は旅行会社のツアーに申し込みました。

参考にしたのはコチラ⇒「助け合いジャパン」ボランティア募集状況

東京-陸前高田間の高速バス往復・宿泊1泊・昼食2回・夕食1回が含まれるツアー代金は19,000円です。

参加者の男女比ですが、このツアーは半々ぐらいでした。
私が思っていたより女性が多かったですし、女性の方が多いツアーもあるとのことでした。

力仕事が多い中で、やっぱり昨今の『女子力』の強さを感じずにはいられませんでした。

旅行会社の添乗員の方が、現地で作業を指示してくださいました。
仕事は、地元の災害ボランティアセンターであらかじめ割り振られていて、それに従います。

私たちは、畑に堆積した土砂を掘り起こして、埋まっている瓦礫や生活用品を分別していく仕事でした。

私が多く見つけたのは、瓦、コンクリート片、レコード・CD・ビデオ・テストの答案用紙、食器などでした。名前が入った体操服は、持ち主に戻る可能性もあるとのことでした。

高台へとつながる斜面を駆け上がった津波が運んできたものたちでした。
そこには、あの日の生活が眠っているのでした。

作業中の様子は、個人参加のツアーなので、最初は、個人で黙々と作業していましたが、少しづつ共同で作業ができるような雰囲気ができていきました。

20分作業をして10分休む。そして10時から14時までの作業時間。
正直、かなり不全感が残りました。(私に限って言えば)もっとやれるのに・・・

しかし、熱中症で現地のボランティアセンターの皆さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんので、要請に応えます。

前日に、点滴が必要なボランティアの方が出てしまい、車で2時間かけて病院に運ばれたそうです。こういうことは絶対に避けなければなりません。
(とにかく自己管理・自己統制です)

作業を終え、宿泊した温泉は、花巻市にある渡り温泉という立派な温泉宿でした。
陸前高田からは、バスで2時間以上の要しました。

多くの方が仮眠にあてており、バスの中は、比較的静かでした。

温泉・食事ともに素晴らしく、ここでは観光客です。

私も含め、参加者の大半が後ろめたい思いがあったようです。

しかし、震災によって観光客が減った観光地で、観光客として寛ぎ、サービスに見合った対価を支払うことは、決して悪いことではないと感じました。

雇用の維持や拡大ためには、売上げ・利益を上げていくことが不可欠です。
企業を存続させ、納税していくことも復興には欠かせない行いです。

翌日も、2時間ほどかけて陸前高田に行き、作業。
帰りは盛岡まで行き、途中のつなぎ温泉で汗を流し着替えをし、市内の料理店でオプションの夕食をいただきました。
バスの出発までの時間は、仲良くなったメンバーと盛岡八幡宮へ行き、復興を祈願しました。

東京についたのは6:20ごろ。
残念ながら、なでしこジャパンの勝利の瞬間を見ることはできませんでした。

疲労が、思ったより少なかったのは、バスの中、旅館で良く寝れたことだと思います。

多分、また行くと思います。

少し涼しくなってからとも思ったのですが、「やれる人」が「今、必要なこと」を「今、手伝うこと」に意味があるのだろうと思いました。

残念ながら、短時間で役に立てたという実感がない。

自分に向き合ったり、誰かが言っていることを前提に自分の行動にブレーキをかけるよりも、ゼロベースで自分の意思で行動してみたことで、もやもやしていたものがすっきりしたように思います。

そういう機会をいただいたのでした。

自分たちの行動は、被災地の方から見たらどう見えたのでしょう。
失礼がなかったかを振り返ります。

若干の心当たりはありますが、次回は自分を律します。

広範囲にわたって傷ついた被災地の1日も早い復興をいつも心から祈っています。

この先も、託された命を大切に、共に今を生きて行きます。

お読みいただきありがとうございます。




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