「かもめ食堂」のスタッフが再集結して作った作品だというので、これまでの腐れ縁(?!)もあって『マザーウォーター』を見に銀座シネスイッチに行ってきました。
(1)例によってストーリーらしいストーリーは一切ありません。
登場人物は、小さなバーを営むセツコ(小林聡美)、喫茶店を経営するタカコ(小泉今日子)、それに豆腐屋のハツミ(市川実日子)。
3人とも地元の人ではなく、別の土地からここに流れてきたようです。
3人とも一人暮らしで(家族関係は一切不明)、映画開始時点まではお互いの交流もなく、それぞれ毎日、客にウイスキーやコーヒーを出したり、豆腐を売ったりする、一見単純そうな仕事をしているだけです。
そこに、家具工房で働いているヤマノハ(加瀬亮)とか、銭湯を営むオトメ(光石研)、オトメ湯の手伝いをしているジン(永山絢人)がお客として登場してくると、状況はほんの少しだけ動くように見えます。
これらすべてをネットに包み込んでいるのがマコト(もたいまさこ)という老婦人であり、彼女がよく釣れている赤ん坊のポプラ(オトメの子供でしょうか)です。
人物設定はこれだけであり、舞台設定も、映像として映される光景から京都の鴨川周辺だとわかりますが、積極的にどこと特定されているわけではありません。なにしろ、登場人物は皆標準語を使いますし、町の人も京都弁丸出しでもありませんから。
また、豆腐屋は別として、セツコのバーにせよタカコの喫茶店にしても、最小限のものしか置いておらず、飾り気がまるでないのです。
さらに、セツコの出すアルコールはウイスキーだけですし(理由は、その方がこの土地に合っているからとされます)、タカコもひたすらコーヒーを淹れています。また、ハツミも専ら豆腐を売るだけです(お客は、店先のいすに座って豆腐を食べています)。
言ってみれば、かなり抽象的な空間に若い女たちが宇宙から降り立って、抽象的に生活しながら、そこにいる年寄りや男らと暫時交流する(あるいは、どこの誰ともわからぬ女たちが、具体性の乏しい土地で、定かでない仕事をしながら、その土地に住んでいるこれまたどこの誰ともわからぬ人たちと、何となく交流を深めていく)、という感じでしょうか。
出演者に関しては、やっぱりこうした映画には、小林聡美ともたいまさことが不可欠なのだなと説得されてしまいます。ただ、二人とも、今度の作品では、随分と哲学者然とした感じを出しています。
小林聡美が、コップに大きな氷を入れ、それにウイスキーと水を注ぐ様子は、茶道のお手前とそっくりの雰囲気を持っています。
また、もたいまさこは、黙って何もしゃべらないところに、観客は何かメッセージ性を感じたわけですが、今回のように人に指針を与えるようなセリフを話すようになると、ややウザッタさを感じてしまいます。
(2)今回の映画は、これまで同じスタッフが製作してきた『かもめ食堂』、『めがね』、そして『プール』で描かれた状況を一段と抽象的にしたように思えます(監督は、前二者が荻上直子、最後が大森美香。今回の作品では松本佳奈)。
そうであれば、見る方は、色々な手がかりから、勝手に自分だけの解釈を作り上げて映画を具体的にしても、それがいくら突拍子のないものであっても、文句を言われる筋合いはないでしょう!
そこで、クマネズミとしては、マコト(もたいまさこ)が風呂屋で働くジンに対して、「分析ばっかりしていても仕方ないんだよ。そんな季節はもう終わっちゃっているんだから」と言う場面を基点にして、この映画は“革命”を求めているのではないか、その予兆に登場人物の皆がとらえられるのではないか、と解釈してみたくなりました。
マコト(もたいまさこ)は、そのことを告げに宇宙のどこかから使わされてきた者であり、告げられた男たちは、同志を集めに行ったりします(ヤマノハは、セツコに促されて、姿を消した同僚に会いに行きます)。また、女たちも、革命の準備に取り掛かります(3人の女たちは、ハツミの出身地に一緒に行ってみようとしています)。
そして実際の革命の戦士は赤ん坊のポプラなのです(男たちや女たちの間で循環される間に、彼らから革命のエネルギーを貰い受けます)!
それが実際に達成できるかどうかは、セツコがつくる水割りに使われる水、タカコが淹れるコーヒーに使われる水、そしてハツミが作る豆腐に使われる水の善し悪しによるのでしょうが、藤森神社から汲んできた水を使っているのであれば問題ないでしょうし、なんといっても舞台は鴨川沿いなのですから!
こんないい加減な空想を許してしまうのですから、今回の作品は、マンネリ化の傾向が窺えるとしても、マズマズの出来栄えではないか、と思ってしまいます。
(3)渡まち子氏は、「物語ともつかないエピソードをコラージュした、人と場所だけを描く映画だ」が、「散歩する人として登場するもたいまさこは、出会う人となんのためらいもなく接しながらも、根本的には「一人で生きている」ことに喜びと誇りを持っている。尊重するのは、ゆるりとつながる関係性。そんなムードが現代社会のやんわりとした孤独にマッチしている」として55点を与えています。
★★★☆☆
象のロケット:マザーウォーター
(1)例によってストーリーらしいストーリーは一切ありません。
登場人物は、小さなバーを営むセツコ(小林聡美)、喫茶店を経営するタカコ(小泉今日子)、それに豆腐屋のハツミ(市川実日子)。
3人とも地元の人ではなく、別の土地からここに流れてきたようです。
3人とも一人暮らしで(家族関係は一切不明)、映画開始時点まではお互いの交流もなく、それぞれ毎日、客にウイスキーやコーヒーを出したり、豆腐を売ったりする、一見単純そうな仕事をしているだけです。
そこに、家具工房で働いているヤマノハ(加瀬亮)とか、銭湯を営むオトメ(光石研)、オトメ湯の手伝いをしているジン(永山絢人)がお客として登場してくると、状況はほんの少しだけ動くように見えます。
これらすべてをネットに包み込んでいるのがマコト(もたいまさこ)という老婦人であり、彼女がよく釣れている赤ん坊のポプラ(オトメの子供でしょうか)です。
人物設定はこれだけであり、舞台設定も、映像として映される光景から京都の鴨川周辺だとわかりますが、積極的にどこと特定されているわけではありません。なにしろ、登場人物は皆標準語を使いますし、町の人も京都弁丸出しでもありませんから。
また、豆腐屋は別として、セツコのバーにせよタカコの喫茶店にしても、最小限のものしか置いておらず、飾り気がまるでないのです。
さらに、セツコの出すアルコールはウイスキーだけですし(理由は、その方がこの土地に合っているからとされます)、タカコもひたすらコーヒーを淹れています。また、ハツミも専ら豆腐を売るだけです(お客は、店先のいすに座って豆腐を食べています)。
言ってみれば、かなり抽象的な空間に若い女たちが宇宙から降り立って、抽象的に生活しながら、そこにいる年寄りや男らと暫時交流する(あるいは、どこの誰ともわからぬ女たちが、具体性の乏しい土地で、定かでない仕事をしながら、その土地に住んでいるこれまたどこの誰ともわからぬ人たちと、何となく交流を深めていく)、という感じでしょうか。
出演者に関しては、やっぱりこうした映画には、小林聡美ともたいまさことが不可欠なのだなと説得されてしまいます。ただ、二人とも、今度の作品では、随分と哲学者然とした感じを出しています。
小林聡美が、コップに大きな氷を入れ、それにウイスキーと水を注ぐ様子は、茶道のお手前とそっくりの雰囲気を持っています。
また、もたいまさこは、黙って何もしゃべらないところに、観客は何かメッセージ性を感じたわけですが、今回のように人に指針を与えるようなセリフを話すようになると、ややウザッタさを感じてしまいます。
(2)今回の映画は、これまで同じスタッフが製作してきた『かもめ食堂』、『めがね』、そして『プール』で描かれた状況を一段と抽象的にしたように思えます(監督は、前二者が荻上直子、最後が大森美香。今回の作品では松本佳奈)。
そうであれば、見る方は、色々な手がかりから、勝手に自分だけの解釈を作り上げて映画を具体的にしても、それがいくら突拍子のないものであっても、文句を言われる筋合いはないでしょう!
そこで、クマネズミとしては、マコト(もたいまさこ)が風呂屋で働くジンに対して、「分析ばっかりしていても仕方ないんだよ。そんな季節はもう終わっちゃっているんだから」と言う場面を基点にして、この映画は“革命”を求めているのではないか、その予兆に登場人物の皆がとらえられるのではないか、と解釈してみたくなりました。
マコト(もたいまさこ)は、そのことを告げに宇宙のどこかから使わされてきた者であり、告げられた男たちは、同志を集めに行ったりします(ヤマノハは、セツコに促されて、姿を消した同僚に会いに行きます)。また、女たちも、革命の準備に取り掛かります(3人の女たちは、ハツミの出身地に一緒に行ってみようとしています)。
そして実際の革命の戦士は赤ん坊のポプラなのです(男たちや女たちの間で循環される間に、彼らから革命のエネルギーを貰い受けます)!
それが実際に達成できるかどうかは、セツコがつくる水割りに使われる水、タカコが淹れるコーヒーに使われる水、そしてハツミが作る豆腐に使われる水の善し悪しによるのでしょうが、藤森神社から汲んできた水を使っているのであれば問題ないでしょうし、なんといっても舞台は鴨川沿いなのですから!
こんないい加減な空想を許してしまうのですから、今回の作品は、マンネリ化の傾向が窺えるとしても、マズマズの出来栄えではないか、と思ってしまいます。
(3)渡まち子氏は、「物語ともつかないエピソードをコラージュした、人と場所だけを描く映画だ」が、「散歩する人として登場するもたいまさこは、出会う人となんのためらいもなく接しながらも、根本的には「一人で生きている」ことに喜びと誇りを持っている。尊重するのは、ゆるりとつながる関係性。そんなムードが現代社会のやんわりとした孤独にマッチしている」として55点を与えています。
★★★☆☆
象のロケット:マザーウォーター
えーと・・・トラックパックありがとです
結構ズバズバ書いてしまうヤツでして
「闇討ちされたらどうしよう」とか思ったりするんですけど・・・
思っちゃったんだからしょうがない♪と書いてます。
さてさて この作品は・・・
生まれも育ちも代々続く 上野公園目前は鶯谷は根岸のqでして
育った地がまた荻窪→現在は都下
なので、ガヤガヤゴミゴミフェィク大好き。ザワザワしている中に1人ですすすっと入っても平気
この映画のような生活は出来ませーん
というか隠遁生活だか引退ライフはこの歳で飽きるわっと思って観てました
ただ「旅」する地には良いな~って思う
それからやっぱ「食べ物」チェックしてました♪
♪業務連絡♪
qのブログにリンク貼り良いですか?