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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ハンナ・アーレント

2013年12月11日 | 洋画(13年)
 『ハンナ・アーレント』を岩波ホールで見ました。

(1)哲学者を主人公にした酷く地味な作品ながら、大層評判が高いと聞いて(注1)、神田神保町まで足を伸ばしてみました。

 本作(注2)は、専ら、アドルフ・アイヒマン(注3)に対する裁判(1960年)をめぐって主人公のハンナ・アーレントバルバラ・スコヴァ)(注4)がどんな行動をとったのかを、実話に基づいて描いているものです(注5)。



 アーレントは、ナチスドイツからアメリカに渡った哲学者(注6)であり、高い評価を得ている著書をいくつか著していましたが、アイヒマン裁判を傍聴するためにイスラエルに飛び、帰国後その報告を雑誌『ニューヨーカー』に発表します(注7)。
 ところが、記事の内容について、特にアメリカのユダヤ人社会から強い非難の声が上がります。
 というのも、アイヒマンは、ホローコーストに強く関与していたナチス親衛隊中佐でしたから、「凶悪な怪物」として彼のことを描き出すべきなのに、アーレントは、彼について、上司の命令に忠実に従った「凡庸(平凡)な人間」だと書いたからです(注8)。そればかりか、ナチスに協力的だった「ユダヤ人評議会」のことも明るみに出したのです(注9)。
 その結果大騒ぎとなったのですが、彼女を非難する友人や同僚は、彼女の議論を全く受け入れませんでした(注10)。



 彼らの態度は、従来からのユダヤ人社会に定着しているものの見方に囚われたものに過ぎないように見えます。アーレントはアイヒマンのことを「思考不能の人間」と規定していますが(注11)、アイヒマンとまさに同じように、彼らも現実の有り様について(全体主義について、ナチスについて、アイヒマンについて、等々)柔軟に思考できていないように思えます。
 そんな二重の構造が描かれているのが、この映画の優れている点ではないかと思いました。

 なお、アーレントがアイヒマン裁判を通じて柔軟な見解を持つに至ったのには、様々な要因が考えられるところ、彼女が故国ドイツを離れてアメリカで生活していた女性であったという点も挙げられるのではないでしょうか?要すれば、彼女はアメリカの異邦人として、それも女性であることから(アメリカといえども、戦後すぐの時点では、女性の社会進出はまだそれほど進んではいなかったのではないでしょうか)、それまでに作り上げられてきた伝統的なものの見方にとらわれることなく、斬新な観点からものごとを見ることができたのではないかとも考えられるところです。本作を見ると、ドイツから脱出してきた人々が彼女の周りには大勢いたところ、男性の同僚などはかなり彼女から離れてしまうものの、メアリー・マッカーシー(アメリカ生まれですが)などは友情関係を保ち続けます。

(2)本作では、アイヒマン裁判関係だけでなく、大哲学者のハイデッガーとアーレントの恋愛関係も描かれています。とりわけ、ハイデッガーがアーレントのアパートにやってきて彼女の膝に顔を埋めるシーンが描き出され、二人の情事が仄めかされてもいます(注12)。

 ただ、二人の関係は複雑で、なかなか外部からはうかがい知れないところがあるようです。特に、ナチスに関わったハイデッガーについてのアーレントの評価ということになると難しいようですが(注13)、本作でも、ハイデッガーと戦後再会した際に、アーレントが、「(フライブルク大学)学長就任演説にはめまいがしたわ。思考を教わった恩師があんな愚かなことを」と批判します(注14)。

 このハイデッガーとアーレントの関係は、本作で中心的に描かれるもの(アイヒマン裁判を巡るアーレントたちの動向)と直接関係しないように見えるところです。ただ、ラストの方で、アーレントの旧友であるハンス・ヨナスが彼女に向かって、「ユダヤのことを何も分かっていない。だから裁判も哲学論文にしてしまう」と言うところに、アイヒマン裁判とハイデッガーとの関係性がわずかながらも仄めかされているのではないでしょうか?

 それはともかくとして、本作でハイデッガーを演じる俳優はどう仕様もありません(注15)。本作は、アーレントと彼女を取り巻く人々(夫や同僚など)が中心的に描かれるために仕方のないとはいえ、哲学者の中山元氏が言うところによれば、「アレントがまだフライブルク大学の学生だった頃から、ハイデガーの魅力は若者たちを圧倒的に惹きつけた」とのことですから(注16)、もう少し何とかならなかったのでしょうか?

(3)中条省平氏は、「思考する人間を映画で見せるには緻密な台詞が不可欠である。映画の成否は、この言葉を担う人間像の厚みにかかっている。ヒロインを演じるバルバラ・スコヴァはその人間造形にみごと成功した」と述べています。
 藤原帰一氏は、「どうして映画にしたのか?それは、「ほんとうのこと」を知ろうとするアーレントの姿を描きたかったからではないかと思います」と述べています。
 小梶勝男氏は、「周囲に屈しないアーレントを描くことで、「悪の凡庸さ」の主張をくっきりと浮かび上がらせた。思考が生き方となり、強さとなって、周囲を圧倒していく様子 が爽快だ。しかし、感動ものになりそうになると、直後に冷や水を浴びせるような場面を続ける。単なる偉人伝にしなかったフォン・トロッタ監督の冷徹な視点 を感じる」と述べています。
 佐藤忠男氏は、「「悪の凡庸さ」の一言は、軍国主義を経験したわれわれの心もぐさりと刺さずにはおかない。かつて戦争犯罪に問われたわれわれの先輩たちも、多くは「命令だったから」と弁明した。それを思うと見ながらはもちろん、見たあとにも多くのことを考え込んでしまう」と述べています。



(注1)例えば、アーレントの主著『人間の条件』(ちくま学芸文庫)を覗くと、その第3章「労働」は「以下の章ではカール・マルクスが批判されるであろう」という文章で始められています。
 にもかかわらず、本作が、いわゆる左翼言論人の牙城の一つとおぼしき岩波書店に関係する岩波ホールで上映されているばかりか、そこが連日大入り満員だというのが実に不思議です。
 現にクマネズミが出かけた時も、開場(上映の40分前)の1時間も前から入口には人が集まりだし、30分前くらいになると入口近くにある階段に長い行列が出来てしまったほどです!

 この点について、金沢大学の仲正昌樹教授の『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書、2009年)では、「アーレントが日本の左派の間で意外と好意的に受け止められている理由」として、「1990年代の半ば以降、アメリカのフェミニスト、あるいは女性の政治・社会理論家の間で、近代市民社会の「公私二元論」の問題に鋭く切り込んだ思想家としてアーレントを再評価する動きが起こり、それが日本に伝わって、主として「左」の側で人気が広がったこと」とか(P.28)〔「アーレント・ルネサンス」といわれているようです。例えば、この論文の「はじめに」を参照〕、さらには「彼女が「全体主義」という現象をユニークな方法で分析し、巧みに定義したこと」が挙げられています(P.30)。

(注2)以下において、本作の台詞の引用は、専ら、劇場用パンフレットに掲載の「採録シナリオ」に依っています。

(注3)本作の冒頭では、アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンが、モサドによって捕らえられるシーン(バスから降りた男が夜道を一人で歩いていると、後ろからトラックが近づき、トラックから飛び降りた者がその男を捕らえて荷台に押し込みます)が映しだされます。

(注4)本作の監督・脚本のマルガレーテ・フォン・トロッタは、劇場用パンフレットに掲載されたインタビュー記事において、バルバラ・スコヴァを起用したことについて、「アーレント役には、思考する姿を見せることができる女優が必要でした。そうした困難な役柄を演じられるのは、彼女しかいません」と述べています。
 確かに、彼女は素晴らしい演技を披露していると思います。ただ、どんなに頑張ってみても、映画では、どうしてアーレントがあのような見解に至ったのかを描くことは出来ないのではと思います。これは、例えば、素晴らしかった『セラフィーヌの庭』において、にもかかわらずなぜセラフィーヌがあのような特異な絵画を描くに至ったのかが描けないのと同じことではないのか、と思いました。

(注5)本作のフォン・トロッタ監督は、『ローザ・ルクセンブルク』(1986年)を制作しているところ、アーレントの夫のハインリヒ・ブリュッヒャーが、若い頃、ローザ・ルクセンブルクの率いるスパルタクス団員だったこと(下記「注6」で触れる『ハンナ・アーレント伝』P.186)も関係しているのでしょうか?
 ちなみに、本作の主演女優バルバラ・スコヴァは、同作に出演しカンヌ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞しています。

(注6)本作の中でも言われているように、アーレントは、最初はドイツからフランスに逃れ、でも1940年にフランスがドイツに侵攻されると、彼女は「ギュルス抑留キャンプ」に収容され、そこから夫や母親とともにアメリカに脱出します(「アメリカのビザで。旅券がないから、18年間無国籍でした」と彼女は学生に話します)。
 ここらあたりの経緯については、エリザベス・ヤング=ブルーエル著『ハンナ・アーレント伝』〔(晶文社、1999年(原著は1982年)〕の第4章「パリの無国籍人」に書かれていますが、「彼らの脱出はあらゆる点で運が良かった」ようです(P.229)。

(注7)アーレントは、1963年に、雑誌掲載をまとめたものを『イェルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房1969年)として出版しています。

(注8)本作においてアーレントは、大教室を埋める学生に向かって教壇から、「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです」、「この現象を、私は「悪の凡庸さ」と名づけました」と述べます。
 ちなみに、上記「注7」で触れた著書の副題は「悪の陳腐さについての報告」(A Report on the Banality of Evil)とされています。
 なお、同書を手にとってみると(訳本をざっと眺めたに過ぎませんが)、「悪の陳腐さ」という言葉自体は、タイトルの副題以外にはほとんど登場しません(第15章の末尾と「あとがき」くらいでしょうか)。おそらく、同書全体でそのことについて報告しているということなのでしょう。

(注9)上記「注8」で触れた講義において、聴講していたトーマス・ミラー教授から、「先生は、「ユダヤ人指導者の協力で死者が増えた」と主張してますよね?」と質問されると、アーレントは、「ユダヤ人指導者は、アイヒマンの仕事に関与してました」と述べます。
 ちなみに、上記「注7」で触れた著書においては、例えば、「自分の民族の滅亡に手を貸したユダヤ人指導者たちのこの役割は、ユダヤ人にとっては疑いもなくこの暗澹たる物語全体のなかでも尤も暗澹とした一章である」と述べられています(P.93)。

(注10)例えば、本作においては、アーレントと同僚のトーマス・ミラー教授は、「ユダヤ人を批判するとはな。殺人鬼を責めるべきだ」が言うと、もう一人は「しかもその殺人鬼は道化でヒトラーの愚かな従僕だと」と答え、さらにミラー教授は「“平凡な人”だとさ」と話します。
 アーレントの友達のなかには彼女から離反する者が現れますが、一番堪えたのは、彼女が「家族だ」とみなしていたクルト・ブルーメンフェルトが死の床についたというので、わざわざイェルサレムに出向いたにも関わらず、彼が彼女にクルッと背を向けたことだったのでは、と思われます。



 また、本作で、若い時分にアーレントと一緒にハイデッガーの講義を聞いたことのあるハンス・ヨナス(夫のハインリヒは「(ハンスは)昔から君に惚れている」「(ハンスにとって)ハイデッガーはナチである以上に恋敵だ」と妻のアーレントに言います)は、アーレントに向かって「あんな原稿は載せないでくれ」と要請するのです。

(注11)上記「注8」で触れた講義において、アーレントは、「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです」と述べます。
 ちなみに、上記「注7」で触れた著書においては、例えば、アイヒマンは「愚かでではなかった。完全な無思想性―これは愚かさとは決して同じではない―、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」と書かれています(P.221)。

(注12)フランスの精神分析家のジュリア・クリステヴァによる『ハンナ・アーレント』(作品社、2006.8)では、「1924年2月に秘密の清純な恋が始まった。その時、ハンナは18歳、マルティン・ハイデガーは35歳だった。最近出版されたハンナ・アーレントとハイデガーのあいだの書簡集が、エルジビュータ・エティンガーの論争的な本に加わって、その不可能性と同じくらい強いこの〔二人の〕絆の力を再構成性できるようになった」などと述べられています(P.32)。
 ちなみに、それら2つの本は、みすず書房から出版されております。

(注13)哲学者の中山元氏は、『ハンナ・アレント〈世界への愛〉-その思想と生涯』(新曜社、2013.10)で、一方で、アーレントが、1946年に発表した論文の脚注でハイデッガーを断罪したり(「ハイデガーはフライブルク大学総長という地位を用いて、彼の師にして友人でもあり、また講座の前任者であるフッサールにたいして、彼がユダヤ人であるという理由から、大学教員の一員として構内に入るのを禁じた」)、またヤスパースへの1946年の書簡の中で「ハイデッガーを潜在的な殺人者とみなさざるをえないのです」と書いたりしていると指摘しています(P.377~P.378)。ただ、他方で同氏は、アーレントは「ハイデッガーの哲学をナチスの哲学とみなしたことはないことを確認しておこう」とも述べているのです(P.381)。
 要すれば、アーレントは、フライブルク大学総長時のハイッデガーについてかなり「批判」をしながらも、ただし一定の範囲内で、ということではないかとも推測されるところです。

(注14)Wikipediaによれば、「ナチス党がドイツの政権を掌握した1933年の4月21日、ハイデッガーはフライブルク大学総長に選出さ」れ、「5月27日の就任式典では就任演説『ドイツ大学の自己主張』を行い、ナチ党員としてナチス革命を賞賛し、大学をナチス革命の精神と一致させるよう訴えた」とのこと。

(注15)粉川哲夫氏は、「クラウス・ポールという俳優による陳腐な演技」と述べています。

(注16)上記「注13」で触れた『ハンナ・アレント〈世界への愛〉-その思想と生涯』P.368。



★★★★☆



象のロケット:ハンナ・アーレント


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ふじき78)
2014-01-02 23:10:29
> だから裁判も哲学論文にしてしまう

ここに全ての問題が固まってる気がします。
裁判を読み解くものが哲学論文ではいけないなら、どのような物であるかが説明されるべきでしょう(すると超法規的な心による判決みたいな答が返って来るに違いありません)。

ハンナは裁判を哲学で読み解く事に何の疑問も感じていない。それは哲学が万能であり、どのような状態でも使用できると信じているから。ただ、彼女以外はそれを信じていない。

なので平行線は縮まらない。
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Unknown (クマネズミ)
2014-01-03 08:53:25
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、ハンス・ヨナスは、アーレントとともにハイデッガーの下で学んだにもかかわらず、反ナチ戦線に身を投じたりした人のようで、これではいくら議論しても両者の「平行線は縮まらない」ことでしょう!
あるいは、同じ哲学者だったにしても、ハンス・ヨナスは“行動”の人であり、アーレントは“認識”の人だったのかもしれません。そして、そんな“認識”の人を主人公とする映画がよくぞ制作されたなと驚くばかりです。
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