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ふしぎな岬の物語

2014年10月23日 | 邦画(14年)
 『ふしぎな岬の物語』を渋谷TOEIで見てきました。

(1)吉永小百合が出演した前作の『北のカナリア』はパスしたので、今回作ぐらいは見ようと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、岬に設けられているカフェから主人公の悦子吉永小百合)が出てきて、カフェの前で海を描いている画家の姿を見ます。
 ですが、彼女が近寄るとその画家は消えてしまい、丸い木のテーブルと長椅子しかありません。
 悦子はその椅子に座り、悦子の甥の浩司阿部寛)のナレーションがかぶります。
 「エッチャンは、毎日、不思議な時間を過ごすのです。まるで、夢遊病者のように。俺は、この人を守ってやる義務がある」。

 次いで、小さなボートに乗って悦子と浩司が、岬の先にある島へ。
 島の湧き水(注2)を汲んで入れた容器を持って運ぶ浩司に対して、悦子が、「そうっと、そうっとよ」、「ゆっくり、ゆっくりね」と声をかけます。

 タイトルクレジットの後、「岬カフェ」の小さな看板の奥にカフェの全景が映し出され、中では悦子が、壁にかかっている虹の絵(悦子の夫が描いた作品)を拭いたり、コーヒー豆を挽いたりして開店の準備に余念がありません。

 そんなカフェに、毎日様々な人がやってきます。
 常連は、不動産屋のタニさん笑福亭鶴瓶)、漁師の徳さん笹野高史)、医師の冨田米倉斉加年)、牧師の鳴海中原丈雄)、僧侶の雲海石橋蓮司)など。
 常連ばかりでなく、カフェには、中学教師の行吉先生(吉幾三)(注3)とか地元の民ではない男(井浦新)やドロボー(片岡亀蔵)などが出現します。

 ある日、漁師の徳さんの娘のみどり竹内結子)がひょっこり村に戻ってきます。
 さあ、一体どんな波乱をもたらすでしょうか、そしてカフェの行く末は、………?

 吉永小百合を含めて、全体として可もなし不可もなしといった感じの作品で、この程度の仕上がりにもかかわらず、どうしてモントリオール世界映画祭で2冠獲得したのか不思議な感じがしましたが、メインテーマ等をクラシックギタリストの村治佳織が弾いている点で(注4)、クマネズミにとり救われた感じになりました。

(2)実のところは、予告編の時から、前に見たことがある映画『しあわせのパン』(このエントリの「注1」で触れています)的な雰囲気があるのかもしれない、と恐れていました。
 実際に本作を見てみると、『しあわせのパン』におけるパン屋と同じように、こんなところにこんなカフェなど普通ありえないのではという場所に設けられているカフェ(注5)に、悩みを抱えた人たちが色々とやってくるのですから、シチュエーションは両作でかなり類似しているといえるでしょう。
 ただ、若干違うのは、同作では、パン屋を営む夫妻(原田知世大泉洋)の過去が十分に明かされず、また店を訪れる主な客も一見さんばかりなのに対して(注6)、本作では、悦子の過去がある程度明かされ、またカフェに来る客も地元の常連が多いのです(注7)。そのためでしょう、前作がオムニバス的なのに対して、本作は、全体としてストーリーが辿れるように作られています。
 だからといって、まとまりのある本作が優れていると感じたわけではなく、ただ、『しあわせのパン』が酷かったことを再認識させられたに過ぎませんが。

(3)吉永小百合については、これまで『まぼろしの邪馬台国』とか『おとうと』などを見てきたところ、本作も、『おとうと』に関するエントリで申し上げたことの繰り返しになりますが、「控え目で堅実な演技を見せていてマズマズでした〔鳥肌が立つような良妻賢母型のセリフだけは言わないでくれと願っていたところ、そんなシーンはありませんでした〕」。
 というのも、彼女が扮する悦子は、カフェの店主として、そこを訪れるお客の話の聞き役であり、彼らの行動をそっと見守っていることが多く、自ずと控え目になるからでしょう。



 ただ、カフェが火災によって焼失してしまった後、悦子は浩司に向かって、「私を支えていると思っているでしょうが、それは違うよ。シュウイチさん(夫)がずっといてくれたの。毎朝、おはようと言ってくれるの。……」と言いながら、自分や浩司の過去のことを話し、「みんないなくなって寂しい」と独白する場面がありますが、この場面の彼女の演技はなかなか優れているなと思いました(注8)。

 さらに、本作の中では、金子みすゞの詩を彼女が2編朗読しますが、特に、ラストシーンでの「海の果て」(注9)が良かったように思います。

(4)渡まち子氏は、「カフェの女主人とそこに集う人々の人間模様を描く「ふしぎな岬の物語」。吉永小百合を中心軸に、キャストのアンサンブルが絶妙」として65点を付けています。
 前田有一氏は、「吉永小百合自身が製作に名を連ね、初めて企画者としてかかわって作られた「ふしぎな岬の物語」は、なるほど彼女以外には誰も演じられない映画であった」としながらも35点しか付けていません。
 相木悟氏は、「移りゆく時の流れと幸福の意味を考えさせられるハートフルなメルヘンものであった」と述べています。



(注1)本作の原作は、森沢明夫氏の『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫:未読)。
 監督は、『草原の椅子』や『八日目の蝉』の成島出
 なお、本作の「企画」に主演の吉永小百合が加わっています。

(注2)その水を手で掬って飲んだ悦子は、「おいしい、ちゃんと生きている」と言います(毎日ここに水を汲みに来ているのですから、なんでそんな今更めいたことをわざわざ言うのかとチャチャを入れてはいけません!)。

(注3)久しぶりにカフェに現れた行吉先生が、「浩司はどうしています?不良だったので心配していました」と尋ねると、悦子は「私の監督不行届きで申し訳ありません。今は“何でも屋”を始めました」と答えます。また、丁度そこにいたタニさんが、「あいつは、球が速すぎて甲子園に出場できなかったそうですが」と言うと、行吉先生は「わが中学には野球部はありません」と答えます。
 こんなやりとりから、浩司のキャラクターが浮かび上がってきます。

(注4)それにしても、どうして村治佳織はあのように力を込めてギターを演奏するのでしょうか?あのような演奏法では、ギターの優しい美しい音色が損なわれてしまうのではないでしょうか?それに、彼女が腱鞘炎(Wikipediaでは「右手後骨間神経麻痺(橈骨神経麻痺)」〕を繰り返すのも無理からぬところがあるのかも、と思ってしまいます。

(注5)ただ、本作は、千葉県鋸南町の明鐘岬に実在する喫茶店「岬」をモデルにしていて、実際にも、そこにオープンセットを組んで撮影が行われたとのこと(劇場用パンフレット掲載の「プロダクション・ノート」によります)。



(注6)『しあわせのパン』では、東京からやってきた若い女性と地元から出ていけない青年との恋愛話や、母親が家を出て行ってしまった父親と娘の話とか、地震で最愛の娘を亡くした老夫婦の話とかが描かれています。

(注7)本作でも、地元の常連客ではない陶芸家(井浦新)とその娘や、ドロボー(片岡亀蔵)とかが登場しますが、両者は2度現れストーリーの展開に一役買っています。
 前者については、2度目にカフェを訪れた時に、カフェの壁に架かっていた絵を悦子から貰い受けますが、そのこともあって悦子は気が抜けたのでしょうか、カフェが火事に見舞われてしまいます。



 後者については、彼が置いていった包丁をタニさんが使って鯛のカルパッチョを作り、またラストの方では、彼は新装成ったカフェに御祝儀を持って駆けつけたりします〔ただ、彼が語る身の上話(「親から継いだ店をダメにしちまって、一家心中をしようとしたが娘の可愛い顔を見てできず、首を吊ろうとしたが枝が折れて失敗」)は、余りにも定型的に過ぎます。とはいえ、歌舞伎役者が演じているのですから、そうなっても仕方ありませんが!〕。

(注8)劇場用パンフレット掲載の「プロダクション・ノート」によれば、「悦子の独白シーンでは、監督の強い要望から急遽、吉永の芝居に合わせて、村治が即興で演奏することに!」と書かれていますが、ギターの演奏によってこの場面が一層印象的なものとなりました。

(注9)詩はこのサイトに掲載されています。



★★★☆☆☆



象のロケット:ふしぎな岬の物語


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2 コメント

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Unknown (ふじき78)
2014-10-25 00:45:05
> 彼女が近寄るとその画家は消えてしまい

そうそう、そんな事もあった。
たまに不思議な事が起こるのですが、全編ほとんど現実的な事がメインなので、今、考えるとあまり「ふしぎな岬」という感じがしないですね。

まあ、「ちょっと不思議だけど大体において現実的な岬の物語」というのは題名として長いし、更に何を言ってるか分からないから改題しない方がいいでしょうけど。
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Unknown (クマネズミ)
2014-10-26 05:19:14
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
言われてみれば、おっしゃるように「あまり「ふしぎな岬」という感じがしない」ですね。
ただ、「ふじき78」さんがご自分のブログで言われているように、悦子が「魔女」然としてカフェに居座り、「おいしくなーれ」と魔法をかけてコーヒーを淹れたり、陶芸家やドロボーなどの訪問客に対応している様子が、全体として童話チックで「ふしぎ」ということなのかもしれません(70歳間近の吉永小百合が実に美しい姿で主役を演じていること自体、「ふしぎ」と言えば「不思議」でしょうが!)
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