映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

パンドラの匣

2009年11月14日 | 邦画(09年)
 「パンドラの匣」をテアトル新宿で見ました。

 この映画は、制作した富永昌敬監督の前作「パビリオン山椒魚」にイマイチ乗り切れなかったこともあって(注1)、太宰治の小説が原作ですから気にはなりながらも(「ヴィヨンの妻」は見ました)、パスしようかと考えていたところ、他の映画館に出向いたら思いがけず満席状態と告げられ、急遽河岸を変えて、マア時間つぶしだからかまわないかと思って見たものです。

 ところが、あまり期待せずに入って見た映画が、予期に反して良かったという経験を、この間の「悪夢のエレベーター」に引き続いて味わいました。

 映画のストーリーは実に単純で、終戦直後の結核療養所・健康道場において、結核患者の主人公「ひばり」と、二人のヒロイン「竹さん」と「マア坊」(いずれも看護婦)との関係を中心にして、様々の小さな出来事がいくつも綴られているというにすぎません。

 ただ、映画の時代設定は終戦直後となっているものの、雰囲気的にはどうしても昭和初期あたりに見え、さらにはこんな「健康道場」が実在したとも聞いたことがないので、初めのうちはこの映画はいったい何だろうかと思いながら見ていました。
 というのも、結核療養所でありながら、医者が見当たらず、乾布摩擦などのいい加減と思える治療が描かれているだけなのです。また、患者と看護婦との境がしっかりしていないため、これでは結核が看護婦にも蔓延してしまうのではないか、と観客サイドがお門違いながら心配してしまいます。それより何より、どの患者もとても結核を患っているようには見えません(患者は誰も咳をほとんどしませんし、患者として登場する「ふかわりょう」などは、健常人そのものです)(注2)。

 ですが、暫くするとそんなことはあまり気にならなくなり、こういう閉じられた世界もありかなと思えてきます。そうなると今度は、映画の中で動き回っている俳優たちが実に生き生きと演技しているのが見えてきて、知らず知らずのうちに話に引き込まれてしまいました。

 特に、川上未映子がヒロインの一人として出演しているのには驚きました。というのも、最近、彼女が書いた長編小説『ヘヴン』(講談社)を読んで感動したばかりですから(注3)。この映画では、とても小説家が片手間で演技しているとは見えず、実に役柄の看護婦長役にはまっていると思いました(彼女はミュージシャンでもありますから、場慣れしてはいるのでしょうが)。
 また、モウ一人のヒロインの仲里依紗もなかなか良くやっていると思えました。川上未映子と同じ看護婦役といっても、仲里依紗の方は新米の看護婦の役で、むしろ初々しさを出さなくてはなりませんが、それが水を得た魚のように溌剌として動き回っているのです。

 評論家たちも、この映画については専ら俳優の方に関心が集まっています。
小梶勝男氏は、「この作品については、圧倒的に川上未映子と仲里依紗だ。2人がエロチックでいい。見ているだけで幸せだった」として72点を与え、渡まち子氏も、「新人の染谷将太や芥川賞作家の川上未映子を起用するなど、異化効果を狙ったユニークなキャスティングが目を引く。小悪魔的な魅力の仲里依紗の光る金歯と、川上未映子の妙にどっしりした存在感が印象的」だとして65点を与えています。
 いずれの評論も的を得たものだと思います。

 さらに、この映画については、音楽の菊池成孔氏の存在を忘れるわけにはいきません(注4)。菊池氏は、富永監督の前作でも音楽を担当していますが、ここでも音楽が、まるで一人の俳優であるかのように、この映画独自の雰囲気を盛り上げるのに大きな役割を果たしていることがよくわかります。

全体として、「パビリオン山椒魚」とは違い、ストレートに映画を楽しめました。



(注1)オダギリジョーと香椎由宇が出演し、音楽も菊地成孔氏ですから面白いことは面白いものの、余りにも突拍子もないことが映画では次々に起こるので、あっけにとられてしまいます。
(注2)ところが、劇場用パンフレットによれば、太宰治の小説には木村庄助という実在のモデルがおり、その人が入院したのが「孔舎衙(くさか)健康道場」という実在の施設(東大阪市日下町)だったとのこと。
 なお、実際に小説のモデルが入院したのは昭和16年で、そのころはまだストレプトマイシンなどの治療薬が開発されておらず、したがってこの映画で映し出されているような素朴な治療法しか考えられなかったのでしょう。ただ、戦後であれば抗生物質による治療が進展していますから、そういうこともあってこの映画に何かしら違和感を感じてしまうのかもしれません。
(注3)『ヘヴン』では、川上氏は、コレまでの作品のように大阪弁を使わずに、いじめ問題を通して善と悪という大問題に誠に真摯に取り組んでいて、感心しましました。


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