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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

悪夢のエレベーター

2009年11月11日 | 邦画(09年)
 「悪夢のエレベーター」をシネセゾン渋谷で見てきました。

 予告編を見て面白そうな映画だなとは思ったのですが、あの堀部圭亮氏の監督第1作だと聞いて腰が引けていたところ、時間がうまく合致するものが他になかったこともあり、マアいいかということで映画館に入ってみました。

 ところがどうしてどうして、なかなか面白い映画を堀部氏は制作したものだ、といたく感心いたしました。
 むろん、原作があり(TVドラマとしても取り上げられ、舞台公演も行われているそうです)、また脚本については、「鴨とアヒルのコインロッカー」を書いた鈴木謙一氏の名前が挙げられていますから(堀部氏も携わっていますが)、すべてが堀部氏の手柄に帰するものではないものの、讃辞を与えるべき人の筆頭に彼の名前が挙げられるのも確かなことでしょう! 
 なにしろ、途中で止まってしまったエレベーター内に取り残された4人についての出来事を描いた作品であることは予告編からうかがわれるところ、それが数回大きくドンデン返しされるのですから驚きました!
 
 「映画ジャッジ」の評論家の面々では、福本次郎氏は、「どんでん返しに次ぐどんでん返しで見る者の予想を裏切ろうという意図はよく理解できるが、全部二重人格の少女・香が立てたプランだったという最後の種明かしは蛇足。これでは計画自体があまりにも偶然に頼りすぎる上、後付けのこじつけのような印象を与えかねない」として50点です。
 ですが、「こじつけ」でもなんでも「種明かしは蛇足」だとしたら、ミステリーにならないでしょう!一体福本氏は何が言いたいのでしょうか?
 渡まち子氏は、「キャラが抜群に立っているのが魅力で、特に、関西弁のガラの悪い男を演じる内野聖陽がいい」として65点を与え、小梶勝男氏が、「長編初監督作としてはレベルが高く、(堀部圭亮は)才能のある人だと思う」として69点を付けているところ、さらに山口拓朗氏が、「映画のスケールがおしなべて小さいため、映画に奥深さや豪華さを求める人には物足りないかもしれない」ものの、「スリリングな展開と、軽妙な人間ドラマと、鮮やかな結末をもつ上質のミステリー。全編を貫くコメディ調の演出も魅力にあふれ、テンポよく話を転がしながら、観客を適度に楽しませ」、「お金をかけずともおもしろい映画が作れることを証明する秀作だ」として70点を与えています。私も山口氏の見解に全面的に賛成します。
 
 確かに大層面白い映画なものの、強いていえば2点ほどよくわからないことがあります。

・問題のエレベーターが設置されているマンションの管理人を過失ながら殺害してしまったと、主役の探偵(内野聖陽)が思い込んでいたところ、突然その管理人が血だらけの姿で現われたために、怖くなって探偵は管理人を殺してしまいます。
 ですが、何もそこまで描きだす必要性はないのではないでしょうか?殺人の目撃者だとの思い込みから殺してしまったとも言えますが、口封じの手段は殺人ばかりではないでしょう。
 むろん事前の計画性などないものの、探偵は結局2人も人を殺してしまうことになりますから、あまりにも救いようがありません。
 (この点は、渡まち子氏も問題にしています)

・ラストで、探偵の助手(佐津川愛美)が、依頼人(本上まなみ)の妹であることがわかります。そして、彼女は、「境界型人格障害」で殺人を犯しやすいとされます。
 ですが、果たしてそういった精神障害者が、いくら精神が不安定だからと言って、他人(姉)にかかわる殺人を犯す(浮気する義兄を殺してしまいます)ものでしょうか、この点は非常な疑問を感じます。
 まして、彼女は、一度も会ったこともない義兄の浮気相手をも最後には殺しに行こうとしますが、これでは「境界型人格障害」者は殺人鬼(無差別殺人者)だと言っているも同然になるでしょう(注)。
(こう指摘したからといって、上記の福本次郎氏のように「最後の種明かしは蛇足」とは思いません。ただ、「こじつけ」の仕方に問題があるのでは、と申し上げているのです。)

 とはいえ、久し振りで上質のミステリー映画を見たな、と楽しい気分で映画館を後にすることができました。

(注)境界型人格障害、あるいは「境界例」とは、「もともとは精神病と神経症の境界線上の病気」とされています。(斉藤環『文学の徴候』〔文藝春秋 (2004)〕P.16)。
 なお、先日見た映画「ヴィヨンの妻」の原作者・太宰治も、「境界例」の患者と言われることがあります。例えば、精神科医・町沢静夫著『ボーダーラインの心の病理』(創元社、1990)では、「太宰治の行動や情緒は、ボーダーライン(=境界例)とみてほぼ間違いない」(同書P.126)とあり、精神科医・磯部潮著『人格障害かもしれない』(光文社新書、2003)でも、「太宰治は境界性人格障害(=境界例)と自己愛生人格障害の二つの診断基準を満たしています」と述べられております(同書P.215)。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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エレベーターはなぜ止まったのか (アップサイド・ダウンの薔薇)
2009-11-14 21:52:57
 映画もいろいろな楽しみがあるのだから、一人でも魅力的でおもしろい役があると、それだけで輝きが違ってくる。例えば、この映画では、「佐津川愛美さんのゴスロリ少女役は妖艶でちょっとコワイ」とか「佐津川愛美の可愛さはハンパない」という評(ともにYahoo!映画)が見られましたが、私も前のほうの感じでした。実際、彼女が実質的な主役なのでしょう。こういう役を演じる俳優も貴重だと思われます。
 内野聖陽演じる探偵安井が、どのくらい費用をもらえれば、ああした行動をとるのか、計画的な行動にしては粗雑な思込みでマンション管理人を殺してしまうのか、また、義理の兄妹がいて、片方の義妹が病気で離れていた事情があったにせよ、義兄のほうにまったく面識がないものか、などのストーリーでの疑問がないわけでもありません。殺される義兄のもてぶりは、相手の女性たちのほうが魅力的なので、どうしてなのかとも思います。
  それでも、激しい動きをしてから止まってしまったらしいエレベーターという狭い空間のなかで、物語が幅をもって激しく展開していくのは、娯楽作品としてみると、なかなか面白いものです。あまり期待しないで見ると、こういうこともありかと受け取り方が寛容になり、映画に対する評価も高くなるものと思われます。そして、狂気と同居すると、エレベーターはこわいものですねとも感じます。いや、女性はもっと怖いか?
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夢はどこに (クマネズミ)
2009-11-15 10:18:34
 「アップサイド・ダウンの薔薇」さん、コメントをありがとうございます。
 佐津川愛美さんは「ちょっとコワイ」とか、「狂気と同居すると、エレベーターはこわいもの」などというところから、暫くすると、タイトルも「悪魔のエレベーター」に代わってしまうかもしれません!
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