
『恋人たちのパレード』をシネマート新宿で見ました。
(1)主演が『リメンバー・ミー』で好演したロバート・パティンソンと、『おとなのけんか』で出色の演技を披露したクリストフ・ヴァルツが出演するというので、丁度時間が空いていたこともあり、映画館に足を運びました。
ただ、そんなことでこの映画を見ようとするのはごく少数派であり、映画館は、ロバート・パティンソンが主演をつとめる『トワイライトサーガ・ブレイキングゾーン Part1』の人気にあやかりたいとのことで、同時公開しているものと思われます。

でも、同じ映画館で上映された前回の『リメンバー・ミー』同様、実に寂しい入りでした(あるいは、映画館の問題があるかもしれません。シネマート新宿の7階のスクリーンは、実に小さく、おまけに館内が真っ暗にならず、映画に集中できないのです。それに、劇場用パンフレットも制作されておらず、公開する側の熱意が少ないことも与っているのかもしれません)。
なお、ヒロインも、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2006年)のアカデミー賞女優リーズ・ウィザースプーンながら、あまり印象に残ってはいませんでした(その後、目ぼしい作品に出演していないもようです)。
それはさておき、物語は、主人公のジェイコブ(ロバート・パティンソン)が、コーネル大学獣医学部の卒業試験の当日に、両親が交通事故で亡くなってしまうという悲劇に見舞われるところから始まります(注1)。同時に、家が父親の債務(注2)によって没収されるという憂き目にも遭遇し、ジェイコブは、着の身着のまま線路を歩いていたところ、オーガスト(クリストフ・ヴァルツ)が団長のサーカス団「ベンジーニ・ブラザーズ・サーカス」に拾われます。
1931年というアメリカ大恐慌のさなか、サーカス団を酷く厳しい姿勢で運営しているオーガストにとっては(注3)、こんな若者を雇う余裕はないところでしたが、彼の獣医としての腕前(卒業試験を受けていないため、まだ正式な資格は取得していなかったものの)を見込んだのでしょう。

他方、ジェイコブに与えられた仕事は、飼っている動物の糞の世話などでしたが、他方で、最初から一座のスター芸人のマーリーナ(リーズ・ウィザースプーン)に惹かれるものを感じてしまいます。
ところが、彼女は団長のオーガストの妻なのです(注4)。彼女の方も、彼女が乗っていた白馬の病気に対するジェイコブの対応ぶりから(注5)、彼を意識するようになります。
そして、白馬の代わりとして購入した象のロージー(注6)が、あろうことかジェイコブが操れるポーランド語(母親がポーランド移民でした)の命令に従うことがわかって、ジェイコブのサーカス団での居場所が確固としたものになり、またマーリーナともより親しくなっていきます(注7)。

しかし、鋭い感覚を持ったオーガストが、この事態を見逃すはずはありません(注8)。
ジェイコブとマーリーナの関係は、果たしてどうなるのでしょうか、……?
余り期待しないで映画館に入ったのですが、どうしてどうしてなかなかうまくまとまった作品に仕上げられているなと思いました(こうした感じは、『リメンバー・ミー』の時も味わいましたが)。
大恐慌時のアメリカのサーカス団という大層珍しい設定が興味を引きますし〔列車にサーカス小屋の機材とか、動物、それに団員を乗せて移動し(団員は、貨車の中に設けられた部屋で生活しています)、小屋を建設できる野原が見つかると、列車を止めて、そこに大きなテント小屋を造って興業をするといったシステムになっています〕、まだTVなどの娯楽に乏しかった時代ですから、観衆もサーカスの様々の出し物に酔いしれた様が映画からよくうかがわれます。
まあ、獣医の卵がサーカス団に拾われ、なおかつ象がポーランド語の命令に従う、といったことなどはご都合主義といってもいいかもしれませんが、敵役のオーガストを演じるクリストフ・ヴァルツの巧みな演技もあって、全体としてまずまずの面白さではないかと思いました。
(2)テイラー章子氏は、「話の筋は単純。総じて役者では、クリストフ・ワルツとリース・ウィザスプーンが良かったが、しかし、何と言っても一番素晴らしい役者だったのは、42歳の象TAIだ。打たれて、うちしおれて哀しがったり、2本足でらくらく立ってみたり、音楽に合わせてステップを踏んだり、とてもよく訓練されている。鼻でコミュニケーションをとったりするところも可愛くて微笑ましい」として75点を付けています。
(注1)ただし、実際の映画の冒頭には、90歳ほどになったジェイコブが、どこかのサーカス団のチケット売場に現れて、残っていた一人の団員に、自分の過去のこと(1931年に事故によって解散したベンジーニ・ブラザーズというサーカス団のこと)を物語るというシーンが置かれています。要すれば、メインの物語は、ジェイコブによる70年ほど前の出来事についての回想なのです。
なお、彼によれば、妻は既に亡くなっており、今では5人の子供が順番で自分のいる老人ホームにやってくるとのこと。
(注2)医者であった父親は、一方では、貧しい者には診察代を請求せずに、代わりに鶏の卵などを受けとっているにもかかわらず、他方で、息子のジェイコブの学費のために家を担保に借金をしていたとのこと。
(注3)オーガストはゴロツキを雇っていて、冗員淘汰のため、余計な人間を走っている列車から外に突き落とさせたりしています。
オーガストの話によれば、詐欺師の支配人をサーカス団から追い出して、自分がオーナーとなって才能ある芸人を雇い入れ、健全でペテンなしのサーカスを提供しようとやってきたとのこと。でも、それは建前であって、内実は火の車以上であり、酷いことにも手を下してきたようです。
(注4)マーリーナの話によれば、元々は、生後3日で新聞紙に包まれて捨てられていたところを拾われて施設で育てられたものの、その施設を逃げ出したら偶々このサーカス団に遭遇し、「オーガストと目があった瞬間、この人だと」と思って結婚したとのこと。
なお、サーカス団の中では、彼女はお高い女で誰とも話さないから、声を掛けるなといわれています。
(注5)オーガストからは、「馬の変わりはいない、治すことが出来たらお前を雇ってあげよう」と言われていたにもかかわらず、その馬が「蹄葉炎」で治らないことが分かっていたジェイコブは、オーガストが持っていたピストルでその馬を射殺してしまいます。
これを知ったオーガストは、自分の命令に従わない者は不要だとして、ゴロツキ達に命じて彼を列車の外へ放り出そうとしますが、すんでの事でオーガストは思いとどまります(大卒の獣医がいても悪くないと思ったのでしょう)。
(注6)象をサーカス団に連れて来た男は、「象使い」がいなければ象を売ることが出来ないと言ったため、ジェイコブは「自分が象使いだ」と名乗りでます。
それで、ジェイコブは、象の世話をすることになりますが、オーガストは、手厳しく教え込まないと駄目だとして、ジェイコブもマーリーナもそんな動物虐待は出来ないと反対するものの、先の尖ったフックを使って象を動かそうとします。こんなところからも、ジェイコブとマーリーナの間には、親しみ以上の感情が形成されていくようです。
(注7)こんなところから、映画の原題は、サラ・グルーエンの原作小説と同様に“Water for Elephant”とされているようです〔ちなみに、ベストセラーの原作小説の邦題は『サーカス象に水を』(川副添智子訳、ランダムハウス講談社):書評は、たとえばこちらを〕。
ともあれ、映画の邦題「恋人たちのパレード」では、なんのことやらサッパリ分かりません(マーリーナはサーカス芸人ですが、ジェイコブは裏方なのですからパレードしたりはしません!)。
(注8)団員達が町に出てバーで騒いでいたときに、禁酒法による手入れがあり、ジェイコブとマーリーナは一、緒に逃げる途中で物陰に隠れたときに、キスをするに至ります。でも、それ以上には進まなかったにもかかわらず、別のルートで小屋に逃げ帰ったオ-ガストは、何かあったに違いないと睨み、ことあるごとにそのことを仄めかします。その挙げ句に、……!
★★★☆☆
象のロケット:恋人たちのパレード
(1)主演が『リメンバー・ミー』で好演したロバート・パティンソンと、『おとなのけんか』で出色の演技を披露したクリストフ・ヴァルツが出演するというので、丁度時間が空いていたこともあり、映画館に足を運びました。
ただ、そんなことでこの映画を見ようとするのはごく少数派であり、映画館は、ロバート・パティンソンが主演をつとめる『トワイライトサーガ・ブレイキングゾーン Part1』の人気にあやかりたいとのことで、同時公開しているものと思われます。

でも、同じ映画館で上映された前回の『リメンバー・ミー』同様、実に寂しい入りでした(あるいは、映画館の問題があるかもしれません。シネマート新宿の7階のスクリーンは、実に小さく、おまけに館内が真っ暗にならず、映画に集中できないのです。それに、劇場用パンフレットも制作されておらず、公開する側の熱意が少ないことも与っているのかもしれません)。
なお、ヒロインも、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2006年)のアカデミー賞女優リーズ・ウィザースプーンながら、あまり印象に残ってはいませんでした(その後、目ぼしい作品に出演していないもようです)。
それはさておき、物語は、主人公のジェイコブ(ロバート・パティンソン)が、コーネル大学獣医学部の卒業試験の当日に、両親が交通事故で亡くなってしまうという悲劇に見舞われるところから始まります(注1)。同時に、家が父親の債務(注2)によって没収されるという憂き目にも遭遇し、ジェイコブは、着の身着のまま線路を歩いていたところ、オーガスト(クリストフ・ヴァルツ)が団長のサーカス団「ベンジーニ・ブラザーズ・サーカス」に拾われます。
1931年というアメリカ大恐慌のさなか、サーカス団を酷く厳しい姿勢で運営しているオーガストにとっては(注3)、こんな若者を雇う余裕はないところでしたが、彼の獣医としての腕前(卒業試験を受けていないため、まだ正式な資格は取得していなかったものの)を見込んだのでしょう。

他方、ジェイコブに与えられた仕事は、飼っている動物の糞の世話などでしたが、他方で、最初から一座のスター芸人のマーリーナ(リーズ・ウィザースプーン)に惹かれるものを感じてしまいます。
ところが、彼女は団長のオーガストの妻なのです(注4)。彼女の方も、彼女が乗っていた白馬の病気に対するジェイコブの対応ぶりから(注5)、彼を意識するようになります。
そして、白馬の代わりとして購入した象のロージー(注6)が、あろうことかジェイコブが操れるポーランド語(母親がポーランド移民でした)の命令に従うことがわかって、ジェイコブのサーカス団での居場所が確固としたものになり、またマーリーナともより親しくなっていきます(注7)。

しかし、鋭い感覚を持ったオーガストが、この事態を見逃すはずはありません(注8)。
ジェイコブとマーリーナの関係は、果たしてどうなるのでしょうか、……?
余り期待しないで映画館に入ったのですが、どうしてどうしてなかなかうまくまとまった作品に仕上げられているなと思いました(こうした感じは、『リメンバー・ミー』の時も味わいましたが)。
大恐慌時のアメリカのサーカス団という大層珍しい設定が興味を引きますし〔列車にサーカス小屋の機材とか、動物、それに団員を乗せて移動し(団員は、貨車の中に設けられた部屋で生活しています)、小屋を建設できる野原が見つかると、列車を止めて、そこに大きなテント小屋を造って興業をするといったシステムになっています〕、まだTVなどの娯楽に乏しかった時代ですから、観衆もサーカスの様々の出し物に酔いしれた様が映画からよくうかがわれます。
まあ、獣医の卵がサーカス団に拾われ、なおかつ象がポーランド語の命令に従う、といったことなどはご都合主義といってもいいかもしれませんが、敵役のオーガストを演じるクリストフ・ヴァルツの巧みな演技もあって、全体としてまずまずの面白さではないかと思いました。
(2)テイラー章子氏は、「話の筋は単純。総じて役者では、クリストフ・ワルツとリース・ウィザスプーンが良かったが、しかし、何と言っても一番素晴らしい役者だったのは、42歳の象TAIだ。打たれて、うちしおれて哀しがったり、2本足でらくらく立ってみたり、音楽に合わせてステップを踏んだり、とてもよく訓練されている。鼻でコミュニケーションをとったりするところも可愛くて微笑ましい」として75点を付けています。
(注1)ただし、実際の映画の冒頭には、90歳ほどになったジェイコブが、どこかのサーカス団のチケット売場に現れて、残っていた一人の団員に、自分の過去のこと(1931年に事故によって解散したベンジーニ・ブラザーズというサーカス団のこと)を物語るというシーンが置かれています。要すれば、メインの物語は、ジェイコブによる70年ほど前の出来事についての回想なのです。
なお、彼によれば、妻は既に亡くなっており、今では5人の子供が順番で自分のいる老人ホームにやってくるとのこと。
(注2)医者であった父親は、一方では、貧しい者には診察代を請求せずに、代わりに鶏の卵などを受けとっているにもかかわらず、他方で、息子のジェイコブの学費のために家を担保に借金をしていたとのこと。
(注3)オーガストはゴロツキを雇っていて、冗員淘汰のため、余計な人間を走っている列車から外に突き落とさせたりしています。
オーガストの話によれば、詐欺師の支配人をサーカス団から追い出して、自分がオーナーとなって才能ある芸人を雇い入れ、健全でペテンなしのサーカスを提供しようとやってきたとのこと。でも、それは建前であって、内実は火の車以上であり、酷いことにも手を下してきたようです。
(注4)マーリーナの話によれば、元々は、生後3日で新聞紙に包まれて捨てられていたところを拾われて施設で育てられたものの、その施設を逃げ出したら偶々このサーカス団に遭遇し、「オーガストと目があった瞬間、この人だと」と思って結婚したとのこと。
なお、サーカス団の中では、彼女はお高い女で誰とも話さないから、声を掛けるなといわれています。
(注5)オーガストからは、「馬の変わりはいない、治すことが出来たらお前を雇ってあげよう」と言われていたにもかかわらず、その馬が「蹄葉炎」で治らないことが分かっていたジェイコブは、オーガストが持っていたピストルでその馬を射殺してしまいます。
これを知ったオーガストは、自分の命令に従わない者は不要だとして、ゴロツキ達に命じて彼を列車の外へ放り出そうとしますが、すんでの事でオーガストは思いとどまります(大卒の獣医がいても悪くないと思ったのでしょう)。
(注6)象をサーカス団に連れて来た男は、「象使い」がいなければ象を売ることが出来ないと言ったため、ジェイコブは「自分が象使いだ」と名乗りでます。
それで、ジェイコブは、象の世話をすることになりますが、オーガストは、手厳しく教え込まないと駄目だとして、ジェイコブもマーリーナもそんな動物虐待は出来ないと反対するものの、先の尖ったフックを使って象を動かそうとします。こんなところからも、ジェイコブとマーリーナの間には、親しみ以上の感情が形成されていくようです。
(注7)こんなところから、映画の原題は、サラ・グルーエンの原作小説と同様に“Water for Elephant”とされているようです〔ちなみに、ベストセラーの原作小説の邦題は『サーカス象に水を』(川副添智子訳、ランダムハウス講談社):書評は、たとえばこちらを〕。
ともあれ、映画の邦題「恋人たちのパレード」では、なんのことやらサッパリ分かりません(マーリーナはサーカス芸人ですが、ジェイコブは裏方なのですからパレードしたりはしません!)。
(注8)団員達が町に出てバーで騒いでいたときに、禁酒法による手入れがあり、ジェイコブとマーリーナは一、緒に逃げる途中で物陰に隠れたときに、キスをするに至ります。でも、それ以上には進まなかったにもかかわらず、別のルートで小屋に逃げ帰ったオ-ガストは、何かあったに違いないと睨み、ことあるごとにそのことを仄めかします。その挙げ句に、……!
★★★☆☆
象のロケット:恋人たちのパレード
ロバート・パティンソンて『リメンバー・ミー』もそうなのですが、普通の作品のほうが良い芝居するなと思います。って、これもヴァンパイアじゃ限界ありますかね^^;
あ、それとマーリーナの名前のご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。
クマネズミは、「トワイライトサーガ」のシリーズはマッタク見ていないので、KLYさんのエントリを見せていただきましたら、最新作について、その「前半は楽しいラブコメディ」だとか、なんとジェイコブというキャラまで登場するとのこと。それで、「実際私は笑い話としてみて」いる、とおっしゃられる意味が分かりました。
としたら、リアルで真面目な映画ということでも、『リメンバー・ミー』も本作も無視すべきではないと思うところ、いかんせん観客の入りが悪すぎます。
半年ぶりに3本のハシゴができました(同一劇場)。
『ピアノマニア』『恋人たちのパレード』『顔のないスパイ』すべて整理番号1番でした。
そしていつも通りキネ旬DBからスタッフ・キャストを入力してAllcinema を見ると
3本ともコメントゼロでした…
さてこの映画は…特に言いたいこともないのですが、象を(恐らく格安で)買ったとき
どうしようもない役立たずの象、というニュアンスだったので変だなと思っていたら
ポーランド語しか解さないから、前のサーカスでは使い物にならなかったのかと納得。
あとサーカス列車ですけど、事実関係は知らないがコンテナーじゃなく
かなりの編成の列車を所有するだけならまだしも、待避線じゃなく
本線(?)に留めたままで国中を巡業できるのか不思議でした。
まあ田舎なら列車が週1本だけとか、あったかもしれないが…
リース・ウィザースプーンは『カラー・オブ・ハート』以来かなり見ていますが
昔は嫌いな女優でした。でも『キューティ・ブロンド』あたりから徐々に好きになり
日本では劇場未公開の『恋人はゴースト』や『フォー・クリスマス』を香港で見たころから
好きな女優に変わり期待したのですが、善人というか欠点がなくて魅力的ではなかったです。
やはり高慢な女のほうが似合っています。
僕はサーカスの話であることもウィザースプーンがでていることも知らずに見ましたが
終われば、『恋人たちのパレード』というスゴイ邦題になったのは理解できましたが
それなら『恋人たちのサーカス』でもいいのに。確かに(子象の?)行進はあるけど
パレードは頂けませんね。
それにしても猛獣たちの脱走で市民に犠牲者は出なかったのでしょうか…
そうそうWaterって、もちろん酒のことですよね。
「3本のハシゴ」をされ、それも「整理番号1番」とは凄いことですね、でもラインナップを見れば頷けますが!
なお、「Water」の件ですが、原作の翻訳本(文庫)の「訳者あとがき」には、「耳に残る印象的なタイトルは、本書の第一章で、主人公のジェイコブと同じ老人施設に暮らす老人が口にした「わしはよくサーカス象に水を運んでやっていた」(P.26)という台詞の一節から取られている」と記載されているところです(これに基づけば、単なる“水”ではないかと思われますが。)。