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エミアビのはじまりとはじまり

2016年09月13日 | 邦画(16年)
 『エミアビのはじまりとはじまり』を渋谷のヒューマントラストシネマで見ました。

(1)新井浩文黒木華が出演するというので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、海野前野朋哉)と実道森岡龍)の漫才コンビ「エミアビ」(注2)が、ステージで漫才をやっています。



 そして、自転車に乗って走る海野と実道が回想的に映し出されて、タイトルが流れます(注3)。

 次いで、実道のマネージャーの夏海黒木華)が運転する車の中の場面。外は雨(注4)。
 実道が、「でも、このままというわけにはいかないじゃないですか?」「オンエアはいつなんですか?」「だったら、もういいんじゃないですか?」「それでいいと思います。よろしくお願いします」などと携帯で話しています。
 電話が終わって、実道が「49日過ぎるまでは無職だな」と呟くと、夏海は「そんな、すぐですよ。私、付き合います」と応じます。それに対し実道が、「悲しいんだ。(海野とは)10年も付き合ってきたんだから」「夏海は昨日も泣いていたな」と言うと、夏海は「なぜ泣けてくるんでしょう?私、泣き女になろうかと思って」と答えます。

 車は、先輩の黒沢新井浩文)の家に向かっています。
 夏海が「黒沢さん、怖いって話ですが、大丈夫ですか?」と尋ねると、実道は「ダメ出しが鋭くて」「黒沢さん、お笑い界のデ・ニーロって言われていた」と答えます。
 それに対し、夏海が「でにいろ?」といぶかしがると、実道は「ロバート・デ・ニーロ、知らないのか?ハリウッド俳優だよ」と驚きます。
 そして、実道は、「海野と組もうと思ったのも、黒沢さんのお陰なんだ」と呟きます。

 画面では、表札に「黒沢」とある門を開けて実道が入っていきます。
 呼び鈴を押すと黒沢が現れたので、実道が「ご無沙汰してます」挨拶すると、黒沢は「階段上がって一番上の右の部屋に入って待ってて」と言います。

 ここで実道は大変な目に遭いますが、さあ、物語はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は、漫才コンビの片割れが死んで、一人取り残された相方が、先輩とコンビを組んで再度出発するまでを描いています。と言って、決してリアルに徹した作品ではなく、ぶっ飛んだ場面がいくつも挟み込まれたファンタジックな仕上がりとなっていて、なかなか楽しく見ることができました。

(2)本作と同じように漫才を取り扱っている作品としてクマネズミが思い出すのは、『漫才ギャング』です(注5)。
 同作でも、飛夫(佐藤隆太)と龍平(上地雄輔)の「ドラゴンフライ」や、飛夫と綾部祐二)の「ブラックストーン」といった漫才コンビが登場し、本作の「エミアビ」と同じようにその漫才を披露します。
 それに同作は、一度解散に追い込まれた「ブラックストーン」が再結成されてお笑いのコンテストに挑むというストーリーですから、本作の「エミアビ」の再結成話と通じるところがあります。
 さらに言えば、同作では、城川新井浩文)らのストリートギャング団と龍平との抗争が描かれていますが、これは本作において、海野と黒沢の妹・雛子山地まり)が暴漢に襲われる場面(注6)と、似ていなくもないように思えます。

 ただ、本作は、同作と比べると違っている点も大きいように思われます。
 一番の違いは、死の影が全編に漂っている点でしょう。これは、同作では見られません。
 なにしろ本作では、のっけから「エミアビ」の海野が交通事故死して、実動が一人取り残されているところから始まります(注7)。
 それに、例えば、黒沢が、「エミアビ」の再結成に参加すると決意してからネタを披露するのが墓地なのです(注8)。

 とはいえ、本作は、同作と比べてお笑いの占める割合が随分と高いように思われます。
 例えば、本作の冒頭が「エミアビ」の漫才ですし、その後先輩の黒沢の家を訪れた実道は、海野と一緒に死んだ妹・雛子のためにネタをやってくれと頼まれ、「死ぬ気で笑わせろ!」と徹底的にいびられます。



 こうしたシーンが本作の随所に見られる一方で、海野と雛子の乗った車が交通事故を引き起こし2人が死んでしまうシーンなどは描き出されてはおりません(注9)。

 それに、本作では、同作には見られないファンタジックな要素も随分と取り入れられています。
 例えば、上記した墓地でのネタ披露に際して、なぜか空から金盥が降ってきて黒沢の頭に当たるのです。それも3個(注10)!
 また、幽霊姿の海野と雛子が、再結成された「エミアビ」の舞台を見に現れ、雛子が「あれほど下ネタ嫌っていたのに、復活ステージであんなネタをするなんて、最低」と批判したりします。



 本作に出演する俳優たちは、皆、なかなかの芸達者です。実道の森岡龍と海野の前野朋哉は、まるで本職の漫才コンビのように振る舞いますし、『漫才ギャング』にも出演している新井浩文は、どんな役柄でも実に巧みのこなすもんだなと感心します。
 そして、特筆すべきなのは、黒木華でしょう。『リップヴァンウィンクルの花嫁』とはまるで違った役柄ですが、ピッタリと嵌っているのには驚きました(注11)。



(3)宇田川幸洋氏は、「ちょっとシュールな死と再生のドラマ」として★3つ(「見応えあり」)をつけています。
 山根貞男氏は、「俳優諸氏の漫才が素晴らしく、このまま舞台やテレビに出ては、とも思う。もちろん映画の力によるわけで、弾む会話、生き生きと連なる画面のリズムが、哀切さを交えた笑いの渦を巻き起こす。そう、丸ごと漫才の映画なのである」と述べています。
 樋口尚文氏は、「本作がもし弾けた笑いづくしであったら全篇が出オチのようなつまらない映画になったかもしれないが、あたかも笑いの成就を贅沢品のように遠ざけることで、悶々と割り切れない人間の面白さが充満する傑作となった」と述べています。



(注1)監督・脚本は、渡辺謙作(『舟を編む』の脚本)。

 なお、出演者の内、最近では、森岡龍は『あぜ道のダンディ』、前野朋哉は『娚の一生』、黒木華は『リップヴァンウィンクルの花嫁』、新井浩文は『葛城事件』で、それぞれ見ました。

(注2)発案者の海野によれば、“笑み”を“浴びる”という意味。

(注3)海野と実道がコンビを組むことになってすぐの頃の時点と思われます。

(注4)相方の海野が交通事故で死んだばかりの頃の時点と思われます。
 なお、このシーンは、外が雨ということもあるのでしょうが、あまり車が動いているようには見えません(夏海が握っているハンドルが少しも動きませんし、車自体も振動しないので)。

(注5)『スキャナー』でも、仙石野村萬斎)と丸山宮迫博之)とのコンビ「マルティーズ」が登場しますが。

(注6)海野と雛子とが、駐車場に駐車している車の中で話しているところに、突如、大型の車が入ってきて黒沢たちの車の隣に停まります。そして、車の中からバットを持った男(日向丈)たちが現れ、黒沢たちを脅し出すのです。

(注7)雑誌『シナリオ』9月号掲載の本作のシナリオにおいては、冒頭は、上記(1)の1番目のパラグラフにあるシーンと3番目のパラグラフにあるシーンとが入れ替わっています。シナリオ通りにすると死の影が映画の最初から立ち上ってしまうでしょうが、それを避けるために、編集段階で監督が入れ替えを行ったのではないかと推測されます。

(注8)黒沢の両親は、海野と同じように交通事故で亡くなっているところ、黒沢は、その事故に巻き込まれて死んだ男性の墓参りをして、お笑いに復帰する旨の決意を報告します(というのも、その事故を契機として、黒沢はお笑い界から身を引いているので)。
 それが命日だったため、死んだ男性の妻(大島葉子)と息子(九内健太)と出くわします。そして、息子から、「俺を笑わせたら、許してやる」と言われ、黒沢はネタを披露します。

(注9)同様に、黒沢の両親の交通事故死についても、簡単に話の中で触れられているだけです。

(注10)その後、死んだ男の息子が、「千葉県市原市で竜巻が金物工場の倉庫を直撃し、金盥が空に飛ばされて、……」というスマホのニュースを読み上げて大笑いするのですが、だからといって、…。

(注11)例えば、夏海が持ってきた弁当を実道が怒って払いのけてしまい、弁当は地面に落ちて散乱してしまいます。にもかかわらず、夏海は地面に転がっている弁当の中身をしゃがみこんで食べたりするのです!



★★★☆☆☆



象のロケット:エミアビのはじまりとはじまり



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