『リップヴァンウィンクルの花嫁』をユーロスペースで見ました。
(1)評判の高さを聞いて映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、人々が大勢道路を歩いていて、その間にいた皆川七海(黒木華)がポストの前で立ち止まって、携帯を手にしながら、もう一方の手をおそるおそる挙げます。
画面では携帯のメッセージの内容が示され、相手から「目印は?」と訊かれて、七海は「ポストがあります」と答えます。
もう一度七海が不安そうに手を挙げると、鶴岡鉄也(地曵豪)が現れ、「皆川七海さんですか?鶴岡です」、「あっちにいい感じのカフェがあります。そこを曲がったところ」と言います。
歩きながら七海は、「学校、むずかしいんでしょ?」、「あたしは、臨時教員。普通採用を目指しています」等と話します。
七海はSNS(ハンドルネームがクラムポン)で、「お見合いサイトで、彼氏がアッサリ手に入ってしまった。ネットで買い物するみたい」とのメッセージを出します。
次いで、七海の部屋。
ベッドで寝ている鉄也に対して、起きた七海は「買い物に行ってきます」と言います。
「一緒に行く」と言う鉄也に対して、七海は「疲れていらっしゃるんじゃない?ゆっくり寝ていてください」と答え、外出します。
今度は、学校の場面。
七海が教室に入ると、教壇に置かれた机の上にマイクが置いてあるので、「これ、なんでだろう?」と尋ねると、生徒の一人が「先生の声聞こえないから、マイク使ってください」と答えます。それで、七海も仕方なくマイクを手にし、「27ページを開いてください」と言いながら授業を始めます。
次に、七海は、コンビニで出会った昔のクラスメートの似鳥(玄理)の家で食事をします。
似鳥に「メガネかけてた?」と訊かれたので、七海は「これは伊達メガネ。生徒に見つかると困るから」と答えますが、似鳥は「すぐにわかったよ」と言います。
今度は七海が「似鳥さんは?」と尋ねると、似鳥は「キャバクラ」と答えるので、七海は「綺麗だから。いっぱい稼げるでしょう?」と言います。すると、似鳥が「紹介しようか?楽しいよ」と言うので、七海は「そこまで割り切れない」と断ります。ただ、似鳥は「親にバレたら殺されるけど、両親への仕送りは続けている」と言います。
こんな風に本作は始まりますが、さあ物語はどのように展開していくのでしょうか、………?
本作は、臨時教師の職を失い、さらにネットを通じて知り合った男と結婚したものの離縁させられるという悲惨な境遇に陥った主人公が、とても変わった何でも屋の手助けによって立ち直っていくというお話。タイトルからも見て取れるように現代寓話といった趣きであり、3時間という長尺ながらも、様々の見方が出来そうな気がしてきて、何か言いたくなってくるのを止めがたい実に興味深い作品に仕上がっていると思いました。
(2)そこで、映画素人ながら、つまらないことを申し述べることといたします。
本作では、主人公の皆川七海が、これほど弱々しい女性が現代にいるのかなと思わずはいられないくらいのか細い存在として描かれています。
例えば、派遣会社の担当者から、「教師がマイクを使うのはまずい」、さらには「声が小さいのは教師にとって致命的」とズケズケ言われて、臨時教員の仕事を簡単に失ってしまいます。だからといって、昔のクラスメートの似鳥のように、たくましく生きようとはしません。
また、鉄也に「本来ならば損害賠償ものだ。全部捨てて出て行って。お元気で、さようなら」と一方的に言われ、家を追い出されてしまいます。七海は、あてどなく彷徨い歩き、何でも屋の安室(綾野剛)からの電話に、「ここはどこですか?どこにいるのかわからない。どこに行けばいいのですか?」と泣き叫びます。
その安室ですが、何でも屋として際どい仕事をやっているように見えて、これまたありえないほど人が良い存在に描かれています。
例えば、ホテルの部屋のトイレからの七海の救助要請でやってきた安室は、シャワー室から出てきた七海と部屋で二人きりとなっても、「男は追い払いました。外で待っています」と言って部屋を出てしまいます。常識的な展開ならば、胡散臭い安室が七海に手を出しても当然と言える場面にもかかわらず(注2)、いともあっさりと安室は身を引いてしまいます(注3)。
また、真白が死ぬと、わざわざ母親(りりィ)の住処を探しだしてその遺骨を持って行くのです。
本作のタイトルに、アメリカのお伽話ともいえる「リップヴァンウィンクル」が使われていることや、上記したような主要登場人物の性格付けといったことから、本作自体はファンタジー、それも現代寓話といえるでしょう。
そうだとしたら、あくまでも七海のサポート役に徹する安室は、昔のお伽話とか神話で活躍するトリックスターと言えるかもしれません。
こうなると、3年前に亡くなった文化人類学者・山口昌男氏が思い出されるところです。
山口氏は、その『アフリカの神話的世界』(岩波新書)のなかで、トリックスター的存在であるギリシア神話のヘルメスとアフリカの神話登場するエシェに共通する神話素として、次のような項目を挙げています(同書P.164)。
a.小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一。
b.盗み、詐術による秩序の擾乱。
c.いたるところに姿を現す迅速性。
d.新しい組合せによる未知のものの創出(注4)。
これらを本作について少々検討してみると、aについては、安室が「何でも屋」という商売をしていることが該当するかもしれませんし(注5)、bについては、例えば、安室が七海の家に送り込んだ男(和田聰宏)が引き金を引いて、七海は離婚せざるを得なくなります。またcについては、まさに七海が電話を入れるとすぐさま安室は姿を表しますし、dについても、真白(Cocco)と七海とを最初に引き合わせたのは安室です(注6)。
こうしてみると、安室はまさにトリックスター的な存在、すなわち、「大と小、成熟と幼、境界内と外、「日常」と「祝祭」、固定と動、死と生、上と下、男と女、秩序とアナーキー、光と闇、意味と無意味」(注7)といった「中心と周縁」の対立が解消する世界の存在なのかもしれません。
なにしろ、安室は、大きな屋敷でメイドとして暮らす真白に七海を引き合わせ、少なくとも「成熟と幼」とか「死と生」、「男と女」といった対立を解消させる方向に事態を進ませようとしたのですから。
そうはいっても、本作の場合、真白自身は「日常」、「秩序」、「光」といった中心的な項に位置していないでしょう。彼女はAVに出演し、毎晩銀座などで飲んだくれているほどなのですから(注8)。
だとすると、本作における「中心」は二人が働いている大きな屋敷であり、「周縁」は偽装家族(注9)とかマザコン(注10)とかが蠢いているところ、あるいはSNS(注11)が煩雑に取り交わされているところと言えるかもしれません。ただ、その「中心」の真ん中には何が据えられているのでしょうか?
もしかしたら、その中心の中心は空っぽなのかもしれませんし(注12)、逆に、大きな屋敷の一室に置かれている水槽で飼われてクラゲとかイモガイ(注13)、ヒョウモンダコといった猛毒の生物なのかもしれません!
本作について、主役を演じた黒木華の演技は素晴らしいものがありますが(注14)、クマネズミには、むしろ綾野剛が演じる安室こそが主人公なのではと見え(注15)、そしてその安室役を綾野剛は実に見事に演じていると思いました。
この二人の組合せは『シャニダールの花』(2012年)で見ましたが、4年経過して、それぞれが素晴らしい俳優になったなという印象を受けたところです。
(3)渡まち子氏は、「流されて生きてきた女性の変化と自立を独特の感性で描く人間ドラマ「リップヴァンウィンクルの花嫁」。まったりとした緊張感というと、矛盾に聞こえるかもしれないが、そういう表現がしっくりくる」として60点をつけています。
村山匡一郎氏は、「物語はシンプルだが、映像が各々のエピソードを膨らませている。ラストで七海と安室が真白の母親に会いに行くシーンは圧巻である。黒木とCoccoが好演」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
佐藤忠男氏は、「岩井俊二監督が世相風俗を面白く描いた映画である。とくに女優たちが生き生きとしていることと、ストーリーの展開が才気煥発で意外性が楽しめる」と述べています。
近藤孝氏は、「「リップヴァンウィンクル」は米国の短編小説の主人公の名。寓話同様、七海も一時夢を見る。そして、悲しみを救済する儀式を経て、彼女は目覚め、再び現実と向き合う。今度こそは、その世界で幸福を見いだせるだろう。新しい冒険の幕開けを祝福したくなった」と述べています。
(注1)監督・脚本は、『新しい靴を買わなくちゃ』をプロデュースした岩井俊二。
原作は、岩井俊二著『リップヴァンウィンクルの花嫁』(文藝春秋:未読)。
なお、出演者の内、最近では、黒木華は『幕が上がる』、綾野剛は『天空の蜂』、Coccoは『KOTOKO』、りりィは『FOUJITA』(おばあの役)で、それぞれ見ました。
(注2)七海を五反田のホテルに呼び出した男は、その前に、自分の恋人が鉄也と浮気をしていると言いに七海の家に来ています。それで、仕方なく七海はホテルに行ったのですが、この話全体は安室が仕組んだもので、ホテルの部屋の中にも隠しカメラが設けられていて、七海とこの男が接する場面が撮影されています。そして、その写真が元で、七海は、鉄也の母親(原日出子)に鉄也と離縁させられてしまいます。
離婚後に会った七海に安室は、「(ホテルに七海を呼び出した男は)別れさせ屋。ご主人のお母さんが雇った者です」と言います。鉄也の母親が安室に依頼したのでしょうが、彼はそんなことはおくびにも出しません。
(注3)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、岩井監督が、「安室は、裏設定ではおばあちゃんと暮らしたりして、その財産をせしめながらケアしたりとか、何人も同時に飼育しているようなキャラクター」などと述べているとはいえ。
(注4)そのほか挙げられている項目には、次のものがあります。
e.旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること。
f.交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる。
g.常に動くこと、新しい局面を開くこと、失敗を怖れぬこと、それを笑いに転化させることなどの行為、態度の結合。
(注5)さらに安室は、「市川RAIZO」という名刺を取り出し、「役者もしています」と七海に言います。
(注6)安室は、離婚後で収入の乏しい七海を結婚式の代理出席のバイトに誘い、七海はある偽装家族の一員となって、そこでCoccoと知り合うことになります(なお、その際に臨んだ結婚式における花婿役が、なんと『ラスト・ナイツ』を制作した紀里谷和明氏とは!)。
(注7)『アフリカの神話的世界』(岩波新書)のP.165。
(注8)その上、真白は末期がんにも侵されているのです。
(注9)七海は、結婚式に呼べる親族が父親(金田明夫)と母親(毬谷友子)の2人(それも離婚しています)しかいなかったので、安室に依頼して偽装家族に出席してもらいます。他方、上記「注6」に記したように、離婚後には七海も偽装家族の一人となるのです。
(注10)安室は、離婚した七海に、鉄也とその母親とが2人でレストランで食事をしている写真を見せ、「週に2回会っています」、「典型的なマザコン」、「こうなってよかったのでは?」と七海を慰めます。
(注11)七海は、それまで使っていた「クラムポン」が夫・鉄也に見つかってしまい、それからはハンドルネームを「カンパネルラ」に変えます。
そんなことから、社会学者・宮台真司氏は、劇場用パンフレットに掲載されたエッセイ「あまたの寓話が交響し合う、半世紀に一本の傑作」において、宮沢賢治の童話(「クラムポン」は『やまなし』、「カムパネルラ」は『銀河鉄道の夜』、そしてエンドロールに映し出される「ねこかぶり」は、宮台氏によれば『水仙月の四日』)などを手がかりに本作について独自の分析を進めていきます(ちなみに、「安室」は『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイによるとのこと)。
なお、本文(1)に出てくる「似鳥」は、宮沢賢治の『山地の稜』にも「土木に似鳥さん」と出てきます。
(注12)真白がメイドで働く大きな屋敷は、今は撮影スタジオで、元々誰も住んでいないのですから。
(注13)『シェル・コレクター』に登場し、その猛毒に驚いたばかりです!
(注14)当初はおどおどした感じを見せながらも、大きな屋敷からリップヴァンウィンクルのように日常生活に戻ってきて、アパートのベランダから外を見る時の清々しい感じを見せるに至るまでの七海の変化する姿を実に巧に演じているなと思いました。
(注15)ちなみに、上記「注11」で触れた宮台氏は、真白を主人公としています。
★★★★★☆
象のロケット:リップヴァンウィンクルの花嫁
(1)評判の高さを聞いて映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、人々が大勢道路を歩いていて、その間にいた皆川七海(黒木華)がポストの前で立ち止まって、携帯を手にしながら、もう一方の手をおそるおそる挙げます。
画面では携帯のメッセージの内容が示され、相手から「目印は?」と訊かれて、七海は「ポストがあります」と答えます。
もう一度七海が不安そうに手を挙げると、鶴岡鉄也(地曵豪)が現れ、「皆川七海さんですか?鶴岡です」、「あっちにいい感じのカフェがあります。そこを曲がったところ」と言います。
歩きながら七海は、「学校、むずかしいんでしょ?」、「あたしは、臨時教員。普通採用を目指しています」等と話します。
七海はSNS(ハンドルネームがクラムポン)で、「お見合いサイトで、彼氏がアッサリ手に入ってしまった。ネットで買い物するみたい」とのメッセージを出します。
次いで、七海の部屋。
ベッドで寝ている鉄也に対して、起きた七海は「買い物に行ってきます」と言います。
「一緒に行く」と言う鉄也に対して、七海は「疲れていらっしゃるんじゃない?ゆっくり寝ていてください」と答え、外出します。
今度は、学校の場面。
七海が教室に入ると、教壇に置かれた机の上にマイクが置いてあるので、「これ、なんでだろう?」と尋ねると、生徒の一人が「先生の声聞こえないから、マイク使ってください」と答えます。それで、七海も仕方なくマイクを手にし、「27ページを開いてください」と言いながら授業を始めます。
次に、七海は、コンビニで出会った昔のクラスメートの似鳥(玄理)の家で食事をします。
似鳥に「メガネかけてた?」と訊かれたので、七海は「これは伊達メガネ。生徒に見つかると困るから」と答えますが、似鳥は「すぐにわかったよ」と言います。
今度は七海が「似鳥さんは?」と尋ねると、似鳥は「キャバクラ」と答えるので、七海は「綺麗だから。いっぱい稼げるでしょう?」と言います。すると、似鳥が「紹介しようか?楽しいよ」と言うので、七海は「そこまで割り切れない」と断ります。ただ、似鳥は「親にバレたら殺されるけど、両親への仕送りは続けている」と言います。
こんな風に本作は始まりますが、さあ物語はどのように展開していくのでしょうか、………?
本作は、臨時教師の職を失い、さらにネットを通じて知り合った男と結婚したものの離縁させられるという悲惨な境遇に陥った主人公が、とても変わった何でも屋の手助けによって立ち直っていくというお話。タイトルからも見て取れるように現代寓話といった趣きであり、3時間という長尺ながらも、様々の見方が出来そうな気がしてきて、何か言いたくなってくるのを止めがたい実に興味深い作品に仕上がっていると思いました。
(2)そこで、映画素人ながら、つまらないことを申し述べることといたします。
本作では、主人公の皆川七海が、これほど弱々しい女性が現代にいるのかなと思わずはいられないくらいのか細い存在として描かれています。
例えば、派遣会社の担当者から、「教師がマイクを使うのはまずい」、さらには「声が小さいのは教師にとって致命的」とズケズケ言われて、臨時教員の仕事を簡単に失ってしまいます。だからといって、昔のクラスメートの似鳥のように、たくましく生きようとはしません。
また、鉄也に「本来ならば損害賠償ものだ。全部捨てて出て行って。お元気で、さようなら」と一方的に言われ、家を追い出されてしまいます。七海は、あてどなく彷徨い歩き、何でも屋の安室(綾野剛)からの電話に、「ここはどこですか?どこにいるのかわからない。どこに行けばいいのですか?」と泣き叫びます。
その安室ですが、何でも屋として際どい仕事をやっているように見えて、これまたありえないほど人が良い存在に描かれています。
例えば、ホテルの部屋のトイレからの七海の救助要請でやってきた安室は、シャワー室から出てきた七海と部屋で二人きりとなっても、「男は追い払いました。外で待っています」と言って部屋を出てしまいます。常識的な展開ならば、胡散臭い安室が七海に手を出しても当然と言える場面にもかかわらず(注2)、いともあっさりと安室は身を引いてしまいます(注3)。
また、真白が死ぬと、わざわざ母親(りりィ)の住処を探しだしてその遺骨を持って行くのです。
本作のタイトルに、アメリカのお伽話ともいえる「リップヴァンウィンクル」が使われていることや、上記したような主要登場人物の性格付けといったことから、本作自体はファンタジー、それも現代寓話といえるでしょう。
そうだとしたら、あくまでも七海のサポート役に徹する安室は、昔のお伽話とか神話で活躍するトリックスターと言えるかもしれません。
こうなると、3年前に亡くなった文化人類学者・山口昌男氏が思い出されるところです。
山口氏は、その『アフリカの神話的世界』(岩波新書)のなかで、トリックスター的存在であるギリシア神話のヘルメスとアフリカの神話登場するエシェに共通する神話素として、次のような項目を挙げています(同書P.164)。
a.小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一。
b.盗み、詐術による秩序の擾乱。
c.いたるところに姿を現す迅速性。
d.新しい組合せによる未知のものの創出(注4)。
これらを本作について少々検討してみると、aについては、安室が「何でも屋」という商売をしていることが該当するかもしれませんし(注5)、bについては、例えば、安室が七海の家に送り込んだ男(和田聰宏)が引き金を引いて、七海は離婚せざるを得なくなります。またcについては、まさに七海が電話を入れるとすぐさま安室は姿を表しますし、dについても、真白(Cocco)と七海とを最初に引き合わせたのは安室です(注6)。
こうしてみると、安室はまさにトリックスター的な存在、すなわち、「大と小、成熟と幼、境界内と外、「日常」と「祝祭」、固定と動、死と生、上と下、男と女、秩序とアナーキー、光と闇、意味と無意味」(注7)といった「中心と周縁」の対立が解消する世界の存在なのかもしれません。
なにしろ、安室は、大きな屋敷でメイドとして暮らす真白に七海を引き合わせ、少なくとも「成熟と幼」とか「死と生」、「男と女」といった対立を解消させる方向に事態を進ませようとしたのですから。
そうはいっても、本作の場合、真白自身は「日常」、「秩序」、「光」といった中心的な項に位置していないでしょう。彼女はAVに出演し、毎晩銀座などで飲んだくれているほどなのですから(注8)。
だとすると、本作における「中心」は二人が働いている大きな屋敷であり、「周縁」は偽装家族(注9)とかマザコン(注10)とかが蠢いているところ、あるいはSNS(注11)が煩雑に取り交わされているところと言えるかもしれません。ただ、その「中心」の真ん中には何が据えられているのでしょうか?
もしかしたら、その中心の中心は空っぽなのかもしれませんし(注12)、逆に、大きな屋敷の一室に置かれている水槽で飼われてクラゲとかイモガイ(注13)、ヒョウモンダコといった猛毒の生物なのかもしれません!
本作について、主役を演じた黒木華の演技は素晴らしいものがありますが(注14)、クマネズミには、むしろ綾野剛が演じる安室こそが主人公なのではと見え(注15)、そしてその安室役を綾野剛は実に見事に演じていると思いました。
この二人の組合せは『シャニダールの花』(2012年)で見ましたが、4年経過して、それぞれが素晴らしい俳優になったなという印象を受けたところです。
(3)渡まち子氏は、「流されて生きてきた女性の変化と自立を独特の感性で描く人間ドラマ「リップヴァンウィンクルの花嫁」。まったりとした緊張感というと、矛盾に聞こえるかもしれないが、そういう表現がしっくりくる」として60点をつけています。
村山匡一郎氏は、「物語はシンプルだが、映像が各々のエピソードを膨らませている。ラストで七海と安室が真白の母親に会いに行くシーンは圧巻である。黒木とCoccoが好演」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
佐藤忠男氏は、「岩井俊二監督が世相風俗を面白く描いた映画である。とくに女優たちが生き生きとしていることと、ストーリーの展開が才気煥発で意外性が楽しめる」と述べています。
近藤孝氏は、「「リップヴァンウィンクル」は米国の短編小説の主人公の名。寓話同様、七海も一時夢を見る。そして、悲しみを救済する儀式を経て、彼女は目覚め、再び現実と向き合う。今度こそは、その世界で幸福を見いだせるだろう。新しい冒険の幕開けを祝福したくなった」と述べています。
(注1)監督・脚本は、『新しい靴を買わなくちゃ』をプロデュースした岩井俊二。
原作は、岩井俊二著『リップヴァンウィンクルの花嫁』(文藝春秋:未読)。
なお、出演者の内、最近では、黒木華は『幕が上がる』、綾野剛は『天空の蜂』、Coccoは『KOTOKO』、りりィは『FOUJITA』(おばあの役)で、それぞれ見ました。
(注2)七海を五反田のホテルに呼び出した男は、その前に、自分の恋人が鉄也と浮気をしていると言いに七海の家に来ています。それで、仕方なく七海はホテルに行ったのですが、この話全体は安室が仕組んだもので、ホテルの部屋の中にも隠しカメラが設けられていて、七海とこの男が接する場面が撮影されています。そして、その写真が元で、七海は、鉄也の母親(原日出子)に鉄也と離縁させられてしまいます。
離婚後に会った七海に安室は、「(ホテルに七海を呼び出した男は)別れさせ屋。ご主人のお母さんが雇った者です」と言います。鉄也の母親が安室に依頼したのでしょうが、彼はそんなことはおくびにも出しません。
(注3)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、岩井監督が、「安室は、裏設定ではおばあちゃんと暮らしたりして、その財産をせしめながらケアしたりとか、何人も同時に飼育しているようなキャラクター」などと述べているとはいえ。
(注4)そのほか挙げられている項目には、次のものがあります。
e.旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること。
f.交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる。
g.常に動くこと、新しい局面を開くこと、失敗を怖れぬこと、それを笑いに転化させることなどの行為、態度の結合。
(注5)さらに安室は、「市川RAIZO」という名刺を取り出し、「役者もしています」と七海に言います。
(注6)安室は、離婚後で収入の乏しい七海を結婚式の代理出席のバイトに誘い、七海はある偽装家族の一員となって、そこでCoccoと知り合うことになります(なお、その際に臨んだ結婚式における花婿役が、なんと『ラスト・ナイツ』を制作した紀里谷和明氏とは!)。
(注7)『アフリカの神話的世界』(岩波新書)のP.165。
(注8)その上、真白は末期がんにも侵されているのです。
(注9)七海は、結婚式に呼べる親族が父親(金田明夫)と母親(毬谷友子)の2人(それも離婚しています)しかいなかったので、安室に依頼して偽装家族に出席してもらいます。他方、上記「注6」に記したように、離婚後には七海も偽装家族の一人となるのです。
(注10)安室は、離婚した七海に、鉄也とその母親とが2人でレストランで食事をしている写真を見せ、「週に2回会っています」、「典型的なマザコン」、「こうなってよかったのでは?」と七海を慰めます。
(注11)七海は、それまで使っていた「クラムポン」が夫・鉄也に見つかってしまい、それからはハンドルネームを「カンパネルラ」に変えます。
そんなことから、社会学者・宮台真司氏は、劇場用パンフレットに掲載されたエッセイ「あまたの寓話が交響し合う、半世紀に一本の傑作」において、宮沢賢治の童話(「クラムポン」は『やまなし』、「カムパネルラ」は『銀河鉄道の夜』、そしてエンドロールに映し出される「ねこかぶり」は、宮台氏によれば『水仙月の四日』)などを手がかりに本作について独自の分析を進めていきます(ちなみに、「安室」は『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイによるとのこと)。
なお、本文(1)に出てくる「似鳥」は、宮沢賢治の『山地の稜』にも「土木に似鳥さん」と出てきます。
(注12)真白がメイドで働く大きな屋敷は、今は撮影スタジオで、元々誰も住んでいないのですから。
(注13)『シェル・コレクター』に登場し、その猛毒に驚いたばかりです!
(注14)当初はおどおどした感じを見せながらも、大きな屋敷からリップヴァンウィンクルのように日常生活に戻ってきて、アパートのベランダから外を見る時の清々しい感じを見せるに至るまでの七海の変化する姿を実に巧に演じているなと思いました。
(注15)ちなみに、上記「注11」で触れた宮台氏は、真白を主人公としています。
★★★★★☆
象のロケット:リップヴァンウィンクルの花嫁
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