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勝手にふるえてろ

2018年01月15日 | 邦画(18年)
 『勝手にふるえてろ』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)評判が良さそうなので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、ハンバーガーショップの場面。
 主人公のヨシカ松岡茉優)が、「あたしってクソヘタレで、思っていることたくさんあるのに、何一つ言えてないんですよ」と言うと、金髪店員(趣里)がヨシカの頭を撫でます。



 するとヨシカは、「あなたってフィギュアみたいにかっこいい」「私も触っていい?」と言いながら、金髪店員の頭の髪の毛を撫でます。
 そして、ヨシカは、「一度でいいから金髪に触ってみたかった」「手の届かないものばかり求めてしまう」「イチ(注2:北村匠海)と結婚しても、幸せになれない」「(注3:渡辺大知)なら堪能できちゃう」「だけどやっぱりイチが好き」と呟きます。

 ここでタイトルが流れます。

 ヨシカが勤務する職場(経理課)。
 ヨシカが計算機を叩いていると、営業課のニが書類を差し出します。
 すると、ヨシカが、書類の数字をさしながら「ココ、間違ってます」と指摘します。
 これに対し、ニは「ほんとだ」「俺、今、億動かしてるから、神経が弱ってるんだ」「昨日も3時間しか寝ていない」と応じ、さらにヨシカの机にある鉛筆で数字を直した挙句、「鉛筆借ります」と言います。

 女子トイレの手洗い場。
 ヨシカが「借りました、でしょ」と怒ると、同僚の来瑠美石橋杏奈)が「怒りなさんな」と慰めますが、ヨシカは「経理って、舐められている」と怒りはなかなか静まりません。

 会社の休憩室。
 ヨシカが「営業の出来杉君?」と言うと、来留美は「高杉君」と訂正しますが、ヨシカは「私は、恋愛と仕事は分けたい」と応じます。それに対し、来留美は「イチがずっと好きなんだから」と言います。



 誰かが「電気消すよ」と言うと、休憩室は暗くなり、そこにいた女子職員は皆、横になって午睡を取ります。

 ここで、中学時代の回想が入ります。
 教室でヨシカが、『天然王子』の漫画を机に座って描いていると、イチがやってきて、「なんで王子なの?」と尋ねます。それに対し、ヨシカは「生まれながらの王子だから」と答えます。
 さらに、イチは「変な髪型」と言いますが、ヨシカは自分の髪型について言われたものと思いますが、イチは、漫画に描かれた王子の髪型について言ったようです。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどのような物語が展開するのでしょうか、………?

 本作は、作家・綿矢りさの小説『勝手にふるえてろ』を映画化したもの。主人公は若いOLで、中学の同級生に対する片思いを未だに引きずっていながらも、同期入社の社員から告白をも受け、2つの恋の間で思い悩みます。さあ一体彼女はどうするのでしょうかというところですが、コミカルなタッチの中に今時の若い女性の生態も描かれていて、まずまず面白いなと思いました。

(2)本作は、脳内が妄想で一杯の24歳の女の子(注4)の物語。
 であれば、『脳内ポイズンベリー』のような映画になってもおかしくないように思えます。でも、主人公のヨシカは、特段、脳内にいろいろな葛藤を抱え込んでいるわけでもなく、様々な妄想がふくらんでいるだけなので、本作は全然違った味付けの作品となっています。
 例えば、上記(1)の最初の方で描かれているヨシカと金髪店員との会話は、単にヨシカが頭の中で作り上げたもので、実際にはヨシカは金髪店員と何の会話もしていないことが後の方でわかります(注5)。
 また、本作の前半では、ヨシカが駅員(前野朋哉)とか釣り堀のおじさん(古舘寛治)などと大層親しげに話す場面がいくつか映し出されているところ、これもヨシカの妄想の中の出来事と判明します。
 さらには、コンビニの店員(柳俊太郎)とかバスに乗り合わせた編み物おばさん(注6:稲川実代子)などとも、ヨシカの妄想の中で会話します。

 ただ、これらの人達は、原作では見受けられず、映画で初めて登場するのです。
 こうなると、主人公ヨシカの雰囲気は、原作とかなり離れてくる感じがします。
 原作のヨシカは、確かに中学時に同級生のイチを好きになって以来、10年間、ずっとイチのことを思い続けていますが、そのくらいのことなら誰にでも心当たりがあるでしょう。
 原作のヨシカは、少々変わっているとしても(注7)、ごく普通の女の子のように思えます。
 でも、映画で描かれているヨシカのように、外出先で出会う人達と頻繁に妄想の中で会話をするというのは、どうなのでしょう?
 なんだか、統合失調症一歩前といった感じにもなってきます。
 
 それでも、後半になって、イチが自分の名前を知らないことがわかって強いショックを受けると(注8)、ヨシカは、そうした妄想が消滅して、現実的な姿に戻ります(注9)。
 ですから、ヨシカの脳内に妄想一杯という前半の描き方は、妄想が多すぎる感じは否めないとしても、本作を映画として制作するにあたって必要とされたものにすぎないのでは(注10)、と考えた方がいいのかもしれません。

 それと、原作との違いを言えば、タイトルの「勝手にふるえてろ」ですが、原作の場合は、「イチはもう心の支えにはなってくれない。なんで私の名前もおぼえてないわけ、………、もう言い、思っている私に美がある。………私の中で十二年間(注11)育ちつづけた愛こそが美しい。イチなんか、勝手にふるえてろ」という文脈で登場します(文庫版P.131)。
 これに対して、本作では、最後の最後で、ヨシカが自分に対して言う言葉とされています(注12)。
 原作での使い方はよく理解できるものの、本作においては、騒々しいラストでヨシカとニとが抱き合う中で言われるものですから、誰に向かって何のつもりで言っているのか、イマイチピンときませんでした(注13)。

 と言っても、本作は、これまで『リトル・フォレスト』などでしか見たことがなかった松岡茉優が、その持てる才能を十分に発揮した、なかなかの快作といえるように思います。



 特に、途中でヨシカは、ミュージカルのように自分の気持ちを歌い上げるのですが(注14)、なかなか声も良く、実に様になっているなと思いました。
 また、ニに扮した渡辺大知も、二番手という役どころをなかなかうまく演じています。



(3)渡まち子氏は、「イタい笑いたっぷりのラブストーリーだが、同時に個性的な味わいの人生讃歌と見た」として60点を付けています。
 暉峻創三氏は、「現実生活での愛への臆病さと引き換えに、果てしない脳内妄想に生きる滑稽なヒロイン。だが、けっしてやりすぎない演技、やりすぎない演出が、一級のコメディーに結実した」と述べています。
 毎日新聞の木村光則氏は、「本作の主人公ヨシカの悩みも自己中心的なものだが、恵まれた国・日本で、多くの若者たちが抱えている屈折を松岡茉優が高い身体性で演じきった」と述べています。



(注1)監督・脚本は大九明子
 原作は、綿矢りさ著『勝手にふるえてろ』(文春文庫)。

 出演者の内、松岡茉優は『リトル・フォレスト』、石橋杏奈は『22年目の告白―私が殺人犯です―』、北村匠海は『あやしい彼女』、古舘寛治は『淵に立つ』、前野朋哉は『エミアビのはじまりとはじまり』、片桐はいりは『シン・ゴジラ』で、それぞれ最近見ました。

(注2)ヨシカが一番思っている人であり、また原作によれば、名字が「一宮」なので、イチ。

(注3)ヨシカにとって2番目に現れた男性なので、ニ。

(注4)原作では、自分について「江藤良香、26歳」云々とヨシカはニに話します。

(注5)イチからショッキングな話を聞いた後(下記「注8」参照)、ヨシカはハンバーガーショップに入りますが、ヨシカは金髪店員を見て、「この人の名前を知らない」「だって、この人と話したことがないんだもの」と呟きます。それに、ヨシカは、金髪店員が話す外国語が理解できないのです。

(注6)実は、ヨシカの会社の清掃員。

(注7)例えば、ヨシカは、アンモナイトなど絶滅した動物について関心を持っています。

(注8)同窓会が開かれたマンションで、イチと二人きりになれたヨシカは、イチと色々話をしますが、イチがヨシカのことを「きみ」と言うのが気にかかって、「イチ君て、人のことをきみと呼ぶの?」と尋ねると、イチは「ごめん、名前何?」と言うのです。

(注9)ただ、ラストの方で、ヨシカの隣に住むオカリナを吹く女(片桐はいり)とコンビニ店員が、色違いながら同じ柄のかっぱを着て雨の中に立っているのをヨシカは見ますが、これは現実の出来事でしょうか?

(注10)原作のままだと登場人物があまりにも少なく、映画として面白みに欠けるものになってしまう恐れがあります。この点については、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、原作者の綿矢りさ氏が、「登場人物が少ない小説なので、大丈夫かなと。脚本読んだら人が増えていたのでありがたかったです(笑い)」と述べています。

(注11)原作では、ヨシカの年齢は本作よりも2歳上となっています。

(注12)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、監督の大九明子氏は、「自分に向けた言葉にしたいと脚本を書き始めた早い段階で考えていました。若い女の子なんてものはどうせ大変だと言いながら、意外と死なない生きものだから、勝手にふるえてろよ、と。そういう過去の自分に対しての言葉でもありますね」と述べています。

(注13)上記「注12」で記したように、ヨシカが自分の過去に向かって言うとしても、それまでのヨシカはあまり自分を客観視するようなことをしていないので、突如このように突き放つ言葉が言われると、なんだか唐突な感じになってしまいます。

(注14)イチが自分の名前を知らないことにショックを受けたヨシカが、金髪店員やコンビニ店員、釣り堀のおじさんなどを巡り歩いている最中に、大九監督の作詞による「アンモナイト」という歌(♪この人の名前を私は知らない~絶滅すべきでしょうか?♪)を歌い上げます。



★★★☆☆☆



象のロケット:勝手にふるえてろ

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2 コメント

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Unknown (ふじき78)
2018-03-21 15:18:00
タイトルの意味が初めて分かりました。
何か唐突に最後に何を言いだすんだろうとは思っていたのです。
Unknown (クマネズミ)
2018-03-24 09:55:54
「ふじき78」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
大九監督自身の説明でようやく分かるわけながら、やっぱり唐突感は否めない感じがするところです。

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