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映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

青山杉雨展

2012年08月17日 | 美術(12年)
 8月の冒頭で取り上げた「フェルメール展」に引き続いて、上野の東京国立博物館で開催されている「青山杉雨の眼と書」展(~9月9日)に行ってきました。
 こちらは、同じ上野でほぼ同時期に開催され大賑わいのフェルメール展とは打って変わって、地味なことこの上なく、鑑賞者もパラパラとしか見当たりません。
 作品を鑑賞する上では絶好といえるものの、むしろ淋しさを感じてしまいます。

 クマネズミは書を嗜む者では全然ありませんから(注1)、見ても分かるのかなという一抹の不安がありましたが、全体としてまずまずの印象を持ちました。

(1)と言っても、面白いなと思ったのは、例えば、次のような書です〔「萬方鮮」(1977年)〕。



 本作については、展覧会カタログにおいて、「古代文字を素材とし、それを現代的な感覚で体現することに成功した、青山杉雨の傑作の一つである」と述べられています(P.240)。

 あるいは、この書〔「黒白相変」(1988年)〕。



 この作品については、公式サイトのブログの説明で「筆順を考えたり、絵のように想像して眺めたり」と述べられている点に興味を持ちました。

 更には、こんな書〔「旭日昇天」(1989年)〕でしょうか。



 拙ブログのこのエントリの「ホ)」で触れた書家・石川九楊氏の『近代書史』においては、「この作品を目にし、「旭日昇天」の句に鼻白みつつも、図版ではうかがい知れない筆勢の存在感(リアリティ)には、なるほどこのあたりに書壇を統率する力があるのかと納得した」と書かれています(P.628)(注2)。

(2)ところで、上記の「萬方鮮」について、展覧会カタログには「古代文字」とあり、さらに「篆書の持つ構築的な強さを主軸としつつ」と書かれており、また「黒白相変」についても、展覧会カタログにおいて、「石鼓文の面白さを発展させた作」と述べられているところ、展覧会の展示では(及びカタログにおいても)それらのことについてまったく何も解説が与えられていません。
 単に、作品が並べて展示してあるに過ぎません。

 そこで、家に戻ってからWikipediaであれこれ調べてみますと、例えば、「萬方鮮」の「」は篆書体のそれによく似ています。



 また、「鮮」の旁の「」は金文のそれに類似しています。



 さらに、例えば、「黒白相変」の「」も、金文のそれのような感じを受けます(注3)。



 中国の古代文字のことなど何も知らないクマネズミは、青山杉雨のこれらの作品を見て、当初は、随分と独創的な大層変わった書をものす書家だなと大変驚いたのですが、こうして調べてみると、基本的なところ(文字の形)は古代文字そのものなのだな、それを十分に踏まえた上でいくつかの面で(文字の構成の仕方、その配置、その大きさ、筆勢など)独創が加えられているようだな、とおぼろげに分かってきます(注4)。

(3)そうなると、いったいこの展覧会はどういう人を対象に開催されているのか、といささか疑問に思ってしまいました。
 古代文字とか篆書などに詳しい人ならば、いうまでもなく、これらのことについて詳しい解説など不要でしょう。
 ですが、公式サイトに添えられているブログの感じからしても(注5)、今回の展覧会が、そんな特別な人ばかりを対象としているとはとうてい思えないところです。

 むろん、素人はそんなところまで知る必要はなく、ぱっと見て何か感じるところがあればそれでいいのだ、というわけなのかも知れません(注6)。あるいは、抽象絵画を見る時だってそうしているではないか、というのでしょう。
 ただ、この展覧会は抽象絵画の展覧会ではなく書の展覧会のはずであり、そうであるならば、いったい何の文字がどのようにして書かれているのかを素人にも分からせるような何かしらの創意工夫が必要なのではないでしょうか?

 展覧会の展示方法を少々改めて、展示作品数をもう少し絞り込み、それぞれについて、素人でもある程度理解できるような解説を与えたり、あるいは特別な解説コーナーを設けたりするなどして、一般人にも親しみの持てるようなことを今ひとつ考えてくれたらなと思ったことでした(注7)。





(注1)このブログで書(あるいは書道)に触れたのは、小野道風筆の「屏風土代」及び聖徳太子筆の「法華義疏」を取り上げたエントリとか、映画『書道ガールズ』及び『書道の道』を取り上げたエントリとかに過ぎません。

(注2)石川九楊氏は、青山杉雨の師である西川寧との違いという点から、さらに次のように述べています(P.629)。
・「青山は一気にではなく、一つの画を何回かに区切るように分節して掻く」。
・「進行するにしたがって力が漸減するという傾向を持っている」。
 こうした観点から「旭日昇天」についても分析を加えていますが、ぐっと作品に近づけるような気がします。

(注3)展覧会カタログで言う「石鼓文」をWikipediaで調べても、青山杉雨の「黒白相変」との直接的・具体的なつながりはよく分かりません。

(注4)本来的には、例えば、「黒白相変」について言えば、唐の時代に発見されたとされる「石鼓文」自体、そしてそれに取り憑かれた呉昌硯の「臨石鼓文軸」や青山杉雨自身の「臨石鼓文」といったもの(両作とも本展覧会で展示されています)を見比べて、青山杉雨の独創性のありかを究明すべきでしょうが、とうてい素人がなし得るところではありません!

(注5)今回の展覧会では、さらにワークショップ「親子書道教室」まで開催されていますが、はたして、子どもたちはこの展覧会を興味を持って見続けることができるでしょうか?

(注6)展覧会カタログにおいては、「萬方鮮」について「書と絵が交錯したような、独自のスタイルをそなえた作品である。方形の紙面に、抑揚を利かせた筆勢と大胆な墨の変化がマッチしており、古代文字の持つデザイン性が遺憾なく発揮され」云々とあり(P.251)、また「黒白相変」についても、「石鼓文の造形の面白さを発展させた作。〈黒〉と〈白〉という相対する文字のフォルムが実に絶妙であり、生涯にわたり停まることなく変貌し続けた青山杉雨ならではの見事な展開である」云々とありますが(P.258)、その程度のことなら、わざわざことごとしく述べていただかなくとも、素人でも見ただけでわかるでしょう〔なお、「旭日昇天」に関しては(P.259)、青山杉雨が本作につき話していることの簡単な引用に過ぎません!〕!

 さらに言えば、このエントリでは取り上げませんでしたが、今回の展覧会では、「千里馬」という作品が展示されています。そして、こ作品の「馬」について、展覧会カタログの解説は、「千里であろうと万里であろうと走りつづけようとという躍動感溢れるこの馬は、まさしく「駿馬」である」云々と述べています(P.265)。しかしながら、この「馬」は、「金文」とか「篆書体」を十分に踏まえて書かれていると思われるにもかかわらず、その点についての指摘が何らなされずに、素人的な単なる印象を書き連ねたものとなっているのはとても不思議です(「馬」の字は、元々その姿を象ったものであり、それにどのような工夫を加えて青山杉雨は「駿馬」に仕立て上げたかについて、専門家なら具体的に分析して欲しいと思います)。

(注7)展覧会の会場には、8分間のVTRが繰り返し上映されているコーナーが設けられていたり、青山杉雨の書斎が再現されたりしていますが、そしてそれらは青山杉雨の人となりを理解する上でなかなか興味深いものの、肝心の作品自体をもっと具体的に理解させるような工夫をもう少ししてもらえたらなと思うところです。




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