映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

「皇室の御物(2期)」展(中)

2009年11月30日 | 古代史
 前日に引き続いて、「皇室の御物」展の第2期で興味を惹かれた展示物を紹介いたしましょう。今回は、第一会場を入ってスグに展示されている「三角縁四神四獣鏡」です。
 
イ)この鏡は、奈良県の新山古墳から出土したものとのこと。



(上図の鏡は、椿井大塚山古墳出土の三角縁四神四獣鏡)

 「古墳」ときたらマズ目を通すことにしているのが、8月25日の記事で紹介しました宝賀寿男氏の『巨大古墳と古代王統譜』(著)。早速調べてみますと、この古墳につき概略次のように述べられています(P.206~P.207)。

・北葛城郡広陵町にある前方後円墳。
・三角縁神獣鏡を中心に合計34枚の銅鏡や、勾玉、刀剣、Ⅱ期の埴輪などが出土。他にも、鍬形石・石釧・車輪石という古墳時代前期の貴重な碧玉製装飾品も出土。
・さらに、東晋代の金銅製帯金具が出土したことなどから、その築造は4世紀中葉に遡るとみられる。
・被葬者は、地域的にみて葛城国造の族長であり、『日本書紀』の景行紀に見える「葛城の人、宮戸彦」か、そうでない場合はその子・荒田彦ではないかと推される。

ロ)ところで、今回の展覧会で展示されている「三角縁四神四獣鏡」を含む三角縁神獣鏡は、邪馬台国を巡る論争において大層注目されてきました。というのも、邪馬台国の記載がある『魏志倭人伝』に、あらまし次のような記述がみられるからです。

西暦239年に、倭の女王「卑弥呼」が、「難升米」等を魏国に送ったところ、魏国の明帝は卑弥呼に、「親魏倭王」の称号と「金印紫綬」を与え、さらに「銅鏡百枚」を含む多くの贈り物を与えた。

 そこで、畿内地方に分布の中心をおいて出土する三角縁神獣鏡は、魏で生産されたものであり、卑弥呼が受け取った「銅鏡百枚」に該当するから、邪馬台国は大和にあった、などと主張されてきました(注1)。

ハ)しかしながら、『巨大古墳と古代王統譜』の著者は次のように反論します。
「三角縁神獣鏡については、中国産説がわが国ではいまだ根強く主張されているが、中国や朝鮮半島では1枚も出土しないのに対し、わが国では約500枚も出土しており、その殆どが4世紀代に日本列島内で作られた大和朝廷の鏡だとみる説のほうが説得力が強」いのであって、「鈕孔が鋳放しで実際の使用を念頭に置いたものでなく、鏡の銘文には省略形であるなど、公的な鏡として大きな疑問があり、棺外に数多く置かれる例が多いことも国産説を裏付ける」(P.220)。

 したがって、三角縁神獣鏡は卑弥呼の受け取った魏の鏡ではないことになり、むろん邪馬台国畿内説を裏付ける証拠品でもないことになります(注2)。
 三角縁神獣鏡魏鏡説は、多分に思込み(それに、倭国用に特別鋳造したのではないかという想像論)に基づくものといえますが、あくまでも現実の出土状況から考えていく必要があるわけです。

ニ)こうした見解については、強力な援軍も現れています。すなわち、『理系の視点からみた「考古学」の論争点』(新井宏著、大和書房、2007)では概略次のように述べられています(注3)。

三角縁神獣鏡の鉛同位対比(4種類の鉛同位体の比率)は、真の中国鏡とは全く異なっていて、仿製鏡(中国から輸入した鏡に模して国内で生産された鏡)や銅鏃などとよく一致している。
この場合、漢代の鉛と後漢や魏晋の鏡の鉛を混合して作成した可能性も考えられるが、三角縁神獣鏡の鉛組成を詳細に検討すると、韓国産か日本産の鉛の添加を想定しないわけにはいかないことがわかる。
こうしたことから、「三角縁神獣鏡は中国で製作されたものではない」ことが判明する(P.72~P.74)。

ホ)こうした地道な研究がいくつもなされてきているにもかかわらず、11月3日の記事に対する「ディケンズの都」氏のコメントにあるように、「最近、桜井市の纏向遺跡から大規模な建物跡が見つかって、関西系考古学者は、これこそ卑弥呼の宮殿だと吹聴し、マスコミがこれを持ち上げて大騒ぎしている」状況下にあります。
 同氏が言うように、「考古学も科学の一分野であるのなら、合理的総合的な論理思考をしないで、判断してよいはずがない」のであって、冷静な対応が望まれるところです(注4)。 



(注1)たとえば、『三角縁神獣鏡の時代』(岡村秀典著、吉川弘文館、1999)では、銘文に中国人の作者名があること、「景初」「正始」という魏の年号をもつ鏡が発見されていること、中国で1枚も出土しないのは倭に贈るために特鋳されたものと考えられること、等の理由から、「倭王卑弥呼に下賜された「銅鏡百枚」は三角縁神獣鏡である」と述べられています(P.147)。
(注2)同様の見解は、安本美典著『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』(廣済堂出版、1998.11)やHP「三角縁神獣鏡の謎」などでも見られます。
 さらに、下記のコメント欄に投稿していただいた「羽黒熊鷲」氏による詳細な論考がHP「古樹紀之房間」に掲載されていますので、是非それもご覧下さい(「三角縁神獣鏡魏鏡説の否定と古墳編年大系の見直し」)。
(注3)この著書については、当ブログ8月23日の記事の③の注でも触れています。
 なお、雑誌『古代史の海』の本年9月号に掲載された論考「「三角縁神獣鏡魏鏡説」は危機に瀕しているか」において、下司和男氏は新井氏の見解に対し、やや周辺的と思われる問題点をいろいろ挙げて批判しています。とはいえ、どんな科学的な見解であっても、それはあくまでも仮説なのであって、それだけで完全に問題にケリが付いてしまうわけでないことは言うまでもありません。結局は、どの仮説が最も合理的であるかの問題なのですから、こうした論評の仕方にどれだけの意味があるのか疑問です。
(注4)11月3日の当ブログ記事のコメント欄に記載された「ディケンズの都」氏のコメント(12月11日)により判明しましたが、上記の注2で触れた「羽黒熊鷲」氏が、調査報告「纏向遺跡から出土した外来系土器についての報告」をHP「古樹紀之房間」に掲載されていますので、どうかご覧下さい。



ブログパーツ
ジャンル:
その他
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「皇室の名宝(2期)」展(上) | トップ | 「皇室の御物(2期)」展(下) »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三角縁神獣鏡の誤導 (羽黒熊鷲)
2009-12-01 18:00:37
  戦後の古代史分野で大きな貢献をしてきた考古学者の主張した説のなかで、いくつか大きな錯覚があり、それが古代史のなかで大きな誤導をもたらしたものがある。その一つが「三角縁神獣鏡魏鏡説」である。現在までに出土した三角縁神獣鏡の銘文の中に紀年が記された四面の鏡、すなわち「景初三年」銘の鏡一面、「正始元年」銘の鏡三面、があることなどを根拠に、これが魏王朝から倭の卑弥呼に下賜された百枚の銅鏡だとして、これを前提に、王都邪馬台が畿内大和にあって全国的な支配体制を確立していたと考え、三角縁神獣鏡の出土した古墳を初期古墳に位置づけ、関係する遺跡の年代を大幅に引き上げるなどの見方を示してきた。
  纏向遺跡の発掘が進むにつれ、それが卑弥呼の王都だと、多少の発掘があるごとに騒ぎ立て、マスコミも無批判なまま、これに乗って大騒ぎをしてきた。サンケイ新聞などでは、最近、邪馬台国所在地がこれで決定的だとして特集を組む動きまで見える。

  しかし、『魏志倭人伝』などの文献から邪馬台国畿内説は導けないことをさておいても、上記の判断が合理的ではないことが分る。すなわち、現在までに出土した三角縁神獣鏡の数だけでも約五百面といわれ、さらに散失・未発掘のものまで含めると、当該「百枚」の何倍にものぼる多数の三角縁神獣鏡が日本列島にあったことになり、辻褄が合わない。
  しかも、それだけ多くの出土があるにもかかわらず、出土する古墳は主に四世紀の中・後葉頃に築造されたものであって、邪馬台国の時代である三世紀代の墳墓からは一面も出土しておらず、しかも棺外に多く置かれるなど丁重な取扱いを受けていない(後漢鏡のほうが重視されている)。中国の考古学者も関心をもって多くの銅鏡を研究し、日本同様に考古学的な発掘が戦後に進んできた中国国内でも朝鮮半島からも、いまだ一面も出土しておらず、中国の鏡ではないと考えている事情にある。また、改元されて実在性に疑問がある中国年号(景初四年)が入っている銘文の鏡(福知山市の広峰15号墳出土など二面)もあるのに、三角縁神獣鏡の銘文をどこまで信用できるのかという問題もある。中国鏡には同型の鏡を大量生産する伝統はないし、三角縁神獣鏡の本質は大型の凸面鏡であるが、中国には見られないほどの大型である。魏の官製工房では製作されるはずのない呉式の神獣鏡で、かつ、道教的吉祥文が入れられるという矛盾もある。

  こうした長い期間の研究過程のなかで明らかになってきた現実の国内外の出土状況、鏡の問題点などから見る限り、「三角縁神獣鏡魏鏡説」は成り立つはずがない(森浩一氏、王仲殊氏、森弘達氏など)。これに対して、関西系の考古学者からは、まともな反論にならない反論的な主張(長くなるので、掲載は省略)がいまだ続けられている。
 以上に見るように、魏鏡説は成立しない(全てが倭国の国産鏡)とするのが合理的な帰結である。
 
  なお、クマネズミさんの記事に見える「処マ製鏡」は「倣製鏡」の文字化けだとみられる。要は海外から船に乗せて運ばれた「舶載鏡」と日本列島内でこれを模倣して造られた「模倣製造の鏡」ということであるが、「倣」と書かずに「ニンベン(左側)+方(右側)」という漢字を考古学者はなぜか用いるから、htmlファイルの基礎にあるMs-IMEとあいまって文字化けを起こすことになる。マイクロソフト社には、中国と同様、日本においても、歴史や地名・人名を的確に表現できるようなIMEを提供する義務があると思われる。
文字化け (クマネズミ)
2009-12-03 05:02:06
 「羽黒熊鷲」さん、深い学識に基づく行き届いたコメントに感謝申し上げます。

 なお、「「処マ製鏡」は「倣製鏡」の文字化け」とあるところ、当初 はブラウザの違いによるのかな、と思ったのですが(こちらではFireFoxを使っています)、Internet Exploreを使ってブログを開き、Ms-IMEの「手書き」で「仿」をインプットしたところ、こちらのPC上では一応修正出来ました。
 「羽黒熊鷲」さんのPCでは、マダ文字化けは治ってはいないでしょうか?

コメントを投稿

関連するみんなの記事