『汚れた心』を渋谷のユーロスペースで見てきました。
(1)本作は、ブラジルの日系移民に関わる陰惨な事件を描いた作品というので、ブラジルにいたことのあるクマネズミとしては是非見たいと思い、映画館に足を運びました。
ただ、本作で取り扱われる「勝ち組」・「負け組」(注1)については、30年ほど前にブラジルにいた際にもしばしば耳にしましたが、本作で描かれるような事件(注2)についてまでは、厳しくタブー視されていたのでしょう、全く聞いたことはありませんでした。
さて、本作は、第2次世界大戦終結直後のブラジルのサンパウロ州にある小さな町が舞台とされます。
時のヴァルガス政権によって、日本の動向に関する情報が絶たれていた日系移民(注3)の大部分は、終戦後においても日本の勝利を心から信じる「勝ち組」でした。
タカハシ(伊原剛志)は、写真館を営みつつ、教師の妻ミユキ(常盤貴子)と暮らしていましたが、当然に「勝ち組」の一員です。
元陸軍大佐ワタナベ(奥田瑛二)たちが、禁止されている集会を開き、日章旗を掲揚したりして官憲との間でトラブルになった際には、タカハシも、一緒に当局に抗議に出向いて逮捕されてしまいます。
その際に、「負け組」の日系人アオキが、当局の通訳として彼らの前に現れるのですが、タカハシはアオキに対して、「心が汚れている、非国民!」と叫びます。
その後、「負け組」の粛清を叫ぶワタナベから軍刀を託されたタカハシは、まずアオキを斬殺し、さらには、組合長のササキ(菅田俊)までも斬り殺します。
それを知ったミユキ(注4)は、殺されたササキの妻(余貴美子)や娘と一緒に列車に乗って、その町を立ち去ってしまいます(注5)。
一人残されたタカハシはどうなるのでしょう、……?
「勝ち組」・「負け組」のことは知ってはいたものの、こうした陰惨な事件が引き起こされたとは思いもよらず、正直のところ大変驚きました。
ただ本作は、ブラジル移民史における単なる一事件を描いた作品、というだけにとどまってはいないと思われます。むしろ、一つの政治的信念が狂信的なものにまで濃縮され人々に取り憑くと、当事者たちが以前には考えてもいなかった恐ろしい事態が引き起こされる可能性のあることを描いているのでは、と思いました。その意味では、はなはだ現代的な作品であるともいえるでしょう。
そして、その波乱の中で翻弄されてしまう様々の夫婦の物語ともいえると思います。
とはいえ、もう少し説明してもらいたいなという点もあるように思われます。
ブラジル移民の当時の状況について、もう少し理解しやすい映像が入っていたらなという気がします。
例えば、あの街に住んでいる日系人たちは、どこでどうやって働いていてどんな暮らしをしていたのでしょう(注6)。
ササキが組合長とされていますが、いったいどんな組合なのでしょう(7注)。
また、「勝ち組」のリーダーであるワタナベは、この土地においてどんな役割を担っていて、所得はどこから得ているのでしょう(注8)。彼には家族がいないようですが。何故なのでしょう。
「勝ち組」の中の狂信派は、日本刀や拳銃を使って「負け組」を襲撃しますが、彼らはどこでそういった武器の扱い方を習得したのでしょう(注9)。
ですが、そういった細々としたことは、観客の方で適当に補いながら見れば済むことなのかもしれません。
ただ、事件のあまりの大きさに、物語全体が引っ張られすぎているのでは、という感じを持ちました。
本作はブラジル映画ではあるものの(注10)、日本で現在活躍中の俳優が何人も出演しています。
主演の伊原剛志は、『十三人の刺客』での活躍が印象的ですが、本作においても、心優しい写真館の主人でありながらも、「勝ち組」としてとんでもないことをしでかしてしまうという、大変難しいタカハシの役を巧みにこなしています。
他方、「勝ち組」のリーダー的存在であるワタナベを演じる奥田瑛二は、『ちゃんと伝える』や『ロストクライム』もなかなかよかったところ、本作では抜群の存在感を示しています。
さらに、タカハシ妻ミユキを演じる常盤貴子や、組合長ササキの妻に扮する余貴美子も、実に手堅い演技を披露しています。
(2)本作においては、「國賊」という言葉が頻繁に登場するのが印象に残ります。
映画の冒頭では、その言葉が筆で書かれますし、物語の中では、家の入口の壁にその言葉が落書きされると、ナチスドイツの下における「ダビデの星」と同じように、恐ろしい事態がその家にもたらされます。
また、ミユキが密かに教えている日本人学校では、生徒がノートにその言葉を書いて、これはどんな意味なのかとミユキに尋ねたりします。
むろん、「勝ち組」の者が「負け組」に属する者を指して言う言葉なのですが、時間と場所がこうも離れてしまうと、すんなりと理解しがたい感じがしてしまいます。
というのも、この場合における「國」とは何を指しているのでしょうか?
ブラジルに移住した日本人は、最早日本の国籍を離れてブラジルの国籍を取得したのではないでしょうか?彼らが「國」と言えば、ブラジルを指すはずです。
でも、「國賊」という場合の「國」とは、大日本帝国を指しているのでしょう。その大日本帝国が降伏したというあり得ない偽の情報を信じて流す者は、「國」に反逆する不逞の輩であり「賊」だというわけなのでしょう。
ですが、いくら情報が途絶しているからといって、いくら日本が破れるわけがないと思いこんでいるからといって、そんな理屈は、すでにブラジル人である者に対して元々通用するはずがない不合理なものです。
しかしながら、この映画で描かれている事件においては、その理屈で何人もの人が殺されてしまったわけです。
こうした事件に至る背景の一つと考えられるのは、ブラジル移民の経緯かもしれません。
Wikipediaによれば、日露戦争後、移民の送り出しを行っていた皇国殖民会社が、移民希望者を募る際に、「ブラジルでの高待遇や高賃金をうたったために、移民の殆どは数年間の間コーヒー園などで契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりであった」とのこと。
これでは、移住先の国に骨を埋めるつもりがないのですから、国籍の変更は一時的なものであり、ずっと日本人のままだと思うことになるでしょう。
あるいは、周囲を海で取り囲まれ国境を殆ど意識したことのない日本人は、ブラジルに移住しても、日本にいた時と同じ意識のままでいたのかもしれません。
特に、移住先では、日本人だけが固まって共同体を形成して生活していたわけですから。
こうした歴史的な事実について、今の時点から見てあれこれ言ってみても無意味でしょうが、随分と違和感を覚えたところです(注11)。
(3)渡まち子氏は、「俳優たちは、時にポルトガル語もまじえて静かに熱演。劇中に何度か登場する「おまえの心は汚れている」のセリフが胸に突き刺さる。地球の裏側で起こった戦争の狂気に愕然とする歴史秘話だ」として65点をつけています。
〔追記〕後になって分かったことですが、本作に関する前田有一氏のレビューは、核心を突いていると思います。すなわち、前田氏は、「インターネットが発達し、いつでも正確な情報を即座に入手できる現代においても、あらゆる事項についての誤解と対立は全く解消されていない」とした上で、さらに「最も重要な時代背景を不十分にしか描いていないことがこの映画の日本人にとっての最大の問題点である。ブラジル人にとっては常識かもしれないが、日本人にとってはわかりにくい」と述べて60点をつけています。
(注1)「勝ち組」・「負け組」については、Wikipediaの該当項目を参照。
なお、終戦から40年くらい経過した当時にあっても、「勝ち組」・「負け組」に由来する派閥が依然として日系人社会に存在するとよく言われていたところです。
(注2)この映画で描かれる事件を引き起こした臣道連盟については、Wikipediaの該当項目を参照。
(注3)ブラジルは連合国側なので当然ともいえる措置ですが。
ただ、「勝ち組」・「負け組」に関しては、本作で、マッカーサーと昭和天皇の会見写真などを見て日本の勝利に疑念を抱いたタカハシに対して、ワタナベはあくまで、これは謀略だと言い張るところからもわかるように、仮に情報がそんなに途絶していなかったらこうしたグループは作られなかった、と簡単に言える話でないのかもしれません(今の情報化社会では、逆に、どんな映像も簡単に捏造できますし!)。
(注4)アオキは、身に迫る危険を察知して、妻子を別のところに送り出します。それを知ったミユキは、自分が作った食事を届けるのですが、その際にアオキの斬殺死体と、そのそばで茫然自失状態にある夫タカハシの姿を目撃してしまいます。
(注5)ラストで、ササキの娘が偶然にタカハシ(かなりの老人になっています)の写真館にやってきて写真を撮ってもらおうとするのですが、そのことがわかったタカハシがミユキのことを尋ねると、「もう何年も前に再婚され、日本に戻ったようですよ」と告げられます。
ただ、ミユキがタカハシの元を去るときには婚姻を解消していなかったのですから(タカハシには会わずに立ち去ります)、“再婚”ということにはならないのではとも思えるのですが。
なお、余計なことですが、あれだけ人を殺したタカハシ(一人は正当防衛であるにせよ)が、その後同じ写真館を営んでいるというのも、実に不可解な感じがしました(いくら政治的判断で、臣道連盟事件の関係者が恩赦されたにとしても)。
(注6)映画からすると、彼らは綿花の畑で働いているようですが、そうだとしたら、農園は彼ら日系人の所有なのでしょうか、それともブラジル人の農園で働いているのでしょうか。
(注7)綿花の共同販売をする組合と思われますが、よくわかりません。
(注8)ワタナベは、満州事変後退役した元陸軍大佐。持ってきた資金で土地を購入している様子です。
(注9)移民して間もない頃であれば、日本で兵役に就いたときに訓練を受けたでしょうが、幼いときにブラジルに渡った者や二世の場合には、訓練する機会がなかったようにも思われます(ブラジル軍の兵役に就いたというのでしょうか)。
(注10)原作者フェルナンド・モライスや監督ヴィセンテ・アモリンはブラジル人であり、また劇場用パンフレットによれば、「ブラジル資本100%で制作された」とのこと。
(注11)本作のはじめの方では、ブラジルの官憲が、掲揚されている日章旗を引きずり下ろして、それで軍靴を拭く場面が描かれ、それに対してワタナベが激しい屈辱感を抱くわけですが、クマネズミがブラジルにいた頃に、「ブラジル移民70周年記念行事」が行われ、日本から当時の皇太子・妃殿下が訪伯されましたが、その際に、サンパウロの大競技場を埋め尽くした日系人が皆日章旗を手にしているのを見て、当時のブラジル政府高官が奇異な思いをしたとの報道がなされていました。
★★★☆☆
象のロケット:汚れた心
(1)本作は、ブラジルの日系移民に関わる陰惨な事件を描いた作品というので、ブラジルにいたことのあるクマネズミとしては是非見たいと思い、映画館に足を運びました。
ただ、本作で取り扱われる「勝ち組」・「負け組」(注1)については、30年ほど前にブラジルにいた際にもしばしば耳にしましたが、本作で描かれるような事件(注2)についてまでは、厳しくタブー視されていたのでしょう、全く聞いたことはありませんでした。
さて、本作は、第2次世界大戦終結直後のブラジルのサンパウロ州にある小さな町が舞台とされます。
時のヴァルガス政権によって、日本の動向に関する情報が絶たれていた日系移民(注3)の大部分は、終戦後においても日本の勝利を心から信じる「勝ち組」でした。
タカハシ(伊原剛志)は、写真館を営みつつ、教師の妻ミユキ(常盤貴子)と暮らしていましたが、当然に「勝ち組」の一員です。
元陸軍大佐ワタナベ(奥田瑛二)たちが、禁止されている集会を開き、日章旗を掲揚したりして官憲との間でトラブルになった際には、タカハシも、一緒に当局に抗議に出向いて逮捕されてしまいます。
その際に、「負け組」の日系人アオキが、当局の通訳として彼らの前に現れるのですが、タカハシはアオキに対して、「心が汚れている、非国民!」と叫びます。
その後、「負け組」の粛清を叫ぶワタナベから軍刀を託されたタカハシは、まずアオキを斬殺し、さらには、組合長のササキ(菅田俊)までも斬り殺します。
それを知ったミユキ(注4)は、殺されたササキの妻(余貴美子)や娘と一緒に列車に乗って、その町を立ち去ってしまいます(注5)。
一人残されたタカハシはどうなるのでしょう、……?
「勝ち組」・「負け組」のことは知ってはいたものの、こうした陰惨な事件が引き起こされたとは思いもよらず、正直のところ大変驚きました。
ただ本作は、ブラジル移民史における単なる一事件を描いた作品、というだけにとどまってはいないと思われます。むしろ、一つの政治的信念が狂信的なものにまで濃縮され人々に取り憑くと、当事者たちが以前には考えてもいなかった恐ろしい事態が引き起こされる可能性のあることを描いているのでは、と思いました。その意味では、はなはだ現代的な作品であるともいえるでしょう。
そして、その波乱の中で翻弄されてしまう様々の夫婦の物語ともいえると思います。
とはいえ、もう少し説明してもらいたいなという点もあるように思われます。
ブラジル移民の当時の状況について、もう少し理解しやすい映像が入っていたらなという気がします。
例えば、あの街に住んでいる日系人たちは、どこでどうやって働いていてどんな暮らしをしていたのでしょう(注6)。
ササキが組合長とされていますが、いったいどんな組合なのでしょう(7注)。
また、「勝ち組」のリーダーであるワタナベは、この土地においてどんな役割を担っていて、所得はどこから得ているのでしょう(注8)。彼には家族がいないようですが。何故なのでしょう。
「勝ち組」の中の狂信派は、日本刀や拳銃を使って「負け組」を襲撃しますが、彼らはどこでそういった武器の扱い方を習得したのでしょう(注9)。
ですが、そういった細々としたことは、観客の方で適当に補いながら見れば済むことなのかもしれません。
ただ、事件のあまりの大きさに、物語全体が引っ張られすぎているのでは、という感じを持ちました。
本作はブラジル映画ではあるものの(注10)、日本で現在活躍中の俳優が何人も出演しています。
主演の伊原剛志は、『十三人の刺客』での活躍が印象的ですが、本作においても、心優しい写真館の主人でありながらも、「勝ち組」としてとんでもないことをしでかしてしまうという、大変難しいタカハシの役を巧みにこなしています。
他方、「勝ち組」のリーダー的存在であるワタナベを演じる奥田瑛二は、『ちゃんと伝える』や『ロストクライム』もなかなかよかったところ、本作では抜群の存在感を示しています。
さらに、タカハシ妻ミユキを演じる常盤貴子や、組合長ササキの妻に扮する余貴美子も、実に手堅い演技を披露しています。
(2)本作においては、「國賊」という言葉が頻繁に登場するのが印象に残ります。
映画の冒頭では、その言葉が筆で書かれますし、物語の中では、家の入口の壁にその言葉が落書きされると、ナチスドイツの下における「ダビデの星」と同じように、恐ろしい事態がその家にもたらされます。
また、ミユキが密かに教えている日本人学校では、生徒がノートにその言葉を書いて、これはどんな意味なのかとミユキに尋ねたりします。
むろん、「勝ち組」の者が「負け組」に属する者を指して言う言葉なのですが、時間と場所がこうも離れてしまうと、すんなりと理解しがたい感じがしてしまいます。
というのも、この場合における「國」とは何を指しているのでしょうか?
ブラジルに移住した日本人は、最早日本の国籍を離れてブラジルの国籍を取得したのではないでしょうか?彼らが「國」と言えば、ブラジルを指すはずです。
でも、「國賊」という場合の「國」とは、大日本帝国を指しているのでしょう。その大日本帝国が降伏したというあり得ない偽の情報を信じて流す者は、「國」に反逆する不逞の輩であり「賊」だというわけなのでしょう。
ですが、いくら情報が途絶しているからといって、いくら日本が破れるわけがないと思いこんでいるからといって、そんな理屈は、すでにブラジル人である者に対して元々通用するはずがない不合理なものです。
しかしながら、この映画で描かれている事件においては、その理屈で何人もの人が殺されてしまったわけです。
こうした事件に至る背景の一つと考えられるのは、ブラジル移民の経緯かもしれません。
Wikipediaによれば、日露戦争後、移民の送り出しを行っていた皇国殖民会社が、移民希望者を募る際に、「ブラジルでの高待遇や高賃金をうたったために、移民の殆どは数年間の間コーヒー園などで契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりであった」とのこと。
これでは、移住先の国に骨を埋めるつもりがないのですから、国籍の変更は一時的なものであり、ずっと日本人のままだと思うことになるでしょう。
あるいは、周囲を海で取り囲まれ国境を殆ど意識したことのない日本人は、ブラジルに移住しても、日本にいた時と同じ意識のままでいたのかもしれません。
特に、移住先では、日本人だけが固まって共同体を形成して生活していたわけですから。
こうした歴史的な事実について、今の時点から見てあれこれ言ってみても無意味でしょうが、随分と違和感を覚えたところです(注11)。
(3)渡まち子氏は、「俳優たちは、時にポルトガル語もまじえて静かに熱演。劇中に何度か登場する「おまえの心は汚れている」のセリフが胸に突き刺さる。地球の裏側で起こった戦争の狂気に愕然とする歴史秘話だ」として65点をつけています。
〔追記〕後になって分かったことですが、本作に関する前田有一氏のレビューは、核心を突いていると思います。すなわち、前田氏は、「インターネットが発達し、いつでも正確な情報を即座に入手できる現代においても、あらゆる事項についての誤解と対立は全く解消されていない」とした上で、さらに「最も重要な時代背景を不十分にしか描いていないことがこの映画の日本人にとっての最大の問題点である。ブラジル人にとっては常識かもしれないが、日本人にとってはわかりにくい」と述べて60点をつけています。
(注1)「勝ち組」・「負け組」については、Wikipediaの該当項目を参照。
なお、終戦から40年くらい経過した当時にあっても、「勝ち組」・「負け組」に由来する派閥が依然として日系人社会に存在するとよく言われていたところです。
(注2)この映画で描かれる事件を引き起こした臣道連盟については、Wikipediaの該当項目を参照。
(注3)ブラジルは連合国側なので当然ともいえる措置ですが。
ただ、「勝ち組」・「負け組」に関しては、本作で、マッカーサーと昭和天皇の会見写真などを見て日本の勝利に疑念を抱いたタカハシに対して、ワタナベはあくまで、これは謀略だと言い張るところからもわかるように、仮に情報がそんなに途絶していなかったらこうしたグループは作られなかった、と簡単に言える話でないのかもしれません(今の情報化社会では、逆に、どんな映像も簡単に捏造できますし!)。
(注4)アオキは、身に迫る危険を察知して、妻子を別のところに送り出します。それを知ったミユキは、自分が作った食事を届けるのですが、その際にアオキの斬殺死体と、そのそばで茫然自失状態にある夫タカハシの姿を目撃してしまいます。
(注5)ラストで、ササキの娘が偶然にタカハシ(かなりの老人になっています)の写真館にやってきて写真を撮ってもらおうとするのですが、そのことがわかったタカハシがミユキのことを尋ねると、「もう何年も前に再婚され、日本に戻ったようですよ」と告げられます。
ただ、ミユキがタカハシの元を去るときには婚姻を解消していなかったのですから(タカハシには会わずに立ち去ります)、“再婚”ということにはならないのではとも思えるのですが。
なお、余計なことですが、あれだけ人を殺したタカハシ(一人は正当防衛であるにせよ)が、その後同じ写真館を営んでいるというのも、実に不可解な感じがしました(いくら政治的判断で、臣道連盟事件の関係者が恩赦されたにとしても)。
(注6)映画からすると、彼らは綿花の畑で働いているようですが、そうだとしたら、農園は彼ら日系人の所有なのでしょうか、それともブラジル人の農園で働いているのでしょうか。
(注7)綿花の共同販売をする組合と思われますが、よくわかりません。
(注8)ワタナベは、満州事変後退役した元陸軍大佐。持ってきた資金で土地を購入している様子です。
(注9)移民して間もない頃であれば、日本で兵役に就いたときに訓練を受けたでしょうが、幼いときにブラジルに渡った者や二世の場合には、訓練する機会がなかったようにも思われます(ブラジル軍の兵役に就いたというのでしょうか)。
(注10)原作者フェルナンド・モライスや監督ヴィセンテ・アモリンはブラジル人であり、また劇場用パンフレットによれば、「ブラジル資本100%で制作された」とのこと。
(注11)本作のはじめの方では、ブラジルの官憲が、掲揚されている日章旗を引きずり下ろして、それで軍靴を拭く場面が描かれ、それに対してワタナベが激しい屈辱感を抱くわけですが、クマネズミがブラジルにいた頃に、「ブラジル移民70周年記念行事」が行われ、日本から当時の皇太子・妃殿下が訪伯されましたが、その際に、サンパウロの大競技場を埋め尽くした日系人が皆日章旗を手にしているのを見て、当時のブラジル政府高官が奇異な思いをしたとの報道がなされていました。
★★★☆☆
象のロケット:汚れた心