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映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ワン・デイ

2012年07月21日 | 洋画(12年)
 『ワン・デイ―23年のラブストーリー』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)本作は、全体としてはエマアン・ハサウェイ)とディクスタージム・スタージェンス)とを巡る典型的なラブストーリーながら、特徴的なことが2点あるように思われます。
 一つは、二人は、お互いに強く惹かれ合うものを感じながらも、長い間友達関係だったこと。
 二つ目は、23年間の二人の関係が、毎年の「7月15日」という定点の積み重ねで描き出されていること。



 後者の点についてさらに言うと、エマディクスターは、23年前の1988年の7月15日に、スコットランドにある大学の卒業式の帰りがけに一緒になります。でも、エマの家に行った二人は、ベッドインするも何も起こらず、結局は「友達のままでいようよ」ということに(注1)。
 その後、エマは、ロンドンでレストランのウエイトレスになり(1989年)、他方ディクスターは、パリで奔放な生活をした後に、TV番組のMCとして活躍し出します(1993年)。
 その後、エマは学校の先生になるとともに、コメディアン志望のイアンと同棲します。
 他方、派手に活躍していたディクスターは、30を過ぎると次第に時代の流れについていけなくなってTVの仕事を失うも(1998年)、シルヴィとできちゃった結婚します(2000年)。
 同じ頃エマの方は、イアンと喧嘩ばかりするようになって別れてしまいますが(注2)、他方、ディクスターもすぐに離婚します(注3)。
 そうしたところで二人はパリで再会し(2003年:注4)、ついに結婚へ(2004年)。出会ってからなんと15年も経過しています!幸福な日々を過ごし、時々は喧嘩もしますが、すぐに電話で仲直りします。悩みは子どもができないこと(注5)。
 その日も(注6)、エマからディクスター宛てに「ちょっと遅れるけど」との留守電話が入っていて、……(2006年)。そして、……(注7)。

 本作については、そんなに特定に日にちにだけ大きな出来事が起こるのはご都合主義に過ぎるではないか、大学卒業後の20年ほどの変遷を描いているのだからエマはもっと老けるはずではないか、ディクスターの両親はきちんと描かれているのに何故エマの両親は触れられないのか、などいろいろ指摘できるでしょう。
 でも本作は、なにはともあれアン・ハサウェイの映画であって、そんなあれやこれやなどどうでもよく、シーンが変わるたびに違ったファンションで現れるアン・ハサウェイの魅力を楽しめばいいのでしょう(さらに、冒頭に挙げました「長い間友達関係だった」という点は、彼女のような清純派にとり、まさにうってつけの設定と言えるのではないでしょうか)。



 クマネズミにとっては、『プラダを着た悪魔』(2006年)以来のアン・ハサウェイですが、まだ29歳なのですからもっともっと頑張ってもらわなくてはという気持です。

(2)本作のように日付に意味がある映画といったら、『(500)日のサマー』が思い浮かびます。
 と言っても、もちろん『(500)日のサマー』の方は、本作のように具体的な年月日が出てくるわけではありませんし(注8)、本作のように23年間という長期間ではなく、およそ1年半という短い期間を扱っているにすぎません。また、『(500)日のサマー』では、本作のように時間が単線的に流れるのではなく、行きつ戻りつしながら描き出されています。
 ですが、出会いの日から何日が経過したのかを数字で具体的に示し、それに深い意味合いを持たせている点で、本作と通じるところがあると思います。

 少しだけ申し上げると、『(500)日のサマー』の主人公・トムは、グリーティングカードの会社に勤めるカードライターで、スタッフ会議で紹介されたアシスタントのサマーに目を留めた日が、画面に「(1)日」と表示されます。
 さらに、付き合いだした二人が、一緒にIKEAへ行って陳列されているベッドに寝転がったりした後、トムの家に行ってベッドインしたのが「(34)日」。
 ですが、「(259)日」になると、サマーにしつこく言い寄ってきた男から彼女を守ろうとして殴り合いの喧嘩をしてしまったトムに対して、彼女は「助けなんかいらないから二度としないで」と言い、二人の間がしっくりといかなくなります。
 ついには、トムはサマーのすべてが嫌いになります〔「(322)」日〕。
そして、会社の同僚の結婚式へ向かう電車の中で、サマーがトムを見つけ、金曜日のパーティに誘いますが〔「(402)」日〕、その当日、トムはサマーの薬指に指輪がはめられているのを発見してしまいます〔「(408)」日〕。その後、……。

 さらには、『(500)日のサマー』は、本作の特徴として(1)で挙げた「お互いに強く引かれ合うものを感じながらも、ズーッと友達関係だったこと」にもある程度通じているようにも思われます。
 例えば、上にあげた「(259)日」の場合、さらにサマーは「私たちは友達なの」と言っているのです。これに対し、トムは「友達じゃない」と言い返しますが、サマーは「あなたが好きなだけ」と答えたために、トムは怒って出て行ってしまいます。
 本作の場合、友達関係とは深い性的な関係を持たないことを意味しているように思われ、他方『(500)日のサマー』におけるサマーは、性的な関係がありながらも運命的な結びつきが感じられないのを友達関係とみなしているようで、両作の間には違いが認められますが、いずれにせよ結婚関係に至らない点は類似していると言えそうです。

(3)渡まち子氏は、「23年間に渡り、7月15日だけを切り取って綴る異色の恋愛映画。スクリーンに描かれない余白を想像する作品」だとして60点をつけています。




(注1)ディクスターに密かに憧れていたエマは、一大決心をしてベッドインに臨みますが(トイレの鏡に映った自分に対して、「ビビるな」「しくじるな」と言い聞かせます)、ディクスターの方は、エマと遊び心で付き合うつもりだったため、重荷になることを恐れて「友達のままでいよう」と言ってしまいます。

(注2)エマが留守の時にイアンは、彼女が書いていたノートを盗み見てしまいます。それを知ったエマは激怒しますが、イアンの方は、「君が思っているよりよく書けているよ」と言います。実際、後にそれは出版されて、エマは原稿料を手にすることができるのですが。

(注3)売れなくなったディクスターは、大学時代の同級生が経営するレストランで働くようになりますが、なんとその同級生とシルヴィができてしまうのです!
 ちなみに、以前そのレストランで開かれた友人の結婚披露宴の際に、ディクスターとエマは再会し、ディクスターはエマに自分の結婚式の招待状(8月14日の開催)を手渡します。

(注4)エマは、その頃ジャズピアニストのジャン・ピエールと付き合っていましたが、出会った彼女と別れてロンドンに戻ろうとするディクスターの後を追いかけます。

(注5)2005年の7月15日には、ディクスターとシルヴィとの間にできた娘が、ディクスターとエマの家にやってきます(娘は、ディクスターの同級生の運転する車に乗って、シルヴィと一緒にやってきます!)。後でエマは、「愛する人の子どもが欲しい」と言い出します。

(注6)その日は7月15日で、映画を見て食事をすることになっていました。

(注7)2006年に交通事故でエマが亡くなった後、ディクスターはすさんだ生活に陥っていまいますが、父親が彼に、「エマが生きていると思ってやってみたらどうだ」「私は10年もそうしてやってきている」と忠告すると、ようやく彼も立ち直ります。
 映画の現時点である2011年の7月15日には、ディクスターは、最初に出会った頃にエマと一緒に上った丘(エディンバラ)に、今度は娘と登ります。

(注8)「(500)日」が5月23日の水曜日とされているところから、2007年ではないかと推測されます(ちなみに、最初に出会ったのは、前の年の1月8日)。




★★★☆☆




象のロケット:ワン・デイ