映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ジーン・ワルツ

2011年03月06日 | 邦画(11年)
 遅ればせながら、『ジーン・ワルツ』を渋谷TOEIで見てきました。

(1)本年の出だしは、ここまで邦画でよさそうなものが少ないため、逆に洋画の方でいい作品・面白い作品が目白押しということもあって、邦画対洋画の比率が酷く洋画の方に偏ってしまっています。そうした事態を立て直そうと、この作品を選んでみました。

 こういう出産を巡る映画では、女性が話の中心となるのは当然のところ、むしろ男性がどう取り扱われているかで良し悪しが決まってくるのでは、と男性のクマネズミは密かに考えています。
 ソウ思ってこの作品を見てみますと、男性について、全く描かれてはいないか、描かれていても女性の添え物的存在としてしか役割が与えられていない、あるいはマイナスのイメージを醸し出す存在として取り扱われている、そういった大層貧しい印象を受けます。

 描かれていない男性というのは、主人公の曽根崎医師(菅野美穂)が院長代理としてサポートしている産科医院・マリアクリニックの院長(浅丘ルリ子)は、末期癌を患う身なのですが、夫はいません。
 また、原作(海堂尊著)では、主人公の曽根崎医師は、物語の途中で夫の伸一郎との離婚手続きしをますが、映画では主人公は自分の結婚に全く触れることがありません。
 それはともかく、マリアクリニックで出産することになる20歳の青井ユミ(桐谷美鈴)は、シングルマザーとなります。
 それに、55歳という高齢出産する山咲みどり(風吹ジュン)も、生まれてくる赤ん坊の父親のことは明かしません(観客は、オボロゲに様子が分かって来ますが)。
 あたかも、男性は出産に当たって不要と言っているかの如き印象を与えます。

 また、女性の添え物的存在というのは、39歳で出産する荒木浩子(南果歩)の夫(大杉漣)とか、27歳での出産を控えている甘利みね子(白井美帆)の夫(音尾琢真)です。
 とはいえ、出産時における夫の役割は、昔から添え物でしかなかったのかもしれません。ただ、最近では、分娩室に入って妻を励ましたりするようにもなってきているところ、本作品では、大杉漣はドアの外で待ちうけるだけですし、また音尾琢真も写真に収まる存在にすぎません。

 さらに、マイナスのイメージを醸し出す存在とは、准教授・清川吾朗(田辺誠一)の上司にあたる屋敷教授(西村雅彦)とか、マリアクリニックの院長の息子の産科医(大森南朋)でしょう。
 前者は、相も変わらず“白い巨塔”的な権威を振り回すだけの男として描かれていますし(自分の意に沿わないマリアクリニックを潰せ、と准教授に命じたりします)、後者は出産時の手術に失敗して妊婦を死なせてしまったことから、自己責任を強く感じてうつ状態となり、そこから立ち直れずにいます。

 ただ一人、ある程度の存在感を持って描かれるのが、准教授の清川でしょう。理恵が、大学の外に出て現在の医療制度を変革していくのだと言い張るのに対して、彼は、大学の中にいて、すなわち現在の医療制度の中にいて、内側から改革を進めていくと宣言します。
 それで、ついには屋敷教授の後釜に滑り込んで、大名行列と言われる教授回診をする様子が映し出されます。
 ただ、彼は、屋敷教授から「マリアクリニックを潰せ」と命じられながら、逆にそこでの帝王切開手術に協力してしまうわけで、にもかかわらず何故教授に就けたのか、いまいちピンときません。
 なお、清川を演じたのは田辺誠一ですが、やや線が細く、“白い巨塔”をうまく泳ぎ抜くタイプというよりも、企業の営業マンといった感じがしてしまいます。あるいは、『ハッピーフライト』の大勢のスチュワーデスに囲まれているイメージが強く残っているからなのでしょうか?




 それなら女性の描き方はどうなのでしょうか?
 男性の場合とは打って変って、かなりしっかりしたポジティブな描き方になっていると思います。特に、マリアクリニックの院長の存在は重要でしょう。なにしろ、末期癌で寝たきりながら、医師・助産婦の数が足りないと分かると(3組の同時出産に際して、理恵と清川しかいないのです)、ベットを抜け出して青井ユミの赤ん坊を取り上げることまでやってのけます。
 この役を演じた浅丘ルリ子は、素晴らしい演技を見せてくれます。現在、元気なお祖母さん役には加賀まり子が定番になっていますが、どっこい浅丘ルリ子は、こうした凛々しい院長役だったら、うってつけではないでしょうか。



 そして、主人公の曽根崎理恵です。大変論理的で冷静に振る舞える理知的な女性として造形されて、逆にあまり人間味を感じさせないほどです。こうした人間が、産科医という医者の中でも人間的な要素が濃いと思われる分野を選択したいきさつを、かえって知りたくなってしまいます。
 それはともかくこうした役柄を、菅野美穂は随分と頑張って演じていると思います。ただ、その頑張りが表に出過ぎてしまったのか、前作の『パーマネント野ばら』で感じられた彼女の魅力がやや失せてしまっているのでは、と思えたところです。




 これらの登場人物が物語を展開させるわけですが、ドラマのクライマックスでは、マリアクリニックで診てもらっている3人の妊婦の出産時期が同じ日に重なってしまい、そのうえ同日には台風の直撃があって、倒れてきた大木で診察室が使えなくなったり、ついには電気まで止まってしまう事態になります。
 映画全体が生命誕生に至るドラマを描き出そうとする作品としたら、その映画的クライマックスとして台風の直撃という設定をもってくることは、すごいアイデアではないかと思います。なにしろ、交通機関がすべて麻痺してしまい(タクシーまでも)、マリアクリニックは完全に孤立状態に陥るのですから(助産婦がクリニックにやってこれなくなってしまいます)!
 ソウした状況下にあっては、理恵や清川が獅子奮迅の働きを余儀なくされるのはもちろん、末期癌療養中の院長の出番があっても、全然違和感を感じさせません。

 様々の問題点を指摘することは容易なことですが(注1)、生命誕生に至るドラマを描き、あわせて産科医を取り巻く厳しい状況を物語の中で観客に理解してもらう、という観点からは、まずまずの出来栄えといえるでしょう。

(2)この作品では、主人公の曽根崎理恵は、男性に従ってとか、男性と一緒になってなどとは考えずに、すべて自分の意志で物事を切り開いていこうとする強い人間として描かれていると思われます。そう思って見ると、先に見た『愛する人』においてナオミ・ワッツが演じた弁護士エリザベスに通じるものがありそうです。
 なにより、両者とも出産に関与するのです。一方のエリザベスは、妊娠して産婦人科医のところまで出かけて行くものの、自然分娩にこだわったため出血死してしまいますが(注2)、他方の理恵の方は、産科医というだけでなく、卵子を取り出すべく、子宮摘出手術を清川のメスで行ってもらいます(清川にはその事情を明かさずに)。
 また、エリザベスは、法律事務所の上司とのセックスにおいてみずからリードしますが(隣家の夫を誘惑するのもエリザベスの方からです)、理恵も、清川の精子を獲得すべく、唐突に彼をベットに誘います(注3)。
 こうした理知的で意志の強い女性を描く傾向が、ほぼ同時期に公開された邦画と洋画で見られるということは、これから制作される映画の方向性をも暗示しているのでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「生命誕生というテーマはなるほどシリアスなものだが、問題が大きすぎて掘り下げが浅い。これでは感動したくても難しい。……不妊治療、中絶、無脳症という難病、高齢出産などが描かれる。だが、詰め込みすぎて、すべてが薄味なのだ」。「菅野美穂はふわふわした浮遊感が独特の魅力の女優で、つらい過去を乗り越え、鉄壁の意思で医療に取り組む天才医師の役には明らかに不向きだ。ヒロインを全面的には応援できないはずの清川の態度がコロリと変わる展開も、都合が良すぎる」。「それでもこの物語で描かれる、異なった立場から医療を変えていこうとする人間がいることには希望を見出した」として50点を与えています。



(注1)この映画をミステリーとして見ようとすると、どこが謎なのかという疑問が湧いてしまうでしょう。あるいは、代理母の山咲みどりが生む子供の両親は誰なのか、という点なのかもしれません。
 ですが、映画ではあまりその点が重要視されてはいないような感じを受けます。なにしろ、その父親と目される人物は、そのことに気づいていながらも深く追及しようとはせず、赤ん坊の存在すら念頭にないかのように振舞っているのですから!

(注2)単なる推測ですが、エリザベスの死は、癒着胎盤による大量出血が原因のように見え、仮にそうだとしたら、本作品の冒頭において、マリアクリニックの院長の息子が妊婦を死なせてしまうところ、それと類似する状況と思われます(本作品の場合、事前に診断が可能だったとして、彼は逮捕されてしまいます)。

(注3)この物語にあっては、映画ではカットされていますが、本来的には原作のように、離婚した夫の存在が重要な要素だと思われます。というのも、顕微授精の場合、授精卵は複数個子宮に戻され、そのうちのどれが着床するかは前もってわからないようにしているのです。そして、原作では、理恵の母親の子宮に戻された3つの授精卵のうち、2つは清川と理恵のものですが、もう1つは前の夫と理恵のものとされているのです。映画のように、前の夫・伸一郎の存在がカットされてしまうと、授精卵はすべて清川と理恵のものになってしまい、不確定な要素が消えてしまいます。



★★★☆☆




象のロケット:ジーン・ワルツ