映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

理系・文系(下)

2009年10月12日 | 
4.『文系?理系?』
 としたところ、最近、志村史夫著『文系?理系?』(ちくまプリマー新書120、2009.10)という中高生向きの新書が出版され、ナントその中でも「地球温暖化問題」(注1)が取り上げられているではありませんか!



 著者は、「大気中に占めるCO2の割合は、水蒸気の100分の1ほどの0.035%です。このようにわずかなCO2の増加が「地球温暖化」の主因になり得るのでしょうか。私は、さまざまな科学的見地からも歴史的事実からも、断じてあり得ないと思います」(P.147)と述べます。

 著者は、「マスコミの報道を鵜呑みにし、マスコミに振り回されることなく、ものごとを科学的に考える習慣をつけることも、さまざまな勉強の大切な目的の一つ」だとして、このように主張します(P.149)。
 要すれば、ワケの分からない人たちがマスコミを通じていい加減なことを主張しているが、「理系」の志村氏のように「科学的に考え」れば、その主張に問題があることがたちどころに理解出来るのであって、やっぱり「理系」的なものの考え方が必要だ、ということでしょう。

 でも、元々の「地球温暖化」の議論は、マスコミが言い出しっ屁ではなく、いわゆる「理系」の人たちが持ち出してきたはずでしょう?そして、上記の塩谷氏のような「理系」の人たちが、マスコミを通じてソレを増幅し早いとこ抜本的な対策を取らなければと声高に叫んでいるのではないのでは?その挙げ句が、「理系」の鳩山総理による「温室効果ガス25%削減宣言」でしょう!

 こういった動きに対して、同じ「理系」の志村氏(静岡理工科大学教授)が強く批判し、「ものごとを科学的に考える習慣をつけること」が重要だと主張しても、それを読む中高生たちは「科学的に考える」とはいったい何だということで一層混乱してしまうのではないでしょうか?

 むろん、志村氏は、「科学的態度」とは「きちんと筋道立てて考える」ことだと最初の方で述べていますから(P.32)、ここでもそういった幅広い意味合いで使っているのであれば、あるいは受け入れることもできましょう。

 ですがこの本は、全体として、「数学や物理などの理科系科目(特に数学)が嫌いな人、苦手な人」(P.12)である「文科系の人」に対して、それらが「好きな(嫌いではない)人、得意な(不得意でない)人」(P.11)である「理科系の人」に属する筆者が、中高生に対して、理科系的なものの見方は重要だし面白いよ、と主張しているのです(注2)。
 さらには、「「文科系の人」と「理科系の人」の〝筋道〟に違いがあ」って、前者の「基盤は〝個別的〟、〝地域的〟になる傾向があ」るが、後者の「基盤は、その理屈を考える自然科学から導かれる宇宙規模で普遍的な自然の摂理」であり(P.30~P.31)、特に、「数学」(なかでも微分・積分)は「筋道を立てて考えることを教えてくれる、またその訓練をしてくれる最たるもの」だそうです(P.177)。

 ここまでくれば、上記の「科学的態度」とは、やはり「数学が得意な人」のものの考え方だということになるでしょう。となると、「地球温暖化問題」を巡る論争は、同じ「理科系の人」の間での話ということになり、私のような「文科系の人」としては、「筋道」に違いがあるわけですから、この問題に対してどのような態度を取ったらいいのか、途方に暮れてしまいます。

(注1)「上」では「気候変動問題」としていましたが、「下」では一般によく使われる「地球温暖化問題」といたします。
(注2)本書では、「これから求められるのは「文芸理融合」型人間」だとか、「「理科系の人」には「文科系の素養」を大いに高めてただかなくてはなりません」などと述べられているものの、P.50以降本書の末尾までの全体の4分の3は、理科系科目に属するトピックしか取り上げられていません!
   

5.『理系バカと文系バカ』
 実は、冒頭で触れた小飼弾氏のブログでは、『日経サイエンス』に掲載された塩谷氏のエッセイに言及しているだけでなく、4月24日の記事においては、竹内薫著『理系バカと文系バカ』(PHP新書586、2009.3)が紹介されています(注1)。



 そして、この本でも「地球温暖化」の問題が取り上げられているのです!それも、なぜか上記の志村氏と同じように、著者の竹内氏も、「現在の地球温暖化問題については2つの疑問がある」として、「実際にCO2の濃度が上がっているのか」という点と、「それは人間のせいなのか」という点を挙げています(P.190)(注2)。
 その上で、こうした疑問を検討することによって「理系センス」が磨かれるとしています。

 ですが、そもそも「地球温暖化」を巡る議論は、「理系センス」を持った専門家たちが持ち出してきたわけですから、非専門家がこの問題に首を突っ込んでその乏しいセンスを磨いたとしても、行き届いた理解が出来るようになれるとはトテモ思えないところです。

 なお、本書は、科学・技術の分野で直ちに取り組まなければならない問題をいくつか取り上げていて、その点は高く評価できると思います(注3)。
 ですが、それだけを述べたのでは、いくら内容が良くとも一般人の興味を惹かないでしょう。そこで、「理系バカ・文系バカ」といったドギツイ言葉をちりばめながら面白オカシク話が進められています。
 ただそうなると、本書が「科学的根拠はいっさいない」(P.38)と批判する「血液型性格分類」とか、国民性や県民性を巡る議論といったものと同じ穴の狢になってしまうのではないでしょうか(注4)?

(注1)著者の竹内氏は、前者の疑問については「温暖化が進めば50年後ぐらいには平均気温はこうなる。温暖化が起きると台風などが増え、勢力も大きくなる」などといった、気候学者の説明を掲げ、後者の疑問については、人間も関係しているが、宇宙的な環境も関係している」とする地球物理学者や宇宙物理学者の説明を挙げています。
(注2)節の末尾に、「いずれにせよ、「環境問題」について、地に足のついた議論をするためには、理系的思考と文系的思考の両方が求められるだろう」と述べてありますが、とすると「理系センスを磨く」という話はどこへいってしまうのでしょうか?
 なお、「理系センス」を取り扱っている第4章には、「間主観性とは?」という節があって、「「物理学」には「間主観性」という考え方がある」と述べられているところ、「間主観性」といったら、一般的にはむしろドイツの現象学哲学のフッサールを想起すべきではないでしょうか?
(注3)著者が本書で特に言いたいのは、第3章で述べている点ではないかと思われます。
 すなわち、著者は、科学系論文数の伸び率の低下(P.137)、物理学専攻の学生数の激減(P.138)、技術者不足(P.143)、進学するにつれて理科離れ(「算数・数学離れ」も)が増えていくこと(P.145)、科学雑誌(科学書も)の売行きの悪さ(P.153)、といった日本特有の現象をいくつも指摘します。
 その上で、著者のような「サイエンスライター」とか「科学コミュニケーター」の「人材育成と格上げ」が「科学を社会に普及させるためには必要不可欠だ」と主張し(P.162)、さらには、「教育現場の雰囲気」にも問題があり、特に日本の奨学金制度の貧困さ加減についても指摘がなされています(P.174)。
 本書で指摘されている様々な問題点はまさにその通りだと考えられ、早いところ何らかの手を打たないと事態は大変なことになると思われます。その意味で、なにはともあれ、こうした本がベストセラーになったことは慶賀すべきと思います。
(注4)面白オカシイ話の方に興味が集中してしまい、上記注3で取り上げたような著者の言いたいことは二の次になってしまう恐れがないとは言えません。
現に、小飼氏は、「本書の主張も、本blogの主張とほとんど変わらない」とし、「「理系文系」問題というのは、実は適性の問題ではなく、教育コストの問題という結論に達する。そして日本は、理系教育コストが高く、そしてそれを当 然のこととして受け止めているふしがある。科学雑誌はなぜこんなバカ高なのだろう?なぜ奨学金制度がこれほどしょぼいのだろう?文理の分離は、実は格差の固定の一環なのである」と述べていて、本書を自分の「理系・文系」の議論の中に取り込んでしまっています(でも、「しょぼい」奨学金制度は、何も「理系」に限った話ではないのでは?)。

6.おわりに
 「地球温暖化問題」は、専門家・非専門家がそれぞれ自分の得意とするアプローチで誠実に議論すれば(注1)、そのうちに解決の糸口が見えてくることでしょう。むしろ、理系・文系の話を持ち出すことによって、議論はヨリ混迷してしまうのではないかと思えます。

 ここでは「地球温暖化問題」に焦点をあててしまったために、専ら「理系」にかかわる議論になってしまいましたが(注2)、何はともあれ理系・文系にかかわる話は、総じてティー・タイムの話題にとどめておくべきではないでしょうか?

(注1)社会学者の宮台真司・首都大学東京教授の『日本の難点』(幻冬舎新書122、2009.4)の第5章「日本をどうするのか」では、次のように述べられています。
「最近「環境問題のウソ」を暴く本や言説がブームです。僕は爆笑します。「温暖化の主原因が二酸化炭素であるかどうか」は指して重要ではないからです。なぜなら、環境問題は政治問題だからです。そうである以上、「環境問題のウソ」を暴く本が今頃出てくるのでは、15年遅すぎるのです」(P.225)。
 要すれば、池田氏のように塩谷氏に噛みついたり、また志村氏や竹内氏のように、今頃になって「理系の人」の「筋道」に立ったり、「理系センス」を磨いたりして「地球温暖化の主因はCO2」との説に異を唱えても、それは最早時期遅れであって、「「負け犬が、今頃になって何を言っているんだ」というのが、欧州各国の日本政府や経済界に対する冷ややかな見方」であって、「そうした見方が完全に支配的である以上、日本の主張が国際政治を動かす可能性はありません」ということになるでしょう(P.230)。
 となると、9月24日の鳩山総理による国連演説(温室効果ガス25%削減宣言)についてはどう考えるべきなのでしょう?
 さすが「理系」の総理のことだけはあると絶賛すべきでしょうか(ニューズウィーク誌に掲載された米国在住の冷泉氏によれば「88点B+」とのことですが)?
 それとも、池田信夫氏のように、「物理的に不可能な目標を掲げ、「大和魂さえあれば何とかなる」と国民を鼓舞するのは、前の戦争に日本が突っ込んでいった時を思わせる」と嘆くべきでしょうか?
(注2)僅かな実例から一般論を引き出すのは危険なことながら、「理系・文系」の議論を持ち出すのは、どうやら「理系」の人が専らではないかと思われます。もしかしたら、塩谷氏が言うように、実力があるにもかかわらず「権力の座には遠かった」、とする事情が反映しているのでしょうか?

理系・文系(上)

2009年10月11日 | 
1.はじめに
 このところ、「理系」・「文系」という亡霊があちこちに出没して悪さ(?!)をしているようです。
 折も折とて、SE兼マンガ家よしたに氏が描く漫画「理系の人々」も、この10月6日より場所を変えて新たに連載されることになりました(コレまでの連載分はここで)。
 そこで、ちょっと目に止まったものを2回に分けて取り上げてみることといたしましょう。

2.政治の世界
 小飼弾氏のブログ「404Blog Not Found」の10月5日の記事に、『日経サイエンス』11月号には「理系政権?の持つ意味」というエッセイが載っているとあったので、早速読んでみました〔この論考は、日経新聞論説委員・塩谷喜雄氏が『日経サイエンス』で連載中のコラム「いまどき科学世評」に掲載〕。




 エッセイの冒頭、伊賀忍者と甲賀忍者の抗争めかして、「日本列島の支配をめぐって、闇に潜む2つの勢力が、暗闘を繰り返してきた」とあり、なんのことかと読者の気を惹きます。
 筆者の塩谷氏によれば、この2つの勢力は「力は拮抗しているのに、勝負は常に一方的だった」ようで、一方の「「文」を旗印に掲げる潮流」が「人心を集めて君臨してきた」のに対し、他方の「「理」を掲げる潮流」は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠くとして権力の座には遠かった」とのこと(注1)。

 ナンダこれなら、従来より世間(特に、政治の世界)では「文系」が「理系」よりも幅を利かせてきた、という巷でよく耳にする話でしょう(注2)。

 とはいえ、その勢力分布図が、今回の鳩山由起夫氏の総理就任で、大いに書き換えられるかもしれないのです。何と言っても鳩山氏は、「東大工学部で計数工学を学び、米スタンフォード大学で博士課程を修了」(Ph.D.を取得)しているのですし、「副総理・国家戦略担当としてナンバー・2を務める」菅直人氏も「東工大卒」(理学部応用物理学科)なのですから!
 外国を見渡すと、サッチャー元英国首相は「オックスフォード大学で化学を学」び(専門はコロイド化学が専門)、ドイツの現首相のアンゲラ・メルケル氏も「物理学の学位」を得ているとのこと(現ライプツィヒ大学を卒業後、旧東ドイツの科学アカデミーで量子化学を研究、理学博士号を取得)。

 今回の民主党政権樹立によって、漸くわが国も西欧並みになったというところでしょうか(でも、アメリカやフランスの歴代大統領のうちに理系出身者がいたという話は、あまり聞いたことがありませんが?)。

 そしてどうやら塩谷氏は、「科学や技術の持つ普遍性や合理性を、政策判断に取り入れなかったことで、論理的結論を出さないまま既得権益を温存する政策ばかりが実行されてきた」これまでの状況が、今回の政権交代で「理系」が「権力の座」を占めたことによって、覆されるのではと強く待ち望んでいるようです。

 特にそれが期待されるのが「気候変動問題」の取扱い。何しろ、「科学を軽んじる言動を続けていた」ブッシュ前大統領と同じく、「麻生前首相も、経産省や経団連の説明を鵜呑みにして気候変動問題の本質的理解を避けた結果、世界から失笑を買う目標しか掲げられなかった」のですから!

(注1)「理系」の小飼弾氏のブログ(06年9月1日)は、「理系はよく内省する一方、視野が狭くなる傾向はあるかと思う。理系にとって、自分に見えない世界は世界ではないのだ。そこもまた、正しさはさておき過程と物語で見えないものを演繹する文系に付け入られる隙ではないのだろうか」と述べています。
(注2)小飼弾氏のブログ(08年10月7日)によれば、いつも「理系」が不利というわけではなく、例えば、「実際、「理系はもてない」というのは「まんじゅうこわい」のたぐいではないかというのがオレ統計。…文系と理系では理系の方がカレカノがいる率が高い」ようです!

3.気候変動問題
 塩谷氏は、「初の理科系政権」の活躍を「科学的に見守りたい」と、エッセイの末尾で述べているくらいですから、必ずやこの「気候変動問題」についても、十全な「科学的な認識」をお持ちのことと推測されるところです。

 ところが、やや昔のことになりますが、気鋭の経済学者・池田信夫氏がそのブログ(2008年7月20日)で、次のように塩谷氏の「気候変動問題」を巡る見解に激しく噛みついています(注1)。
「きょうの日経新聞の「中外時評」で、塩谷喜雄という論説委員が「反論まで周回遅れ」と題して、最近の温暖化懐疑論を批判している。彼によれば、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は第4次報告書で人為的温暖化の進行を「断言」したのだそうだ」。しかしながら、「原文を読むと、……むしろ慎重に「断言」を避けている」のであり、また、塩谷氏が「「査読つき論文誌では異論はゼロに近い」というのも嘘である」云々。

 仮に池田氏の言い分が正しければ(注2)、東北大学理学部卒である「理系」の塩谷氏は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠く」というより、むしろ〝単に頭が固くて「柔軟性を欠」いている〟と批判されても仕方がないかもしれません。

 そして、「理系」「文系」という議論の仕方自体が疑問に思えてきます。「理系」の人だって、「自然科学や技術体系が持つ哲学的な意味、普遍性、国際性、合理性、論理性、予見性」といった特性を身につけていない場合もあるようですから!

(注1)あるブログによれば、池田氏が問題にしている日経新聞の「中外時評」(7月20日)に掲載された塩谷氏のエッセイ「反論まで周回遅れ―温暖化巡る日本社会の不思議」の冒頭は次のようです。 「科学的には決着している地球の温暖化について、ここに来て「温暖化と二酸化炭素の排出は無関係」と言った異論・反論が一部の雑誌メディアを騒がせている。……四半世紀の間、世界の科学者を集め、情報を積み重ねて気候モデルによる解析を続けてきた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、昨年第四次報告書で人為的な温暖化の進行を「断言」した。これまで慎重に科学的な姿勢を貫き、断言を避けてきた組織が、ついに結論を世界に示してのだ。……IPCCはついに「断言」という伝家の宝刀を抜いた」。
(注2)あるいは、安井至・東大名誉教授の言うように、「「中外時評」の書き出しの文章である「科学的に決着した温暖化」という表現は、単独で読む限り、誤解を招くおそれがある」くらいが穏当なのかもしれません。  なお、本問題については、このブログに旨くまとめられていると思います。

古代の富山

2009年10月04日 | 
①はじめに―映画「劔岳 点の記」

 3ヶ月以上前に見た映画のことで恐縮ですが、映画「劔岳 点の記」には、始めの方に「富山驛」のシーンがあるところ、実際の駅全景の撮影は、富山地方鉄道「岩峅寺(いわくらじ)駅」で行われています。 


(画像は現在の岩峅寺駅:「長者丸作業部」による)

 この駅舎は、大正10年(1921)に建てられ、神社風の破風屋根を持つ駅舎としては富山県唯一というところから、ロケ地に選定されています。
 映画の舞台が明治40年頃という設定なので、掲示板に貼られているビラなども当時のものを再現したりしているようです。 

 このシーンばかりでなく、そのころの雰囲気を出すべく、映画では様々な工夫が凝らされています。
 例えば、富山駅のプラットホームに降り立った柴崎(浅野忠信)を長次郎(香川照之)が出迎えるシーンは、明治村の「SL東京駅」(保存建築物ではありませんが)で撮影されましたし、柴崎夫婦の新婚家庭としては、明治村にある森鴎外・夏目漱石住宅が使われました。

 映画「劔岳 点の記」は、監督の木村大作氏が細部の細部にまでこだわった作品で、オールロケの山岳シーンだけでなく、こうした歴史的な過去に関わるシーンにも、監督の繊細な配慮が行き届いています。

②立山信仰

 こうなると、映画に関連して、こちらも何かこだわってみたくなります。
 例えば、剣岳のある富山県の昔についてはどうでしょうか?

 映画では「立山信仰」のことが描かれています〔岩峅寺の「立山曼荼羅」が映し出されます〕。なにより、柴崎らがやっとの思いで剣岳山頂を登頂したと思ったら、驚いたことに、千年以上も昔に修験者が既に登頂していた証が見つかりました。過去のことが気になっても当然でしょう。
 〔ちなみに、「岩峅寺」は、江戸時代に盛んになった立山信仰の拠点でしたが、明治になってから廃仏毀釈運動によって廃寺に追い込まれ、雄山神社に改組されてしまいました〕


(画像は立山曼荼羅)

③『越と出雲の夜明け』

 その際に導きの糸の一つとなりうる素晴らしい著書があります。先の「邪馬台国を巡って」の「」と「」でご紹介した在野の古代史研究者・宝賀寿男氏が著した『越と出雲の夜明け―日本海沿岸地域の創世史―』(法令出版、2009.1)です。



 もとより、本書は富山県史ではありません。著者が得意とする古代史分野の豊富な知見等が様々に動員されて、「日本海沿岸地域の創世及び交流」に関して実に斬新な分析がなされています。
 としても、「越後から但馬・因幡さらには出雲にかけての日本海沿岸地域」(P.373)を一つのものとして記述しているわけではなく、年代及び地域の差異を踏まえて7章から構成されていて、そのうちの第六章と第七章とが「越中」に充てられています(言うまでもなく、各地域の相互交流にも目が配られているところです)。

④古代の富山

 そこで、第六章「高志之利波臣の起源」を少しばかり覗いてみることといたしましょう。
 まず第六章の冒頭には、「巡り合わせで平成5年(1993)夏から富山県で勤務することになって、同地を含む北陸地方の古代史について、現地に即して検討する機会を得た」(P.296)とあります。この著書を著す契機として、重要な地域にもかかわらず従来から研究の積み重ねが余り見られなかったという客観的な事情のみならず、個人的な事情にあったことがわかります。

 さて、「越中を含むコシ(越、高志)の地域は、時代によりその範囲を変えてきたが、現在の富山県と等しい越中国の成立は、大宝2年(702)のことである」というところから本論が始められます(P.297)。

 「ここに至るまでの上古代の越中地域の歩みについては、まるで分からない状況」としながらも、著者は、「弥生後期から末期にかけての有力者の墳墓」が二つの遺跡で発掘されたことや、「これら遺跡と時期をほぼ同じくして、富山平野に発生期古墳ないし弥生墳丘墓とみられる「ちょうちょう塚」が築造された」こと―富山平野に最初に君臨した王者(首長)の墓とみる見解がある―に注目しています(P.297~P.298)。

 また、主に島根・鳥取両県に集中する形式の墳墓(四隅突出形墳丘墓)が富山県で7基もみつかっており、そのことから「日本海をルートとして、山陰と北陸とが密接に交流していたことが分かる」と述べられています(P.298)。

 次いで、「畿内の大和朝廷の勢力が越中に及ぶのは、4世紀前葉の崇神朝における大彦命の越遠征かその関連によるとみられる」と進みます(P.300)。
 ここで、著者の瞠目すべき見解が述べられます。すなわち、「戦後の古代史学界にあっては、…総じていえば、大彦命を含めて四道将軍の派遣や、崇神天皇の実在性を否定する見解が大勢である」が、しかし「日本列島各地域の古墳時代の開始が大和朝廷の勢力伸長の動向とほぼ軌を一にして、その時期が4世紀前葉にあたることからいって、当時の大王として崇神の存在はむしろ自然である」(P.300)。

 さらに越中と大和朝廷との接触が、崇神の次の垂仁朝における「阿彦叛乱と征討」に際して見られ、「4世紀中葉の景行朝になると、吉備武彦の一隊の通過」があったと辿られます。この「阿彦」という者の叛乱に着目したところに、本著全体の立論の基礎の一つがあるといえ、この事件と後世への影響を重視している点が従来の見方から大きく踏み出した新鮮なものです。

 加えて、越中の地に関係する白鳥伝承は記紀に2つ記載されていて、その一つが垂仁記にある「ホムチワケ王に関係する鵠(ククヒ:白鳥)の捕獲譚」(P.301)であり、もう一つは仲哀朝のこととされる白鳥献上の伝承だと述べられます(P.302)。

 以上を踏まえて、「記紀等に記される崇神~仲哀朝の所伝からいって、4世紀の越中は中央との交渉がかなりあったことが分かる」とまとめられます(P.303)。

 ここからも第六章の記述はさらに続きますが、長くなりすぎてしまいますので、このあたりで止めておきましょう。

 ただ、最後に取り上げた白鳥伝承に関しては、本書の第七章で詳しく検討されていることを申し添えます〔この場合、崇神天皇の実在性を巡って上記したのと同様の観点から、「ホムチワケ関連の白鳥伝説は史実であり、白鳥を追って越中に到った鳥取部の一族が、婦負郡を中心とする越中の開拓者であったこと」が述べられます(P.353)〕。白鳥を追った人々が近世・現在の富山の産業面にもつながるのではないかという指摘は、興味深いものです。

 また、本書は日本海沿岸地域の古代史(特に、上古史)を検討するものですから、映画「劔岳 点の記」に出てくる立山信仰は主題的に取り扱われてはおりません(関連する白山・弥彦の信仰は第五章に記されます)。それでも、第七章の末尾近くにおいては、「越中でも、新川郡は良質の褐鉄鉱山が多く、この開発が立山開山縁起と結びつくという推測が木本秀樹氏よりなされて」いるとの記述がみられます(P.370)。

⑤おわりに

 富山県のみならず日本海沿岸地域の古代の有様について、地域内の交流に加えて中央との交流までも詳細に描き出している本書は、著者の富山県勤務の際に得た知見と、これまで著者によって積み重ねられてきた古代史研究とが、実に旨くマッチングした貴重な成果と考えます。

女の子ものがたり(漫画)

2009年09月23日 | 
 前日のブログで、映画「女の子ものがたり」に感動したと書きましたが、そうなると自ずと原作の漫画の方にも手を伸ばしたくなってしまいます。
 そこで書店に行ってみますと、映画と同じタイトルの原作本は、なんとハードカバーのオールカラーで、900円もの豪華本なのです!ですが、かまわず購入して読んでみました。

 すると、この漫画と映画のストーリーとがかなり違っていることが判明します。
 
 何よりも、原作には、深津絵里の女性漫画家とか雑誌の編集者などは登場しないのです。
 映画の方は、女性漫画家の“死と再生”の大人の物語であって、子ども時代の話はその転換の契機となっているのに対して、漫画の方はあくまでも子ども時代の話をその時の視点から描いています。

 ですから、映画の主人公が“きいちゃん”のお母さんから彼女の本当の気持ちを聞く場面―主人公が“再生”の糸口をつかむことになるシーン―とか、親友だった3人の取っ組み合いの喧嘩の場面―“きいちゃん”から「あんたなんかきらいだ」といわれて主人公は街を離れます―などの感動的なシーンは、原作にはありません。

 これらは、女性漫画家の立ち直りをより鮮明にするために、映画化するにあたって付け加えられたり書き換えられたりしたエピソードと言えるでしょう。
 この漫画を映画化するに際して、脚本・監督の森岡利行氏等のアイデアがかなり入り込んでいるもの思われ、映画と原作とは全くの別物という事情がここでも再確認されます。

 そうした違いはあるものの、原作で描かれている子ども時代の出来事のかなりのものが、映画に組み込まれています。中でも印象的なのは、クラスメイトに虐められている“みさちゃん”と“きいちゃん”を救ってくれた友達について、「わたしね/あんたのこと/だいっきらい/みさちゃんも/きいちゃんも/きらいだけど/あんたのことが/いちばん/きらい」と思ってしまうことでしょうか。

 ただ、いうまでもありませんが、映画で取り上げられなかったエピソードや画面にも、捨てがたいものがたくさんあります。
 たとえば、「(厳しい状況におかれたときは)自分の影をみてあてっこするといい。うすむらさきのにわとりとおおきなおたまじゃくしがみえる」として描かれている画面(第2話)とか、お墓の納骨堂を覗いて、「まっ暗でみえない中は/お母さんの三面鏡を少しあけてのぞいた時と同じで/なんにもないのにいろんなものがみえ」たりすること(第6話)、一人で退屈していると“なっちゃん”の体の中に入ってくる「にゅうにゅうさん」のお話(第9話)など。

 こうしてみますと、映画は映画としてなかなか良くできた作品と思われますし、また漫画の方も漫画として非常に優れた出来栄えとなっていると思われます。

小泉元首相のこと

2009年09月20日 | 
 ノンフィクション作家の佐野眞一氏が刊行する作品はなかなか優れたものが多く、以前は『東電OL殺人事件』(2000、新潮社)を読みましたし、最近では、講談社ノンフィクション賞を受賞した『甘粕正彦 乱心の曠野』(2008、新潮社)を読んでいるところです(注1)。
 そこで、筑摩書房が出しているPR誌『ちくま』の9月号に掲載された小泉元首相に関する論評「テレビ幻摩館14―小泉家の秘密」にも、早速目を通してみました。
 ですが、これはいただけません。

 その主だったところを抜き書きして綴り合せてみますと、次のようです。

 4年前の衆院選では、小泉純一郎が「自民党を圧勝に導いた。マスコミもこぞって小泉にエールを送った」。他方で、「あの時代、「構造改革」路線に賛成しない者は「非国民」扱いされて、袋だたきにされた」のだ。
 その「構造改革」路線とは、「小泉政権で経済財政政策担当大臣に抜擢された竹中平蔵のアメリカの意のままにふるまう〝売国奴〟的政策」なのである。
 こうして導入された「アメリカ流新自由主義」は、「すさまじい弱肉強食的風潮を生み、取り返しの付かない格差社会を出現させ」たのであり、「小泉政権発足以来、わが国の年間自殺者数はずっと3万人台を推移している」。
 ところで、「三代続けて政治家を輩出した小泉ファミリーには、新聞が決して書かない秘密がある。小泉の姉の別れた夫が前科15犯のコソ泥だったという事実である。姉とその男との間には娘がいて、その娘は小泉家に引き取られた」。
 さらに、「小泉が離婚したとき、子どもの親権をめぐって別れた妻側と血みどろの争奪選を演じた」。すなわち、「小泉の元妻とごく親しい関係者によれば」、長男と次男の「親権を取っただけでは満足せず、妊娠6ヶ月で離婚された元妻が一人で3番目の子どもを産むと、小泉家はその子の親権まで主張して、家裁の調停に持ち込んだという」(「家裁の調停では妻側の親権が認め」られる)。
 「こうした動きを終始リードしたのは、小泉の「金庫番」といわれた姉の信子だった」。
 小泉が離婚したのも、「女系家族の小泉家にとって「女王蜂」は二匹はいらない」からで、「こういう冷酷な家に育った男だからこそ、弱者切り捨ての政策を容赦なく進めることができたのだろう」。

 私は寡聞にして、小泉元首相の姉の別れた夫の話とか、元首相に3番目の子どもがいるとかの話は全然知りませんでした(注2)。
 こうした話が当時から一般に流布しなかったのは、小泉氏自身に直接関係のない他愛のない話のためにことさら報道されなかったのかもしれません。あるいは、鳩山代表の資金管理問題(注3)と同じく、記者クラブ制によるところがもしかしたらあるのでは、とも思われます(注4)。
 ですから、親族を巡る話を佐野氏がわざわざ出版社のPR誌で暴露したことは、鳩山代表の資金管理問題に関するマスコミの扱い方についての指摘と相まって、マスコミ批判という観点から、ある程度は評価できるかもしれません。

 とはいえ、今回の論評のように、親族の件と絡めて、現在盛んに議論されるようになった大きな問題の原因を小泉氏(さらには竹中氏)個人のせいにしてしまうのは、佐野氏が、表面上は反マスコミという姿勢を取っていながらも、実際のところはかえって現在のマスコミの強い流れ(反小泉とか反市場原理主義のキャンペーン、ひいては反米というナショナリズムの流れ)に棹差してしまっている、といえるのではないでしょうか?

 特に、格差問題とか3万人を超える自殺者の問題を小泉・竹中両氏に帰属させることなど、到底出来ない相談だと考えます(注5)。
 なにしろ、格差問題は、小泉政権の下でジャーナリズムでしばしば取り上げられるようになったとはいえ、政権発足以前から様々に注目を集めていたのであり(注6)、また、3万人を超える自殺者は1998年以来のことであって、2001年4月の政権発足よりも3年も前からなのです!

 佐野氏のような議論は、相手が視界から消えたり(小泉氏どころか自民党までも!)、仲間が周囲にいたりすると(民主党の圧勝!)、急に強がり出す輩がするものであって、相手の品位を問うどころか、逆に筆者のそれが厳しく批判されるところになってしまうのではないか、と思われます(注7)。



(注1)昨年の7月13日の朝日新聞書評で唐沢俊一氏が取り上げています。
(注2)いうまでもなく、佐野氏は、この論評で初めてこれらのことを取り上げたのではなく、つとに『小泉政権―非情の政権』(2004、文藝春秋)において詳細に述べています。ですから、今回の論評で「新聞が決して書かない秘密」と佐野氏が書くとき、“自分が著書で書いているにもかかわらず新聞が取り上げなかった秘密”という意味合いになるでしょう。
(注3)佐野氏は、本論評の冒頭で次のように述べています。「民主党代表の鳩山由紀夫の資金管理団体が、自民党でもやらなかったインチキ虚偽献金をしていたにもかかわらず、その問題を殆ど追求せずに、自民党から民主党への「政権交代」という読者に阿った大見出しを掲げることに血道をあげているマスコミ報道の方がどうかしている」。
(注4)ジャーナリストの上杉隆氏によれば、鳩山代表は、「それぞれの会見の中で、筆者の質問に対して、首相官邸における記者会見の開放を約束した」とのことですが、資金管理問題を有耶無耶の内に葬ってしまいたいのであれば、鳩山氏はこれまで通り記者クラブ制を継続することでしょう〔日経ビジネスの上杉氏による記事によれば、鳩山新総理の初会見からこの約束は反故にされてしまったようです〕!
 なお、鳩山代表の幸夫人について、AP通信は3日、「わたしの魂はUFOに乗って旅をした」との発言などを紹介し、「これまでにないファーストレディーになるだろう」と伝えているようですが、こういった報道が日本の大手マスコミでは余りなされないのも記者クラブ制によるのではないかと推測されます。
(注5)佐野氏は、本論評において、「もしこの政治的大犯罪を極東国際軍事裁判にかけるなら、小泉、竹中とも間違いなく「デス・バイ・ハンギング」である」とまで言い切ります。
(注6)格差社会論の第一人者である橘木俊詔・同志社大学教授が、岩波新書『日本の経済格差―所得と資産から考える―』を出版したのは、1998年11月のことです。
(注7)特に、「「煮干しにカツラをつけたような」宰相と竹中平蔵というちんちくりんの経済ブレーンコンビ」というような表現振りは顰蹙ものでしょう。

アニメにおける監督

2009年09月06日 | 
 前日のブログで長編アニメ「サマーウォーズ」を取り上げましたが、その際にこの作品における細田守監督のクリエイティヴィティについて少々疑問を感じると書きました。
 とはいえ、こうした長編アニメにおける監督の役割について、こちらに誤解があるのかもしれません。アニメ映画では画像こそが一番重要で、手塚治虫の作品のように、基本的な画像は監督が自分で作成する(アニメーターがそれを動かす)ものと当然の如く思っていましたが、どうやらそうでもなさそうなのです。

 そこで、丁度先月末に、キネ旬ムック「Plus Madhpuse」の3番目として『細田守』が出版されたので、簡単に目を通してみました。



 同書では、「『時をかける少女』から『サマーウォーズ』までの1000日」について、監督を含めた関係者の証言が時系列的に集められています(p.33~p.74)。 
 監督を中心に進行具合を拾い出してみると、あらまし次のようです。

 まず、細田監督と渡邊プロデューサーが『サマーウォーズ』に繋がる企画検討を開始したのは3年も前の06年7月21日(『時をかける少女』大阪公開日の前日)、今度は賢い男の子を主人公にしてはどうか、仮想空間と現実の世界を行き来するのはどうか、などを検討。
 8月には、渡邊プロデューサーと脚本家の奥寺氏との最初の打ち合わせ。
 年末に結婚して親戚が急に増えた監督から、翌年の07年4月頃、「例えば、ご親戚たちが世界と渡り合う話って、ちょっとおもしろそうじゃないですか?」という話が出る(注1)。
 07年4月に『サマーウォーズ』の脚本会議が本格スタート。
 8月末までにプロットが固まり(監督が自分で書いた)、最終的に「〝ラブマ〟で、家族アクション映画」という企画で行くこととなり(タイトルは渡邊プロデューサーの発案)、9月10日から奥寺氏に脚本の第1稿に入ってもらう。
 脚本の初稿が12月3日にできあがり、これを監督がプロデューサーらを交えて検討、以降この作業を繰り返して、翌年の3月10日の8稿で決定稿。
 08年1月から2月にかけて3回にわたり「キャラクターデザイン合宿」が行われ、監督が付きっきりで一つ一つのキャラクターがデザインされる。
 2月に、監督らが長野県上田市にロケハンに行く(同市は、戦国武将の末裔の話や、真田遺族の話などがあるだけでなく、監督の夫人の実家があるところ)。
 4月13日から、監督がミニコンテの作成にとりかかる。それに1ヶ月くらいかかった後、このミニコンテを元に監督が絵コンテを作成、11月7日にすべての絵コンテが完成。プロデューサーとの調整のうえ仕上げられる。
 この後監督は、声優を選定し(12月~翌年1月)、アフレコを行い(09年4月)、ダビング(09年6月)をして映画の完成(09年6月末)。

 こうしてみると、このアニメ作品における監督は、原作者としてのウエイトが相当大きいように思われます。勿論、プロデューサーも色々アイデアを出したり、挙げ句はタイトルまで発案していますからその役割は無視できないとはいえ、基本的には細田監督のオリジナルな物語に基づいて制作されたと言えそうです。

 ただ、そうなると、アニメ映画の要となる肝心の画像の方はどうなのでしょうか?
 キャラクターごとの原画作成は、キャラクターデザイン合宿で行われ、監督がソバにいたとはいえデザイナーの貞本義行氏が行ったようです(背景は、武重洋二・美術監督による)。
 そして、背景の中でキャラクターを動かしていく(キャラクターに〝演技〟をつける)のは、作画監督の青山浩行氏が中心となって行っています〔なお、以上は専ら、『サマーウォーズ』における「現実」の世界に関してで、もう一つ「OZ」の世界についても同じような役割を担った人がいます〕。

 要すれば、画像については、作画監督の青山氏が俳優であり(その顔はキャラクター・デザイナーが制作)、演技を指導しながら映画の中に納めていくのが細田監督ということでしょう。
 ですが、実写映画ならそれでも結構ですが、アニメ映画の場合には、なにか腑に落ちない感じがしてしまいます。原作とかコンセプトも確かに重要でしょうが、なんといってもアニメ映画なのですから画像が第一であって、それを監督が手がけないなんて、という思いが依然としてぬぐえません(煎じ詰めれば、漫画家ではない者がどうして監督になるのか、という疑問でしょう)。

 とはいえ、こうした見方は昔のやり方にとらわれ過ぎていて、現在のアニメ制作においては分業化が相当進んでいるようです。 
 昨年8月に見た『スカイ・クロラ』でも、その監督の押井守氏は、大雑把な絵コンテを作成しているだけで、脚本以下のことはそれぞれの専門家に任されているようです。

 少しばかりそちらを覗いてみますと、『スカイ・クロラ』には、押井監督やキャラクター・デザイナー、作画監督のほかに「演出」を担当する西久保利彦氏がいるのです。
 同氏によれば、「押井監督とは棲み分けがはっきりできているんです。建築でいえば、設計は押井監督、現場監督は私で、押井守が最初に絵コンテを描いて設計図を作り、それを僕が具体的にフィルムにしていく、という分担ですね。…押井監督は、…基本的には余り現場には来ない」とのこと(注2)。


 
 こうしてみると、『スカイクロラ』は、『サマーウォーズ』よりももっと分業体制が進んでいるといえそうです。

 結局、現在制作されているアニメでは、誰が画面を描いているかはさして重要ではなく、実写映画との違いは、極端にいえば、手書きのキャラクターが画面で活躍するということだけ、ということになると思われます(もしかしたら、同じようにデザインされたキャラクターが違う監督のアニメの違うストリーの中で動き回るということもあり得るのでしょう!)。

 私としては、そんな分業化が進んだアニメよりも、昔ながらの手塚アニメの方が楽しめる感じなのですが!

(注1)『サマーウォーズ』劇場用パンフレットには、「結婚した相手は親戚が多くて、しかもみんな仲がよさそうで。それまで一人だった人間が突然、大家族と出会ったときに感じる〝異文化体験〟を身をもって感じたんです。…そこで、家族というものを肯定的に描く映画を作りたいと考えるようになっていったんです」との細田監督の談話が掲載されています。
 とはいえ、「家族というものを肯定的に描く」ことと「大家族を肯定的に描く」こととの間には随分と隔たりがあるように思われるのですが。

(注2)『スカイ・クロラ ナビゲーター』(日本テレビ、2008.8)p.99。

20世紀ファッションの文化史

2009年08月31日 | 
 せっかくシャネルの映画を見たのですから、少しはファッションについて勉強してみようと思い立ち、京都造形芸術大学准教授・成実弘至氏による『20世紀ファッションの文化史―時代をつくった10人』(2007.11)の第3章「ガブリエル・シャネル モダニズム、身体、機械」を開いてみました。

 としたところ、驚いたことにまず次のように述べられています。
 シャネルが「デザイナーとしてなにを達成したかを見きわめるのはそう簡単ではな」く、例えば「シャネルはパリモードにおいてはじめて成功した女性として語られることがあるが、これは事実ではな」いのであって、また「シャネルはスポーツウエアやテーラードスーツを女性ファッションに取り入れたとされるが、これも彼女の専売特許ではない」。
 結局のところ、「ヴァレリー・スティールによると、シャネルのデザインは1920年代のほかのデザイナーとくらべて大きな相違はなかった」ようなのです。

 ではシャネルのどこが凄かったのでしょうか?
 著者は次のように述べています。
 「なによりシャネルの偉大さは20世紀女性にふさわしい人生をみずから生き、ひとつの模範解答を示したことにある。…シャネル最大の作品はまず彼女自身であり、その存在が神話化したのもゆえなきことではなかった」。
 「斬新なデザインは女性たちの憧れとなるカリスマがまとうことで流行となる。シャネルは現代を生きる若い女性であり、新しいファッションにふさわしい魅力的な容姿と個性的な雰囲気をもっていた。実は、これこそがほかの女性ドレスメーカーにはなく、彼女だけがもっていたものである」。

 なるほど。映画「ココ・シャネル」を見た今では、本書で述べられている見解は十分に納得出来ます。

 実際の具体的なデザインについてはどうでしょうか?
 例えば、「小さな黒いドレス」について、「このスタイルにはモダニズムの精神が明確に表現されていた」として、「装飾を極限まで削ぎ落としたデザイン」と「身体を機械としてとらえるような発想」というポイントを挙げます。
 そして、著者は、同時代のル・コルビュジェの建築美学との関連性について、「コルビュジェが「住むための機械」としての住宅を提唱したとするなら、シャネルのドレスは「着るための機械」というイメージをアピールしたといえるだろう」とまで述べています。

 こうした分析を踏まえて、著者は結論的に次のように述べます。
 「シャネルはモダニズムの精神のもとに女性身体をひとつのスタイルに統合した。彼女の才能は独創的なものをつくりだすというより、時代の息吹を感じ文化のさまざまな要素を自在に編集することで、新たな価値観を生みだすことにあった」。

 なお、本書は、昨年1月13日の朝日新聞書評で取り上げられました。
 冒頭で、評者の建築史家・橋爪紳也は、「著者は、これまでの服飾文化史に挑戦状を叩き付ける。ポワレ、シャネル、ディオール、ヴィヴィアン・ウエストウッド、川久保玲(コム・デ・ギャルソン)など著名な10人のファッションデザイナーの足跡を紹介する。その視点と語り口が従来の人物評とは根本的に違うのだ」と本書の特色を明らかにした後、末尾で、「教科書的な服飾様式史や、著名なデザイナーたちの単なる成功談の類に飽きた人に、まず本書を薦めたい。これほど生き生きとした服飾産業と近代の社会システムとをめぐる物語は、これまで読んだことがない」と大変な賛辞を送っています。

平岡正明

2009年07月19日 | 
 評論家の平岡正明氏が、先月9日に68歳で亡くなりました。  

 ジャズ評論から出発しながらも、歌謡曲・浪曲・新内~落語~映画などなど実に幅広い分野にわたり、鋭利な評論活動を展開してきました。  

 読書の達人・松岡正剛氏は、彼について、「何の主題を書いても読者をスウィングさせられる」「秘芸の持ち主」だと喝破しているところ(『千夜千冊』の第771夜)、むしろ何を書いても“革命の精神”に裏打ちされていると言えるかもしれません。

 例えば、29歳で出版した『地獄系』(芳賀書店、1970)には、「革命家の資質をひとことでのべれば、ひとたび自分の興味をとらまえた主題について、だれがするよりも徹底的に考察することだ」などと、自身を「革命家」と捉まえています。  

 そうして、生前最後の著書の『昭和マンガ家伝説』〔平凡社新書、2009.3;〕の中では、長編漫画『虹色のトロツキー』(安彦良和著:中公文庫コミック)を取り上げています。  この漫画は、ロシア革命の立役者の一人であるトロツキーを満州に招聘する謀略「トロツキー計画」を軸に、日蒙混血の青年ウムボルトを主人公として描いているところ、平岡氏は、トロツキーの「永久革命論と石原莞爾の最終戦争論を比較することを俺はやったのだが、両者が満州で交叉するという想像力はなかった」、「まことに複雑、雄大な構図の巨編漫画」であり、「奔放な妄想による世界革命論ではないか」と絶賛しています。  

 なお、主人公のウムボルトはノモンハン事変(1939年)で斃れますが、7月5日の読売新聞書評でも取り上げられた田中克彦著『ノモンハン戦争』(岩波新書)を読んだばかりなこともあって、この漫画のことを思い出し、それがまた平岡氏の著書でも取り上げられているので驚いた次第です(注)。  

 (注)『千夜千冊』の第430夜でも、この漫画が取り上げられ、冒頭から「どうやってこの傑作の興奮を案内しようかとおもっている」と書かれています。

日本語が亡びるとき

2009年04月29日 | 
 水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』については、アルファブロガーの小飼弾氏が「今世紀最重要の一冊」(08.11.9)などと強く推薦することもあって、ザッとながら目を通してみました。

①非常に大雑把に言えば、次のような内容です。  
 著者は、言葉を、〈普遍語〉〈国語〉〈現地語〉の3つのレベルから見ます〔「普遍語」とは、昔のラテン語や漢文のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積する言葉。「国語」とは、当初は「現地語」(人々が巷で使う言葉)だった言葉が、翻訳を通して「普遍語」的に機能するようになった言葉〕。  

 その上で著者は、一方で、英語が「普遍語」になる時代を我々はこれから生きるのだとし、他方で、英語以外の「国語」は、放っておくと「話し言葉」としては残っても、叡智を蓄積する「書き言葉」としてはその輝きを失っていくのではないか、つまり「国語」そのものが「現地語」に成り果てる可能性が出てきたのではないか、と主張します。
 その典型的なのがフランス語とかドイツ語であり(注1)、日本語もあるいはそうなるかもしれないとしています。  

 どういう次第でそのように考えられるのか等ついては著書自体を読んでいただくこととして(注2)、別のアルファブロガー池田信夫氏は、本書について、「つまらなかった」とハッキリと断定し、「このまま放置すると英語が〈普遍語〉になり、日本語が〈現地語〉になって、日本文学が亡びるので守らなければいけないということ」と要約した上で、「これは認識として間違っている」と勇ましく批判します(08.12.4)。  

 しかしながら、その要約は本書の主張とは基本的にズレており、さらに池田氏は、「著者は「日本文学の衰退」をしきりに憂えるが、私はローカルな文化としての日本語は衰えないと思う」と述べます。  
 ですが、その「日本語」の水準こそを水村氏は問題にしているのだ、と考えられます(水村氏の「国語」の概念を池田氏はヨク理解していないのでは、と思われます)。コメント欄で、「文学なんてしょせん娯楽」でしかないと経済学者・池田氏が決めつけているところからしても、文学者・水村氏との距離は相当大きいものがあると言わざるを得ません。

 (注1)哲学で言えば、フランス哲学は、デカルト、パスカル、…、ベルクソンを繰り返し取り上げることで食い繋いでいるのでしょうし、ドイツ哲学も、カント、ヘーゲル、…、ハイデガーでなんとか糊口を凌いでいるのでしょう。とはいえ、そういったものももう少ししたら、すべて英米哲学(分析哲学など)によって蹂躙されてしまうのかもしれません。
(注2)要すれば、“叡智”を持った有能な日本人は、自分の見解等を発表する場合に、それをわざわざ日本語で書いたりせずに、初めから英語で書いて世界に向けて発信してしまい、日本語では他愛ない話しかしなくなる(その結果、日本文学はつまらないものになってしまう)のでは、ということだと思われます。

②上記の水村氏の著書に対して、次号で休刊する雑誌『諸君!』5月号には、埼玉大教授・長谷川三千子氏の「水村美苗氏の「日本語衰亡論」への疑問」なる論考が掲載されています。  

 長谷川氏によれば、水村氏は、「国語」とは、当初は「現地語」(人々が巷で使う言葉)だった言葉が、翻訳を通して「普遍語」的に機能するようになった言葉だとしているが、どうも「翻訳ということを、とても素直に大人しく、「普遍語」のもつ「叡智」をうやうやしく受け取る作業、と思い描いてい」るのではないか、そうではなくて、「「翻訳という行為」は「普遍語」を批判し、それに挑戦状をつきつける行為であると同時に、それを通じて新たな自己認識を得るという行為」なのだ、そういう点からすると、我々日本人は「本当に「国語」を築き上げたといえるのだろうか、という疑問と反省がうかび上がって」くるのであって、「「21世紀が「英語の世紀」であるかどうかなどということは、本質的な問題では」ないのだ、云々と主張します。  

 実に面白い論点で、これに対して水村氏がどのように答えるのか興味津々たるものがあります(とはいえ、長谷川氏は、余りに大上段のところから批判しているようにも思われますが)。

③また、文芸評論家の小谷野敦氏も、近著の「『こころ』は本当に名作か」(新潮新書)の「あとがき」において水村氏の著書に触れ、「水村氏がこの本に書いていることのうち、歴史的事実についは、私には殆ど既知の事柄」であり、また「もうすでに、エリートは文学など読まなくなっているのだが、大学で教えていない水村氏の議論は、だいぶ暢気なもの」だなどと難癖を付けています。  

 ただ、確かに、実社会で活躍している様々な分野のエリート(またその候補生である大学生たち)は、余り文学などを読まなくなっているのでしょう。としても、彼らが使う法律学、経済学、物理学等々で使われている日本語は、これまで築き上げられてきた「国語」によっていて、そのレベルの維持が危殆に瀕しているならば、彼らのエリートととしてのポジションも危うくなっていると言えるのかもしれません。  

 なお、小谷野氏の著書「『こころ』は本当に名作か」は、このところ『こころ』などを持ち上げる人が増えてきている風潮に逆らって名作ではないとキッパリと主張していて、大層面白い本ですが、そうだと思う面もある一方で(芥川龍之介の短編は「文学作品としては道徳的に過ぎる」との指摘など)、トーマス・マンの「魔の山」とか樋口一葉などを貶すところは賛成しかねます。  

 尤も、どの小説が良く、どの小説が気に入らないのかを正直に言うと、その人のそれまでの経験とか性向などが如実に表れてしまう、という点はまさにその通りだ、と思いました(このところドストエフスキーの新訳が大層もてはやされている傾向に対して、キリスト教徒(それもロシア正教徒)としての体験がなければトテモ共感できない作品を、本当に日本人は受け入れているのだろうかと疑問を呈しています。確かに、彼の作品がつまらないと思う輩は文学がわからないのだという風潮があったがために、大昔ですが、共感などは覚えないながら皆がこぞってドストエフスキーの長い小説を読んだという側面は否めないところでしょう!)。