孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スレブレニツァ虐殺 関係国で異なる認識  融和に向けた、バルカン半島の共通歴史副読本の試みも

2015-07-10 21:41:30 | 欧州情勢

(スレブレニツァ近郊ポトチャリの施設に並べられた新たに墓地に埋葬される「スレブレニツァの虐殺」犠牲者のひつぎ 【7月10日 AFP】)

【「ジェノサイド(集団殺害)」認定をめぐる対立
1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期に同国東部スレブレニツァで起きた虐殺事件から、11日で20年になります。

****<ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争>*****
1991年6月にスロベニア、クロアチアの独立宣言を機に始まった旧ユーゴスラビア連邦解体の過程で、ボスニア・ヘルツェゴビナは92年からボシュニャク、セルビア、クロアチア系の主要3民族勢力間の紛争に突入した。

スレブレニツァは国連の「安全地帯」に指定されていたが、95年7月11日にセルビア人勢力が制圧。約10日間で少年を含むボシュニャク系住民の男性7千人以上を殺害した。

和平協議は同年11月に米デイトンで行われ、12月に英仏独、ロシアの首脳も立ち会う中、パリで和平合意に署名、紛争は終結した。【7月9日 朝日】
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****続く紛争「一種の第3次世界大戦」 サラエボ訪問の法王****
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は6日、内戦の終結から20年となる旧ユーゴスラビアの多民族国家ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問し、ボシュニャク人(イスラム教)、クロアチア人(カトリック)、セルビア人(セルビア正教)の融和を呼びかけた。

AFP通信によると、法王は市内の競技場での野外ミサで、世界各地で紛争が続く状況は「一種の第3次世界大戦」だと指摘。「我々は戦争の気配を感じている。それを扇動しようとする者もいる」と述べ、武器取引業者を批判した。また、戦争の苦しみを知るボスニア国民が、和解の努力を続けるよう呼びかけた。(後略)【6月7日 朝日】
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スレブレニツァの虐殺については、これまでも何度も取りあげてきました。
“虐殺”の悲惨さと同時に、事件を黙認した形にもなった国連PKOの在り方についても大きな問題を残しました。

現地では遺体の捜索が続けられていますが、いまだ遺体が発見されない犠牲者も多く、紛争の傷は癒えていません。

****スレブレニツァ虐殺から20年、新たに身元が判明した犠牲者を埋葬へ****
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期の1995年にイスラム教徒の男性と少年およそ8000人がセルビア人部隊に殺害されたボスニア東部の町スレブレニツァに9日、新たに身元が判明した犠牲者136人のひつぎが到着した。

「スレブレニツァの虐殺」から20年を迎える11日に、記念墓地に埋葬される。

記念墓地には既に6241人の遺骨が眠っている。スレブレニツァの犠牲者のほとんどは、遺骨の一部しか見つかっていない。虐殺の規模を隠ぺいする目的で、多数の遺骨が当初の集団墓地から別の場所に移されたからだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、約10万人が命を落とした。【7月10日 AFP】
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セルビア政府及びボスニア・ヘルツェゴビナを構成するセルビア人共和国も、虐殺の事実は認めています。
ただ、紛争当時、セルビア人にも多くの犠牲者が出ており、セルビア人だけが「ジェノサイド(集団殺害)」を企てたとして一方的に非難されることには強く抵抗しています。

****被害と加害めぐり続く論争****
今年4月半ば、セルビア人共和国のドディック大統領が突然スレブレニツァを訪れて記念碑に花を手向け、「大きな犯罪が行われたのは事実。すべての犠牲者に哀悼を捧げる」と語った。

ドディック氏は強硬派のセルビア系政治家。スレブレニツァの虐殺について、国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷は特定民族の抹殺を図った「ジェノサイド(集団殺害)」だと認定したが、その見方をかたくなに拒否してきた。そのドディック氏の訪問を、ドゥラコビッチ市長は「歴史的だ」とたたえた。

だが、期待は裏切られた。20周年が近づくと、ドディック氏は「ボシュニャク系の被害者はもっと少ない。スレブレニツァ周辺ではセルビア系住民もボシュニャク人勢力に殺された」と、再び声高に持論を訴え始めたからだ。

セルビア人共和国の強硬派も、国際法廷で「事件を防げなかった」とされた隣国のセルビア政府も、虐殺の事実は認めている。セルビア議会は10年、自国の責任を認める決議を可決した。

ただ、セルビア政府は「全セルビア人に罪を負わせることになる」としてジェノサイドと規定することを拒否。世論には「紛争全般を通じ、セルビア系住民の被害が過小評価されている」という思いも強い。

6月、スイスで虐殺をめぐるシンポジウムに参加したスレブレニツァ市代表団の元ボシュニャク系勢力司令官がセルビア検察の逮捕状にもとづいて拘束される事件が起きた。市のハジッチ司法問題参与は「記念日の前には必ず政治的なゲームが行われる」と嘆く。

ボスニア・ヘルツェゴビナ下院に5月、紛争中の「すべての側へのすべての犯罪行為」を非難する決議案が提出された。だが、スレブレニツァの事件をジェノサイドだとしており、セルビア人共和国の議員らが欠席して否決された。

ボシュニャク系のミルサド・メシッチ議員は「スレブレニツァの虐殺がジェノサイドだったことは、戦争の真相にかかわる問題」という。ただ「決議案を出したのは和解のためだ。可決されれば、戦争に終止符が打てたのに」と悔やんだ。【7月9日 朝日】
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「ジェノサイド(集団殺害)」の認定については、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内と同様に、国連安保理でも議論がなされています。

****ボスニア虐殺非難決議案を否決・・・・露が拒否権行使****
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦中の1995年、同国東部スレブレニツァでセルビア人武装勢力がイスラム教徒らを虐殺した事件(スレブレニツァ虐殺事件)から20年となるのを機に、国連安全保障理事会は8日、虐殺を非難する決議案を採決し、常任理事国のロシアによる拒否権行使で否決された。

英国が主導した決議案は、事件を「ジェノサイド(大量虐殺)」として非難する内容。歴史的にセルビアとつながりの深いロシアが「一方だけ非難するのは地域の分断を生む」などと拒否権を行使した。

常任理事国5か国のうち、米英仏の各国は賛成し、中国は「議論のある決議案を採決することは和解に役立たない」などと棄権した。

同事件は旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で既にジェノサイドと認定されているが、セルビア系住民の間では、内戦でセルビア人も多数が犠牲になったとの見方が根強い。【7月9日 読売】
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決議案は、事件をジェノサイドと認めることが和解の前提条件になるとしていました。

セルビア擁護の立場から拒否権を行使したロシアのチュルキン国連大使は採決に先立ち、「決議案は非建設的で、政治的動機に基づくものだ」と指摘しています。

採決では、中国とナイジェリア、アンゴラ、ベネズエラの4カ国は棄権しました。

歴史的な出来事に関して、被害者側と、加害者とされる側の言い分がことなるのは、ごく一般的なことです。
日本と韓国・中国の間の議論も、そのひとつでしょう。

互いが、自己の立場だけを大声で主張し、相手の主張を誹謗するのではなく、立場が異なれば異なる主張・感情があることを理解したうえで、過去の反省と将来へ向けた自戒に思いを致せば・・・・とも思うのですが、現実はなかなか・・・・。

ベトナム・アメリカの「歴史的会談」・・・・政治的なレベルの関係改善
一方で、随分あっさりと関係が修復されるケースもあります。
ベトナム戦争を戦ったベトナムとアメリカの中国を意識した接近は今に始まった話でもありませんが、ベトナム共産党書記長が訪米してオバマ大統領と「歴史的会談」を行っています。

****中国にらみ和解と協調演出=人権など課題も―米越****
オバマ米大統領は7日、ベトナム共産党書記長を1975年のベトナム戦争終結後初めてホワイトハウスに迎え、「歴史的会談」(アーネスト米大統領報道官)を行った。南シナ海での中国の活動に懸念を深める米越が、和解と協力を強調して対中けん制を図った形だが、関係深化を阻む障害は依然、残されている。

大統領は会談後、「20世紀、米越間には困難な歴史があったが、両国の指導者の努力の結果、建設的な関係の到来を目にしている」と表明。グエン・フー・チョン書記長も「われわれはかつての敵から友人、パートナーになった」と応じた。

米越は95年の国交回復を経て、徐々に接近してきた。2000年にはクリントン大統領(当時)、06年にはブッシュ大統領(同)が訪越。ベトナムの首相や国家主席も既に米国を訪れて
ただ、安全保障面で米越の距離が急速に縮まったのは、南シナ海で中国が石油試掘を開始しいる。
た頃からだ。米政府は昨年10月、ベトナムへの武器禁輸を緩和し、今年6月にはベトナムに巡視船購入費を提供すると発表。ベトナムの最高指導者である共産党書記長の初訪米は、一段の連携強化をアピールする絶好の機会だった。

しかし、米越間には祝賀ムードや中国という「共通の脅威」の存在だけでは乗り越え難い溝もある。

オバマ大統領は会談で、チョン書記長が望んでいた武器禁輸の全面解除に踏み込まず、人権状況を改善するよう注文を付けたもようだ。両首脳とも、米越間には「相違」があり、息の長い対話が必要であることを認めている。【7月8日 時事】 
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****元捕虜」マケイン氏と面会=越書記長*****
訪米中のベトナムのグエン・フー・チョン共産党書記長は8日、米議会を訪れ、野党・共和党の有力者であるマケイン上院軍事委員長と面会した。

ベトナム戦争に従軍して搭乗機を撃墜され、長期にわたる捕虜生活を送ったマケイン氏だが、「活気に満ちた米越関係を誇りに思う」とツイッターに投稿するなど、チョン書記長を温かく迎えた。

AFP通信によれば、マケイン氏はチョン書記長に、写真を見せながらベトナム戦争時の自身の体験を語った。マケイン氏は上院議員として米越国交回復の実現に尽力するなど、関係強化に熱心で、対越武器禁輸の一段の緩和にも前向きに取り組む姿勢を示している。【7月9日 時事】 
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マケイン上院議員については、7年前、ハノイのホアロー収容所を観光した際、捕虜当時の写真が多数公開されているのを目にして、ベトナム側のアメリカに対する関係改善に向けたアピールを感じた思い出もあります。

アメリカが人権問題を持ち出すなら、ベトナムは「ベトナム戦争当時の我々の人権はどうなったのか?」という話にもなるでしょう。

ただ、今はお互いそのあたりの問題は触れることなく、対中国で共闘するのが望ましい・・・ということでしょう。

ある意味で、政治的な関係改善であり、国民感情レベルのものとはなっていない・・・とも言えるのかも。
日本が、対中国・韓国の関係でいつも持ち出す「その問題はすでに国家レベルで解決ずみだ」という話も、同じような側面があるのかも。

もっとも、アメリカという国は、日本が敗戦後の早い段階でアメリカを受け入れたように、アメリカと政治的に敵対している国でも、結構アメリカ文化が受容されていたりもします。比較的多くの国で受け入れられやすい特性を持った国なのかも。

同じ歴史に対する他国の異なる見方を知り、対立を乗り越えるための試み
いずれにしても、国民感情レベルでの融和が実現するには時間も要しますが、そのための努力も必要です。

多くの国と民族がひしめく欧州バルカン半島では、19世紀のオスマン・トルコからの独立、キプロスを巡る対立、旧ユーゴスラビア解体に伴う紛争、コソボのセルビアからの独立・・・・あまたの紛争・対立を経験しています。

****直近の紛争、民族超え学ぶ 旧ユーゴなど13カ国、共通歴史副読本****
多くの国と民族がひしめく欧州バルカン半島で、高校生向けの新しい共通歴史読本が来春、完成する予定だ。
扱うのは、冷戦時代と旧ユーゴスラビア各国が紛争にのみ込まれた1990年代。同じ歴史に対する他国の異なる見方を知り、対立を乗り越えるための試みだ。

 ■各国で食い違う認識、紹介
ギリシャ・アテネの大学の会議室で4月半ば、5人の歴史学者が副読本の編集作業に追われていた。国籍は旧ユーゴのセルビア、クロアチア、スロベニアとギリシャ、ブルガリア。ギリシャの実業家らが設立した国際NGO「南東欧州の民主主義と和解センター」が進める共同歴史プロジェクトの編集者たちだ。

「この項目のタイトルはどうする? 登場人物の呼び方が一方の(国の)資料では『反体制派』で、もう一方では『テロリスト』となっているけど」

今、副読本に使う資料選びを進めているのが、「冷戦編」と「ユーゴスラビア解体と戦争編」だ。素材は各国計16人の歴史研究者らから送られてきた。完成すれば来春以降、順次13カ国で発行される予定だ。ただ、戦火を交えた旧ユーゴ7カ国では被害と加害の記憶が生々しく、事実に関する認識が大きく食い違う。

責任編集者のクリスチーナ・クルリ・パンテオン大学教授(ギリシャ)は「編集作業は本当に難しい。ただ、歴史は時に戦争の道具として利用されてきた。私たち歴史家には、それを繰り返されないようにする責任がある」と語る。(中略)

 ■融和へ、EUも支援
共通歴史読本のプロジェクトが始まったのは、旧ユーゴの解体が最終局面に入った99年。

和解センターの創設者らは、それぞれの民族意識に基づく歴史観にしがみついたことが紛争につながったとの問題意識を共有していた。

そこで副読本は、ある歴史上の出来事について異なる視点で書かれた文書や記事、写真や風刺画などを紹介する資料集とした。

これまで、「オスマン帝国編」から「第2次世界大戦編」までの計4巻が完成した。06年のセルビア語版を手始めに、バルカン半島と周辺の計11言語で発行が始まった。和解センターは、今では旧ユーゴ7国で7人に1人の教師が授業に導入しているとみる。

各国政府との関係は曲折をたどった。たとえばセルビア政府は当初、第2次大戦中にクロアチアのファシスト政権が設けた強制収容所の記述が少ないと主張した。和解センターが改訂版でセルビア側の資料を追加するまで、セルビア国内の学校で使用を認めなかった。

状況が変わり始めたのは、各国が欧州連合(EU)への加盟や関係強化をそれぞれの最重要目標とするようになってからだ。EUは旧ユーゴ各国に対し、周辺国との融和を加盟の前提として求めている。

EUは当初から、旧ユーゴと周辺地域の緊張緩和を進める手段としてプロジェクトに関心を抱いていた。欧州議会は09年、地域の相互理解をめぐる決議の中でプロジェクトへの支持を表明した。

そして欧州委員会は昨年6月、副読本の「冷戦編」と「ユーゴスラビア解体と戦争編」の編集活動費として、60万ユーロ(約8300万円)の支援を決めた。

各国は今、副読本の使用を認めるだけでなく、和解センターのセミナーに教育省関係者を派遣するなどしてプロジェクトへの協力姿勢を示す。

一方で、副読本を使うかどうかは高校教師一人ひとりの考えに委ね、自ら積極的に使用を奨励しているわけではない。

和解センターはプロジェクト立ち上げ当初から、各国の歴史教育に対する干渉ととられないよう、細心の注意をはらってきた。共通の歴史教科書ではなく、あくまでも副読本と位置づけたのもそのためだ。

ズベズダナ・コバチ事務局長は「どの国の政府も本心から私たちの活動を歓迎しているわけではないだろう。ただ同時に、国際的に孤立した国に未来がないということも、紛争の経験から十分に理解しているはずだ」と語った。【6月16日 朝日】
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