孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

「インド-ミャンマー-タイ3カ国ハイウエー構想」 インパールの記憶 インド北東部民族への差別

2013-04-27 22:48:20 | 南アジア(インド)

(インド・アッサム州の民族衝突で避難したボド族住民 “flickr”より By oxfamindia http://www.flickr.com/photos/91026338@N08/8618600036/)

ハイウエーは東南アジアを通り、民主主義を共有する日本へも続いている
東南アジアを観光する機会が多いため、最近目にした「インド-ミャンマー-タイ3カ国ハイウエー構想」に関する記事が印象に残りました。インパールとミャンマー中部マンダレーを直行バスで結ぶ構想もあるとか。

****大戦の地インパール 印の東南アジア貿易の玄関口目指しハイウエー構想*****
日本がかつて激戦を繰り広げたインド北東部インパール近郊からミャンマーを縦断しタイのミャンマー国境の町メソトへ至る「インド-ミャンマー-タイ3カ国ハイウエー構想」が進んでいる。
インドと東南アジアを結ぶ陸の大動脈にするのが狙いだ。インパールの住民は、民主化努力が続くミャンマーの将来を見据え、隣国からの訪問客の取り込みを狙っている。

インド・マニプル州の州都インパールから南東へ車を2時間半走らせると、ミャンマーとの国境の町モレに着いた。国境に建つ「友好門」をはさみ、モレとミャンマー側の町タムーでは、日用品などを扱う数百件の店がひしめいていた。
1995年に始まったこの地域での国境貿易制度で、両国民は日帰りを条件に査証などを得ずに相手国側の国境周辺地域を訪れることができるようになった。市場は、中国や東南アジア製の安価な商品を求めるインド人でごった返す。

この辺りは、第二次世界大戦中に日本軍が英軍との戦いで無謀な計画のために大敗を喫したインパール作戦が挙行された場所だ。
機械部品店を営むネパール系ミャンマー人のスレッシュ・パラジェリさん(31)は、英軍の勇猛果敢な傭兵(ようへい)として知られ、日本軍に打撃を与えたグルカ兵の孫だという。「ここで働く人の2割はグルカ兵の子孫だ」と話し、「移動のコストや時間を節約したい」とハイウエー完成を心待ちにしている。

ハイウエーは2016年の完成を目指し、インド、ミャンマー、タイが整備を進めている。ミャンマー内の未舗装区間は、インドとタイの支援で改修工事が行われることなっている。

地元の経済効果への期待は熱い。
マニプル州では分離独立などを目指す武装勢力が跋扈(ばっこ)し、長らく外国人は立ち入りに事前の許可を必要としてきた。

しかし、経済開発を目指して約2年前、国境問題を抱える中国とパキスタンの国籍保有者や国境貿易以外のために入国するミャンマー人など一部の外国人を除いてこの規制が解除された。インド領にぶら下がるように帰属し開発から取り残されてきた「辺境の地」マニプル州は外国人訪問者の増加で経済が上向き始め、次はミャンマー人の訪問客を取り込もうと懸命になっている。

今月2~6日には、ミャンマー側のインド国境にあるザガイン地域の代表団11人がマニプル州に招かれた。インパールで近代的な病院とホテルをこの数年で相次いでオープンさせたダバリ・シン・マニプル商工会議所会頭は一行を案内後、「ミャンマーでは民主化が進み、発展の希望が高まっている。ミャンマー人の入国規制を撤廃し、病院訪問客を呼び込みたい。国境付近で英語教室を開いてもいいし、日本人を狙った戦地観光も有望だ」とビジネス展開構想を披露した。道路改修を待たずに、インパールとミャンマー中部マンダレーを直行バスで結ぶ構想も持ち上がっている。

ミャンマー側の狙いは電力の共同開発だ。国境付近にインド資本で火力発電所を建設し、ミャンマーが石炭を提供、停電が日常化しているザガイン地域とマニプル州で電力を分け合うことを計画している。
代表団長のチョー・ウィン地域電力相は「私たちはインドの支援が必要だ。両国関係をさらに強化したい」と述べ、夢は膨らむばかりだ。

インド連邦政府もハイウエー構想に前のめりになっている。昨年12月には、ニューデリーでのインド・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議に合わせ、インドネシア発の11カ国のカー・ラリー団に将来ハイウエーとなる道を走らせてニューデリー入りさせ、経済関係強化を訴えた。

インド・チームを率いたタルン・ビジャイ上院議員は「インドはルック・イースト政策をとってきた。ハイウエーは東南アジアを通り、民主主義を共有する日本へも続いている。日本で昇る太陽が、北東部を照らしてくれるはずだ」と「民主主義世界」の経済連携を熱く語った。

ただ、ハイウエー構想に乗せた夢がすべて実現するには、時間がかかりそうだ。ミャンマー側で補修工事がなかなか進まないことや民主化による経済発展の速度が見通せないことに加え、インドでは、マニプル州の治安状況が依然深刻だからだ。

メイティ、クキ、ナガの3つの大きな部族を抱える州内では、一部地域の分離独立や他州への帰属を訴え武力闘争を続けるグループが多数、存在する。治安当局との間で戦闘が頻発し、インドのシンクタンク「紛争処理研究所」によると、昨年だけで双方の110人、01年以降では3千人以上が死亡した。

インパールとモレの間では、武装勢力による略奪行為が横行している。多数の検問所が設置され、往来のチェックに当たる兵士は「ここを午後2時までに出て、インパールに戻らないと、安全は保証できない」と警告する。武装勢力と協調する住民が道を遮断することもしばしばだ。武装勢力は企業などに「みかじめ料」を要求し、ビジネスの障害にもなっている。

インパール市内では、兵士がトラックの荷台から監視の目を光らせる。マニプル州の一部には、武装勢力とみられる者に兵士は発砲できるという軍特権法が適用されている。
この法律に基づき、市民団体の「犠牲者遺族の会」は罪のない約1500人が殺されたと告発している。最高裁に任命された特別調査団は無作為に選んだ7人を調べ、今月4日に全員が武装勢力と無関係だったとの報告書を最高裁に提出し、同法の正当性が揺らいでいる。
 
ンド北東部の住民は、モンゴロイド系の容姿や文化の違いから、主要都市で差別的扱いを受けることも多い。遺族の会のバブルー・ロイトンバムさん(43)は「インパールでの日本人の戦争は終わったが、私たちの戦いは続いている。本当の開発は、住民が他のインド人と同様に扱われてからだ」と訴えた。

インド-ミャンマー--タイ3カ国ハイウエー構想 2002年4月に3カ国閣僚級会議で発案された。全長約1360キロ。インドと東南アジア諸国連合(ASEAN)の自由貿易協定(FTA)をテコに、入国、税関事務の簡素化で人とモノの流れを加速させる。タイから先は日本などの協力で整備され、ベトナムやラオスへ広がる幹線道路「東西経済回廊」につながる。【4月21日 産経】
**********************

【「これを見て泣かざるものは人にあらず」】
日本人にとっては忘れがたい、忘れてはならない“インパール”近郊を起点とするハイウェー構想です。
“太平洋戦争”という言葉で総括されることが多い戦争の記憶にあって、中国大陸における戦闘に触れることは自虐的と憚られるような風潮もあり、ましてやインド・ミャンマー方面での戦争の記憶は国民的には次第に薄れていくようにも思えます。

個人的には2007年1月にミャンマー・マンダレー方面を観光した際に、日本軍支配下で日本語を学校で教わり、その後現地の人に日本語を教える立場にあった、驚くほど日本語が上手な老人に偶然お会いする機会があったことや、ガザインで日本兵および現地の方の慰霊碑などを目にする機会があったことなどで、改めてこの地で日本人が戦っていたことを思い起こしました。

無謀なインパール作戦による犠牲者についてはいろんな数字もあるようですが、いずれにしても“参加将兵約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り(そのほとんどが餓死者であった)、戦病者は4万人以上ともいう”【ウィキペディア】といった、悲惨きわまるものでした。
退却路に沿って餓死者の白骨死体が延々と横たわるむごたらしい有様を、日本兵は「白骨街道」若しくは「靖国街道」と呼んだそうです。

インパール作戦において要衝コヒマを占拠するも補給がまったくなく、司令官の進軍命令を無視して撤退した佐藤幸徳陸軍中将の打電「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」【ウィキペディア】には、胸にこみ上げるものを感じます。

【“マイノリティー間”】
このインパールがあるマニプル州を含むインド北東部は、インド亜大陸からバングラデシュ・ミャンマー方面へ突き出たような形で地理的にも特異ですが、民族・文化的にもインド本体とは異なるところがあります。
記事にもあるように長く外国人の入域が制限されており、私が持っている10年前のインド観光のガイドブックではこの地域に関してはほんの2,3ページの記述しかありません。
最近はだいぶ緩和されたようです。

****外国人の入域長らく制限(インド北東部)/自然や嗜好日本と似通う****
これまでインドでは州によって文化の特色などが違うということを話してきたが、なかでもインド北東部は、特に独特の文化を持つことで知られている。

インドの地図を見ていただけるとわかるかと思うが、バングラデシュをはさんでさらに東側にもインドの国土は広がっている。いわゆるインド北東部(ノースイースト)と呼ばれている地域である。ここは、民族間の紛争やインドからの分離独立闘争のため治安が安定しておらず、外国人の入域については長らく制限されていた地域だ。

そのため、観光のガイドブックなどにも北東部のことはほとんど載っていない。だが、2011年より入域許可が不要になり、外国人も以前より入りやすくなった。昨年、私はこの北東部に2回旅行する機会があり、メガーラヤ州、アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州、マニプール州を旅行して回った。

メガーラヤ州では、州都のシロンに行った。シロンはイギリスの植民地時代から避暑地として開発されていたこともあって、建物も洋風なものと東南アジア風のものがミックスした感じで、とてもインドとは思えないような雰囲気が漂っていた。また、草木や花なども、日本で見かけるようなものと似ていて、ちょうど私が訪れた頃には桜を見ることが出来た。インドで桜を見ることができるとは思ってなかったので、本当に驚いた。

アルナーチャル・プラデーシュ州は、多様な民族の生活が営まれていることで知られている。竹がたくさんあり、竹細工や竹で作られた家がとても印象的だった。

そして、マニプール州は私たち日本人にとってつながりの深い場所であると感じている。マニプール州の首都インパールは、第2次世界大戦の「インパール作戦」の舞台となった場所である。他の北東部の州も基本的にそうであるが、マニプールの人々は典型的なインドの人の顔とは違い、モンゴロイド系の顔立ちをしている人が多い。
「日本人かな?」なんて思う顔の人もよくいるし、私も「北東部出身ですか?」なんてたまに言われることがある。それくらい日本人と顔立ちが似通っている。

食事や文化もインドの典型的なものとは全く違っている。食事は、以前紹介したようなインド料理に比べると油が少なく、味付けも独特である。主食は米であるが、日本で食べられているお米に近く、もちもちした食感でとてもおいしい。また、マニプールでは魚を好んで食べる。川魚が多いのだが、生臭くなく、揚げたりカレーに混ぜたりと魚料理のバリエーションがとても多い。(中略)

インパール作戦の激戦地となった村には、平和記念碑が建てられている。これは1994(平成6)年に政府によって建立されたものだが、これとは別にロトパチン村の村人たちによって作られた慰霊碑もある。現在、日本政府の委託によって、マニプール側の管理者がこの場所を守っている。 

域許可が必要であった時代でも、このインパール作戦の戦没者慰霊のために訪れる日本人はいたようである。しかし今ではそのような人々も少なくなり、現在、遺骨収集は満足に進んでいない状態である。戦没者のための慰霊がさらにきちんとした形で行われていくことを祈っている。 
また、インパール作戦を題材に、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした「マイ・ジャパニーズ・ニース」という映画がインド人映画監督のもと現在制作されている。これを機に、若い世代の人々にもインパール作戦やマニプールと日本の関係についてぜひ知っていただければと思っている。【3月15日 東奥日報 菊地恵理】
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2011/sekai-machikado/20130315.html
********************

こうしたインド北東部の民族的差異は差別の対象ともなっており、昨年7月以来犠牲者を出す衝突や、社会に広まる不穏な動きなどが報じられています。

*****イスラム教徒に襲撃される」のデマでパニック****
インド南部の主要都市で16日、アッサム州など北東部出身者が「イスラム教徒に襲撃される」とのデマでパニックとなり、数千人が北東部へ逃避する騒ぎがあった。インド各紙が17日、報じた。デマは携帯電話のメールなどを通じて広まったという。

バンガロールでは16日、北東部出身の労働者や学生ら6千~7千人が、チェンナイやハイデラバードなどでも数千人が、列車で脱出するため駅に殺到した。

アッサム州で7月、イスラム教徒と少数民族の間で起きた衝突や、南部で北東部出身の学生が襲撃される事件が最近相次いだことが背景にあるとみられる。
シン首相は17日「北東部の出身者の安全を確保するため最大限のことをする」と強調し、騒ぎの沈静化を図った。【2012年8月17日 産経】
***********************

*****印北東部の少数派住民暴動 モンゴロイド系住民の差別に拍車****
インド北東部アッサム州を中心に少数民族ボド族とイスラム教徒の衝突がやまない。襲撃や暴力事件が散発的に発生し、今も十数万人の避難民が州内の施設で暮らす。衝突の影響は州内にとどまらず、ボド族と同じモンゴロイド10+ 件系の北東部出身者に対する差別10+ 件感情が、インド各地でいびつな形で噴き出している。

アッサム州西部のバングラデシュ国境に近いコクラジャル。大河ブラマプトラ川沿いの平野には、青々と茂る樹木や水田が広がり、東南アジアを思わせる。
コクラジャルは、ボド族が主導して自治を行う「ボド地域自治地区」(約88万人在住)の中心都市だ。中心部から約8キロのマルガオン村に住むラケシュ・マスマタリさん(52)は、略奪された後に火を放たれた自宅の前で、遠くに見える村を指さし、「3千人ほどのイスラム教徒があそこから襲ってきた。村人を怖がらせて、土地を奪うつもりなんだ」と怒りをあらわにした。

インドにおける民族と宗教の“マイノリティー間”の衝突は、アッサム州で7月20日、ボド族の若者4人がイスラム教徒住民に殺害されたのを機に火を噴いた。双方の暴力でこれまでに約100人が殺害され、避難民は最大で約40万人に膨らんだ。【2012年9月16日 産経】
********************

ヒンドゥー教徒から差別されるイスラム教徒が、さらに少数派の北東部出身者を敵視する・・・差別を受ける者が、自分たちより弱い立場の者を求めて攻撃する“差別の構造”はインドだけではありませんが、やりきれないものがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする