孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロシア  プーチン首相、大統領復帰で“異例の涙”

2012-03-05 22:37:47 | ロシア

(支持集会で涙を流すプーチン首相=モスクワで2012年3月4日、AP)

異例の涙
4日に行われたロシア大統領選で、プーチン首相(59)が64%の得票率で第1回投票で勝利し、さらに6年の権力維持を決めたことは各紙が報じているところです。
昨年末の下院選不正疑惑で反プーチンの運動が広がり、支持率も一時は5割を切ったプーチン首相ですが、一言で言えば“ロシアに安定をもたらしたプーチン氏の実績と強い指導者像に対する国民の支持を裏付けた形”【3月5日 毎日】といったところです。

多くの記事のなかで、印象的だったのが“プーチン首相の涙”を報じたものでした。

****強面・プーチン氏、頬に伝わる一筋の涙のわけは****
冷徹でマッチョなイメージが強いプーチン氏が4日夜、4年ぶりの大統領復帰を決めた直後のモスクワ市内の支持者集会で見せたのは異例の涙だった。

氷点下10度近くまで冷え込む屋外の会場。ロシアの人気歌手が場を盛り上げた後に登場したプーチン氏は「勝利するとあなた方に約束した通り、勝った」と支持者を前に勝利宣言した。途中、感極まったのか、言葉に詰まり、右頬に一筋の涙が伝わる。会場からはプーチン・コールがわき起こった。
プーチン氏にとっては初めての逆風下での選挙となった。無事に乗り切った安堵感と共に、反プーチン派の動きが広がったことへの複雑な思いが胸中で錯綜した模様だ。

集会後、選挙対策本部に立ち寄ったプーチン氏は「あの涙は何だったのか」との問いに「風が目にしみただけさ」とうそぶいた。【3月5日 読売】
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プーチン首相には似つかわしくない“涙”でしたが、やはり選挙戦は厳しいものがあったのでしょうか?
ただ、「風が目にしみただけさ」とのコメントは、いかにもプーチン首相らしいものでした。

デモ参加者は政治参加を欲しながら、その票は行き場を失った
選挙結果については、これまた各紙が報じているように、国民が積極的にプーチン首相を支持したというより、プーチン首相でなければロシアの安定は維持できないというプーチン陣営の選挙戦術も功を奏して、90年代の混乱を繰り返すことなく、現在の「安定」を維持したいという国民の消去法的選択の結果であったと言えます。
また、都市部中間層を中心にした反プーチンの声の受け皿となるべき候補がいなかったということもあります。
そのため、64%の“圧勝”ではありましたが、今後のプーチン政権の指導力には問題も多いことも指摘されているところです。

****有権者、苦渋の「信任投票」=行き場失った反政権デモの声―ロシア大統領選****
4日のロシア大統領選は、復帰を目指すプーチン首相以外に有力候補がいない中で実施された。多くの有権者には選択肢の少ない「信任投票」。不透明な手続きで出馬が却下された例もあり、プーチン氏の得票率6割超が「支持率」を意味しないのは明白だ。

対立候補は下院議席を有する共産党、自由民主党、「公正ロシア」の古株指導者ら。3党は政権与党「統一ロシア」への批判が手ぬるいことから「体制内野党」と呼ばれ、昨年12月の下院選後に「反プーチンデモ」を組織した野党勢力とは異質の存在と言える。

新顔の大富豪プロホロフ氏も、かつて利権をむさぼった新興財閥(オリガルヒ)への国民の拒否感もあって不満票の受け皿にはならなかった。一方、野党勢力は「公正な選挙」を旗印に結集するのが精いっぱいで統一候補は擁立できず、デモ参加者は政治参加を欲しながら、その票は行き場を失った。

「双頭体制」の形で政権中枢にとどまったプーチン氏にとっては、下院選の与党大敗の逆風をはねのけての勝利とも言える。ただ、得票率は2004年再選時や08年のメドベージェフ大統領当選時の約7割に及ばなかったのは痛手。憲法上可能な2期12年はおろか、1期6年の次期政権を安定運営できるかも不透明となっている。【3月5日 時事】
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モスクワでは過半数割れ、チェチェンでは99%
地域別の得票率では、モスクワでプーチン首相が過半数を割ったことが注目されます。
逆に言えば、地方でのプーチン首相の強さは相変わらずです。

****露大統領選:プーチン氏得票、モスクワで過半数割れ****
4日のロシア大統領選で当選を決めたプーチン首相は、全国で約64%を得票した。ただ、共和国や州など83の連邦構成体別にみると、プーチン氏に対する支持の濃淡に違いが見られる。
人口約1050万人の首都モスクワは、プーチン氏の得票率が48.7%と連邦構成体で唯一、過半数を割り込んだ。経済的に豊かなモスクワは中間層が多く、昨年12月の下院選不正疑惑に対する大規模な抗議デモが続発するなど「反プーチン」感情が強いことを裏付けた。

また、無所属候補で富豪のプロホロフ氏(全国得票7.8%)はモスクワで19%、第2の都市サンクトペテルブルクで14%を得票し、ジュガーノフ共産党委員長を抑えて2位に入る健闘ぶりを見せた。「反プーチン」だが他の体制内野党といわれる候補を支持しない中間層や無党派層の票を取り込んだとみられる。ただ、プロホロフ氏は準備と知名度の不足から、全国的なブームを巻き起こすことはできなかった。(中略)
 
一方、北カフカス地方のチェチェン共和国で最高の99%、ダゲスタン共和国で92%を得票し、圧倒的な強さを見せた。いずれもプーチン氏に忠誠を誓う首長の影響力を反映したようだ。シベリアのトゥワ共和国(90%)やヤマロ・ネネツ自治管区(85%)でもプーチン氏への支持が高かった。【3月5日 毎日】
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チェチェン共和国の99%というのは、どうしたらそんな数字が可能なのでしょうか?
完璧なプーチン支持を明らかにする一方で、内政面では独自の強権支配を固めるカディロフ氏が統治するチェチェンですが、投票においても、カディロフ氏の意向に逆らうことをためらわせる何かがあるのでは・・・と思ってしまいます。

【「フィフティー・フィフティー(折半)方式」】
日本との関係では、投票直前のプーチン首相の北方領土に関する「引き分け」「最終決着」発言が大きな反響を呼びました。
「千載一遇のチャンスだ。『引き分け』合意は2島プラスアルファを意味する最大のシグナルだ」(「二島先行」論の東郷和彦・元外務省欧州局長)といった声もあります。

****北方領土「最終決着させたい」 プーチン首相が会見****
ロシア大統領への返り咲きが確実視されているプーチン首相が1日夜(日本時間2日未明)、モスクワ郊外の首相公邸で朝日新聞の若宮啓文主筆ら日欧などの主要紙編集トップと会見した。日ロの懸案である北方領土問題について、柔道家として「引き分け」という日本語を使い、相互に受け入れ可能な妥協点を探り、「最終決着させたい」と表明した。

プーチン氏が日本について本格的に語るのは、2009年5月に首相として訪日した時以来となる。大統領1期目の00年9月には、ロシアの最高指導者として初めて、歯舞・色丹の2島引き渡しに言及した1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めている。

プーチン氏は、この日も56年宣言に言及し、「我々はゴルバチョフ・ソ連大統領が遂行を拒否した56年宣言に戻る用意をしたが、日本側が『四島』を言い出して全てが最初の地点に戻った」と指摘。その上で、「我々が前進できるような接点が見つかることを期待する」と述べた。

さらに、「日本との領土問題を最終決着させたいと強く望む」とも主張。解決策は、貿易や投資といった経済分野などの相互協力を拡大する中で見つかるとし、領土問題が後ろに引っ込むような状況が必要だと強調した。

日ロの関係は、09年のプーチン氏の訪日以降、10年11月にメドベージェフ大統領が国後島への訪問を強行したことで冷え込んだ。プーチン氏は「我々の関係のでこぼこをならし、前向きで建設的な対話に戻すべきだ」と発言。40年をかけて「フィフティー・フィフティー(折半)方式」で解決した中ロ国境での領土問題を例に挙げ、「日本とも同じように解決したい」と述べた。

大統領選の第1回投票は4日に迫る。返り咲いた場合に「突破口はありうるか」との質問に、「柔道家は勝つためではなく、負けないために勇気ある一歩を踏み出さなければならない。我々は勝利ではなく、受け入れ可能な妥協に至らなければならない」と応じた。「これは引き分けのようなものだ」とも説明した。

ただし、日本側には2島では折り合えないとの考えが強い。「引き分けには2島では不十分ではないのか」との指摘には「私が大統領になれば、一方に我々の外務省、一方には日本の外務省を座らせ、『始め』の号令をかけよう」と述べ、交渉を仕切り直す考えを示した。2島にとどまらない解決の可能性を示唆したといえる。(後略)
【3月2日 朝日】
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【「引き分け」を可能にする政治指導力に疑問
領土交渉を決定するのは、主張の正当性ではなく、現在の力関係であり、合意によって双方がどれだけのメリットを得られるかということでしょう。正当性云々で言えば、立場が違えば、相手には相手の言い分があります。
また、交渉をまとめるには、国内反対派を抑え込むだけの“力”が必要です。

現に四島を実効支配しているロシアが、領土問題で日本側に譲歩するには、国内の保守的反対派を抑えられるだけの強いリーダーシップが必要です。
その意味では、強いプーチン首相の再登板は、日本にとっては交渉の余地ができたとも言えます。
ただ、その“強さ”に陰りが見られる・・・ということになれば、前途は厳しいものがあります。

一方で、ロシア側に譲歩を迫れるカードを持ち合わせていない日本が、その要求を完全な形で実現するのは現実問題として不可能です。
ロシアが90年代のように政治経済的に大混乱する時期まで、場合によっては未来永劫、このままの形で、要求はするが何も前進はしない状況に甘んじ続けるか、どこかで現実的判断で折り合いをつけるか・・・日本側にもその選択が迫られます。

戦争によらない平和的領土交渉では“完勝”はありえず、“引き分け”しか望めませんが、そうした“折り合い”を国内的に納得させる指導力が日本側にないのは周知のところです。
ただ、政治に国民説得をためらわせるのは世論ですから、問題が前進しないのは、最終的には政治家と言うよりは、世論をリードするメディアと、国民の選択の結果と言えます。

****領土「最終解決」険しい道のり=プーチン氏指導力に足かせも―ロシア大統領選****
ロシア大統領選で返り咲きを決めたプーチン氏は選挙直前、一部外国メディアとの会見で、北方領土問題の最終解決に意欲を表明した。だが同氏は、2島引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言に触れつつ、日本が求める四島返還は一蹴。反政権デモで政権基盤が揺らぐ中、2001年のイルクーツク声明で同宣言の有効性を認めた1期目当時を上回る譲歩を示すのは容易ではないとみられる。

日ロ領土交渉が停滞する中、メドベージェフ大統領は10年11月、ソ連・ロシアの国家元首として初めて北方領土・国後島を訪問。昨年2月に菅直人首相(当時)が「許し難い暴挙」と断じたことにロシア側も反発し、関係冷却化はピークに達した。東日本大震災後のロシアの対日支援で雰囲気は改善したが、領土問題は「静かな環境」で議論するとしたまま動かなかった。

プーチン氏は先の会見で「日本との領土問題に終止符を打ち、双方に受け入れ可能な形で解決したい」と述べた。交渉の仕切り直しに向けて「号令」をかけた形だが、領土問題で強硬なロシアの世論を考えれば、リスクを伴う踏み込んだ発言だった。対立候補の新興財閥総帥プロホロフ氏はすぐさま「領土で取引してはならない」と批判した。

プーチン氏は政権長期化を批判する反政権デモにさらされている。支持基盤の緩みが領土問題解決に向けた指導力発揮の足かせになる恐れもある。【3月5日 時事】
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