孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

シエラレオネ  元リベリア大統領の国際戦犯法廷再開

2008-01-30 18:22:24 | 国際情勢
オランダ・ハーグで開かれているシエラレオネ国際戦犯法廷に、人道に対する罪など11の罪状で起訴されているチャールズ・テーラー元リベリア大統領の公判が1月7日から再開しています。

シエラレオネとリベリア、あまり馴染みのない国ですが、アフリカ西部の大西洋に面する隣国です。
この両国で起こった内戦、テーラー元リベリア大統領については8月15日の当ブログでもとりあげたところです。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070815

シエラレオネで反政府勢力を率いるサンコーと、隣国リベリアで反政府運動を行っていたテーラー被告。
以前からの知り合いでもあった両者は91年、両国を連動した内戦状態にし、テーラー被告はサンコーに協調してシエラレオネに介入します。
シエラレオネからダイヤモンドをリベリアに密輸し、リベリアの大統領となったテーラー被告が見返りに武器・兵士の訓練をシエラレオネのサンコーに供与するという関係がありました。

91年に始まったシエラレオネ内戦は、結局イギリスの介入などもあって02年終結。
サンコーは03年シエラレオネの首都フリータウンの病院で病死します。
テーラー被告は、国際社会の圧力、国内抵抗運動のため大統領の座を追われ、03年ナイジェリアに亡命。
更に、国際社会の圧力を受け06年に拘束され、シエラレオネ内戦に関与、虐殺や非道な行為を働いたとして国際戦犯法廷から起訴されました。

シエラレオネ内戦においては最大20万人(リベリアを含めると40万人とも)が殺害され、36万人の国際難民が発生したと言われますが、この内戦を悲惨にしたのはサンコー等の残虐行為です。
彼らは7千人もの住民の手足を斧やなたで切断しました。
恐怖心を与えるためのほか、農作業ができなくなり食糧を反政府勢力に頼るようになる、シエラレオネ政府軍も食糧の道を絶たれ、国全体が飢餓のために不安定化する・・・そのようなもくろみがあったとも言われています。

死亡したサンコーは別にして、テーラー被告以外の容疑者に関する裁判は当然シエラレオネで行われています。
例えば昨年7月19日には、3人の反政府勢力幹部に対し、殺人、性的暴行、少年兵の徴集など11の罪で、懲役45年から50年の長期刑が言い渡たされています。

しかし、テーラー被告については、内戦の混乱から立ち直ろうとしているシエラレオネ、リベリア両国が「政情不安を招く恐れがある」として入国を拒否。
結局、オランダ政府が、テーラー被告有罪の際には彼をオランダ以外の場所で収監することを条件に、特別法廷を受け入れました。
有罪になった場合の収監についてはイギリスが引き受けることになっていますが、無罪放免になった場合は・・・?
西アフリカで“蘇る亡霊”となるのか?

そのテーラー被告の裁判ですが、昨年6月、世界で初めて元大統領の戦争犯罪を裁く国際戦犯法廷として本人が出廷を拒否するなかでスタートしましたが、新たに弁護団を用意するということで、8月時点で半年の延期が決まり休廷になっていました。
その半年の期間が経過して、今月7日に再スタートした次第です。

シエラレオネ国内には、「国内でテーラー被告を裁くことは、法の支配を再構築し、被害者とシエラレオネの民衆全体が正義が遂行されているのを確認する上でも重要なことだ」と、ハーグで裁くことを批判する声もあるようです。
一方、内戦中に手足を切られるなど非人道的行為を受けた人々の思いは複雑です。
両腕を切断されたある被害者は裁判の行方よりも、今後の生活に心配を寄せているそうです。
シエラレオネは、国連開発計画が算出した開発・発展・貧困の度合いを表す『人間開発指数』で177カ国中、176位であり、人口の7割が厳しい貧困状況にあります。【06年7月12日 IPS】

そのシエラレオネでは昨年8月11日に、メンデ人の与党「シエラレオネ人民党」と、テムネ人の「全人民会議党」の間で激しい大統領および議会選挙戦が戦われました。
前回ブログの時点では開票集計中ということで、接戦の状態であること、選挙監視団は“うまく行われた”と評価しているものの、両陣営からは“不正投票や脅しがあった”と相手陣営への非難が出ており、選挙結果が受け入れられるか懸念があることを伝えています。

その後、大統領選挙について第1回投票では決着がつかず、9月8日に決戦投票が行われました。
決選投票は約1か月前に行われた第1回投票より秩序正しく行われたということです。
結局、最大野党「全人民会議党」のコロマ党首が得票率54.6%で、与党「シエラレオネ人民党」から出馬したベレワ副大統領(得票率45.4%)を破り、シエラレオネ史上初の民主的な政権交代が実現しました。

それぞれ、テムネ人、メンデ人という背景があるだけに、現在のケニアのような事態も懸念しましたが、特段の混乱もなく“平和の定着”を印象付ける結果になりました。
このまま、長年の内戦の混乱からシエラレオネが立ち直ることができるといいのですが。

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