ジョージ・オーエルの、ね。
50ページばかり、読んでみた。
ビッグ・ブラザーの下での、徹底した管理社会、ってことか。
現在の状況にも似ているところはあるけれど、暗くなりそうなんで。
この後、どうしようかな、と思案中、ってところだな。
わざわざ、めんどくさい物語の世界へ入らなくても、現実がかなり、めんどくさくなっているんだから、さ。
ってわけだ。
村上春樹の「1Q84」は最後まで読んだけどね。
たくさんの、って比較の話になっちゃうけど、物語を読んできたんだよな、たぶん。
そして、それを現実の解釈に援用し、なんてことなんだな。
もちろん、文字として定着していない物語も、たくさんたくさんあって。
それらをいちいち白日の下に晒す、なんてのが、ある意味、人生の一つ、とも言えるか。
あなたは、どんな物語たちの混淆ブツなんですか、ってことだ。
で、今、どんな物語の中にいるんですか、ってなもんだ。
人間の数だけあるんだろうから、どのみち、同じ物語なんてのはないわけで、違う物語と出会う、ぶつかる。
ってのが、人生模様なんだな、きっと。
そういう意味では、メディア、広報、なんてのも、難しい立ち位置にいることは間違いないな。
もっとも、どんな広報をされたとしても、それを受け取る側は、それぞれの物語の登場人物としての。
所作振る舞い、ってことになるから、だけどね。
そうそう、くだんの「1984」に、無知は力だ、なんてスローガンが出てきたな。
知らぬが仏、とか、知らぬが華、とかの日本語、あるよね。
たしかに、すべてを知らむとする欲望、願望が、不幸の始まりかも、だけどね。
水瓶座の時代、i knowの時代からすると、真逆ではあるけれど。
メディア、とか、知る、とか、物語、とかの話題で思い出すのが。
子どもたちが幼かった頃、彼ら、テレビか何かで、あるドラマ?物語?アニメ?を観ていた。
その時、こちらは、オトナぶって、それはこれこれこういう意味で、現実とは違う話で、とか。
投げかけた。
子どもたちから、すかさず、そんなこと、わかってるよ、わかってて楽しんでるんだから。
みたいな返事が返ってきたこと。
そこだな、大事なところは。
物語合戦の中で、他人様の楽しんでる物語に口を挟む愚かさ、ってわけだ。
そんなこんなで、当方も、今日の物語を楽しむことにしますか。