まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「1984」をふと読んでみるか、と。

2021年01月11日 | Weblog

ジョージ・オーエルの、ね。

50ページばかり、読んでみた。

ビッグ・ブラザーの下での、徹底した管理社会、ってことか。

現在の状況にも似ているところはあるけれど、暗くなりそうなんで。

この後、どうしようかな、と思案中、ってところだな。

わざわざ、めんどくさい物語の世界へ入らなくても、現実がかなり、めんどくさくなっているんだから、さ。

ってわけだ。

村上春樹の「1Q84」は最後まで読んだけどね。

たくさんの、って比較の話になっちゃうけど、物語を読んできたんだよな、たぶん。

そして、それを現実の解釈に援用し、なんてことなんだな。

もちろん、文字として定着していない物語も、たくさんたくさんあって。

それらをいちいち白日の下に晒す、なんてのが、ある意味、人生の一つ、とも言えるか。

あなたは、どんな物語たちの混淆ブツなんですか、ってことだ。

で、今、どんな物語の中にいるんですか、ってなもんだ。

人間の数だけあるんだろうから、どのみち、同じ物語なんてのはないわけで、違う物語と出会う、ぶつかる。

ってのが、人生模様なんだな、きっと。

そういう意味では、メディア、広報、なんてのも、難しい立ち位置にいることは間違いないな。

もっとも、どんな広報をされたとしても、それを受け取る側は、それぞれの物語の登場人物としての。

所作振る舞い、ってことになるから、だけどね。

そうそう、くだんの「1984」に、無知は力だ、なんてスローガンが出てきたな。

知らぬが仏、とか、知らぬが華、とかの日本語、あるよね。

たしかに、すべてを知らむとする欲望、願望が、不幸の始まりかも、だけどね。

水瓶座の時代、i knowの時代からすると、真逆ではあるけれど。

メディア、とか、知る、とか、物語、とかの話題で思い出すのが。

子どもたちが幼かった頃、彼ら、テレビか何かで、あるドラマ?物語?アニメ?を観ていた。

その時、こちらは、オトナぶって、それはこれこれこういう意味で、現実とは違う話で、とか。

投げかけた。

子どもたちから、すかさず、そんなこと、わかってるよ、わかってて楽しんでるんだから。

みたいな返事が返ってきたこと。

そこだな、大事なところは。

物語合戦の中で、他人様の楽しんでる物語に口を挟む愚かさ、ってわけだ。

そんなこんなで、当方も、今日の物語を楽しむことにしますか。

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「物語」分捕り合戦

2021年01月10日 | Weblog

今、そこここで起こっていることを一筆書きにしてみたのが表題。

厳密にいうと、分捕り、というよりは、押し付け、だろうな。

パンデミックにしても、大統領選にしても、現内閣の諸々にしても、ね。

大昔、ホモ・サピエンスが物語を手に入れて、周囲の大型動物たちに打ち勝ち、今に至る。

なんてのを、ハラリ教授が書いてたけど。

彼は、神話、という用語を使っていたな。

つまり、俺たち、仲間じゃないか、って神話だね、それを使えるようになった瞬間があったわけだ。

それから、どのくらいの大晦日とお正月を数えるのか。

共同、みたいなことが、たぶん、誰かの脳裏にふと浮かんできたのか。

それが、幸せと不幸の始まり、とも言えるか。

個、とか、ひとり、とかが、共同の名の下に、社会とか地域とか世間とか、そんな用語に置き換わり。

その社会に、馴染めよ、馴染まないと大変だぞ、というコンセプトの、教育という名のイベントも手に入れ。

今に至る。

なんて物語を書くことも可能なんだな。

そんな物語の道中、昨日、事務所で靴下の違和感を解消せむ、と立ったままね。

とその時、雷鳴のように、ってのは大袈裟だけど、ピキピキと腰の右側が音は立てなかったけども。

まるで、スラムダンクの桜木みたいな、彼は、背中だったんだけど。

で、あれっ、立ち上がるのに痛くて、机とかに手をおかなきゃ、なんて具合になってしまったわけだ。

早い話が、ぎっくり背中?腰?脇腹?大腰筋?でね。

走ることもままならず、整形外科へ、念のために行ってきた。

筋を違えてますね、骨には異常はありません、との先生の御託宣。

じゃ、安静にしときますよ、いや、今は、動かして直す、という理論なので、とおっしゃる。

OK!わかりました、今から走ります、と言ったら、それは流石に、痛みが取れてからの方が、ということで。

昨日は、午後、寝て過ごした。

まるで、この三連休ってのが、また再びの三ヶ日、に早変わり、って。

次男坊が、餅をついてくれたので、これで、お雑煮を作ってもらったら、まんま、ベタにお正月、和尚がツー。

ってなもんだ。

とうわけで、安静の午後のあと、今朝は随分痛みは減り、この調子なら走れるな、と思いつつ、今年の。

わがキーワードは、休む、だから、その通りにします。

 

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松も明けて

2021年01月09日 | Weblog

夕べは、娘の作ってくれたお汁粉をいただき。

そう、お供えのお餅の入った。

その前の日は、七草粥。

これで、どんど焼きでもあれば、一件落着、ってことだけど。

これで、2月3日の立春を迎えるという算段で、そこを境に新たな年が、だ。

その昔は、一つ一つが長いね、というのか、丁寧にていねいに、一つ一つのイベントを味わった。

そんな気がしてきて、当方も、それに倣い、ってなもんだ。

時代や政治や経済や、が、さまざまな様相で訪れるけれど、時の流れに采配を振るうのは。

そこにまったき自由がある、我が方で。

文明の名の下に、ホモ・サピエンスとしてのカラダとココロの流れが、慌ただしいものに変わってしまって。

時には、人によっては、適応障害、なんて名付けられ。

本末転倒も甚だしいことになっちゃってもいるんだけど。

便利さと体内時間とを秤にかけて、前者優位の、そんな時代ではあるんだな。

そんな流れに棹ささず、ってのも一興だ。

せっかくの「緊急事態宣言」下、それを楽しむに如くはなし、ってことだね。

それにしても、もう少し、落ち着いた広報、ってのがあっても良さそうだけど、マスのメディアも。

そうはいかないオトナの事情もあるんだろうな。

だから、子どもの頃、オトナが嫌いだったんだな、きっと。

言ってることとやってること、違うよな、って感覚ね。

それでなくても、朝、起きろ、とか、寒いのにね、眠いのにね。

これ食べろ、なんてのも、食べたくないのに、ってわけだ。

なにせ、とても神経質な、ナイーヴな、線病質な、あとなんだろう、おとなしい子だった、らしい。

なんて自画像も、周囲のオトナからの又聞きで、幼い頃のセピア色の写真を見ると。

天真爛漫な笑顔、なんだけどね、それが、長じるにつれ、笑いのそぶりもない顔になっていたな。

社会への、世間への、オトナたちのつくる共同体?価値の集まり?みたいなものへの。

体内、心内から押し出された、何事かを物語っているような顔。

よくぞ、ここまで生きてきた、なんて、悲劇のヒーローを気取っても仕方ないか。

そう、立春だった。

今年のお正月は、そこかな、と見当をつけていて、時勢にはそぐわないけど、めでたさを。

持続させる1月、ってくらいで行こうかな、と考えている次第。

さて、そんな今日は、走るのか、歩くのか、聴くのか、書くのか、いろいろとありそうでもあり。

いずれにしても、出かけるとします。

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もっと速くもっと遠くへもっとたくさん

2021年01月08日 | Weblog

何年か前に、水野和夫さんが書いていたな。

資本主義の終焉、なんてことね。

そもそも、資本主義と言われるものは、表題のごとくで、というわけだ。

いつでも、もっともっと、と。

馬車のスピードといったら、快適この上なく、だって、足に豆はできないし、って時代から。

煙を吐く蒸気機関車、あんな、悪魔の乗り物になんて、オイラは生涯乗らん、なんてもと江戸っ子は言ったか。

汽笛一声新橋を、なんて文部省唱歌だったんだよね。

にしても、一気に、世界は広がっただろうね。

チョット時代は遡るけど、遠くへ、といえば、よその国へ、しかも、いわゆる未開の地、キリスト教文明なるシロモノ。

その観点からしたら、もう、どうしようもない野蛮な、変なおまじないに興じ、ってなもんだ。

そんな土地から、民から、奪い尽くしたんだよね。

金銀財宝、ってやつ。

スペイン?イギリス?オランダ?ベルギー?

ヨーロッパの、どこか落ち着いた、洗練された佇まい、なんて形容もされるけど、その歴史には、って事になるか。

その頃からの、言ってみれば、貴族の末裔、黒貴族なんて表現もあるよね、それが、ディープステートの本山。

なんて言説もあり、という2021年だ。

ところで、「スラムダンク」が映画化される、と井上雄彦さんのツイートが流れていた。

「鬼滅の刃」に負けじ、ってことかね。

観に行きたいな、でも、緊急事態宣言の中ではめんどくさそうだな。

なんて言ってると、経済が回らない、ってことになるのか。

去年の11月だったか、10月かな、諏訪湖の近くのホテルで、六人の夕食会、あったんだけど。

見事に、そこはガイドライン通りの、広い部屋に距離を保ちの、宴で。

親しく会話を交わす、の裏側に、距離を取れ、というメッセージ、ってよくありがちな絵柄で。

鼻白んだな。

これからも続いていくとすると、中には、メンタルやられちゃう方も出てくるだろうな。

そんな時には、体感だな、自画自賛だけど、走ること。

ただ走ること、意味もなく、目標もなく、って。

すると、休んでいた毛細血管が、拡幅され、こちら側の仲間になってくれるんだな、きっと。

それは、白血球を運ぶに相応しい元気さになり、今流行りのウイルスへも。

すかさず捕食し、って算段だな。

病気と言われるものは、誰が治すのか、という命題だ。

そもそも、病気なんて存在するのか、と問い直してもいいけど。

このあたりを書き出すと、パンデミックへの言及にもなり、めんどくさいことになるかも、なんで。

今日は、今日に出かけることにします。

 

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Twitterのタイムラインにはアメリカ、アメリカの。

2021年01月07日 | Weblog

そう、誰が大統領になるのか、というツイートが流れている。

固唾を飲んで、という風情でもある。

どちらになっても、ディストピアへの道は避けられない、なんて言説もあったり。

トランプ、負けそうだね、いい気味だ、とか。

トランプ負けたら、CCPとかDSの意のままの世界になっちゃう、とか。

片や、マスのメディアでは、バイデン、バイデン、バイデン、って具合だし。

なんてことが、チョット遠くのまわりで起こっていること、なんだな。

いずれにしても、知らなかったことを知ることになる、まさに、i knowの時代到来、ってわけだ。

そもそも、知る、ってのは、どんなことかね、という問いも沸いても来て。

昨日、たまたま、テレビをつけたら、シルクロード、なんとかアーカイブと銘打って、あれは、1983年と出ていたか。

30年近く前の番組が流れていた。

チベットの麓なのか、ある村で、そこでは、一人のお嫁さんを兄弟で共有する、なんて言ってたな。

それも、今では廃止され、と30年前、なので、次男たちは街へ出る、とね。

食べるための資産を兄弟で分けることができず、なので、共有、なんてことだったか。

いつか行った白山郷だったか、大きな農家小屋に一族郎党が住み、結婚できるのは長男だけ。

次男、三男とかは、部屋住と言って、家僕、家の奴隷みたいな文字だけど、そんなこと、説明してくれてたな。

僕の住む、昔風にいえば、高橋村、というところ。

そこでも、赤堀、という家の人たちが、3軒、西の方からやってきて。

その3軒が、分家できるようになったのは、移住して100年も経った頃、元禄から数えて何時代か。

それから300年近くたって、今では、何十軒?100を超えているか、なんてこと。

土地の、いわゆる古老にお聞きしたことがある。

日々のしのぎでいっぱいいっぱいだった時代、それなりに知恵を出し合い、生き抜いてきたホモ・サピエンス。

という絵柄だな。

そんなところへ現れる、スーパーヒーロー、時の統治者願望、みたいな。

そんな風情も感じられる、上記、大統領選でもあるんだけど。

今日は、いろいろと予定が詰まっていて、粛々と時の流れのままに、ってことになります。

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仕事始め、です。

2021年01月06日 | Weblog

なんて表題にすると、そもそも、仕事ってなんなの?ってなもんですが。

そういえば、緊急事態宣言、ってのが、発令?発出?されると報道されているね。

夜の街や旅のサポートで生計を立てている方々は、この先、どうなるんだろう。

という感想が、素直に湧いてくるな。

働くところが少なくなれば、ブラックだのなんだの、ってのが、どこかへ忘れ去られ、なんて連想も。

働き方改革、が、どうなるのやら、だな。

戦後75年になるのか、高度成長もあったし、自国での戦争もなかったし、いい時代だったんだよね。

当然ながら、危機やら混乱、混沌やらへの感触は薄れ、組織や集団内部での出来事、言ってみれば。

社内営業みたいなものだな、そこが長けちゃったんだろうな、と。

本末が転倒しちゃう、もしもし、そもそも、それってなんのためにしてるんでしたっけ、とね。

なんてことがそこここで、起こっているような気がするな。

ところで、今年に入ってブックオフへお金をもらいに行って、つまり、大量に本を売ったんだけど。

ついでに、ちょっと覗いてみたら、小林秀雄の「考えるヒント2」ってのがあって、ノータイムで。

救出しちゃったんだけど、そこに、学問について書いてあって。

あれ、ちょっと前までは、流派があったみたいだね。

なんとか流、っての。

たしかに、師匠と弟子なんての、今でも使うし、芸みたいなものだ、と。

なんてことは、今回のパンデミックでテレビやメディアに出てくる、いわゆる専門家、って方々。

まんま、どんな流派、あの人はどこどこの流派で、ってわけだ。

あの研究所は731部隊の流れを汲んでいて、みたいな、だし、専門家同士の喧々諤諤、っての、ないものね。

ま、いいか、そんな具合で、ってどんな具合かわかりませんが、仕事を始めることにします。

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ワシントンの老夫婦はどうしてるかな。

2021年01月05日 | Weblog

あの頃、すでに老夫婦だったんだから、今頃は、違う世界へ、ってことか。

新婚旅行のハワイで出会ったんだった。

どんな経緯だったか、忘れたけれど、リタイアした大工さん夫婦とおばあちゃん。

こちらは20代だったから、老というわけだけど、実際には、今の僕の年より若かったかも、だな。

ほぼカタコト、身振り手振りのボディランゲージ。

彼たちのホテルまで招待していただいて、観光客としてのディナーじゃなく、本場の、ほんまもんの。

食事で驚いたことは、よく食べる、おばあちゃんも、ってことだったな。

もっとも彼らだって、ハワイへの観光客だったんだけどね。

最初、車を3台持ってる、なんていうから、アメリカはすごいな、なんて感想だったんだけど。

だんだん、話して親しくなると、実は、割とつましく過ごしているようで、車もそんなに持っていなかった。

なんて逸話もあり、だった。

その後、何度か文通みたいなもの、したんだった。

さようなら、の世界だな、さようならば仕方がない、無事を祈る、みたいなね。

なんて、数少ないアメリカの話になったんだけど、なにせ、今のアメリカ、でしょ。

きな臭い、壊れかけたアメリカ、にね、思いを馳せ、ってわけだ。

このところ、また、「murder most faul」を聴いてるんだ、プリウスライブでね。

ボブディランの歌声が、心なしか明るく聞こえるんだけど。

なぜなのかな。

小学校だったか、中学校だったか、アメリカは人種の坩堝、実験国家です、なんて先生が言ってたの。

思いだすな。

アメリカのドラマもあったな、サンセット77だっけ、あと、正しかるべき正義もめしいる時がある、なんていう。

「逃亡者」とか、なんとかフライデーとか、忘れたけど。

バタくさい、なんて言葉も、アメリカナイズした生活への憧れと自嘲みたいなものだったか。

長じるにつれ、パン食、小麦文化ね、あれも、敗戦国への、余剰の小麦を輸出、みたいなことだった、とか知ったり。

あと、落合信彦さんの「2039年の真実」なんて文庫本、読んだりしたな。

まさに、ボブディランの歌う「murder most faul」、JFK暗殺時間の真相は、西暦2039年まで内緒、なんての。

その息子さんが、今をときめく落合陽一さんだね。

なんてことごとが浮かんでくる、アメリカ大統領選。

スターリンもヒットラーも、同時代には、その所業は知られず、まさかあんなことをしていたなんて、と後代の人々が。

ああだこうだと論じる、みたいなことが、今、この時にも、同じように演じられているのかも、ってことだな。

さて、今日は、走りだ。

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さすがに、おめでとう!じゃなかったな、プリウス。

2021年01月04日 | Weblog

というわけで、三ヶ日も終わったのでした。

今日から御用初め。

幼い頃の僕の周りには、お役所勤めの人たちが多かったのかな。

こんな言葉が耳に残っている。

それとも、お正月は三ヶ日まで、ということだったのか、昭和の時代は。

こちらは、学校の始まりが問題だったので、詳細は覚えてないけどね。

気分としては、嫌だったな、始業式とか。

なんと言っても、登校拒否児童の魁、なんて自認しているからね。

もともと、人前とか、人の中とか、ってのは、嫌いで、そう。

人と話すのが怖い、という感じを覚えてるな。

中学になった時だったか、それとも、高校の時だったか、あれ、人と話すことは怖いことじゃないんだ。

なんてことに気がついたんだよね。

家庭での言葉の出方が、くぐもっていた、とか、恐る恐るの発語、みたいなことだったのか。

年末にもお墓参りに行ってきた、わが昭ちゃん、無口で怖い顔していた、なんてのがもっぱらの周囲の印象で。

それというのも、たぶん、だけど、わが父親の父親、祖父ですね、が、とても怖い方だったらしく。

父親の没後、妹に、おばだね、聞いて知ったんだった。

因果はめぐる、って話だ。

それが、いいとか悪いとかではなく、そんな巡りの中での、それぞれの人生模様、ってわけだ。

たまたま生まれた国であったり、時代であったり、という言い方もできるし、自ら選んできた、とも言えるし。

というのも、何年か前にこの世をさった友人の会社の整理をしているときに出会った事務員さん。

彼女のお子さん、5歳前くらいまでは、自分の胎内記憶というのか、覚えていたようで。

北海道へ飛行機で行った時、眼下の雲を眺め、僕はあの雲の上からお母さんのところへ来たんだ。

なんてこと、話していたそうで、彼女、それらを母子手帳にすべて記し、なんて話していたな。

ということからの類推で、たまたま生まれ落ちた派と自ら選択派、の話だね。

なんてことはともかく、今年は、休む、とか、ゆっくり、とか、ゆるむ、とか。

そんなワードが肝になりそうだな、と思っていて。

新しい生活習慣、とか、ニューノーマル、とかの言葉が踊る中では、むしろ、ちょっと、そことは離れた場所。

心境、ってのが、肝腎要なのかな、という気分なんだよね。

だから、というわけじゃないけど、走り初め、の二日の日は、休んだんだ。

自分に言い聞かせるように、だった。

立ち止まる、とかでもいいけど、ふと自分の素にある、いてみる、たたずむ、とかね。

さて、今日は、客先の安全祈願祭だ。

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三ヶ日と三ヶ日みかん。

2021年01月03日 | Weblog

今朝の表題は、なんの脈絡もないけど、たしか、三ヶ日みかん、と書くんじゃなかったかな。

なんて気分になったのでした。

としたら、年中、めでたい地名だな、と。

年の初めの極め付けは、フォームローラーに出会ったことだ。

円筒形の50センチくらいのやつで、カラダの下に敷いてほぐす、というもので。

娘に聞くと、バレーの選手が、試合の前後にみんな使ってる、と。

いわゆる筋膜リリースというウタイだけどね。

これがいい。

カラダの筋肉、って、そこここに使ってない部位があるみたいで、使わない、硬くなる、他に影響。

で、痛みになる、なんて関係らしい。

この間、著者名忘れた本、彼の言い方は、とにかく、動かないことが害悪だ、カラダにとって、というわけで。

何本、筋肉があるのか知らないけれど、相当数が、大して動かさずに日常を送り、腰が、膝が、肩が。

痛い、ってことになるようなんだよね。

ま、とにかく、気に入ったものに出会った次第。

こいつは春から縁起がいいわい、ってなもんだ。

なにか、今年を象徴するような出会いだな。

楽しみだ。

年始のツイートだったかな、日本人は、become、〜なる、とかいう言い方が得意だな、そこが問題だ。

みたいな書き方を、どこぞのインテリゲンチャがしていたような、うろ覚えだけど。

よく主語がない、なんて言い方、あるよね。

ところが、ここんとこ、もしかしたら、とても深い境地の表れかも、という気もしていて。

うまく言い表せないんだけど、ずっと前にご紹介した。

国分功一郎さんという哲学者が、中動態という、つまり、〜する、と、〜されるの間に、その昔は。

〜なる、というような、言葉の使い方を、自分のことに対してしていた時代があった。

のだけれど、いつの間にか、それは消えていた、なんての。

書いていて、それ、いまだに気になっているんだよね。

近代、現代の法治国家は、自分のしたことは自分で責任取らなきゃ、ということで成り立っている、ともいえて。

知らぬ間に、こんななっちゃっていたんです、じゃ、刑法の責任を取れないじゃないか、ってなもんだ。

のだけれど、実は、自分がしているようで自分じゃない、なんてこと、あるんだろうな、と。

言ってみれば、大きな意識、あるいは、なんだろう。

出会いにしても、いろんな出来事が我が身にやってくることにしても、大きな縁(えにし)とでもいうか。

自分の力でないもの、宇宙でも、神でも、なにか、そんな大きくて深くて遠くて、そんな領域から訪れる。

なんて気分にもなろうってもんだ。

と、年の初めから大言壮語して、本日のブログ、終了します。

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おめでとうございます、と今朝もプリウスが。

2021年01月02日 | Weblog

この三ヶ日は毎日、言ってくれるのかも、だな。

島の始まりが淡路島、歳の始まりは三ヶ日、ってことだ。

書初め、とか、出初式、とか、そう、書初めといえば、年末の大掃除で長男坊の小学生の頃の。

が、出てきて、今日、孫と共にやってくるというから、何年ぶりかのご対面、って算段だ。

今朝の珈琲は、ブルボン、アマレロ。

ビーベリーというんだったか、小さな豆だ。

ちょっと、硬いかな。

味は優しい。

昨日は、実業団の駅伝をみちゃったな。

ただでさえ、駅伝、好きなんで、加えてわが走りとの比較対象、という意味でも、あの及び難さを味わう、っての。

マゾではないけど、なかなか、捨てがたい。

そうだ、歳の暮れに、toshさんからコメントをいただいたな。

まだ、糠漬け初心者でいいですか、みたいなの、ついでの、安否確認に読みにきてます、と。

彼、相変わらず、文章上手いね、はともかく。

そういったリアルコメントは、少なからず、文章を書くときに影響するね。

次の文章を、なんて時に、思い浮かべたりするんだからね。

なので、マスの世界で、つまり、芸能の世界で活躍する方々の内面ってのは、ある意味、マーケティングみたいなもので。

もちろん、例えば、作曲するときなんかは、そんなこと、考えもしないのだろうけど、なにせ。

降りてくる、みたいな言い方もあるんだからね。

ではあるけれど、降りてくるものにフィルターをかけるのは、当の本人でもあり。

ということで、そこには、魔界とでも言えるものがあるのかも、だな。

ハリウッドなんかに、そんな世界が忍び込む、なんてのも、宜なるかな、とも言えるな。

駅伝といえば、今日は、箱根だな。

またまた、見入っちゃうんだろうな。

もともと涙もろいからね、タスキをつなぐドラマ、にね。

またまた思い出したのは、わが駅伝体験だ。

僕が、スタートでの小嶋駅伝。

小学校の校庭を2周し、街へ出かける、というコースで、あまりの声援の大きさに、こちらはたぶん。

舞いあがっちゃっていたんだろうね、入りが早過ぎて、校庭を出る頃は青息吐息、ほうほうの体で二走者への。

感動のタスキを繋ぐシーン。

と見ると、彼、嫌な顔してるんだな、おいおい、どうしたんだ、ってなもんだ。

感動なんかどこ吹く風だからね。

と後でよくよく聞いてみたら、何度も出たり入ったりしていたらしいんだ、中継所を。

今来るかもうくるか、と。

しかし、来ない、もう小学生も行っちゃったのに、という時にやってきたのが、僕。

って光景だったそうで、感動どころか恥ずかしくて、っていうわけだ。

そんなことも思い出す、箱根駅伝なのです。

さて、ということで、お正月Ⅱを始めるとするか。

 

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