まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

松も明けて

2021年01月09日 | Weblog

夕べは、娘の作ってくれたお汁粉をいただき。

そう、お供えのお餅の入った。

その前の日は、七草粥。

これで、どんど焼きでもあれば、一件落着、ってことだけど。

これで、2月3日の立春を迎えるという算段で、そこを境に新たな年が、だ。

その昔は、一つ一つが長いね、というのか、丁寧にていねいに、一つ一つのイベントを味わった。

そんな気がしてきて、当方も、それに倣い、ってなもんだ。

時代や政治や経済や、が、さまざまな様相で訪れるけれど、時の流れに采配を振るうのは。

そこにまったき自由がある、我が方で。

文明の名の下に、ホモ・サピエンスとしてのカラダとココロの流れが、慌ただしいものに変わってしまって。

時には、人によっては、適応障害、なんて名付けられ。

本末転倒も甚だしいことになっちゃってもいるんだけど。

便利さと体内時間とを秤にかけて、前者優位の、そんな時代ではあるんだな。

そんな流れに棹ささず、ってのも一興だ。

せっかくの「緊急事態宣言」下、それを楽しむに如くはなし、ってことだね。

それにしても、もう少し、落ち着いた広報、ってのがあっても良さそうだけど、マスのメディアも。

そうはいかないオトナの事情もあるんだろうな。

だから、子どもの頃、オトナが嫌いだったんだな、きっと。

言ってることとやってること、違うよな、って感覚ね。

それでなくても、朝、起きろ、とか、寒いのにね、眠いのにね。

これ食べろ、なんてのも、食べたくないのに、ってわけだ。

なにせ、とても神経質な、ナイーヴな、線病質な、あとなんだろう、おとなしい子だった、らしい。

なんて自画像も、周囲のオトナからの又聞きで、幼い頃のセピア色の写真を見ると。

天真爛漫な笑顔、なんだけどね、それが、長じるにつれ、笑いのそぶりもない顔になっていたな。

社会への、世間への、オトナたちのつくる共同体?価値の集まり?みたいなものへの。

体内、心内から押し出された、何事かを物語っているような顔。

よくぞ、ここまで生きてきた、なんて、悲劇のヒーローを気取っても仕方ないか。

そう、立春だった。

今年のお正月は、そこかな、と見当をつけていて、時勢にはそぐわないけど、めでたさを。

持続させる1月、ってくらいで行こうかな、と考えている次第。

さて、そんな今日は、走るのか、歩くのか、聴くのか、書くのか、いろいろとありそうでもあり。

いずれにしても、出かけるとします。

コメント
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