本年もよろしくお願いいたします。
新春の月に見送られての出社。
夕べは、気温が下がったのか、上下着とも寝汗でびっしょり。
寒い時に汗をかくんだよね。
その構造、仕組みはわかりません。
新年早々の珈琲は、ゲイシャ。
エチオピアの有名なものだけど、久しぶりに昨日はいったショップのマスターが。
いつになくの、推し推しで、少々お高いけれど、お正月につき、買い求め、って次第。
珈琲らしからぬ、軽い感じだけど、濃厚でもある、と言う変なテイスティングを書いておくか。
一年の計は元旦にあり、というから、でもないけれど、一言、書いておくことにするか。
やっぱり、体感、だな。
百聞は一見にしかず、とも言えるけど、そこここでの噂話まがいのネタからの時間ではなく。
たしかに、マーケティングなんて観点からは、噂話を集め、って、SNS上を徘徊し、だけど。
そこには、たぶん、落し穴があるのかも、って印象でもある。
いのち、との切り結び、まんまのいのちを味わう、体感する、まんま生きる、とでも書けるか。
ヴィジョン、というか、過去からの類推、とか、分析、とか、ではなく。
どうありたいか、どうあるか、というのね。
そもそも、これから始まる時代は、想像の範囲外、ってことかもしれなくて、いや、すでに。
想定の範囲外に暮らしているわけでもあり。
そこでは、まるっぽのいのちで生きる、ちょっと、重複気味な書き方だけどね。
早い話が、自由、とも言えるか。
誰かの真似をしても楽しくないし、かといって、人と違うことに特化する、なんてのとも違い。
コロナ禍で、自己免疫力と自尊というワードを提示したけれど、自らを楽しむ、自ずからにたたずむ。
なんてことかな。
自らに然りと宣う、つまり、自然、ってわけだ。
いのちは自然。
というわけで、本年も与太話にお付き合い願えると、自らを楽しめますので、よろしく、です。