まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

蜂蜜を購入。

2021年01月24日 | Weblog

庵原の蜂蜜農家さんから、みかんはなくなっちゃったんです、というので。

百花蜜ってやつね。

狭い道路を分け入って、なんて感じのお宅で、それこそ、庵原君臣(いほはらのきみおみ)の頃からの。

これ、道じゃないの、ってくらいの、ね。

近くには、こんな風景。

この左側には、墓石が十個以上並べられ、古き駿河の景色か、なんて思いつつ車をのそりのそりと走らせた。

またぞろの、素人郷土研究家に舞い戻り、ってな気分だ。

なぜだろうな、古い景色に心落ち着くのは。

齢を重ねたせいなのか。

なんてことに思い至るのも、最近、子どもの頃にバスから眺めた畑が、コロナ禍での流行り、ドラッグストアに。

姿を変えていた。

この表現、チューリップの、財津和夫の「夕陽を追いかけて」のパクリみたいだけど。

その畑の前は、バス通で、車窓から眺めた光景、おばあちゃんが立ちしょんべん、ってのが。

原風景みたいにあって、寅さんの啖呵売に出てくる、粋なねぇちゃん、たちしょんべん、ってのにもつながるんだけど。

ま、そこがキレイに舗装され、駐車場として使われると、2度とあの景色は拝めないんだろうな、と。

そうして、古来、数多の景色が、それこそ、姿を変えていき、そりゃ、人も姿を変えていくわけだ、けれど。

夕べもやっていた「土曜の夜は寅さん」。

古い景色、やがて失われるだろう景色を撮ってきた、なんてどこかで監督が話していたな。

ゆく川の流れは絶えずして、ってわけだ。

なんてこと書いてると、しみじみ、みたいな気分にもなるけれど、前へ前へと歩くのもいいけど、たまには。

立ち止まり、右左、後ろも眺めるのもいいもんだ、って言い方もあり。

といいつつ、これも年寄りじみていて、動かなくなった御仁の説教話に転訛しちゃうと、これまた困ったもので。

動かなくなるとリクツが走る、なんてこと、以前も書いたけど、サッカーをやっていた時。

受験のために引退する先輩方、なんだか、評論家になっちゃったな、なんて瞬間、あったんだよね。

その時の印象が残っていて、動かないとしゃべるのか、みたいな。

口舌の徒、なんて言葉、なかったかな。

口とか頭とかだけの輩、みたいなのね。

自分はリスクとらず、とか続きそうだけど、一方、リスクとるなんてこと自体、大したリスクでもなく、とも言えて。

なんだろう、衝迫、芭蕉が旅立つ時の、漂白の思い止まず、だっけ、あの感覚、そこだよな、と。

エキセントリックな思想家、副島隆彦さんの最近の講演会で、会場から若い質問者がマイクの前に立ち。

アメリカ大統領選云々カンヌン、そこでの出来事を体系的に知るには、みたいな問いかけ、に対して。

すかさず、そんなもん、いらん、体系、なんて言葉で、インテリを気取るんじゃない、お前の中から湧き出る。

どうにも止まらないもの、そこで勝負しろ、みたいな返答をしていたのと通じる、芭蕉の漂白の思い。

ってことになるかな。

今朝は、長くなっちゃったので、やめにします。

コメント
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