今朝の珈琲です。
ネタがないわけでもないけど、なぜか、表題に珈琲名を使っちゃったんだよね。
初めての、なんだけど、たくさんあるんだよね、豆の種類。
それがアフリカ大陸のケニアから届けられる。
何十人、何百人の人々の手を通ってくるのかね。
動く。
カラダが動くとアタマも動く。
夕べ、ダウンロードしたMP3、藤原直哉、マドモアゼル・愛、月橋先生の鼎談では。
くだんの月橋さんが、いのち、と言ってたな、最後のまとめで。
お医者さんだから、治療とは外部からの施術ではなく、いのちの発露、ってわけだ。
いのちの声を聴く、とも言えるか。
これからの時代、すべてのものに言えるんだろうな。
経済の、お金の、地位の、名誉の、財産の、あと何?人気とか、なんとかかんとかは旧時代のもので。
根っこにあるのは、いのちそのもの。
なんてこと、書き始めると終わらないブログになっちゃいそうだな。
たしかに、キーワードというのか、当たり前のことを当たり前に語るだけ、ってことでもある。
今まで気遣っていたように見えてその実蔑ろにしていた、いのちそのもの、ってわけだ。
いのちでくくれば、すべての共通項、同じ、しかし、現れ方が違うだけ、というね。
だから、女性の時代とかのフレーズが、無意識のうちに出てくるのかも、だな。
もちろん、授かる人もそうでない人もいるけれど、観点は、そこではなく。
だな。
昨日もご紹介したけど、漂白の想いやまず、にも近いな、いのち、ってのは。
強制力やなんとかの価値観で押し込めることさえやめれば、誰にしても自然に発露する、そんなシロモノだよね。
シロモノ、なんて言い方は、不躾ではあるけれど。
さて、レッドマウンテンを味わいながらの次なるルーティンへ向かうとするか。