まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

知っていることと知ることと知らないこと。

2021年01月30日 | Weblog

知が随分と並ぶけれど、微妙な違い、ってわけだ。

実は、知性VS反知性、とかにしようか、なんて思ってもいて。

んだけど、ベタすぎて、やめといた。

というか、そんな表題そのものが知への讃仰、信仰、信頼みたいになっちゃってるか、なんてね。

はともかく、この間来社された御仁が、「無知の知」というお題の新聞コラムを送ってくれた。

娘さんがお弁当を作ってくれた、と写真を見せてくれた御仁なんだけど。

水瓶座の時代は、i know、我知る、の時代、というんだけど、であるからとも言えるか、知性。

なんて言葉への讃仰に、眉に唾して、って魂胆なんだな。

なんたって、i believeの時代の残滓、残渣、未だ衰えず、って時に、知ることで知ったことへの。

believeってのが、厄介でもあるんだよね。

なんて事書いて来ると訳わかんなくなっちゃうな。

くだんの御仁曰くは、無知、私が知らないことを私は知っている、とソクラテスが言った、なんてことだったか。

なんでも知っているという、どこかの碩学の、賢者に答えて曰く、ってシチュエーションで、だそうで。

そういえば、言う者は知らず知る者は言わず、なんてのも、あったな。

いずれにしても、めんどくさいね、コオロギはそんなこと、考えて鳴いてるかね、ってなもんだ。

この間、来社された女史が、サソリじゃなく、なんだっけ、ワニみたいなの、ペットとして飼っていたそうで。

その餌が、生きたコオロギ、だと言うんだよね。

なんともかんとも、だけど、そんなこと言い出したらキリがないか。

肉、食べるなよ、ってわけだ。

きゃー、かわいそう、このお魚さんがこっちを見てる、とても食べられない、と言って、そこをお箸で撤去して。

結果、食べた、なんて半分ネタのような話もあるしね。

「進撃の巨人」なんて漫画、読んだことないけど、そんな風情濃厚でもあるな、ヒトのやってることも。

食というもの、大事というか、なかなかのものだよね、と誕生日の昨日、話したな。

その視点への復活、復旧、復興の一大事業かも、なんて話ね。

そう、昨日は、午後から財務局関係の方々とのズーム会議。

おもしろかったな。

さまざまな取り組みをしなければ、という観点から、それぞれの方がそれぞれの立場での発言。

群盲像を撫でる、みたいに見えるかもな、神の視点からは、なんてね。

でも、それがホモ・サピエンスの鋭意そのもので。

決して、シニカルに話してはいけません、まる。ってなもんだ。

そう、与謝野晶子の短歌、の話もしたな、わが誕生日に。

柔肌の熱き血潮に触れもみでさみしからずや道を説く君、ってやつだけどね。

これについても語り出せば、一昼夜を要するかもしれず、って大袈裟だね。

はともかく、そんなわけで、誕生日の翌日に向かうとします。

コメント
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