まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

888㎐はJesus Christの周波数

2020年07月21日 | Weblog

だそうで。

以前、ラジオの人生相談をやってらっしゃった、女性のような名前の。

マドモアゼル愛さんという方のYouTubeにあって。

早速、聴いてみた。

音叉っていうのかな、それを鳴らした音、空気の流れ、がやってきて。

なかなか、いい。

キリスト意識グリッド、ってのが、カラダの周囲、というのか、地上、地球、というのか。

あるらしく、そんなことも連想するようなものだった。

この周波数のコンセプトは、カラダの中にあるものが、いるものが出てくる、とか。

全体的に見えてくる、とかいうものらしく。

そんな音源にふれ、一方、モーツアルトの。

ト短調クインテット、ま、弦楽五重奏第四番第一楽章、ってのがよくてね。

小林秀雄の受け売り、ってなもんだけど。

AirPodではなく、有線のイヤホンで聴く方がいいな、ってことで、夕べ、食後に聴いていた。

音づいてるね。

西欧の聖書だっけ、はじめに言葉ありき、とか言ってなかったかな。

あれも、いかにも、その後の展開、早い話が西欧的な歴史、ってのの、音源ならぬ根源。

みたいな感じもするけど、それはともかく。

音、と呼び習わされているものの大元、ってのが、気になるところでもある。

なんて日々に、ギョベクリ・テペ、というトルコの遺跡、ってのが飛び込んできて。

これ、発音しにくくてね、発音というか、音の並びが馴染まなくて、いかにも。

外来語、あるいは、宇宙語かも、ってくらいのものだけど。

11000年前、キリスト生誕の9000年前、ってわけだけど。

の神殿?とにかく、壮大な遺物、遺跡だそうで、ざっくり1割くらいしか。

発掘されてないのかな。

エジプトのピラミッドより前に、ってわけで、精査されれば、西欧流の歴史がひっくり返る。

なんて話もあるそうだけどね。

「まわりで起こっていること」は、興味尽きず、だな。

さて、そろそろ、そんな「まわり」に出かけることにするか。

 

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すぐそこでの話し声のように

2020年07月20日 | Weblog

何人かの話す声が聞こえてきた。

外を見ると、巴川の川向こうからだ。

早朝散歩の御仁方だ。

悪事千里を走る、なんての、なかったっけ、ではないけれど。

なんとも、朝のゆったりした空気を感じさせていただいた。

人々がまだ、動き始める前の、内容までは聞き取れなかったけれど、ね。

ところで、ステイホームからの運動不足で、なんてことがメディアの話題になるけれど。

こちらは、まさに、COVID-19が席巻し始めんと、というタイミングで。

走りを始めたので、むしろ、体内の細胞+ミトコンドリア氏は活発になっている具合。

面白いものだ。

たしかに、メディアに限らず、状況を切り取ることは、骨が折れることで。

どうしても、ステレオタイプに陥りがちではあるけれどね。

メディア批判も一つだけど、逆に、自分が当事者だったら、とシフトしてみると。

もちろん、妄想領域ではあるけれど、そりゃ、なかなかの難題を押し付けられた。

なんてことになるんだろうね。

政策なんてのも、その類だろうな。

夕べは、当社へ訪れる若いバンカー推奨の映画、観ちゃって。

「セブン」というので、デゼル・ワシントンとブラピの、ダンテの「神曲」を題材にした。

ってので。

七つの業、貪欲とか怒りとか高慢とか、あと何だったか、そんなものをテーマにした犯罪。

悪魔のような所業の犯人を追い詰める、くらいの話。

なかなかにエグい話ではあった。

なんて、切り取るのも、上記のメディア云々の話と被りもするね。

古来から書き残されたもの、聖書とか、あるいは。

遺物・遺跡などなどからすると、神と悪魔、という区分けはたしかにありそうで。

その上位に、創造主、源とか呼ばれるものが存在する、とでもくくってみるか。

そこに、死というものが絡んできて、あるいは、今生とかね。

来世とか。

たぶん、そんな具合かな、という見通しなんだな。

さて、月曜日の朝もいい時間になってきた。

佳き一日に向かうとするか。

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冷気、涼気にサンキュー!を言った朝

2020年07月19日 | Weblog

シャワーを浴び、さて、珈琲を淹れるかという瞬間に。

表題のように、風が訪れ、至福、ってやつを堪能した次第で。

まさに、神は細部に宿りたまふ、をベタに味わったわけだ。

one piece、ひと連なりの宝物、を体感したんだけど。

マンデリンG1、コンコルディアをお伴に、iMacにむかっている。

そういえば、今朝は、起きがけに、妙にネガティブな感情というのか、なんていうのか。

そんなものを感じ、具体的には、COVID-19の影響下、売上も落ち、仕事が暇になり。

なんて絵柄だったんだけどね。

ひょっとしたら、そんなことをなかったものにしていたのか、なんてね。

このあたり、直面してみることも必要かも、ではあるんだけど。

いつものコースを走り終わった今では、その感懐は、リアルには存在してなくて。

もっとも、当たり前だけどね、どのみち、わが脳内の出来事なんだから。

昨日の追伸、モーツアルトは、外部からの不意打ちに対して、自分自身を新たにする決意をした。

って小林秀雄は書いていたけど、そんな具合でもあるな。

文庫本にして70ページくらいの「モーツアルト」論は、なかなか、深いわ。

モーツアルトの音楽を味わうのもいいけど、加えて、小林秀雄を一緒に味わうとするか。

ついでに、彼は、って、モーツアルトのことだけど、音楽の世界で。

たくさんの偽名を持っていた、と書いてるんだよね。

偽名、というのは、象徴みたいなものだと思うけど、早い話が、いろんな顔を持っていた。

ってわけだ。

これね、ボブディランの「i contain multitudes」みたいで。

もっといえば、当たり前の、普通の人間のことが述べられているにすぎないんだけどね。

今朝は飛ばしすぎか、ボブディランに興味のない方からすると、なんだそれ、ってなもんだ。

ま、しかし、結論としたら、みんな似たようなもんだ、と。

今日は、これから、スタッフハンドブックの修正をしなきゃ、なんだけど、その気になると。

なかなか、難しくて、再来週の発表会に向けて、だからね。

モーツアルトみたいに、わけわかんないダジャレ飛ばしながら、さっさとペンが動けばいいんだけど。

なんて朝の次なるルーティンへ、だな。

 

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いい文章を味わってみようと思い立ち。

2020年07月18日 | Weblog

というほど、まるで、芭蕉の旅立ちの時の。

片雲の風に誘われ、漂泊の思いやまず、ってんでもないけれど、まさに。

GO TOキャンペーンなどなどが喧しい世情から隠遁せんと、ってね。

小林秀雄を読んだ。

しかも、「モーツアルト」なんだ。

もっとも、それを選んだのには理由があって、このところ、ずっとのテーマ、神と悪魔。

とでもくくるか。

なんてテーマを隠しつつの、いい文章巡り、か。

モーツアルトといえば、イルミナティ、というのか、フリーメーソンのメンバーで。

その秘密をばらした「魔笛」を書いたカドで、殺された、みたいな。

そんな話を聞きつけての、選択でもあったんだけどね。

もっとも小林秀雄の手にかかれば、そんなことよりも、音楽そのもの、あるいは。

モーツアルトという一つの現象、とでもいうか、それを堪能した。

って次第で。

またまた、わがiTuneミュージックのリストが蓄積され、って、まるで。

わが本棚の傍の、積ん読、みたいなものになりつつあるな。

以前、「アマデウス」という映画を観たことがあった。

女房とペラペラ、くだらないおしゃべりをしながら、指先にはペンを持ち。

その下には、五線譜が、って映像に。

あらあら、こりゃ、天才、神のごとき所業、くらいの感想だったし。

借金取りに追われて、わかったわかった、いつまでになんとかの曲を書き上げるから。

なんてシーンも、印象に残っているんだけど、そのあたりを。

小林秀雄は。

「命の力には、外的偶然性をやがて内的必然と感ずる能力が備わっているものだ」

なんて書くんだよね。

ごめんなさいね、わかりにくくて。

借金取りを、外から偶然にやってくるものじゃなく、モーツアルトは。

自分の中で、当たり前に、必然として起こったものと感ずる能力を持っていたので。

なんの、世に言うストレスもなしに、いやむしろ、そのストレスを創造への起爆剤とし。

くらいの話かね。

取り急ぎ、そんな前口上を受け止めつつの、モーツアルトを聴いていた。

いいね、珈琲のテイスティングノートをやめにした、と言う理由と似たようなものが。

ここでも起こっているんだけど、とにかく、聴きました。

どっぷりと漬かる、まんまになる、聴いている自分と聴かされている音が。

渾然一体となり、ってなもんだな。

ところで、今朝の雨は、わが走りをしばし押しとどめ、って風情で。

巴川が流れていく。

珈琲は、シャキッソ、有機栽培。

モカの港からの、って次第で、これがまた、モーツアルトの音のように、美味い。

さて、そんなこんなで、土曜日を迎え入れることにします。

【追伸】

どうしてもこの文章だけ、引用させていただこうと、思い立ちの追伸です。

「モーツアルトにとって制作とは、その場その場の取引であった。(中略)彼はその場その場の取引に一切を賭けた。即興は彼の命であったと言うことは、偶然のもの、未知のもの、あらかじめ用意した論理ではどうにも扱えぬ外部からの不意打ち、そういうものに面接する毎に、己を根柢から新たにする決意が目覚めたということなのであった。」

まるで、「COVID-19なるもの」の中心から周辺を機縁としてわれわれに訪れている今への、ステキなアドバイスみたいでしょ。

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79歳のノーベル文学賞・ボブディラン

2020年07月17日 | Weblog

だそうだ。

そういえば、この間、BSかなんかで、吉田拓郎の「落陽」をやっていたな。

彼も、70越えか。

思えば遠くへ来たもんだ、ってわけだ。

くだんのボブディラン、新アルバムをリリースしたので、早速、ダウンロード。

iTunesという便利なもので、すかさず、ってことで。

車中で、聴いているんだけどね。

相変わらずの、読経のような、聴きとりにくい歌ではあるけれど、だんだん、それが良くなってくる。

さらに、歌詞の意味を噛みしめるようになると、深く深くうなづく、って次第で。

COVID-19下の最初の頃、よく聴いていた、muder most foul、も難しかったけれど。

村上春樹を差し置いてのノーベル賞だから、そりゃ、鑑賞するまでの準備期間。

ってのもありなのかも、ってね。

なんて気分で聴いている彼も、79歳だ、中の一曲。

「i contain multitudes」、っての、いろいろ、やってきたな、って振り返り、みたいな。

たくさんの俺を携えて、くらいに訳しちゃうか。

ヌードも描いた、風景も描いた、イギリスの悪たれ、ローリングストーンズを好きになったことも。

赤いブルージーンズを履いたり、キャデラックに乗ったり、ウイリアムブレイクのように生きてみたり。

なんてのが、散りばめられていて、なんて歌なんだよね。

multitudes 、って、たくさんたくさんの、とか、いろんな面を持っていた、とか。

これだけが私です、といえないくらいの私がいたんだ、ってなもんだ。

ま、そんな具合に、79歳を味あわせていただいている次第で。

昨日は、ボブディランより少し若い御仁とお茶をしたんだけど。

せっかくだから、紹介してあげればよかったな、かたやこちらは、少々の愚痴りを聞き置いた。

なんてノリだったからね。

いずれにしても、どんな生き方でも、それはそれで、肯んじるのが、人生の極意、ってやつで。

doで生きろ、というまやかし、洗脳から脱し、beで行こうよ、って話が、年若い僕からの提案で。

あるだけでいい、だって、何かをする、という地点からあるだけ、の地点に立つと。

ものみな、至福への招待状、って事の次第なんだな、たぶん、きっと。

79歳のボブディランも、そんなことを歌ってるよ、おそらく。

ということで、本日に出張っていくことにするか。

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サービスという外来語

2020年07月16日 | Weblog

いまさら、縄文時代に戻れるわけじゃなし、って感想を持ちつつの表題なんだけど。

サービス業。

COVID-19による影響が、底知れない、って業界でもあり。

なんてことを、リアルに感じたのが、昨日だった。

あるホテルでの出来事で、担当の方に、大変ですね、マスクしたり、ソーシャルディスタンスだったり。

僕は、あんまり、気にしないけれど、なんて会話から、そうなんです、と。

お客様によって様々で、なかには、って言い澱む、なんて場面だ。

あとは言わずもがな、ってなことだけどね。

いつだったか、ゼロリスク、って表題にも書いたけど。

リスクはゼロじゃなきゃいけない運動、みたいなのだな。

かたや、イノベーション推奨の世界では、リスク取れ!バットを振れ!なんて標語もあるわけで。

なんだけど、それこそ、なんだかなぁ、って気分になった瞬間だった。

もちろん、身内に持病や重篤化しやすい高齢者を抱えていれば、ってことなんだけどね。

そんなこんなでの今朝の表題、サービス、って言葉ね。

この言葉の語源ってのは、そもそも、サーブ、とか、スレイブ、とか、奴隷がらみの由来じゃなかった?

どうもそんな感じがするんだよね。

外来語が悪いわけじゃないけど、だって、そもそも、四文字熟語なんて、ほとんど、外来語でしょ。

西欧か中国かの違いだけで。

なんだけど、ね、ってわけだ。

喫茶店とか、あるいは、どこでもこちらがお金を払って云々、というシチュエーションでは。

なるべく、ありがとうございます、というようにしているんだよね。

じゃないと、お、そこへ置いといてくれ、っぽく、お客様=神様、みたいな。

そんな立ち位置へ踏ん反り返っちゃいそうだからね、心の姿勢が。

昔、商売の先輩に聞かされたんだけど、売買、って、台湾だったか、中国だったか。

そこでは、買い売り、買売と書くんだそうで、買わせていただいて売ることができる、とね。

買う側のたかピーな話、って枚挙にいとまがない、ってくらいで。

モンスターペアレントならぬ、なんていうんだっけ、なんかあったよね。

なんてことをツラツラと思い浮かべている朝、珈琲は。

モカ。

なんだけど、今朝のは、シャキッソという地で収穫されたものらしく、有機栽培だ、と。

薫りがいいし、モカの風味もありつつの、だな。

そうだ、今日は、巴川に花火が上がるらしい。

毎年恒例の、なんだけど、COVID-19による、密にならないように、ってことで。

ひそやかに今日の日が伝わってきて、上がる時間も内緒、だったのか。

知らせる、ってことは何?ってなもんだな。

なんとも、「パンデミック」騒動は、いろいろと、行動変容、思考変容、感覚変容を強いるんだよね。

起こっていることは、そう名付けられた社会現象、というわけだ。

というわけで、今日の始まりです。

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37回目のジョギング?走り?

2020年07月15日 | Weblog

なぜか、ところで今まではどのくらいで走っていたのか。

なんてノートをパラパラと逍遥し、ってちょっと優雅な時間を過ごし、の。

表題だったのですが。

COVID-19が猖獗?を極めんとする頃、なぜか走り始めたのでした。

初日の、なんていうのか、打ちのめされ感、ってのは、なかったな。

ほんと、歩く方がよっぽど早いんじゃね、って具合で。

しかも、息は苦しいし、ね。

なんてのが、2月の1日。

今朝の走りは、表題のごとくで、しかも、月日は7月の15日、ってわけだ。

なんにしろ、日々の、ほんの少しの営為が、大きなことになっていく、という実感。

針小棒大じゃなくて、なんていうんだっけ、なんか、四文字熟語、ありそうだよね。

だから、世に、どんな心持ちで日々を生きるかで、未来を創造する、みたいな言い方、あるでしょ。

あれ、実感、体感、って感じがするな。

今朝も、道中、古い古い知人にお会いし、鍛えてるね、という掛け声をいただいた次第。

そんな朝は、マンデリンG1、というインドネシアからの珈琲。

わが簡易シャワーも浴び、心地もカラダもいい気分、ってんもんだ。

昨夜は同友会の例会、zoomにての参加だったんだけど、報告者が30代半ばの三代目。

何年か前の例会での、僕との出会いの瞬間についても少し語られ、こちらは。

いい気分と同時に、瞬間瞬間の途轍もない大事さ、大切さ、重さ、かけがえのなさ。

なんてのを思い知ったわけだ。

それは、心のブレーキを壊す、っていうテーマだったんだけどね。

ほんの一歩が踏み込めない、それは何?何が邪魔してる?みたいなものだったか。

なんて時間を過ごし、いつもの夜のルーティンは、変更と相成り、という晩を過ごし。

今朝は今朝で、こうしてブログを書いている、という流れですね。

ところで、昨夜、自宅で遅い食事をしながらのテレビ画面には、エリザベス女王の特集が。

NHKのBSだったかな、流れていて、なぜ、今?みたいな怪訝な思いをしながら見ていた。

こうして、たぶん、多くの出来事というやつは切り取られ、何百万人もの人々へ知られることになる。

という、ある意味では、当たり前、違った意味では、創られた歴史の一場面。

ってなことごとを感じつつの、だったな。

開高健じゃないけど、知の哀しみ、ってやつだ。

なんてことを浮かばせつつ、次のルーティン、日本経済新聞の読み、に出かけるとするか。

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ゼロリスク、ってのはリアルか妄想か

2020年07月14日 | Weblog

とふと、今朝は表題にしてみたくて。

リスクマネージメントとかの言葉があるように、なるべくリスクないように。

あるいは、ゼロに、ってトレンドで。

それはそれで大事なことでもあるんだろうけど。

ウイルスとの遭遇、邂逅も、結果としての共生により、こうして、例えば。

わが細胞の中のミトコンドリア君との共同創造の日々、ってことだけど。

当初は、って、なん億年前なのか、だけど。

異物の闖入なんだから、そりゃ、わが原初の細胞君と来たら、大慌てか、あるいは。

敵意むき出しの争闘もあったんだろうね。

それが、時を経て、今では仲良く、まるでもともと一体であったみたいな、そんな仲の良さだ。

なんて鷹揚に、長い長い年月を振り返っているけれど、その実。

例えば、わが社の、お子さんに持病のある方からしたら、今回のCOVID-19への対応というのは。

そんな呑気な話ではなく、免疫が弱いお子さんへの感染をなんとか食い止めんと、ってのは。

宜なるかな、ってことだよね。

ということで、今月末の、30人弱の人士方の蝟集する、経営指針発表会と銘打たれたイベントも。

少々、見直す必要もあり、リアルとリモートの融合、って感じかな。

なんて思ったりしていて。

なにせ、融通むげ、どんな状況へも対応できる、ってのが、もともとの。

わが生命の力でもあるからね、その実践型ってわけだ。

そこでまた、新たな道具立てが開発される可能性もあり、ってね。

今日も雨だ。

湿気が高いのか、珈琲の残滓を入れるブリキの箱があるんだけど、そこにカビが生えてきて。

残念ながら、それは除去し、って作業を昨日したんだな。

その残渣をわがベランダの肥料の足しに、なんて使っているんで。

なんてことも、あったんだけど。

そうだ、わが家でも娘たちが、家庭菜園を、なんて気になっているようで。

生ゴミを肥料に変える機械があるそうで、それを据付、って次第で。

それはそれでまた楽しみでもあるね。

循環。

ってのは、体内の血液やリンパ液に限らず、すべての健康の元、でもあるし。

会社という組織もそう、脳内の組織もそう、ってことだよね。

巡り巡る、ひと時も元のままにあらず、ゆく川の流れのように、って。

さて、今日も生命の循環を表現してみるとするか。

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エチオピアはモカの港から届けられた

2020年07月13日 | Weblog

イルガンチェフェとネーミングされた珈琲。

と書いてくれば、昔アラブのエライお坊さんが、って続くわけだ。

西田佐知子のコーヒールンバ。

唐突だけど。

今朝は少し湯温が高かったかな、って具合で。

日に新たに、日々に新たに、をまんま表してくれる珈琲なんだな。

だから、細胞だって、と続き、一週間だっけ、もっとか、いずれにしても、常に。

流動していて、いつまでも「自分」じゃない、というか。

カラダは常に入れ替わって、生まれ変わって、という次第で、そこをかろうじて繋ぎ止めているのが。

自己同一性、というのか、アイデンティティ、ID、ってやつだ。

そこが不分明になると、落語の、ここで死んでるのが俺なら俺は一体なんだ?って。

そんな噺になるわけだ。

あれは、「粗忽長屋」、だっけ、忘れましたが。

ところで、井上光晴の娘さん、井上荒野という作家さんが書いていた。

「私が小説を書くのは、書くことによって見知らぬ場所へ行くため、

 見たことがない景色を見るため」

なんだけど、今、はまっているのが、韓国ドラマの、なんだったか。

そうだ、「愛の不時着」ってので、韓国の娘さんが北朝鮮に不時着、かの国の。

イケメンの兵隊さんと出会っちゃう、っていうやつらしく、そのドラマが。

ベタなくらい、こうなるこうなる、と思って見てると、その通りになる、んだって。

そのお約束が、たまらなくて、だそうだ。

自分の小説書きとは真逆な物語の展開に、はまっている、というのが面白くてね。

この話題を取り上げたのは、書くことで見知らぬ場所へ行く、ってフレーズにピピピッと、ね。

来たからなんだな。

書くに限らず、イメージを描く、でも、解釈をする、でもいいけど、そんなこと、わりとあるからね。

パラレルワールドとも言い換えられるか。

その根底にあるのは、すべて、自分で創造できる、ということに繋がるんだけど。

それをもって、我が身は神なり、とね。

今朝も、白いアサガオが咲いている。

「あふれる喜び」という花言葉を、この月末の発表会に援用し、という魂胆で。

さらに、その場のコンセプト、ってのは、伝えること、伝わること、腑に落ちること、わがことのごとく。

なんてことになるかな。

せっかくのCOVID-19禍を、最大限に利活用、その本源的な部分をわがことにする、とかね。

行動変容は、未来を創造するための道具です、ってわけだ。

強要されたきらいのある変容を、わがこととしての創造に転化する、とも言えるか。

としたら、ワクワク感、満載でしょ、ってなもんだ。

さて、月曜日という日に、出かけるとするか。

 

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今朝も簡易シャワールームで。

2020年07月12日 | Weblog

汗をかいた後のシャワーは気持ちがいい。

珈琲は、少々、時間が経過してしまったコロンビアのサマニエゴ。

静かな日曜日だ。

COVID-19は東京一極集中みたいな感じになってきたな。

長期的には、これで、花の都大東京へ、って流れは変わるのか。

どうなのか。

とはいえ、向上心旺盛な若者は、「青年は荒野をめざす」by 五木寛之だから、そうもいかないのか。

時代はずいぶん遡るけれど、ネアンデルタールとか錚々たるメンバーが、それこそ、群雄割拠していた時代。

何万年前になるのか、中でも弱小の、われらホモ・サピエンスが今に至るも生き延びているのは。

神話を作る能力があったからだ、というのは、イスラエルの学者さん、ハラリ教授だけど。

その能力が、向上に向上を重ね、クローンは作るは、F1は作るは、何から何まで人工的な。

モノ作りに地道を上げ、って現在。

COVID-19すら、ひょっとしたら人工的な、なんて言説もひそかに飛び交ったり。

他にも、統治の仕組みも、うまい具合に幻想、というのか、神話、というのか。

そんなものを駆使して張り巡らされ、世界に冠たる中国の、顔認証の蜘蛛の巣みたいな。

とか。

数え上げたら、そりゃきりがないくらいの進歩なわけだ。

たしか、前回の東京五輪から何年かしたのちの万博、進歩となんとかじゃなかったかな、キャッチ。

そんなこんなで、世は日毎にさまざまな話題を提供してくれるんだけど、たぶん。

この後のわが世は、「河岸の市」にてのお買い物になるだろうな、また、真鯛か。

なにせ、柳刃を新調したばかりだし、桂むきのトレーニングもあるし、お昼前には。

二人目の孫を連れての長男坊家族のお出ましもあるし、ってことで。

パラレルワールド、って考え方ね、この瞬間に、同時にいろんなワールドが展開している。

っての、そんな感じでもあるね。

どこに照準を合わせるか、切り取るか、解釈するか、って。

未来は、創造することができる、ってわけだ。

なんて日曜日のルーティン、後半戦に突入、ってところです。

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