まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

エチオピアはモカの港から届けられた

2020年07月13日 | Weblog

イルガンチェフェとネーミングされた珈琲。

と書いてくれば、昔アラブのエライお坊さんが、って続くわけだ。

西田佐知子のコーヒールンバ。

唐突だけど。

今朝は少し湯温が高かったかな、って具合で。

日に新たに、日々に新たに、をまんま表してくれる珈琲なんだな。

だから、細胞だって、と続き、一週間だっけ、もっとか、いずれにしても、常に。

流動していて、いつまでも「自分」じゃない、というか。

カラダは常に入れ替わって、生まれ変わって、という次第で、そこをかろうじて繋ぎ止めているのが。

自己同一性、というのか、アイデンティティ、ID、ってやつだ。

そこが不分明になると、落語の、ここで死んでるのが俺なら俺は一体なんだ?って。

そんな噺になるわけだ。

あれは、「粗忽長屋」、だっけ、忘れましたが。

ところで、井上光晴の娘さん、井上荒野という作家さんが書いていた。

「私が小説を書くのは、書くことによって見知らぬ場所へ行くため、

 見たことがない景色を見るため」

なんだけど、今、はまっているのが、韓国ドラマの、なんだったか。

そうだ、「愛の不時着」ってので、韓国の娘さんが北朝鮮に不時着、かの国の。

イケメンの兵隊さんと出会っちゃう、っていうやつらしく、そのドラマが。

ベタなくらい、こうなるこうなる、と思って見てると、その通りになる、んだって。

そのお約束が、たまらなくて、だそうだ。

自分の小説書きとは真逆な物語の展開に、はまっている、というのが面白くてね。

この話題を取り上げたのは、書くことで見知らぬ場所へ行く、ってフレーズにピピピッと、ね。

来たからなんだな。

書くに限らず、イメージを描く、でも、解釈をする、でもいいけど、そんなこと、わりとあるからね。

パラレルワールドとも言い換えられるか。

その根底にあるのは、すべて、自分で創造できる、ということに繋がるんだけど。

それをもって、我が身は神なり、とね。

今朝も、白いアサガオが咲いている。

「あふれる喜び」という花言葉を、この月末の発表会に援用し、という魂胆で。

さらに、その場のコンセプト、ってのは、伝えること、伝わること、腑に落ちること、わがことのごとく。

なんてことになるかな。

せっかくのCOVID-19禍を、最大限に利活用、その本源的な部分をわがことにする、とかね。

行動変容は、未来を創造するための道具です、ってわけだ。

強要されたきらいのある変容を、わがこととしての創造に転化する、とも言えるか。

としたら、ワクワク感、満載でしょ、ってなもんだ。

さて、月曜日という日に、出かけるとするか。

 

コメント
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