というほど、まるで、芭蕉の旅立ちの時の。
片雲の風に誘われ、漂泊の思いやまず、ってんでもないけれど、まさに。
GO TOキャンペーンなどなどが喧しい世情から隠遁せんと、ってね。
小林秀雄を読んだ。
しかも、「モーツアルト」なんだ。
もっとも、それを選んだのには理由があって、このところ、ずっとのテーマ、神と悪魔。
とでもくくるか。
なんてテーマを隠しつつの、いい文章巡り、か。
モーツアルトといえば、イルミナティ、というのか、フリーメーソンのメンバーで。
その秘密をばらした「魔笛」を書いたカドで、殺された、みたいな。
そんな話を聞きつけての、選択でもあったんだけどね。
もっとも小林秀雄の手にかかれば、そんなことよりも、音楽そのもの、あるいは。
モーツアルトという一つの現象、とでもいうか、それを堪能した。
って次第で。
またまた、わがiTuneミュージックのリストが蓄積され、って、まるで。
わが本棚の傍の、積ん読、みたいなものになりつつあるな。
以前、「アマデウス」という映画を観たことがあった。
女房とペラペラ、くだらないおしゃべりをしながら、指先にはペンを持ち。
その下には、五線譜が、って映像に。
あらあら、こりゃ、天才、神のごとき所業、くらいの感想だったし。
借金取りに追われて、わかったわかった、いつまでになんとかの曲を書き上げるから。
なんてシーンも、印象に残っているんだけど、そのあたりを。
小林秀雄は。
「命の力には、外的偶然性をやがて内的必然と感ずる能力が備わっているものだ」
なんて書くんだよね。
ごめんなさいね、わかりにくくて。
借金取りを、外から偶然にやってくるものじゃなく、モーツアルトは。
自分の中で、当たり前に、必然として起こったものと感ずる能力を持っていたので。
なんの、世に言うストレスもなしに、いやむしろ、そのストレスを創造への起爆剤とし。
くらいの話かね。
取り急ぎ、そんな前口上を受け止めつつの、モーツアルトを聴いていた。
いいね、珈琲のテイスティングノートをやめにした、と言う理由と似たようなものが。
ここでも起こっているんだけど、とにかく、聴きました。
どっぷりと漬かる、まんまになる、聴いている自分と聴かされている音が。
渾然一体となり、ってなもんだな。
ところで、今朝の雨は、わが走りをしばし押しとどめ、って風情で。
巴川が流れていく。
珈琲は、シャキッソ、有機栽培。
モカの港からの、って次第で、これがまた、モーツアルトの音のように、美味い。
さて、そんなこんなで、土曜日を迎え入れることにします。
【追伸】
どうしてもこの文章だけ、引用させていただこうと、思い立ちの追伸です。
「モーツアルトにとって制作とは、その場その場の取引であった。(中略)彼はその場その場の取引に一切を賭けた。即興は彼の命であったと言うことは、偶然のもの、未知のもの、あらかじめ用意した論理ではどうにも扱えぬ外部からの不意打ち、そういうものに面接する毎に、己を根柢から新たにする決意が目覚めたということなのであった。」
まるで、「COVID-19なるもの」の中心から周辺を機縁としてわれわれに訪れている今への、ステキなアドバイスみたいでしょ。