まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

いい文章を味わってみようと思い立ち。

2020年07月18日 | Weblog

というほど、まるで、芭蕉の旅立ちの時の。

片雲の風に誘われ、漂泊の思いやまず、ってんでもないけれど、まさに。

GO TOキャンペーンなどなどが喧しい世情から隠遁せんと、ってね。

小林秀雄を読んだ。

しかも、「モーツアルト」なんだ。

もっとも、それを選んだのには理由があって、このところ、ずっとのテーマ、神と悪魔。

とでもくくるか。

なんてテーマを隠しつつの、いい文章巡り、か。

モーツアルトといえば、イルミナティ、というのか、フリーメーソンのメンバーで。

その秘密をばらした「魔笛」を書いたカドで、殺された、みたいな。

そんな話を聞きつけての、選択でもあったんだけどね。

もっとも小林秀雄の手にかかれば、そんなことよりも、音楽そのもの、あるいは。

モーツアルトという一つの現象、とでもいうか、それを堪能した。

って次第で。

またまた、わがiTuneミュージックのリストが蓄積され、って、まるで。

わが本棚の傍の、積ん読、みたいなものになりつつあるな。

以前、「アマデウス」という映画を観たことがあった。

女房とペラペラ、くだらないおしゃべりをしながら、指先にはペンを持ち。

その下には、五線譜が、って映像に。

あらあら、こりゃ、天才、神のごとき所業、くらいの感想だったし。

借金取りに追われて、わかったわかった、いつまでになんとかの曲を書き上げるから。

なんてシーンも、印象に残っているんだけど、そのあたりを。

小林秀雄は。

「命の力には、外的偶然性をやがて内的必然と感ずる能力が備わっているものだ」

なんて書くんだよね。

ごめんなさいね、わかりにくくて。

借金取りを、外から偶然にやってくるものじゃなく、モーツアルトは。

自分の中で、当たり前に、必然として起こったものと感ずる能力を持っていたので。

なんの、世に言うストレスもなしに、いやむしろ、そのストレスを創造への起爆剤とし。

くらいの話かね。

取り急ぎ、そんな前口上を受け止めつつの、モーツアルトを聴いていた。

いいね、珈琲のテイスティングノートをやめにした、と言う理由と似たようなものが。

ここでも起こっているんだけど、とにかく、聴きました。

どっぷりと漬かる、まんまになる、聴いている自分と聴かされている音が。

渾然一体となり、ってなもんだな。

ところで、今朝の雨は、わが走りをしばし押しとどめ、って風情で。

巴川が流れていく。

珈琲は、シャキッソ、有機栽培。

モカの港からの、って次第で、これがまた、モーツアルトの音のように、美味い。

さて、そんなこんなで、土曜日を迎え入れることにします。

【追伸】

どうしてもこの文章だけ、引用させていただこうと、思い立ちの追伸です。

「モーツアルトにとって制作とは、その場その場の取引であった。(中略)彼はその場その場の取引に一切を賭けた。即興は彼の命であったと言うことは、偶然のもの、未知のもの、あらかじめ用意した論理ではどうにも扱えぬ外部からの不意打ち、そういうものに面接する毎に、己を根柢から新たにする決意が目覚めたということなのであった。」

まるで、「COVID-19なるもの」の中心から周辺を機縁としてわれわれに訪れている今への、ステキなアドバイスみたいでしょ。

コメント
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