と目の前の相方がおっしゃる。
こちらは、一回しか観たことないのに、滔々と、でもないか、とにかく。
その映画について語ったのだけれど。
「薔薇の名前」というやつね。
ショーン・コネリーが主演の、中世ヨーロッパで、ペスト禍が収まった頃か、の映画で。
舞台は、キリスト教会。
当時、流石のキリスト教も、パンデミックの前では力を失いつつある、そんな時期。
なんだけどね。
僕が語ったのは、発禁書について、アリストテレスの詩学なんだそうで。
その第二部が、って、いつだったか、このブログでも書いたな。
その書のテーマは、笑いについてで、笑いは恐れをなくす、というものでね。
それが、禁書だってんだから、今でも姿形を変えて見え隠れするタブー、ってやつとまったく。
おんなじだな。
つまり、恐れがなければ神を必要としない、から、って理由だ、というわけだ。
まるで、現在、でしょ、COVID-19への恐れ、みたいな。
なんて話を語りながら、相方は、素晴らしい映画なので何度も観ているんだけど、内容。
覚えてません、ってことで。
記憶とか覚えていること、ってのが、たまたま、その場のテーマでもあり。
というのも、ある御仁と、2回目の待ち合わせに、彼、来らず、ってシチュエーション。
ちょっと、記憶が曖昧になりつつある御仁なんだけどね。
世には、認知症とかネイミングされ、ある棚に収まる、くらいの話。
の御仁、不在の邂逅とでもかっこよく書いておくか。
記憶、ってのも、あたかも、脳がこれこれこんな具合に機能して、なんてのが。
デフォで、脳だ、脳だ、脳みそだ、ってなもんだけど。
ついこの間、なんて言ったか、突然、視界にギザギザの光のようなものがやってきて。
何回目かの現象だけど、これ、なんらかの具合で、脳内に電流が流れ、それがあたかも。
存在するかのように見えてしまう、って現象、事象、症状だそうで。
脳には存在しない、それは微細な電流の刺激です、ってことだけど、記憶、なんてのも。
似たようなもので、カラダの外側に浮かぶ、蜘蛛の巣のようなネットワークの中から。
探し出し、こちらにやってくるのか。
何れにしても、脳内には存在しない、って類だな、きっと、たぶん、わが仮説では。
もっとも、この辺りはわが方には手に余る領域でもあるので、こんな具合にごまかしておくか。
窓からの涼気が、やってきた。
有難いね。
サンキュー!ってなもんだ。
骨ストレッチで少し温かくなったカラダに、だからね。
さて、今日に漕ぎ出すか。