なぜか、ところで今まではどのくらいで走っていたのか。
なんてノートをパラパラと逍遥し、ってちょっと優雅な時間を過ごし、の。
表題だったのですが。
COVID-19が猖獗?を極めんとする頃、なぜか走り始めたのでした。
初日の、なんていうのか、打ちのめされ感、ってのは、なかったな。
ほんと、歩く方がよっぽど早いんじゃね、って具合で。
しかも、息は苦しいし、ね。
なんてのが、2月の1日。
今朝の走りは、表題のごとくで、しかも、月日は7月の15日、ってわけだ。
なんにしろ、日々の、ほんの少しの営為が、大きなことになっていく、という実感。
針小棒大じゃなくて、なんていうんだっけ、なんか、四文字熟語、ありそうだよね。
だから、世に、どんな心持ちで日々を生きるかで、未来を創造する、みたいな言い方、あるでしょ。
あれ、実感、体感、って感じがするな。
今朝も、道中、古い古い知人にお会いし、鍛えてるね、という掛け声をいただいた次第。
そんな朝は、マンデリンG1、というインドネシアからの珈琲。
わが簡易シャワーも浴び、心地もカラダもいい気分、ってんもんだ。
昨夜は同友会の例会、zoomにての参加だったんだけど、報告者が30代半ばの三代目。
何年か前の例会での、僕との出会いの瞬間についても少し語られ、こちらは。
いい気分と同時に、瞬間瞬間の途轍もない大事さ、大切さ、重さ、かけがえのなさ。
なんてのを思い知ったわけだ。
それは、心のブレーキを壊す、っていうテーマだったんだけどね。
ほんの一歩が踏み込めない、それは何?何が邪魔してる?みたいなものだったか。
なんて時間を過ごし、いつもの夜のルーティンは、変更と相成り、という晩を過ごし。
今朝は今朝で、こうしてブログを書いている、という流れですね。
ところで、昨夜、自宅で遅い食事をしながらのテレビ画面には、エリザベス女王の特集が。
NHKのBSだったかな、流れていて、なぜ、今?みたいな怪訝な思いをしながら見ていた。
こうして、たぶん、多くの出来事というやつは切り取られ、何百万人もの人々へ知られることになる。
という、ある意味では、当たり前、違った意味では、創られた歴史の一場面。
ってなことごとを感じつつの、だったな。
開高健じゃないけど、知の哀しみ、ってやつだ。
なんてことを浮かばせつつ、次のルーティン、日本経済新聞の読み、に出かけるとするか。
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