まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ゴールデンな夕陽

2014年05月19日 | Weblog
今朝も手抜きで。

iPhoneからの投稿にします。



これです、戸田港。

もちろん、土曜日の夜のことですが。

この夕陽とともに、お神酒を、きこしめし。

翌日は、早朝から、箱根へむかったわけだ。

道中、富士山が素晴らしく、ウグイスの、さえずりも爽やか。

新緑は見事で。

車中で、ひとり、感嘆の声をあげていたのでした。

ブログへの写真のアップが、PCからだと。

面倒なんだね。

スマホやタブレットの操作が、圧倒的な進化の度合いでね。

知らぬ間に、簡便になっているんだね。

これだけ見ても、世は、モバイル端末って方向へ。

利益創出の源泉が、移っている、ってのは、実感できる。

ところで、インドでは。

スマホも凄まじい勢いで増えているんだろうけど。

お寺よりトイレ、ってのが、首相選挙のスローガンになっている。

なんて話が、でていてね。

半分くらいの御宅では、トイレがないんだってね。

なんで、神様への信仰の象徴、お寺なんかつくってるより、トイレです。

というわけだ。

これも、面白い話で。

現世での利便か、来世での利便か。

なんて単純化は、違うかも、だけど。

この辺りの違いについては。

また、書くとして。

ま、そんなわけで、ゴールデンな伊豆西海岸の夕陽を。

お届けします。

って、感じで、ここまでは、iPhoneにて、ここからはMacBook Proです。

やっぱり、このキーボードのほうが、いいな。

というか、iPhoneとこれでは、浮かんでくる内容も違うような気がするんだね。

筆が走る、とかいうけれど、キーボードが走るんで、つまり、この指の先が、思考を呼び起こしている。

というね。

そうそう、戸田の夜、ハーバーライトというスナックでね、4人で飲んだんだけど。

そこでの会話が、集団的自衛権について、なんだね。

ぼくは、ほとんどしゃべらなかったけれど、面白いもんだね。

政治と宗教については、語りません、というのが、ま、営業センス、なんて常識もあるんだけど。

掟破りの一夜ではあったわけだ。

昔、吉本隆明という思想家がおりまして、って、昔々の物語、ってわけだけど、彼が言っていたので記憶に残っているのが。

議論するとき、各々が、各々の次元で語っている、っていうことでね。

早い話が、二階と地下室で話しているような姿かな。

しらふでもそうなんで、お酒のはいった席においておや、というわけで。

なんだけど、それほど、近しい関係で飲んだ、という言い方もできるかね。

今朝は、土、日、月と三日分の新聞が、僕を呼んでいるの。

このあたりで、終わりにします。







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静かな朝

2014年05月18日 | Weblog
今朝の戸田港です。

ちょっと、Facebookぽく、いきますか。

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素晴らしい天の気で

2014年05月17日 | Weblog
今日は、これから、おじおば会。

伊豆箱根方面へ。

夜は夜で、別グループと宴、なので。

ダブルブッキングなのです。

というわけで。

楽しんでまいります。
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鳥が迎えてくれた

2014年05月16日 | Weblog
いつもの駐車場へ停めると。

上の電線から、なにやら、さえずりが聞こえてくるんだね。

いつもの鳥が。

鳥が居る、ので、鳥居なわけだ。

こちら側は、さしずめ、聖なる地で、というわけです。

昨日は、昼前、ヘアーカットの大将のところで、奥様のお茶をいただき。

柏餅とともに、ね。

そのお茶というのが、日本平の東麓かな、草薙神社の南の方で、耕作放棄地を市が買い上げ。

そこを、有志の方々が、無農薬のお茶栽培をされているようで。

新茶をね、淹れていただいたのです。

お二人とも、息子さんに家業をゆずり、という環境で。

手出しができず、心配している、という立ち位置でね。

なんて話を伺いながら、「北の国から」という、昔流行ったドラマの話になり。

遺言、という回があったそうで。

田中邦衛が、むすこたちに、語ったのかな。

おれは、なにもお金や財産は残さなかったけれど、おれのいきざまが遺産だ。

くらいな話で。

それを、奥様が、話してくださったんだけど、目頭にどーんときてね。

心の琴線から発せられた言葉ってのは、くるよね。

この間も、油屋の大将と、しばし、話し込んだんだけど。

彼も、くだんのヘアーカットの大将と、ほぼ同年代で。

息子さんに社長職をゆずり、というポジションでね。

あの暴れん坊将軍が、今では、孫の守から奥様との旅行へと様変わり、ではあるんだけど。

思えば遠くへ来たもんだ、って武田鉄矢の歌なのか、中原中也の詩なのか。

そんなフレーズが浮かんできてね。

30歳の自分が、とてもイメージできない、と暮らしていた20代だったけど、今では。

当方も、その倍まで生きているわけで。

歳月ってものは、誠実に着々と過ぎ去るもので。

垂仁天皇という方が、何代目なのか、いらっしゃって。

その方の命をうけた、タジマノモリという部下が、トキジクノカグノコノミ、早い話が。

不老長寿の実ですが、それをさがしに、常世の国へ行き。

やっとの思いで手に入れて戻ってみれば、垂仁天皇は、すでに逝去されたあとで。

身をはかなんで、そのあとを追った。

という話が、日本書紀にあるそうで。

時を隔てながらも、似たような感懐を、人間ってのは、もつもので。

そんなリアルな時のながれを実感もするので、時の魔術に翻弄されもするんだけどね。

今朝は、風鈴が、わが居所を得た、というような存在感を示していて。

ちょうど、お寺の鐘も鳴り始め。

いつものように、落語の「芝浜」の熊さんが、増上寺をすぎて、市場へ顔を出している頃。

という連想ゲームになるんだけどね。

市場といえば、OSHOという瞑想のマスターがいて、彼が書き遺しているんだけど。

市場へ行け!とね。

瞑想に限らないけど、自分磨きの旅であったり、さまざまな、おべんきょうの世界って。

わりと、独りよがりのものでしょ。

なので、市場へ行って、俗世間のくそリアリズム、というか、ど現実にまみれなさい。

ということなんだけどね。

そこがきみの生きる場所なんだから、なにか、優越的な位置に自分をおいて。

何事かを語った気になっちゃいけませんよ、というウタイで。

さて、本日も素晴らしい天の気を浴びて、楽しくいきましょうか。

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なでしこを見た

2014年05月15日 | Weblog
江戸時代の方に、こんな表題を捧げると。

で、どうした?

くらいなのか。

ま、そんなことはいいけど、女子のね、サッカー。

アジアカップの予選リーグ初戦、を、テレビ観戦。

遅い時間だったので、眠かったけどね。

結果は、2対2の引き分け、オーストリアの選手はからだが大きくて。

大は小を兼ねるともいうけれど、生きる上では。

あんまり効率的ではないよね。

世界の人口増が、とか、食糧不足が、なんて話になると、いっそのこと。

100年くらいかけてもいいから、小さく産んで小さく育てる、みたいな運動というか。

政策をね、掲げてみるのも、いいかも、です。

そりゃ、快適になるよ。

今までのエネルギーが、ざっくり言っちゃえば、半分ですむんだから。

地球環境の激変で、巨大な恐竜が生まれもし、絶滅もし、ということだから。

それも、まんざら、戯れ言ではないかもしれないね。

そもそも、地球の草創期には、微細な生物だけだったんでしょ。

微細といっても、極小ともいえるものだったんだろうから。

地球は広くて仕方ない、くらいの感想をもったんだね、たぶん。

以前、豊岡鞄を買う、と豪語したんだけど。

例の、出石(いずし)という地名の、今では、豊岡市になるのか。

アメノヒボコという朝鮮半島の王子が、日本にやってきて。

製鉄の先進技術とともに、あのあたり、つまり、出雲から新潟あたりかな。

を、土着の王たちと争いながら、日本に定着していく、というね。

その、豊岡に、今ものこる革細工の粋をあつめた、豊岡鞄というウタイに。

一瞬、くらっときたわけだ。

しかし、未だにその鞄は買われぬまま、ということでして。

それにしても、なんだろうね、こうも、古代史に関心が向かう、というのは。

夕べも、谷川健一さんの、「青銅の神々の足跡」って文庫本を。

なでしこを眺めながら、読んでいたんだけどね。

一時は、現代の政治も経済も、その他、もろもろ、ものみな、どうしようもないよね。

それに比べて、古き良き時代は、みたいなノスタルジックな感懐のなかで。

そんな関心の向きでもあったことはあったけれど。

今は、そこはそれ、そんな比較というんでなく。

いや、それにしても、なんだろうね。

さて、雨も小降りになり。

本日もまた、佳き一日を創造なされますように。

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旅はさらに深まる

2014年05月14日 | Weblog
この間、最近売り出し中の、歴史学者、磯田道史さんの。

大ファンの方の、ご主人からお聴きしたんだけど。

彼ね、新幹線で、大阪から東京へ向かう時。

車窓から、関ヶ原の陣立てやら、その他、どこに誰がいて、どんな統治をしていたか。

みたいなことを、さまざま、思いめぐらしながら、車窓の人となるようで。

そりゃ、おもしろいだろうね。

単なる、2時間程度の旅、あるいは、移動、ということから。

ずいぶんと奥行きのある旅に、様変わりし。

というわけで、人生の旅も、馬謖をかさねればかさねるほど、その趣は。

そりゃ、深く広く素晴らしくなるんで。

かといって、過去を固着させてしまうんでなく、いつでも、改変自在の。

という条件はつきますが。

そうそう、磯田さんがらみの話のなかで、3000光年というのは、距離のことだよね。

という話になり、妙に、そのことが残っていて。

つまり、光の速さでいえば、3000年かかる、という次第で。

江戸と京の間は、江戸時代であれば、飛脚の足では何日だったのか。

新幹線ののぞみであれば、どう、2時間かな。

リニアになれば、1時間?くらい。

そのうち、トランスポーテーションだっけ、あれでいけば、瞬時なので、距離はゼロ、とね。

もう少しで、まるまる2年になる瞑想の世界では。

宇宙がわが身内にある、というウタイだしね。

子供のころから、宇宙のはてはどこ?みたいな謎が、どこかに絡まりついていて。

どうみても、人間の認識の仕方が変わらないと、というか、別の認識構造のもとでなければ。

そりゃ、無理な話だな、なんて思ってもいて。

極大と極小の世界ですね。

極小については、臍下丹田にね、意識を集中させて、なんていう、以前ちょっとかじった。

気功のお師匠さんというか、先輩が、おっしゃっていて。

臍下の一点、というときの点は、限りない分割とでもいえばいいのか、ここ、と示されないけれど。

あることはある、という点で、みたいなことをお聴きし。

たしかに、そこに意識が集中できるとき、力がはいるんでね。

なんとも不思議な感覚を味わったことを思い出しもするのですが。

ところで、夕べの総会組の多くは、本日、朝霧でゴルフだそうで。

今頃は、みなさん、良きスコアをめざし、車中の人なんだろうけど。

当方、何年か前に腰が痛くなり、ゴルフは断念、という次第なので。

いまだに、ぼちぼち、腰もいいだろうから、ゴルフ、やりましょうよ、とお誘いをうけるのですが。

こうみえて、なかなか、頑固者のところもあり、やめちゃいました、という応えをね。

しているんだけど。

確かに、大のオトナが、一日中、一緒のゲームに興じる、ってのは。

交流をはかる、あるいは、人脈を拡げる、という意味では、なかなか、パワフルなツールではあるけれど。

ま、あえて言っちゃえば、当方、さらに深いコミュニケーションを目論んでいるんでね。

お酒すらいらない、和気あいあい、ノーガード、垣根のない、赤ちゃんのような。

心理学の用語で、なんて言ったかな、もう20年近く、思い出せずにいる言葉があって。

そんな状況をね、思い描いてもいるのです。

ちなみに、その用語って、自閉症の方と向き合う時につくりだす環境、状況のことを言い表すもので。

どなたか、ご存知の方は、投げ文の一つもしていただけると、有難いのですが。

ところで、今週末は、おじおば会とお客様接待の宴会が重なってしまい。

その対策に、ちょっと、苦慮しているところで。

なので、今回もお泊り保育にしちゃおうかな、とね。

もうね、あれだけ楽しんでくれている姿を眺めているのは、極上の至福ともいえて。

よくぞ、こんな状況をつくりだしてくださいました、と昨日の供物じゃないけど。

神様にお供えしたいくらいでね。

これは、一つのモデルケースになるはずで、もともと、人間って、こんなシチュエーションをね。

自分のまわりに起こしていく、ってのが。

たぶん、宇宙との、あるいは、神様とのお約束だったんじゃないのかな。

というくらいのもので。

というわけで、週末の展開はともかくとして、本日のブログは終了です。

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大久保のサプライズ入選

2014年05月13日 | Weblog
というわけで。

W杯のメンバーも決まった。

初出場のときの、カズの、驚きの落選、ってのが、日本中のトラウマみたいになっていて。

メンバー選びも、ドラマ仕立てになっているんだけど。

今回の大久保、お父上の遺書まで登場して、61歳で亡くなられていて。

おいおい、俺と、おんなじ歳じゃん、ってなもんで。

ちょうど、昨日も、そんな話、ここまで長生きできて幸せです、ってね。

話題にもなったので、感慨ひとしお、って常套句で〆たいくらいで。

大久保選手のバス移動中での映像が流れていて。

2年、代表に呼ばれていなかったので、本人も、口ではいいながら、まさに。

サプライズだったんだろうね。

ここでまた、悲喜こもごも、という常套句ですね。

前回の大会には、マンチェスタの香川がメンバーに入れず。

その後、ドルトムントで、大きな活躍をして、監督の岡ちゃんだっけ、カズといい香川といい。

目は確かかね、という論も、僕のなかでは、なきにしもあらず、ではあって。

ま、監督業というのは、つらいものです。

その昔、王殺し、っていう習俗があったそうで。

つまり、作物が豊穣で、民心も安定しているときには、いい王様ですね。

と、多くの人々に敬われ。

最大限のリスペクトを払われるんだけど、それが、逆に動き出すと。

王が悪い、ので、王を殺し、替わりのものを立てる、というね。

マガごとをすべて、王におっかぶせて、おはらいする、というウタイで。

これ、現代にも通じるメンタリティでもあるね。

景気が良ければ、安倍さん、あべさん、悪くなれば、アベノミクスならぬアホノミクス、なんてね。

もちろん、彼は、王ではないけれど、長い間の経験をふまえ。

その後ろなのか斜め前なのかに、おわします、官僚システム、という違う王をね。

見えない王、とでも呼べばいいのか。

そういう仕組みを、作ってきた、のかも、ですが。

上記メンタリティでいえば、神への祭壇へ、それこそ、最大限の供物を用意し。

祈りを捧げる、つまり、願い事を宣べるんだね。

で、結果、その願い事がかなわないと、悪罵の限りを投げつける、のみならず、神をおどす。

祈りの時点で、もしも、万が一、この願いが叶わぬおりは、ひどいめにあわせるぞ、というわけだ。

どっちが全知全能の神なのか、わからなくなっちゃうような、奇妙な習俗があった、というんだね。

奇妙というか、ごくありふれた光景でもあるけどね。

昨日、以前、わが社の社員だった男が、ひさびさに来社し。

伊勢在住なんだけど、このところ、二回、神宮にお詣りした、というんだね。

ジモッティからすると、遷宮?なに?みたいなノリもあったようで。

なんだけど、おいおい、えらくなったね、と言うと。

一回目は、宝くじを買ったので、あたりますように、二回目は。

はずれたので、ばかやろう、といいに言った、と冗談とも本気ともつかぬ会話で。

まんま、神を脅す、という習俗が、今に至る、というわけです。

彼女をつれた彼には、日本平ホテルからの眺望が、と教え。

後に、LINEで、駿河湾の眺めを送ってきたんだけどね。

ま、彼が家出して、わが社をたずねてから、20年だ。

引っ越したのを忘れていて、前のところへ行ってしまったようで。

それにしても、わが邦も、会社がつぶれもせず、健康のまんまでいて、よかったし。

ま、お互い、幸せだよね、と世界の亀山といわれたシャープに勤めている彼と。

今までの健闘を、たたえあった、というね、すばらしい時間をすごしたのでした。

そういうわけで、本日は、浜名湖にて、某社協力会の総会で。

ちょこっとお神酒も聞こし召すんだけど、ということで、ブログ、終了です。

本日も佳き一日でありますように、僭越ながらお祈り申し上げます。

祈って、そのとおりにならなくても、脅かしたりしませんので。





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倭文神社は星の神様を祀る

2014年05月12日 | Weblog
昨日、toshさんからコメントが入っていて。

しずおり、しどり、倭文というね。

この、倭文神社というのが、全国にもいくつかあるようだけど。

富士宮の星山、という地名のあたりにもあり。

そこでは、ほしのかかせお、という神様が祀られている。

と由緒書きには書いてあって。

その昔、秦河勝(はたのかわかつ)というから、ざっくり。

ほんとはいなかった、という説もある、聖徳太子の頃ですね。

富士川の畔で、新興宗教がおこり、この常世の虫を信仰すれば、みんな幸せになれます。

というね。

土地の人々は、私財をなげうって、その信仰に走ったので、って。

今でも、なんとか教なんてのが、たくさん、あるからね。

秦河勝さんが、オオフベノオオ(大生部多)という首謀者を斬り捨てた。

そうだ。

日本書紀に書いてある、というんだね。

この出処が、どうも、星山の倭文神社のようで。

そこの由緒書きには、その昔、富士山の北麓に、富士王朝があって云々、ともね。

富士の王朝については、民間の研究者、加茂さんという方が何冊か本を書かれていて。

富士宮の図書館には、全册そろっているんじゃないかな。

早い話が、今の富士吉田、明日見というあたりに、今でも、アマテラスさんを祀るお宮があって。

一時は、観光地にでもしようとしたのか、朽ちかけた大きな立て看板があったな。

ところで、話は変わりますが、今日は、W杯の日本代表メンバーが発表されるね。

だれがはいり、だれがおちるのか、ってのが、他人事ならず、で。

19歳の南野が入ったりしたら、面白いけれどね。

このところ、わが妻も、スポーツづいていて、プールで2時間くらい泳ぐらしい。

外反母趾の足が、自分のものになってくるようでうれしい、という感想だけど。

めでたい。

なんでも、自分からしようと決めて、することは、大成功だからね。

しかし、今朝は、いきなり、倭文神社からはいったので、次が続かなくなっちゃったな。

なにせ、昨日は、一日、というか、半日、アメノヒボコについて書いている関裕二さんの本をね。

読んですごしたので、頭が、そちらに向いているのかもしれず。

かといって、ここで、ダイジェストでご紹介するほど、理解もできていず、というわけで。

そうそう、昨日は、アサガオとユウガオのタネを播いたんだった。

今年もグリーンカーテンが、これで、成立するのかどうか。

だんだん、日差しも強くなっていくんだよね。

中途半端だけど、今日は、このへんで。

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なばなの里まで走った

2014年05月11日 | Weblog
といっても、マラソンではありませんが。

昨日のブログで、今日はどんな一日が訪れるのか。

なんて〆たんだけど。

妻からのリクエストで、なばなの里へ、とあいなり。

このリクエストの出し方もおもしろくて。

なばなの里、掛川の花鳥園、がいいかな、とはじまり。

僕に任す、ということになり、わがプリウスは、一路、西方面へ新東名を走り始めたのだけど。

そのうち、箱根の、芦ノ湖か、そこもいいかな、と言いだし。

みたいなもので。

ラジオ番組のアナウンサーなら、どの曲をかけたらいいのか、って。

ま、そんなこんなで、なばなの里です。

チューリップは連休くらいで、終ったようで。

ベゴニアガーデンとバラ園へ。

そこへいたる園内も、お花がかしこに咲き誇り。

特に印象に残ったのが、「おだまき」と名前の書いてあった花で。

和風の名前なんだけど、これ、和の花かね、という感じで。

おだまき、といえば。

 しずやしず しずのおだまき くりかえし

  むかしをいまに なすよしもがな

今、検索したら、義経の愛人、静御前が詠んだ歌らしいけど。

この「しずのおだまき」というフレーズが、どこかに残っていて。

伊勢物語にも古今集にも、どうやら、このフレーズ、というか、本歌があるようでね。

しず、というのは、賎、とかいて、しず、と読ませていて。

おだまき、というのは、苧環、とかいたり、小田巻、とかいたり、だそうで。

布を織る道具ですね。

ここから、話は、なぜ、静岡県(しずおかけん)という名前になったのか。

というところにつながっていくのですが。

浅間神社のある山が、賎機山、と書いて、しずはたやま、と読む。

いやしい、と入力して、変換すると、賎しい、となりますね。

御維新なった明治の時代に、各藩は、県になっていくんだけど、じゃ、駿河の地は、どうしようか。

ということで、しずはたやま、だから、しずがおか、賎が岡くらいでいいかな、なんて案もあったのかな。

しかし、それじゃ、あんまりでしょ、賎しい岡なんて、ということで。

静岡になった、という経緯があるようで。

徳川の大御所、家康さんが治めていた地に、賎機(しずはた)という地名が残されていた、という不思議もあり。

はたおり、が連想される羽鳥という地名やら「服を織る」につながる富厚里(ふごおり)という地名やら。

織り物につらなる、さまざまな出来事があったような、そんなしずおか、なんですが。

わが畏友にして、このブログのコメンテーターのtoshさんの説も書いておきたいところですが、そこは。

紙幅の関係で、ということで。

ま、そんなところまで、イメージの膨らむ、なばなの里の「おだまき」という、かわいい、独特なお花がね。

印象に残っているのであります。

長良川の水辺に残る、だったか、なんとかの村、というウタイの彼の地だったんだけど。

なにせ、長島、という処にあるわけで、NHKの大河ドラマでも出てくる、浄土真宗の一向一揆のね、激戦地でもあり。

浄土真宗といえば、親鸞で、しかも、わが妻の菩提寺の宗派でもあり。

悪人正機(あくにんしょうき)ということを唱え、つまり、善人だって往生をするんだから、悪人ならなおさら。

極楽へ行けるんだぜ、というウタイの宗教で、あの時代、そうだそうだ、と大騒ぎするのも、むべなるかな、なんだけどね。

なにせ、親鸞がでるまでは、稲作の民は浄土へいけるけど、獣や魚のいのちを奪って職業にしているものどもは。

地獄へ行くしかない、というウタイが、仏教だったからね。

そこへ登場した、いやいや、動物を殺さないものどもは、善人なんだろうけど、その彼らだって、成仏できるんだから。

いわんや動物を殺すおまえたちにおいておや、ってわけだ。

って、こんなこと書いていると、一週間くらい、たっちゃいそうなので。

なばなの里に、「おだまき」という名の、かわゆいお花がありましたとさ、ということで、ブログ、終了です。
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事件は現場で起こっていた?

2014年05月10日 | Weblog
駐車場へ停めようとすると。

事件なんですよ、と神様のお使いと、今朝は。

ご主人までいらっしゃって。

賽銭どろぼうだ、ということらしく。

というのは、扉が開けられていて、なので、すかさず、交番へ連絡し。

さらには、鑑識まで呼びますから、ということで、先ほどまで、大騒ぎだった。

そうで。

なにか、華やいでもいてね、火事と喧嘩は江戸の華、ってわけで。

結果は、どうやら、風のいたずらで扉があいた、ということのようで。

お賽銭は盗まれていなかった。

という現場で起こっている事件があって、今朝は、なにを書こうとしていたんだったか。

と今、考えているところなんだけど。

思い出せません。

そういえば、埼玉で、日本最古の漆の採取あとが見つかった、というニュースがあったな。

年代測定の結果、4900年~4700年くらい前だ、というんだから、西暦でいえば。

紀元前2900年、くらいかね。

文明は、西から、みたいなノリで、日本の正史は語られるけれど、このニュースがねつ造でなければ。

卑弥呼なんて言ってるずっと前の話だからね。

関東、関の東、という言い方や、あずま人なんていえば、野蛮人的な。

そんなノリなんだけどね。

今でもそうだけど、声の大きいもんがち、みたいなところがあり。

大島渚も、って、唐突ですが。

敗者は映像をもたない、と言っているそうですが。

そんなもんで、「史記」を残した司馬遷にしても、歴史を書く、ってのは。

趣味や道楽ではないわけで。

なんらかの意図があって、ということは、当たり前だけど。

書かれない、残されない、逝きし世の面影、ってのは、しこたまあるんだね。

古代、大和朝廷に国を譲った、ということになっている、かの出雲の地でも。

未だに、身逃げ神事、ってのが、続けられていて。

どうやら、国譲りの真相を、神事に託したという解釈もあるようで。

中央のアカデミズムでは、出雲神話ってのは、存在しないつくりごとです、という定説であった頃も。

彼の地では、粛々と、毎年、行われていたわけだ。

出来事、というか、歴史的な事件というのも。

ある意味、カッコ付きの真実、つまりは、作り事として、後世に伝えられるわけで。

まんま、個人の歴史とおんなじ道筋をたどっているんだよね。

個人のなかでも、今のキャラクターを作ってきた過去のできごとは。

各人各様な、過去の解釈、過去を真実と決定しているにすぎず。

その、ある意図をもった解釈から、自由になれない、ということで。

トラウマとよんだり、わたしにしかわからない、壮絶な過去、みたいなくくりで、キャラクターがつくられ。

それが、現在の考え、行動にまで影響を及ぼし。

みたいなね。

御丁寧に、親御さんは、あの頃のあんたはこうだったああだった、と念押しをくりかえし。

かわいかったよね、という言葉で。

キャラクターの由縁を、強烈にインプリントしなおしつづけ、という絵柄でね。

って、早い話が、偉人だろうと変人だろうと普通人だろうと、人間ってのは。

似たようなことしかできない、というわけだ。

さて、そんな自己満足な解釈を朝っぱらからしてみた本日は。

どんな一日がおとずれるのでしょうか。




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