まわりで起こっていること

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事件は現場で起こっていた?

2014年05月10日 | Weblog
駐車場へ停めようとすると。

事件なんですよ、と神様のお使いと、今朝は。

ご主人までいらっしゃって。

賽銭どろぼうだ、ということらしく。

というのは、扉が開けられていて、なので、すかさず、交番へ連絡し。

さらには、鑑識まで呼びますから、ということで、先ほどまで、大騒ぎだった。

そうで。

なにか、華やいでもいてね、火事と喧嘩は江戸の華、ってわけで。

結果は、どうやら、風のいたずらで扉があいた、ということのようで。

お賽銭は盗まれていなかった。

という現場で起こっている事件があって、今朝は、なにを書こうとしていたんだったか。

と今、考えているところなんだけど。

思い出せません。

そういえば、埼玉で、日本最古の漆の採取あとが見つかった、というニュースがあったな。

年代測定の結果、4900年~4700年くらい前だ、というんだから、西暦でいえば。

紀元前2900年、くらいかね。

文明は、西から、みたいなノリで、日本の正史は語られるけれど、このニュースがねつ造でなければ。

卑弥呼なんて言ってるずっと前の話だからね。

関東、関の東、という言い方や、あずま人なんていえば、野蛮人的な。

そんなノリなんだけどね。

今でもそうだけど、声の大きいもんがち、みたいなところがあり。

大島渚も、って、唐突ですが。

敗者は映像をもたない、と言っているそうですが。

そんなもんで、「史記」を残した司馬遷にしても、歴史を書く、ってのは。

趣味や道楽ではないわけで。

なんらかの意図があって、ということは、当たり前だけど。

書かれない、残されない、逝きし世の面影、ってのは、しこたまあるんだね。

古代、大和朝廷に国を譲った、ということになっている、かの出雲の地でも。

未だに、身逃げ神事、ってのが、続けられていて。

どうやら、国譲りの真相を、神事に託したという解釈もあるようで。

中央のアカデミズムでは、出雲神話ってのは、存在しないつくりごとです、という定説であった頃も。

彼の地では、粛々と、毎年、行われていたわけだ。

出来事、というか、歴史的な事件というのも。

ある意味、カッコ付きの真実、つまりは、作り事として、後世に伝えられるわけで。

まんま、個人の歴史とおんなじ道筋をたどっているんだよね。

個人のなかでも、今のキャラクターを作ってきた過去のできごとは。

各人各様な、過去の解釈、過去を真実と決定しているにすぎず。

その、ある意図をもった解釈から、自由になれない、ということで。

トラウマとよんだり、わたしにしかわからない、壮絶な過去、みたいなくくりで、キャラクターがつくられ。

それが、現在の考え、行動にまで影響を及ぼし。

みたいなね。

御丁寧に、親御さんは、あの頃のあんたはこうだったああだった、と念押しをくりかえし。

かわいかったよね、という言葉で。

キャラクターの由縁を、強烈にインプリントしなおしつづけ、という絵柄でね。

って、早い話が、偉人だろうと変人だろうと普通人だろうと、人間ってのは。

似たようなことしかできない、というわけだ。

さて、そんな自己満足な解釈を朝っぱらからしてみた本日は。

どんな一日がおとずれるのでしょうか。




コメント
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