まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

小鳥がとびさった

2014年05月09日 | Weblog
朝ね、神棚の榊の水をかえようと。

自然に窓辺に近づいたら、やおら、表題のごとくで。

そこを見ると、多分、わが母親だと思うけど、夏みかんを半分に切り。

おいてあるわけだ。

なるほど、そりゃ、ごめんなさいね、驚かすつもりじゃなかったんだけど、と。

軽いエクスキューズをいれて、神棚へ榊を。

ということが、どうだろう、時間にしたら、ニ瞬間くらいか。

ま、人間の思考というやつも、なかなか、瞬発力があり。

瞬時に、そんなことを巡らすんだね。

今朝は、普段より、早めで。

いつもの神のお使いは、ちょうど、今、お掃除が終わったところで、とおっしゃる時間で。

早起きは三文も五文も得するのか、どうなのか。

そもそも、得ってなによ、って話でもあるんだけど、ご神木は。

新緑を輝かし、いつものように、瞑目し、おはようね、なんてご挨拶をし。

よくよく考えてみれば、去年の今頃、このレイラインと自称する地に越してきたんだった。

いいところだ。

今朝も、この間、買ってきたばかりの、深蒸し、というウタイのコーヒーメーカーから。

確かに、深く蒸してあるのか、今までより、苦みの感じるコーヒーを取り出し。

巴川の川風に吹かれながら、喫茶しているのであります。

何日か前の瞑想中、なんとなく、ビンゴとなりそうな予感もあったんだけどね。

つまり、小さな自分と大きな自分というやつがいて、大きな自分の中で演じている小さな自分が。

そこにいそうな気分なんですが、ビンゴにはいたらず、ということで。

ただ、個々の手柄を追い求める、という生き方が、さらにさらに、薄まっている気分はあって。

文明化した、現代の日本で、平安時代の25歳の平均寿命からしても大きく道をはずした。

というか、進化し、今だと、男でも、80歳直前まで、という時代なんだけど。

男の場合、社会への貢献、というのか、同時代を生きる人々とともに生きていると。

さらに長生きする、という、まさに、集団生活者としての人間、ってことを。

毀誉褒貶の相半ばする、例の、武田教授が書いていてね。

長生きすることがなにごとかをなす、みたいな風情でもあるんだけど。

なんだろうね、この人類の登場というものは。

さて、本日も、楽しくいきましょうか。



コメント
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