いつもの駐車場へ停めると。
上の電線から、なにやら、さえずりが聞こえてくるんだね。
いつもの鳥が。
鳥が居る、ので、鳥居なわけだ。
こちら側は、さしずめ、聖なる地で、というわけです。
昨日は、昼前、ヘアーカットの大将のところで、奥様のお茶をいただき。
柏餅とともに、ね。
そのお茶というのが、日本平の東麓かな、草薙神社の南の方で、耕作放棄地を市が買い上げ。
そこを、有志の方々が、無農薬のお茶栽培をされているようで。
新茶をね、淹れていただいたのです。
お二人とも、息子さんに家業をゆずり、という環境で。
手出しができず、心配している、という立ち位置でね。
なんて話を伺いながら、「北の国から」という、昔流行ったドラマの話になり。
遺言、という回があったそうで。
田中邦衛が、むすこたちに、語ったのかな。
おれは、なにもお金や財産は残さなかったけれど、おれのいきざまが遺産だ。
くらいな話で。
それを、奥様が、話してくださったんだけど、目頭にどーんときてね。
心の琴線から発せられた言葉ってのは、くるよね。
この間も、油屋の大将と、しばし、話し込んだんだけど。
彼も、くだんのヘアーカットの大将と、ほぼ同年代で。
息子さんに社長職をゆずり、というポジションでね。
あの暴れん坊将軍が、今では、孫の守から奥様との旅行へと様変わり、ではあるんだけど。
思えば遠くへ来たもんだ、って武田鉄矢の歌なのか、中原中也の詩なのか。
そんなフレーズが浮かんできてね。
30歳の自分が、とてもイメージできない、と暮らしていた20代だったけど、今では。
当方も、その倍まで生きているわけで。
歳月ってものは、誠実に着々と過ぎ去るもので。
垂仁天皇という方が、何代目なのか、いらっしゃって。
その方の命をうけた、タジマノモリという部下が、トキジクノカグノコノミ、早い話が。
不老長寿の実ですが、それをさがしに、常世の国へ行き。
やっとの思いで手に入れて戻ってみれば、垂仁天皇は、すでに逝去されたあとで。
身をはかなんで、そのあとを追った。
という話が、日本書紀にあるそうで。
時を隔てながらも、似たような感懐を、人間ってのは、もつもので。
そんなリアルな時のながれを実感もするので、時の魔術に翻弄されもするんだけどね。
今朝は、風鈴が、わが居所を得た、というような存在感を示していて。
ちょうど、お寺の鐘も鳴り始め。
いつものように、落語の「芝浜」の熊さんが、増上寺をすぎて、市場へ顔を出している頃。
という連想ゲームになるんだけどね。
市場といえば、OSHOという瞑想のマスターがいて、彼が書き遺しているんだけど。
市場へ行け!とね。
瞑想に限らないけど、自分磨きの旅であったり、さまざまな、おべんきょうの世界って。
わりと、独りよがりのものでしょ。
なので、市場へ行って、俗世間のくそリアリズム、というか、ど現実にまみれなさい。
ということなんだけどね。
そこがきみの生きる場所なんだから、なにか、優越的な位置に自分をおいて。
何事かを語った気になっちゃいけませんよ、というウタイで。
さて、本日も素晴らしい天の気を浴びて、楽しくいきましょうか。
上の電線から、なにやら、さえずりが聞こえてくるんだね。
いつもの鳥が。
鳥が居る、ので、鳥居なわけだ。
こちら側は、さしずめ、聖なる地で、というわけです。
昨日は、昼前、ヘアーカットの大将のところで、奥様のお茶をいただき。
柏餅とともに、ね。
そのお茶というのが、日本平の東麓かな、草薙神社の南の方で、耕作放棄地を市が買い上げ。
そこを、有志の方々が、無農薬のお茶栽培をされているようで。
新茶をね、淹れていただいたのです。
お二人とも、息子さんに家業をゆずり、という環境で。
手出しができず、心配している、という立ち位置でね。
なんて話を伺いながら、「北の国から」という、昔流行ったドラマの話になり。
遺言、という回があったそうで。
田中邦衛が、むすこたちに、語ったのかな。
おれは、なにもお金や財産は残さなかったけれど、おれのいきざまが遺産だ。
くらいな話で。
それを、奥様が、話してくださったんだけど、目頭にどーんときてね。
心の琴線から発せられた言葉ってのは、くるよね。
この間も、油屋の大将と、しばし、話し込んだんだけど。
彼も、くだんのヘアーカットの大将と、ほぼ同年代で。
息子さんに社長職をゆずり、というポジションでね。
あの暴れん坊将軍が、今では、孫の守から奥様との旅行へと様変わり、ではあるんだけど。
思えば遠くへ来たもんだ、って武田鉄矢の歌なのか、中原中也の詩なのか。
そんなフレーズが浮かんできてね。
30歳の自分が、とてもイメージできない、と暮らしていた20代だったけど、今では。
当方も、その倍まで生きているわけで。
歳月ってものは、誠実に着々と過ぎ去るもので。
垂仁天皇という方が、何代目なのか、いらっしゃって。
その方の命をうけた、タジマノモリという部下が、トキジクノカグノコノミ、早い話が。
不老長寿の実ですが、それをさがしに、常世の国へ行き。
やっとの思いで手に入れて戻ってみれば、垂仁天皇は、すでに逝去されたあとで。
身をはかなんで、そのあとを追った。
という話が、日本書紀にあるそうで。
時を隔てながらも、似たような感懐を、人間ってのは、もつもので。
そんなリアルな時のながれを実感もするので、時の魔術に翻弄されもするんだけどね。
今朝は、風鈴が、わが居所を得た、というような存在感を示していて。
ちょうど、お寺の鐘も鳴り始め。
いつものように、落語の「芝浜」の熊さんが、増上寺をすぎて、市場へ顔を出している頃。
という連想ゲームになるんだけどね。
市場といえば、OSHOという瞑想のマスターがいて、彼が書き遺しているんだけど。
市場へ行け!とね。
瞑想に限らないけど、自分磨きの旅であったり、さまざまな、おべんきょうの世界って。
わりと、独りよがりのものでしょ。
なので、市場へ行って、俗世間のくそリアリズム、というか、ど現実にまみれなさい。
ということなんだけどね。
そこがきみの生きる場所なんだから、なにか、優越的な位置に自分をおいて。
何事かを語った気になっちゃいけませんよ、というウタイで。
さて、本日も素晴らしい天の気を浴びて、楽しくいきましょうか。