まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

鳥が迎えてくれた

2014年05月16日 | Weblog
いつもの駐車場へ停めると。

上の電線から、なにやら、さえずりが聞こえてくるんだね。

いつもの鳥が。

鳥が居る、ので、鳥居なわけだ。

こちら側は、さしずめ、聖なる地で、というわけです。

昨日は、昼前、ヘアーカットの大将のところで、奥様のお茶をいただき。

柏餅とともに、ね。

そのお茶というのが、日本平の東麓かな、草薙神社の南の方で、耕作放棄地を市が買い上げ。

そこを、有志の方々が、無農薬のお茶栽培をされているようで。

新茶をね、淹れていただいたのです。

お二人とも、息子さんに家業をゆずり、という環境で。

手出しができず、心配している、という立ち位置でね。

なんて話を伺いながら、「北の国から」という、昔流行ったドラマの話になり。

遺言、という回があったそうで。

田中邦衛が、むすこたちに、語ったのかな。

おれは、なにもお金や財産は残さなかったけれど、おれのいきざまが遺産だ。

くらいな話で。

それを、奥様が、話してくださったんだけど、目頭にどーんときてね。

心の琴線から発せられた言葉ってのは、くるよね。

この間も、油屋の大将と、しばし、話し込んだんだけど。

彼も、くだんのヘアーカットの大将と、ほぼ同年代で。

息子さんに社長職をゆずり、というポジションでね。

あの暴れん坊将軍が、今では、孫の守から奥様との旅行へと様変わり、ではあるんだけど。

思えば遠くへ来たもんだ、って武田鉄矢の歌なのか、中原中也の詩なのか。

そんなフレーズが浮かんできてね。

30歳の自分が、とてもイメージできない、と暮らしていた20代だったけど、今では。

当方も、その倍まで生きているわけで。

歳月ってものは、誠実に着々と過ぎ去るもので。

垂仁天皇という方が、何代目なのか、いらっしゃって。

その方の命をうけた、タジマノモリという部下が、トキジクノカグノコノミ、早い話が。

不老長寿の実ですが、それをさがしに、常世の国へ行き。

やっとの思いで手に入れて戻ってみれば、垂仁天皇は、すでに逝去されたあとで。

身をはかなんで、そのあとを追った。

という話が、日本書紀にあるそうで。

時を隔てながらも、似たような感懐を、人間ってのは、もつもので。

そんなリアルな時のながれを実感もするので、時の魔術に翻弄されもするんだけどね。

今朝は、風鈴が、わが居所を得た、というような存在感を示していて。

ちょうど、お寺の鐘も鳴り始め。

いつものように、落語の「芝浜」の熊さんが、増上寺をすぎて、市場へ顔を出している頃。

という連想ゲームになるんだけどね。

市場といえば、OSHOという瞑想のマスターがいて、彼が書き遺しているんだけど。

市場へ行け!とね。

瞑想に限らないけど、自分磨きの旅であったり、さまざまな、おべんきょうの世界って。

わりと、独りよがりのものでしょ。

なので、市場へ行って、俗世間のくそリアリズム、というか、ど現実にまみれなさい。

ということなんだけどね。

そこがきみの生きる場所なんだから、なにか、優越的な位置に自分をおいて。

何事かを語った気になっちゃいけませんよ、というウタイで。

さて、本日も素晴らしい天の気を浴びて、楽しくいきましょうか。

コメント
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