まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

なにをふるか

2014年05月23日 | Weblog
ってのが、このブログの一番の課題で。

表題が決まると、あとはオートマチックにキーボードにふれた指がね。

動く、という算段で。

最初だけは、どうやら、あたまを使っているのかな、という感じですね。

昨日の新聞だったか、サッカーの日本代表のスタッフが紹介されていて。

和田さん、という方だったけれど。

データマン、とでもいうのかな、女子バレーでいえば、iPadへ送信するデータを収集し。

解析し、表示する、という作業をされている方のようでね。

年間、700試合を見る、というから、ある種の修行の領域です。

それらをもとに、映像、言葉、などなどでまとめ、DVDに落としたりして。

試合前や合宿時に、選手や監督、コーチに見せる、というんだね。

昔、ヒットラーが、オリンピックを利用して、国威発揚の、大宣伝、大キャンペーン映画を。

だれだったか、女性の監督に作らせたよね。

情報相は、ゲッペルス、だったな。

国民は、というか、学生や労働者は、すっかり、その気にさせられちゃったわけだ。

なかには、なにやってるんだろうね、あの、もと絵描きくずれのおっちゃんは。

なんて、酒場の影で話している、ひねくれ者もいたんだろうけど。

って、18だっけ、88だっけ、ハイルヒットラーに通じる、ってんで。

なんかの商品ロゴが、発売中止になったのか、なんか、そんな記事もあったけど。

それはそれとして、和田さんです。

結局、膨大なデータを集めて、大事なことは、捨てることだ、というんだね。

どうしても、あれもこれも、伝えたい、というのが、人情なんだけど。

捨てることで、本質が見えてくる、というわけだ。

断捨離、なんてのも、ひと頃、流行ったけどね。

序破急(じょはきゅう)、守破離(しゅはり)なんてのも、捨てることに、通ずるかも、ですが。

諦める、明らめる、ってのも、それに似ているかな。

なんでも、人情として、というか、不安、おびえの極致として。

貯蓄性向みたいなものが、人間には、あって。

おなかの肉のたるみをみれば、思考のあらわれとして、からだが物語ってもいるけれど。

削いでいくことで、ものごとのなりたちが、あきらかになる、そう言う行為を。

諦念、諦める、という言い方で、生き方の極意、なんてのは、昔から、偉人と呼ばれている方々が。

表現しているんだろうけど。

みそぎ、ってやつね、身を削ぐ、わけで、あれにも通じ。

というようなことを、彼は、日々、やっているわけだ。

今回のブラジルワールドカップでも、見えないところで活躍してくれるんだろうな。

社長とか親方とか、そんな役割をやっていると、この伝える、ってのが。

とても、大事なんだけど、なかなか、うまくいかない、ってのがね。

あって。

彼の話は、とても、刺激的だったのです。

この間の女子会、というか、ワインとお花の交流会でも、ライティングなんとかという女性や。

ウエッブデザイナーとかいう女性にお会いして。

こちらは、そんな観点から、とても、おもしろい会話ができたのですが。

と言いつつ、結局、なにも表現しない、というスタイルが。

一番強力な表現である、という地点がね、表現の極致なのかも、ですが。

ま、そんなことはともかく、本日は、金曜日。

雨上がりの陽光は、届くのでしょうか。

 渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)
 
 軽塵(けいじん)をうるおす

 客舎青青(きゃくしゃせいせい)として

 柳色(りゅうしょく)新たなり

これも、新聞からのパクリですが、王維の七言絶句だそうで。

雨が洗った柳の柔らかな新芽が目にしみる、という意味らしい。

昔の、この巴川沿いの柳を想像しながら、ブログは終了、としますか。
コメント
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