といっても、マラソンではありませんが。
昨日のブログで、今日はどんな一日が訪れるのか。
なんて〆たんだけど。
妻からのリクエストで、なばなの里へ、とあいなり。
このリクエストの出し方もおもしろくて。
なばなの里、掛川の花鳥園、がいいかな、とはじまり。
僕に任す、ということになり、わがプリウスは、一路、西方面へ新東名を走り始めたのだけど。
そのうち、箱根の、芦ノ湖か、そこもいいかな、と言いだし。
みたいなもので。
ラジオ番組のアナウンサーなら、どの曲をかけたらいいのか、って。
ま、そんなこんなで、なばなの里です。
チューリップは連休くらいで、終ったようで。
ベゴニアガーデンとバラ園へ。
そこへいたる園内も、お花がかしこに咲き誇り。
特に印象に残ったのが、「おだまき」と名前の書いてあった花で。
和風の名前なんだけど、これ、和の花かね、という感じで。
おだまき、といえば。
しずやしず しずのおだまき くりかえし
むかしをいまに なすよしもがな
今、検索したら、義経の愛人、静御前が詠んだ歌らしいけど。
この「しずのおだまき」というフレーズが、どこかに残っていて。
伊勢物語にも古今集にも、どうやら、このフレーズ、というか、本歌があるようでね。
しず、というのは、賎、とかいて、しず、と読ませていて。
おだまき、というのは、苧環、とかいたり、小田巻、とかいたり、だそうで。
布を織る道具ですね。
ここから、話は、なぜ、静岡県(しずおかけん)という名前になったのか。
というところにつながっていくのですが。
浅間神社のある山が、賎機山、と書いて、しずはたやま、と読む。
いやしい、と入力して、変換すると、賎しい、となりますね。
御維新なった明治の時代に、各藩は、県になっていくんだけど、じゃ、駿河の地は、どうしようか。
ということで、しずはたやま、だから、しずがおか、賎が岡くらいでいいかな、なんて案もあったのかな。
しかし、それじゃ、あんまりでしょ、賎しい岡なんて、ということで。
静岡になった、という経緯があるようで。
徳川の大御所、家康さんが治めていた地に、賎機(しずはた)という地名が残されていた、という不思議もあり。
はたおり、が連想される羽鳥という地名やら「服を織る」につながる富厚里(ふごおり)という地名やら。
織り物につらなる、さまざまな出来事があったような、そんなしずおか、なんですが。
わが畏友にして、このブログのコメンテーターのtoshさんの説も書いておきたいところですが、そこは。
紙幅の関係で、ということで。
ま、そんなところまで、イメージの膨らむ、なばなの里の「おだまき」という、かわいい、独特なお花がね。
印象に残っているのであります。
長良川の水辺に残る、だったか、なんとかの村、というウタイの彼の地だったんだけど。
なにせ、長島、という処にあるわけで、NHKの大河ドラマでも出てくる、浄土真宗の一向一揆のね、激戦地でもあり。
浄土真宗といえば、親鸞で、しかも、わが妻の菩提寺の宗派でもあり。
悪人正機(あくにんしょうき)ということを唱え、つまり、善人だって往生をするんだから、悪人ならなおさら。
極楽へ行けるんだぜ、というウタイの宗教で、あの時代、そうだそうだ、と大騒ぎするのも、むべなるかな、なんだけどね。
なにせ、親鸞がでるまでは、稲作の民は浄土へいけるけど、獣や魚のいのちを奪って職業にしているものどもは。
地獄へ行くしかない、というウタイが、仏教だったからね。
そこへ登場した、いやいや、動物を殺さないものどもは、善人なんだろうけど、その彼らだって、成仏できるんだから。
いわんや動物を殺すおまえたちにおいておや、ってわけだ。
って、こんなこと書いていると、一週間くらい、たっちゃいそうなので。
なばなの里に、「おだまき」という名の、かわゆいお花がありましたとさ、ということで、ブログ、終了です。
昨日のブログで、今日はどんな一日が訪れるのか。
なんて〆たんだけど。
妻からのリクエストで、なばなの里へ、とあいなり。
このリクエストの出し方もおもしろくて。
なばなの里、掛川の花鳥園、がいいかな、とはじまり。
僕に任す、ということになり、わがプリウスは、一路、西方面へ新東名を走り始めたのだけど。
そのうち、箱根の、芦ノ湖か、そこもいいかな、と言いだし。
みたいなもので。
ラジオ番組のアナウンサーなら、どの曲をかけたらいいのか、って。
ま、そんなこんなで、なばなの里です。
チューリップは連休くらいで、終ったようで。
ベゴニアガーデンとバラ園へ。
そこへいたる園内も、お花がかしこに咲き誇り。
特に印象に残ったのが、「おだまき」と名前の書いてあった花で。
和風の名前なんだけど、これ、和の花かね、という感じで。
おだまき、といえば。
しずやしず しずのおだまき くりかえし
むかしをいまに なすよしもがな
今、検索したら、義経の愛人、静御前が詠んだ歌らしいけど。
この「しずのおだまき」というフレーズが、どこかに残っていて。
伊勢物語にも古今集にも、どうやら、このフレーズ、というか、本歌があるようでね。
しず、というのは、賎、とかいて、しず、と読ませていて。
おだまき、というのは、苧環、とかいたり、小田巻、とかいたり、だそうで。
布を織る道具ですね。
ここから、話は、なぜ、静岡県(しずおかけん)という名前になったのか。
というところにつながっていくのですが。
浅間神社のある山が、賎機山、と書いて、しずはたやま、と読む。
いやしい、と入力して、変換すると、賎しい、となりますね。
御維新なった明治の時代に、各藩は、県になっていくんだけど、じゃ、駿河の地は、どうしようか。
ということで、しずはたやま、だから、しずがおか、賎が岡くらいでいいかな、なんて案もあったのかな。
しかし、それじゃ、あんまりでしょ、賎しい岡なんて、ということで。
静岡になった、という経緯があるようで。
徳川の大御所、家康さんが治めていた地に、賎機(しずはた)という地名が残されていた、という不思議もあり。
はたおり、が連想される羽鳥という地名やら「服を織る」につながる富厚里(ふごおり)という地名やら。
織り物につらなる、さまざまな出来事があったような、そんなしずおか、なんですが。
わが畏友にして、このブログのコメンテーターのtoshさんの説も書いておきたいところですが、そこは。
紙幅の関係で、ということで。
ま、そんなところまで、イメージの膨らむ、なばなの里の「おだまき」という、かわいい、独特なお花がね。
印象に残っているのであります。
長良川の水辺に残る、だったか、なんとかの村、というウタイの彼の地だったんだけど。
なにせ、長島、という処にあるわけで、NHKの大河ドラマでも出てくる、浄土真宗の一向一揆のね、激戦地でもあり。
浄土真宗といえば、親鸞で、しかも、わが妻の菩提寺の宗派でもあり。
悪人正機(あくにんしょうき)ということを唱え、つまり、善人だって往生をするんだから、悪人ならなおさら。
極楽へ行けるんだぜ、というウタイの宗教で、あの時代、そうだそうだ、と大騒ぎするのも、むべなるかな、なんだけどね。
なにせ、親鸞がでるまでは、稲作の民は浄土へいけるけど、獣や魚のいのちを奪って職業にしているものどもは。
地獄へ行くしかない、というウタイが、仏教だったからね。
そこへ登場した、いやいや、動物を殺さないものどもは、善人なんだろうけど、その彼らだって、成仏できるんだから。
いわんや動物を殺すおまえたちにおいておや、ってわけだ。
って、こんなこと書いていると、一週間くらい、たっちゃいそうなので。
なばなの里に、「おだまき」という名の、かわゆいお花がありましたとさ、ということで、ブログ、終了です。
せっかく、読んでいただいたので、ちょこっとコメント。
倭文(しどり)は、しずりとも呼ばれ、これが「しずおり」、即ち「賤織」で、賎機(しずはた)に繋がる…