これね、ボスニア・ヘルツェゴビナの人が言った言葉なんだね。
W杯へ、初出場なる、という。
かの国出身の、イビチャ・オシムに対する地元民の、でね。
ムスリムとセルビアとクロアチア、という三つの民族からなる国で。
各民族間の戦いが、凄まじいものがあったわけだ。
内戦終結後も、各民族間での抗争は続き、サッカー協会にも。
三人の会長さんがいる状態だったそうで、FIFAからは、そのなりが容認されず。
いついっかまでに、会長を一人にしぼらなければ、W杯予選にも出場はできません。
ということで。
そこへ、もと日本代表監督のオシムさんに、白羽の矢がたったわけだ。
会長一本化へ。
日本でいう、関西人と関東人でも、かなりの違いがあるのだけど、それどころの話ではなくね。
ついこの間まで、銃撃戦を繰り広げ、そのため、多くのボスニア人が国外へ難民になり。
という状態だったわけで。
そこを、彼が、サッカーと数学者で稼いできた、というほどの、サッカーへの愛と。
数学者的な、理知的な頭脳で。
サッカー協会を一本にまとめ、今回の予選を勝ち抜き。
見事、W杯への切符をてにいれるまでのドキュメント番組をね、録画でみたのでした。
オシムの言葉やボスニアの人々の言葉が、凄まじくて、iPhoneのAtok Padへ。
メモしまくら千代子、ってわけで。
内戦が終わっても、残されたものは、貧困しかなく、なんてオシムの言葉をきくとね。
失業率30%だとか、そんな中での、今回の快挙で。
親を失い、あるいは子を失い、仕事を失い、命からがら国外へ逃げのびた人たちが。
予選通過を決める最終戦に、続々とやってくるんだね。
一日もボスニアのことを忘れたことがない、なんていいながら。
日本代表が、初めてW杯出場を決めた、ジョホールバルを思い出したけれど。
サッカーの代表チームは祖国そのもの、なんていうボスニア人とは比べようもないね。
何千年も祖国をもたず、世界を流れ歩いた、というユダヤ民族の。
われわれからすると、異様にも、エキセントリックにもみえる、さまざまなことごとも。
そうなんだ、と一旦、受け止めて見たい、という気にもなる。
そんな番組だったけどね。
オシムのみならず、地元民たちの口から出る言葉が、いいんだね。
ずしんずしんと、こころにしみ込むようで。
とかく、政治に翻弄され、一般ピープルからも、NHKなんてぇのは、と罵倒されがちな。
かの局も、キュレーターとしての目で見ると、いい番組、作っているんだね。
ついでに言っちゃえば、マスにかぎらず、メディアなんてぇのは、もともと、時代に翻弄されるもので。
というようなネタにふっちゃうと、これまた、きりがなくなっちゃうので。
やっぱり、やめにしときます。
さて、今日は5月の8日、別になんの記念日というわけでもないけれど。
そう、何十年前だったか、わが結納の日、5月5日から三日たった日なんだね。
あれから40年、もたたないけれど、最初に、妻の実家へ行き。
かくかくしかじかで、娘さんと結婚させていただきたい。
と申し述べたら、どこの馬の骨かわからないから、それなりの人をたてて。
と今はなき義父に玄関口で言われたっけな。
なので、おじに同行していただいて、という次第で、結納の前の、あれなんていうのか。
事前準備の宴を開いていただいたわけだ。
これがまた、妻の義父もわがおじも、なにやら、古い家というものを特筆するのが。
どうも、そんな時のしきたりなのか、困ってしまうんですよ、古くて。
みたいなノリで、何代前がどうしてこうして、みたいなね。
だって、わが父方でいえば、祖父より先は、わかりません、なんてことなんだけど。
そこはそれ、メディアってのは、時の話題に翻弄されるもので。
そもそも、仲人なんてのも、メディアっていえば、メディアとも言えるしね。
媒体って訳すでしょ、媒酌人だもんね。
というわけで、本日のブログは、このへんで。
W杯へ、初出場なる、という。
かの国出身の、イビチャ・オシムに対する地元民の、でね。
ムスリムとセルビアとクロアチア、という三つの民族からなる国で。
各民族間の戦いが、凄まじいものがあったわけだ。
内戦終結後も、各民族間での抗争は続き、サッカー協会にも。
三人の会長さんがいる状態だったそうで、FIFAからは、そのなりが容認されず。
いついっかまでに、会長を一人にしぼらなければ、W杯予選にも出場はできません。
ということで。
そこへ、もと日本代表監督のオシムさんに、白羽の矢がたったわけだ。
会長一本化へ。
日本でいう、関西人と関東人でも、かなりの違いがあるのだけど、それどころの話ではなくね。
ついこの間まで、銃撃戦を繰り広げ、そのため、多くのボスニア人が国外へ難民になり。
という状態だったわけで。
そこを、彼が、サッカーと数学者で稼いできた、というほどの、サッカーへの愛と。
数学者的な、理知的な頭脳で。
サッカー協会を一本にまとめ、今回の予選を勝ち抜き。
見事、W杯への切符をてにいれるまでのドキュメント番組をね、録画でみたのでした。
オシムの言葉やボスニアの人々の言葉が、凄まじくて、iPhoneのAtok Padへ。
メモしまくら千代子、ってわけで。
内戦が終わっても、残されたものは、貧困しかなく、なんてオシムの言葉をきくとね。
失業率30%だとか、そんな中での、今回の快挙で。
親を失い、あるいは子を失い、仕事を失い、命からがら国外へ逃げのびた人たちが。
予選通過を決める最終戦に、続々とやってくるんだね。
一日もボスニアのことを忘れたことがない、なんていいながら。
日本代表が、初めてW杯出場を決めた、ジョホールバルを思い出したけれど。
サッカーの代表チームは祖国そのもの、なんていうボスニア人とは比べようもないね。
何千年も祖国をもたず、世界を流れ歩いた、というユダヤ民族の。
われわれからすると、異様にも、エキセントリックにもみえる、さまざまなことごとも。
そうなんだ、と一旦、受け止めて見たい、という気にもなる。
そんな番組だったけどね。
オシムのみならず、地元民たちの口から出る言葉が、いいんだね。
ずしんずしんと、こころにしみ込むようで。
とかく、政治に翻弄され、一般ピープルからも、NHKなんてぇのは、と罵倒されがちな。
かの局も、キュレーターとしての目で見ると、いい番組、作っているんだね。
ついでに言っちゃえば、マスにかぎらず、メディアなんてぇのは、もともと、時代に翻弄されるもので。
というようなネタにふっちゃうと、これまた、きりがなくなっちゃうので。
やっぱり、やめにしときます。
さて、今日は5月の8日、別になんの記念日というわけでもないけれど。
そう、何十年前だったか、わが結納の日、5月5日から三日たった日なんだね。
あれから40年、もたたないけれど、最初に、妻の実家へ行き。
かくかくしかじかで、娘さんと結婚させていただきたい。
と申し述べたら、どこの馬の骨かわからないから、それなりの人をたてて。
と今はなき義父に玄関口で言われたっけな。
なので、おじに同行していただいて、という次第で、結納の前の、あれなんていうのか。
事前準備の宴を開いていただいたわけだ。
これがまた、妻の義父もわがおじも、なにやら、古い家というものを特筆するのが。
どうも、そんな時のしきたりなのか、困ってしまうんですよ、古くて。
みたいなノリで、何代前がどうしてこうして、みたいなね。
だって、わが父方でいえば、祖父より先は、わかりません、なんてことなんだけど。
そこはそれ、メディアってのは、時の話題に翻弄されるもので。
そもそも、仲人なんてのも、メディアっていえば、メディアとも言えるしね。
媒体って訳すでしょ、媒酌人だもんね。
というわけで、本日のブログは、このへんで。