昨日、清水の山の手へ行ってきたのだけど。
ちょっと、屋根をなおしてほしい、というリクエストがあって。
で、集金をかねて、なんだけど。
そこからは、興津の海が見下ろせてね。
西園寺さんもいたくらいだから、興津は日本でも有数の保養地でもあったんだろうな。
なんてことを、本日のブログネタにしようと思っていて。
車で出社したのだけれど。
そこで、かかっていたのが、桂文楽の「素人鰻」でね。
山の手は、高級住宅街だった、というネタにぴったりくる噺で。
明治維新で、侍家業が廃業となり、少しばかりの退職金で。
世すぎ身すぎのために、なんらかの商売をはじめるんだけど。
侍の商法と言われるごとくに、たいてい、だまされたりして、失敗する。
という噺ですね。
ところで、このあたりで、山の手といえば、安東とかあと、どこかな。
なにせ、山に麓、というのか、山際というイメージがあって。
昔は、川は、水利というくらいで、なにかと便利ではあったけど、氾濫したし。
逆に、外部からの侵入者は、舟を使って容易に入ってくることができたわけで。
邪馬台国があった、ともいわれる九州北部の地も、後背地は山で。
一方だけ、侵入を抑えるための柵をつくっとけばいいような地勢でね。
どうしても、土地の有力者たちは、山側に居をかまえたんだろうな。
なんてことを、つらつらと考え。
「素人鰻」の旦那は、もと下男のきんという鰻職人を雇い。
さて、店を新築し、新装開店という晩に、ま、きん、いっぱいやるか。
というところからはじまるんだけど。
このきんさん、お酒にめっぽうだらしなくて。
お酒にのまれてしまい、しまいには、旦那と喧嘩になって、出て行ってしまう。
ご維新で、身分が大きく変わったけれど、そこはそれ、いままでの主従関係から、なかなか、自由になれないので。
いなくてはこまる、職人のきんさんと旦那とのかけあいのなかに、上下関係が逆転した悲哀、というのか。
微妙な心理のずれが、この噺のきかせどころでね。
職人のいなくなった店で、しろうとの旦那が、うなぎをさばくわけだ。
どだい、無理な話なんだけど、そこの描写がね、文楽の文楽たるゆえんでもあり。
なんてネタを、いつも行く、奥浜名の「さくめ」の大将がさばいている鰻をカウンター越しに見ながら。
おばたちが子どものようにはしゃいでいる姿を傍目に、僕は、思い出してもいたのですが。
ご維新での変わり目と似たような風情が、かつて山の手は高級住宅街だった、という、かつて、という言葉にね。
こめられてもいて。
そうそう、山の手の移り変わりというのは、けんちゃんがね。
知り合いがお米屋さんだったか、いるらしく、いつだか、話していたのを思い出した。
というわけで、いく川の流れはたえずして、もとの水にあらず。
という諸行無常でしたか、そんなこんなで、本日のブログは終了です。
ちょっと、屋根をなおしてほしい、というリクエストがあって。
で、集金をかねて、なんだけど。
そこからは、興津の海が見下ろせてね。
西園寺さんもいたくらいだから、興津は日本でも有数の保養地でもあったんだろうな。
なんてことを、本日のブログネタにしようと思っていて。
車で出社したのだけれど。
そこで、かかっていたのが、桂文楽の「素人鰻」でね。
山の手は、高級住宅街だった、というネタにぴったりくる噺で。
明治維新で、侍家業が廃業となり、少しばかりの退職金で。
世すぎ身すぎのために、なんらかの商売をはじめるんだけど。
侍の商法と言われるごとくに、たいてい、だまされたりして、失敗する。
という噺ですね。
ところで、このあたりで、山の手といえば、安東とかあと、どこかな。
なにせ、山に麓、というのか、山際というイメージがあって。
昔は、川は、水利というくらいで、なにかと便利ではあったけど、氾濫したし。
逆に、外部からの侵入者は、舟を使って容易に入ってくることができたわけで。
邪馬台国があった、ともいわれる九州北部の地も、後背地は山で。
一方だけ、侵入を抑えるための柵をつくっとけばいいような地勢でね。
どうしても、土地の有力者たちは、山側に居をかまえたんだろうな。
なんてことを、つらつらと考え。
「素人鰻」の旦那は、もと下男のきんという鰻職人を雇い。
さて、店を新築し、新装開店という晩に、ま、きん、いっぱいやるか。
というところからはじまるんだけど。
このきんさん、お酒にめっぽうだらしなくて。
お酒にのまれてしまい、しまいには、旦那と喧嘩になって、出て行ってしまう。
ご維新で、身分が大きく変わったけれど、そこはそれ、いままでの主従関係から、なかなか、自由になれないので。
いなくてはこまる、職人のきんさんと旦那とのかけあいのなかに、上下関係が逆転した悲哀、というのか。
微妙な心理のずれが、この噺のきかせどころでね。
職人のいなくなった店で、しろうとの旦那が、うなぎをさばくわけだ。
どだい、無理な話なんだけど、そこの描写がね、文楽の文楽たるゆえんでもあり。
なんてネタを、いつも行く、奥浜名の「さくめ」の大将がさばいている鰻をカウンター越しに見ながら。
おばたちが子どものようにはしゃいでいる姿を傍目に、僕は、思い出してもいたのですが。
ご維新での変わり目と似たような風情が、かつて山の手は高級住宅街だった、という、かつて、という言葉にね。
こめられてもいて。
そうそう、山の手の移り変わりというのは、けんちゃんがね。
知り合いがお米屋さんだったか、いるらしく、いつだか、話していたのを思い出した。
というわけで、いく川の流れはたえずして、もとの水にあらず。
という諸行無常でしたか、そんなこんなで、本日のブログは終了です。