本卦というと、いかにも、もっともらしく聞こえるけど。
単に、自分の生まれた年の干支に帰る、とでもいう意味だと。
ウィキペディアには、そう書いてある。
そうなんです。
今日、1月29日で、還暦ということになるのです。
この「還暦」と言う言葉は、それなりのインパクトを与えるようで。
還暦を迎えます、というと。
一瞬、ウッ、という間があくんだね。
もうそんな年になったのですか、というものなのか。
そんな年には見えません、とでもいうのか。
いずれにしても、この何十年かで、寿命も伸び、高齢者が増えているのだけど。
心の奥の方では、昔ながらの、還暦、という感覚だけは残っている。
とでもいえばいいのか。
ま、そんな理屈はどうでもいいんだけど。
とにかく、還暦、60歳なのです。
思えば遠くへ来たもんだ、と中原中也をまねてね。
いや、武田鉄矢の海援隊の唄だったか。
ラッキーとか運がいいとか、そんな気持ちで。
感謝です。
この年になっていなければ、気がつかないことはたくさんあるので。
それだけでも、ラッキーです。
前にも書いたけど、本屋さんをぶらぶらしていて。
こういう本に、みんなだまされちゃうんだな。
と慨嘆したりするんだけど、だれしも、自分で経験・体験しないかぎり。
とてもじゃないけど、納得できないし。
こちらがだまされている、と思っても、本人さんは、それが、大正解なのかもしれず。
わかりません。
還暦の赤いちゃんちゃんこは、産着の、魔除けの赤にも通じるそうで。
新しく生き始める、とでもいいましょうか。
商の湯王にならって、日に新たに、日々に新たに、ということですね。
さらに、浜松の設備工事会社、日管のなくなった三輪社長さんがおっしゃっていた。
その出典は、長府製作所だったか、そこの社長さんだったようだけど。
今までたくさん失敗してきたことを、これから生かすんだから、楽しみでしょうがない、というような考え方ですね。
情けなき数々、恥ずかしき数々のことごとが、この先、珠玉のようなね。
光り輝く宝物になっていくのを、眺めることができるというわけです。
one piece、ひとつらなりの宝物、ということですね。
季節で言えば、厳寒の冬がすぎ、つまり、すべてが凍り付くような、だけど、土のなかでじっくりと春の準備をし。
芽がふき、花が咲き、緑もえる若さの夏をすぎ。
それが果実となる、収穫の秋とでもいいましょうか。
そして、それは、やがて枯れて行くのだけれど、決して、腐乱していくのではなく。
天と地の循環に帰って行く、というね。
ま、壮大な生命の源とつながっていくわけで。
まさに、本卦へ帰って行く、とでもいいましょうか。
と、還暦を迎える朝、こんなブログを書いているのです。
単に、自分の生まれた年の干支に帰る、とでもいう意味だと。
ウィキペディアには、そう書いてある。
そうなんです。
今日、1月29日で、還暦ということになるのです。
この「還暦」と言う言葉は、それなりのインパクトを与えるようで。
還暦を迎えます、というと。
一瞬、ウッ、という間があくんだね。
もうそんな年になったのですか、というものなのか。
そんな年には見えません、とでもいうのか。
いずれにしても、この何十年かで、寿命も伸び、高齢者が増えているのだけど。
心の奥の方では、昔ながらの、還暦、という感覚だけは残っている。
とでもいえばいいのか。
ま、そんな理屈はどうでもいいんだけど。
とにかく、還暦、60歳なのです。
思えば遠くへ来たもんだ、と中原中也をまねてね。
いや、武田鉄矢の海援隊の唄だったか。
ラッキーとか運がいいとか、そんな気持ちで。
感謝です。
この年になっていなければ、気がつかないことはたくさんあるので。
それだけでも、ラッキーです。
前にも書いたけど、本屋さんをぶらぶらしていて。
こういう本に、みんなだまされちゃうんだな。
と慨嘆したりするんだけど、だれしも、自分で経験・体験しないかぎり。
とてもじゃないけど、納得できないし。
こちらがだまされている、と思っても、本人さんは、それが、大正解なのかもしれず。
わかりません。
還暦の赤いちゃんちゃんこは、産着の、魔除けの赤にも通じるそうで。
新しく生き始める、とでもいいましょうか。
商の湯王にならって、日に新たに、日々に新たに、ということですね。
さらに、浜松の設備工事会社、日管のなくなった三輪社長さんがおっしゃっていた。
その出典は、長府製作所だったか、そこの社長さんだったようだけど。
今までたくさん失敗してきたことを、これから生かすんだから、楽しみでしょうがない、というような考え方ですね。
情けなき数々、恥ずかしき数々のことごとが、この先、珠玉のようなね。
光り輝く宝物になっていくのを、眺めることができるというわけです。
one piece、ひとつらなりの宝物、ということですね。
季節で言えば、厳寒の冬がすぎ、つまり、すべてが凍り付くような、だけど、土のなかでじっくりと春の準備をし。
芽がふき、花が咲き、緑もえる若さの夏をすぎ。
それが果実となる、収穫の秋とでもいいましょうか。
そして、それは、やがて枯れて行くのだけれど、決して、腐乱していくのではなく。
天と地の循環に帰って行く、というね。
ま、壮大な生命の源とつながっていくわけで。
まさに、本卦へ帰って行く、とでもいいましょうか。
と、還暦を迎える朝、こんなブログを書いているのです。