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大山加奈選手、岩隈久志選手、ライコネン選手、浅田真央選手、阪神タイガース他好きなものがいっぱい。幸せ気分を発信したいな

翡翠の空(2)

2007-07-19 17:06:11 | Angel ☆ knight
        本日のコックピットクルー


 太陽は正面にあるのに、窓の外が暗くなった。機体がふわりと向きを変える。
ベルト着用のサインが消え、客室乗務員が高度2万7000メートルに達したことを乗客達に告げた。
客室の全員が窓の外に首を向ける。眼下に広がるパノラマは、地表というより、まさに「地球」だ。どよめきが起こった。
だが、乗り物酔いになる客が出るのもこの時だ。無重力空間にいるかのような感覚に、気分が悪くなるのだ。
―ご気分が悪くなったお客様は窓の外をご覧にならないで下さい。お薬がお入り用の方は、乗務員にお申し付け下さい」
成層圏は高度1万5000m~5万mの間に位置し、雲がないので常に晴天だ。
成層圏の上にはさらに、中間圏、熱圏という大気の層があるが、まるで宇宙空間に飛び出したかのような眺めに、美影は瞠目した。
オゾン層を破壊しないよう、ソーラードライブに切り替えた機は、高速で進んでいるにもかかわらず、静止しているように感じられた。
窓外の空が突然緑色に輝いたのはその時だった。
客室の照明が消え、エメラルド・グリーンのカーテンが機内を乱舞した。
「オーロラ?」という声が上がる。
手のひらをかざすと、光の帯が通り過ぎる度にぽうっと緑色に浮かびあがる。
窓ガラスも緑色の輝きに覆われていた。
(何という光景)
美影は思った。地上では決して見ることができない。やっぱり、いい。パイロットになりたい。

 もともと暗いコックピットは、計器の照明が全て落ちて完全な闇になった。
黒いガラスの鏡と化した計器板を、緑の光が撫でてゆく。
飛鳥は反射的に操縦をマニュアルに切り替え、機の姿勢と針路を保持した。
「メーデー、メーデー」
副操縦士席の聖佳が懸命に呼びかけるが、無線も死んでしまったようだ。
「ひょっとして遭難したのか? そうなんです」
飛鳥が呟くと、聖佳がちらりとこちらを見た。
間もなく、予備電源が働いて、計器板にも光が戻ってきた。
ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示された高度と速度は、システムダウン直前とほぼ同様の数値だ。飛鳥の感覚ではどちらもそのまま保持しているはずだから、高度計と速度計は働いているようだ。
「オートパイロットはワープしちゃったみたいだな。とりあえず、高度を下げよう」
成層圏でトラブルに見舞われたら、気流が特に安定している2万メートルまで降りてコントロールの指示を待つのが、緊急時のマニュアルだ。
高度計が正しく作動しているとは限らないので、聖佳は目印となる星の見える角度で高度を確認している。
高度2万メートルで水平飛行に移る。無線は相変わらず通じないが、この高度で飛んでいれば何かあったと思って貰えるだろう。
眼下の雲は夕焼けで赤く染まっている。
視線を上げると、薄青い大気の層を透かして星が幾つも瞬いていた。
この高度からだと、ランドマークを確認するよりスター・ナビゲーションの方がやりやすい。聖佳は星図と計算尺を使って、現在位置を割り出しにかかった。テクノロジーの粋を集めた最新型機に乗っているのに、いざとなると遠い祖先とおなじことをしていると、飛鳥はおかしくなった。
 カシオペア・ペア…ポーラースター…」
「な、何歌ってんの?」
「え? スター・ナビゲーションの歌ですけど」
聖佳が口にしたのは、目印となる星や星座の見つけ方を語呂合わせのような歌にしたもので、飛鳥も訓練生時代に教わった。北半球では、まず北極星を見つけることが肝要なので、聖佳はカシオペア座から北極星を見つけようとしたのだ。
…は東に…は西に」
聖佳はなおも小声で歌いながら、チャートに印をつけ、
「今、このあたりです」
と、飛鳥に示した。チャートに描かれた地図は、レーダー画面のそれとほぼ一致している。レーダーも機能しているようだ。
「一番近い空港はクリムゾンスター・シティ空港になります。約50分で行けます」
「OK。一応、オートパイロットに入力してみようか」
電源が落ちた状態で移動したので、座標は完全に狂っている。普段は出発空港と到着空港の座標が入ったカードをスロットに通すだけだが、今のような場合は緯度と経度を手入力しなければならない。全部で11桁の数字になるので、交代で復唱して間違いがないことを確認した。
オートパイロットに切り替えると、途端に機首が上がり始めた。
「こらこら、上へ行ってどうする」
と、飛鳥はすぐさまマニュアルモードに戻した。マニュアル操縦でクリムゾンスター・シティ空港へ行くしかないようだ。
「てことは、着陸もオートでできないのか。オーットぉ」
またこちらに目を向けた聖佳に、
「お客さんにアナウンスするから、マイク取って」
と、飛鳥は言った。

 ―機長の雪尾です。当機は成層圏飛行中磁気嵐と思われるものに遭遇し、機体に若干の不具合を生じました。そのため、ただいまより直近空港であるクリムゾンスター・シティ空港に向かいます。クリムゾンスター・シティ空港には約50分後に到着の予定です。お急ぎのところ、ご迷惑をおかけしますが、ご了承下さい。
なお、緊急航行中のため、急な進路変更等を行うことがありますので、シートベルトを着用し、お席を立たないようお願い致します。お手洗いに行かれる方は、お席を立たれる前に、乗務員に安全をご確認下さい。お手洗いは着陸の30分前までにおすませ下さい」

飛鳥のアナウンスに、乗客は一斉にざわめきたった。
皆、先刻の緑の光はオーロラで、照明が消えたのはオーロラがよく見えるためのサービスだと思っていたからだ。
美影も愕然とした。
遭難したことにではなく、地上からは見ることのできない絶景だとばかり思っていた自分の浅はかさに打ちのめされた。
窓の外には再び青い大気が広がっている。その青がどんどん濃くなって夜が近いことが感じ取れた。
機体の不具合って何だろうと美影は思った。
機はぴたりと安定している。
美影はシミュレーターしか操縦したことがないが、飛行機は船が波に揺れるように気流に上げ下げされるものだ。偏流にも簡単に流されてしまう。成層圏は、対流圏に比べ気流が安定しているが、上下の対流が全くないわけではなく、水平方向にはかなり強い風が吹いている。
それを全く感じないのは、パイロットの腕がいいのだろうか。
美影は客室を見回してみた。どの乗客も落ち着いた様子なのは、機がほとんど揺れないからだろう。
美影は固唾を呑む思いで、水中にいるかのように色濃くなった空を眺めた。

(続く)