銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『図書館猫デューイ』の1・・・・生活保護を受けながら、大学へ通学できたシングルマザー△

2013-11-09 12:35:00 | 政治

 一番最初に、この一文を書いた目的は何かと言う点をお話しましょう。それは、『建前と本音があったら、本音で生きろ』と、皆様に告げることです。

 女性に、月に一回訪れる、生理(メンスとも呼ばれている)が、5日目ぐらいからは、死体と同じような臭気を発するものだなどと言う部分などは、お上品さを気取っている方は眼を背けに、なる部分でしょう。

 だが、昨今、この日本に横行している、ばかげた甘やかしと、作られたニュースに辟易している私は、汚く見える部分も、また事実であり、大切なものであると、強調をしたいので、それを、入れて、この一文を構成しています。

 エロ、グロ、ナンセンスで、皆様の気を引きたくて、これを書いているわけではなくて、人間は死ぬものであり(インモータル)、死体はくさいのです。だが、その人間発生の、もっとも最初の段階である出産の現場でさえ、胎盤を体外へ出すこと、で、死体への連想が浮かぶものなのでした。生き物とは、そういうものであり、人間もまた、生き物の、一種だから出産の現場にさえ、死体すれすれの臭気を発しかねない後産と言う部分が含まれているのです。それを、忘れてはいけないと、私は、いいたいのです。 

 たまたま、この章の主人公ヴィッキーマイロンは、産婦人科医の後産の不始末から始まって、婦人科系の病に、種々さいなまされます。この文章内には、書いてありませんが、50代に入ると、乳がんで、乳房切除にまでいたります。で、生理の事が、後産を、どなたにでもわかる形で、説明をできる一例として、私があげることと成りました。あしからずご了承くださいませ。そして、今10日の、午後五時ですが、推敲を終わったので、総タイトル横に恒例の、△印を付けておきます。

副題1、『ヴィッキー・マイロン(アメリカアオオワ州の、図書館・館長)が、すばらしい本を書いているが学ぶことがいっぱいある』

副題2、『ヴィッキーマイロンの両親は、愛情豊かな人だったが、彼女を、大学には進学をさせなかった』

副題3、『陣痛促進剤は、使わないように、ぜひ、担当医に、確認をなさいませね』

副題4、『臍帯血、プラセンタ入り化粧品を使うなんて、あなたはドラキュラですか?』

副題5、『ものみの塔とか、土俵女人禁制と言うのも、使命を終えた胎盤の匂いからきていると思うが、それに、つけても思い出すのは、内館牧子の大矛盾と、異常性だ』 

副題6、『後産と言うのも、哺乳類の一種として、自然に行わなないと、大変な事になる』

副題7、『東大病院でも、昔、同じ失敗があったのだった』

副題8、『告知なしで、子宮と卵巣を、全部摘出されてしまったのが、まだ、24歳の時だった、ヴィッキーマイロン(アイオワの図書館館長)』

副題9、『夫がアルコール依存症だと、わかった後、最悪の現象に出会い、人間が変わる』

副題10.『極端な不幸に出会ったときの、対処の仕方、あれこれ・・・・・ヴィッキーは大学へ行かせてほしいと、福祉・団体にお願いをする』

副題11、『私の不幸度、レベル10のひとつは、そこから気構えを変えたという点では、前田祝一氏の恫喝も、そのひとつだった・・・・・そして、ヴィッキーマイロンの、娘は、思春期に反抗をするのだが、そここそ、沙彩ちゃんと違うところなのだった』

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副題1、『ヴィッキー・マイロン(アメリカアオオワ州の、図書館・館長)が、すばらしい本を書いているが学ぶことがいっぱいある』

 幼い女の子を、一人で家に置いて、母が働かないとならないケースはいろいろあるでしょう。特にシングルマザーであったら。ただし、シングルマザーである場合、子供の方は、お母さんが、精神的にも肉体的にも、大変であることを理解しているので、とても、いい子で育ちあがります。

 でも、いい子で育ちあがると、その子ども自身の将来に、問題が起きてくる可能性もあるのです。ある程度の、量と深さで、甘やかされる、必要があるからです。過度に甘やかされると、だめです。だが、それは、ふつうの家庭で、両親がそろっていて、母親が働いていない場合のことです。そういうご家庭で、過度に甘やかせば、問題ですが、母が、シングルマザーであって、仕事上の必要があって、修士号をとりつつある場合、幼い一人娘には、絶対量の愛が足りません。

 ここで、『図書館猫デューイ(早川書房・・・・・2008年刊)を、書いたヴィッキー・マイロンが、わがままで、それを狙ったとは、思わないでくださいね。、当時、図書館長になるために、修士号をとるために、ふつう以上に忙しい状態でした。

 その本の中で、著者は、編年的に、自伝を語っているわけではありません。だから、抽出が難しいのですが、ともかく、彼女がわがままで、ランクアップを狙って、修士号を取ろうとしていたのではないということは、ここで、はっきりと、明らかにしないといけません。

 彼女は、わがままなお嬢様育ちとは、はるかにかけ離れた、思春期を送りました。両親は、世界史で学ぶ、アメリカの、プーア・ホワイトとよばれる・自立系農家・階層の人で、彼女が生まれたころまで、トイレが、外にあるような、小さな、農場を経営している人たちでした。

 映画ジャイアンツの中で、ロックハドソンが暮らしている大農場とは、はるかにかけ離れた状況だったのです。むしろ、映画シェーンに出てくる小さな農場、ああいうものをご想像ください。

 そして、彼女の一家も、町全体も、アメリカの経済状況と、資本主義の発展に翻弄されます。農場は機械化され大規模化して行き、町の人たちは、農機具のローンが支払えず、土地を奪われ、他の職業も、衰退していって青息吐息の状況のときも在ったのです。

 ちょうど、二年前の、日本の地方都市に似ています。シャッター商店街が林立し、村は過疎になり、空き家が多発しているころの、日本の地方都市です。

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副題2、『ヴィッキーマイロンの両親は、愛情豊かな人だったが、彼女を大学には進学させなかった』

 彼女の家には、こどもが五人いました。彼女は、1948年生まれですから、今とは世情は、相当に、違っていて、大学へ進学をさせてもらえませんでした。両親も大学を出ていないので、男の子は、大学へ進学させますし、末の方の、女の子はどうしたかは知りませんが、長女である彼女は行くことを許してもらえませんでした。自分の住む町、スペンサーには大学がありません。ので、下宿代まで出して、大学へやる経済力が両親にはないと、皆が判断したのでしょう。

 で、彼女はモノを包装する工場で働きます。その町は、お兄ちゃんの通う、大学にも近かったので、彼女はおにいちゃんの、友達たちと、交流し、その中の会話も容貌も素敵な男性と恋に陥り婚約をして、赤ちゃんができます。

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副題3、『陣痛促進剤は、使わないように、ぜひ、担当医に、確認をなさいませね』

 私が自分の子供を生んだのは、1970年と、1972年です。最初の子供は、サマリタン病院といって、宗教的な見地から中絶をしない、だから、出産や、育児の、信頼感がもてると評判の、ところだったので、無論陣痛促進剤は使いませんでした。次に1972年も出産をしたのですが、上の子が小さいので、自由にお見舞いに来てもらえるように実家そばの個人病院に入院しました。が、ありがたいことに、そこでも、陣痛促進剤は使われず、真夜中に、ふつうの形で、出産しました。

 私は直感として、妊娠や分娩には、自然の形だけでいいと思っているほうですが、中には、スノッブが、いて、最新の医療を受けたと誇る人がいます。1970年代は、まだ、出産前遺伝子診断や、体外受精とか、子宮を借りるとか、提供された見ず知らずの人の精子を遣うなどの、医療技術は発達をしておらず、陣痛促進剤が、唯一の、人工的なものでしたが、それを、医者に使われたことを誇らしげに、語るご近所主婦がいて、馬鹿なことと、内心で、笑いました。

 1970年代に、マンション(特に公団型で、広い庭があるもの)を買って移り住んで来たひとたちは、そこで、新しいカーストを作り上げようとして、どんな小さなことでも、また、馬鹿げたことであっても、自慢しあって、目の前にいる人の上にたちたいのでした。

 さて、陣痛促進剤を使われてしまった結果、ひどい後遺症に悩むこととなったのが、ヴィッキーです。ヴィッキーは、このとき、1970年ですので、ちょうど、私と、同じころ出産をしているのです。医者は、次の予定(たぶん、パーティ)で、気がせいていたのだろうと、ヴィッキーは書いています。

 ビッキーは、出産後6ケ月も病院にとどまって、入院し続けることとなり、それ以降も終生、不調に、悩まされることになります。

 それは、出産そのものもさることながら、後産(アトザンと、普通は呼ぶ)が、失敗したからでした。

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副題4、『臍帯血、プラセンタ入り化粧品を使うなんて、あなたはドラキュラですか?』

 今、よい産院では、いろいろな工夫がなされるようになりました。夫が出産に立ち会うとか、カンガルーケアとか、赤ちゃんと母親との関係が、緊密に構築されるような種々さまざまな工夫がなされています。ただ、これから、赤ちゃんを産む若い夫婦がアトザンの知識まで、正確に持っているかどうかは疑わしいと思います。

 これが、大変なものなのです。

 赤ちゃんは、かわいい者で、天使とよばれたりしますが、すべての生き物と同じように、人間も、動物です。卵子と精子が、結びついて細胞分裂を始めるところから、赤ちゃんとなっていくのですが、栄養は、母親の栄養分を吸い取って大きくなります。ただ、その際、いったんクッションが必要です。母の血が、直接に、分裂しつつある、卵細胞に送られるわけでもありません。で、母親の血をためる、お布団が必要になりますが、それは、胎盤と呼ばれレバーに似ています。それが、毎月、外へ出てくる生理と言うものの、主成分となります。

 女性である限り、閉経時まで、毎月一回ほど、妊娠し、出産する準備をするのですが、それが無駄になったときに外へ出てくるのが、いらなくなった小さな胎盤です。で、それが、はがれる初期には、赤い血が出ますが、生理後期には、腐ったような茶色の血になり、匂いも嫌なものになっていきます。

 この胎盤から赤ちゃんに栄養を送るパイプを臍帯とよび、その中にある成分を、臍帯血とかプラセンタと呼び、高級で、高額な化粧品に使っているそうです。くわばら、くわばらです。お金があれば何をしてもよいと言うことでは無いですよ。そんなモノをつかう精神とは、一種のドラキュラです。むかし、ヨーロッパの、貴族夫人が、若さを保つために、処女を拉致してきては、その新鮮な血の入ったお風呂で、沐浴をしたそうです。煮ると血が凝固してしまうから、生の血のお風呂へ、寒くても入ったのでしょう。くわばら、くわばらです。

 現在の日本で、高級な化粧品をお使いになっているあなた、ぜひ、お気をつけ遊ばせ。そんな行動ひとつでも、神とか、天の祝福から遠くなります。おやめなさい。そして、私が、宣伝をどれほど、嫌うのかも、こういう現象を見るからです。

 最近カネボウ化粧品で、皮膚に白斑ができるという問題が起こりましたが、高級化粧品の、まやかしぶりに、とうとう、底割れが起きたということでしょう。宣伝によって、利益を得る分野の最大の場所が化粧品です。

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副題5、『ものみの塔とか、土俵・女人禁制と言うのも、ここからきていると思うが、それに、つけても思い出すのは、内館牧子の大矛盾と、異常性だ』 

 用途を終えたプチ胎盤は、生命力を失ったとたんに、腐っていくわけです。で、生理の最後あたりは、茶色い血がでて、嫌なにおいを、あたりに振りまきます。

 このにおいは、生理用品が発達していない時代には、家族が共有したものだと思います。家に年頃の娘が三人もいたら、妻とともに、それが、におうので、小さな家だとたまらないと、言うことにもなりますね。日本の家って、風通しがいいから、あまり、こもらないと思いますが、レンガでできていて、窓も小さい欧米の家だと、匂いがこもります。

 そこから生まれたのが、新興宗教「ものみの塔(または、エホバの証人)」だと思います。血を忌み嫌っていて、手術もできないのだそうです。

 そして、日本で、そのことが反映しているのが土俵です。女人禁制と言うのは、江戸時代は、生理用品は、不備であり、女性が道を歩くと、ぽたぽたと、血のしみが、道に落ちたというようなことがあって、そのように、用心されることとなったのでしょう。

 その時代は、女性が、普段は締めないふんどしを女性用に作って、その中に、古布を入れる形で、吸い取らせていたと考えられるので、今のものとは、まるで、違っていたのです。

 ただ、内館牧子さんです。NHKが、彼女が東北大学の相撲部を、指導している映像を特集で、出しましたが、私に言わせれば、彼女こそ、化け物です。

 だって、彼女は、女性でしょう。だから、15歳から53歳ぐらいまでの間に、生理を400回は経験していると思いますよ。一月に一回来る最終段階は、彼女は、ご自分の、お股の間に茶色い血を含んだタンポンか、ナプキンを抱え、臭気をパンツの中に充満させて歩いていたわけです。

 それなのに、何食わぬ顔もいいところで、「土俵が神聖であって、なんとか、かんとか」と主張をしていたのです。まじめに考えると、自分が女性なのに、女性の、もっとも神聖な部分(=子を産み育てるという部分)を軽蔑しきっていたのですよ。

 もしかすると、自分が子供を生めなかったから、他のふつうの、女性に対する潜在意識の中での嫉妬心があって、ああいう発言につながったのではないですか? 『一種の、八つ当たりだろうなあ』と思ってみていました。

 だから、見ていて、おかしくて、おかしくて、たまりませんでした。こっけいのきわみです。「王様は裸だ」とは、彼女のためにあるような言葉です。

 そして、私が彼女を批判をするたびに、敵さんたちが、持ち上げること、持ち上げること。NHKのスタジオパークに、私が批判をするたびに、出てきます。で、お金を儲けています。私は、消えそうに、なっている彼女を、批判と言う逆説で、再生させてあげ、ランクアップさせてあげ、収入が途絶えないようにしてあげているのです(笑) 

 しかも、東北大学の相撲部というのがミソです。それは、仙台にあります。だから、内館牧子を、私への弾圧用鉄砲玉として使うのは、これもまた、美術9条の会などと同じく、井上ひさしの発案でしょうね。

 それに、日経新聞のトップの鶴田卓彦氏あたりが協力しているというわけです。不思議でしょう? 日本の資本主義のトップと共産党が結びついているというわけです。その間を取り持ったのが、エージェントたちでしょう。

 私が最近、宮崎駿氏に、口をすっぱくして、「お気をつけなさい。後輩の作品を、けなさないように」と、勧めたのは、NHK特集が、繰り返し放映されると言う、ああいう態勢のまま、進むと、いずれ、宮崎さんも、内館牧子のように利用をされる可能性があるからです。持ち上げて、持ち上げて、そして、思想的に国民を、教唆、教導していく道具とされてしまいます。

 そうなると、まさしく晩節を汚すということとなります。みっともないし、残念です。敬愛の念から出ていた苦言なのです。わかっていただいているかどうかは不明ですが、宮崎駿は内館牧子に比べればはるかに上等な人間だと、私は感じていますので。

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副題6、『後産と言うのも、哺乳類の一種として、自然に行わないと、大変な事になる』

 あっち、こっちへ話題が飛んでしまいますが、最近では連想を自由に放つことにしているので、お許しください。ただ、この一章は、アイオワ州、スペンサーと言う町の図書館館長、ヴィッキーマイロンの一生について論じるはずの文章です。

 彼女はとても立派な女性ですが、前半生は、苦労ばっかりと言うような形で、生きて来ました。そのもっとも大きな原因が、産婦人科の医者に、無責任で、ひどいことをされた点にあったのです。その医者は、自分のスケデュールに合わせるために、当時流行の薬だったらしい陣痛促進剤を彼女に使いました。そして、もっとも悪質だったのは、後産(アトザンと、読むはず)の始末をきちんとしなかったのす。

 どんな女性でも、50歳以下で、15歳以上であると、毎月小さな胎盤ができて、それが、受精卵の着床を待ちます。受精卵の着床がないと、生理として、外へ流れ出ます。生理でも、終わるまでに、一週間は、かかります。出産後は、それが、大体、1時間以内に外へ排出されます。そこが生理との違いっであり、出産の不思議です。

 が、陣痛の事まで考えると、出産が生理より簡単だとは、とても言えません。赤ちゃんが生まれる前の陣痛が、早い人だと、12時間程度前に始まりますので、後産を終わるまでは、全部で、早くて、12時間かかる苦行であり、陣痛が長いと、24時間を越えるときがあります。それで、無理がかかって女性が死んだりします。

 今、日本でも、出産は若いうちに経験をしておいた方がいいという論調が、やっと、トレンドとなってきましたが、子供に遺伝子異常が現れるということのほか、種々さまざまな意味で、若いうちに経験をしておいた方がいいのです。

 ヴィッキー・マイロンは、当時まだ、22歳と言う若さだったのですが、医者の無責任のせいで、アトザンがうまくいかず、それから、6か月と言う長期間の入院が必要となりました。初めての赤ちゃんを産んだ後で、周囲から祝福される花のヤングママとして、家に帰ることが不可能だったのです。

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副題7、『東大病院でも、昔、同じ失敗があったのだった』

 これは、日本でもあったことなのです。75年前の東大病院ですが、医師と看護婦全員がアトザンを確かめないで、帰宅してしまい、死んだ胎盤がからだの中に残ってしまったのです。その件で、妊婦さんは、病気になって、ヴィッキーと同じく六ヶ月の長期入院が必要だったという話です。

 赤ちゃんは、かわいいです。だが、生命力を失った胎盤とは、死体の一種となりますから、出産直後は、まだ、大丈夫でも、すぐ腐って来て、体内にもし残されたら、大変な、苦痛と損失を母体に与えるものとなります。しかも、液体ではなくて、自然に流れ出るものではなくて、しかも、大きいものなので、いきみ等も必要なものですから、介添えや、指導がなくては、体外へ出ないものなのです。

 生理のときよりも500倍以上大きいものが、一週間もかからないで、一時間で、出てくるのが不思議ですが、それも、動物としてのリズムの中で行わないと、出ないものなので、後は、体内に残された腐ったものを、さじのようなもので、掻き出すこととなるでしょう。子宮内膜だって痛点があるので、大変な苦痛となるのです。腐った牛のレバー状のものを体内に抱えて、それは、痛みを伴わないと取り出せないし、簡単には取り出せないとなると、その後、どんなに大変か、ご理解をいただけるでしょう。大変な失敗なのですよ。

 こちらのご夫婦はだんなさんが学者でした。だからこそ、東大病院を信頼したのでしょうが、お産などと言う、やや、ふつうの現象は、そういうところを頼らず、地域内のベテランの助産婦さんか、地域内で、評判のよい産院で、産んだほうが、よほどよかったといえましょう。

 東大病院では、出産の数が少なくて、アトザンと言う現象を、忘れていたというか、知らなかった可能性すらあります。

 それに、現代の一般の妊婦さんも、ふつうの病院で、出産する前に、出産前講習を受けることがあるでしょうが、そのとき、アトザンと言う、胎盤の排出について習うでしょうか? 

 夫も一緒に受ける出産前講習にアトザンの事が出てくるでしょうか?

 ここが、冒頭に私が言ったことが関係してくることです。妊娠出産と言う出来事のうちで、楽で、明るい部分だけを、事前に知らせておき、暗いとか汚いと、推察しやすい部分を伏せておくことがないでしょうか?

  それに、産婦人科の医者固有の性格も加味しているでしょう。医学部へ進学した後にどの科を選ぶか決定する際に、産婦人科を選ぶ医師は、そこは汚い病気が少ないところなので、よく言って、おおらかで、明るい人でしょう。が、悪く言うと、注意不足につながり、患者への配慮に欠けるところがある人が、なる筈だと、感じています。

 そのうちに慣れてきて、妊婦さんを単なるマグロみたいに商品と考えるようになったりすると、この日米二つのケースのように陣痛促進剤を使い、さらに、アトザンの不始末をしでかすような、自分本位の医師ができてしまうのです。

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副題8、『告知なしで、子宮と卵巣を、全部摘出されてしまったのが、まだ、24歳の時だった、ヴィッキー・マイロン(アイオワの図書館館長)』

 ヴィッキーは、その22歳の時の不幸な出産以降、体調不良に悩まされるようになります。で、しょっちゅう、医者にかかります。

 するとあるときに医者が、「簡単な手術をすれば、ずっとよくなります」と言うので、お勧めに乗って、手術を受けました。その後で、わかったのですが、子宮と卵巣を、全部、摘出されてしまったのです。そこまでの説明は事前にはありませんでした。ビッキー・マイロンは打ちのめされます。

 ここらあたり、この本の中で、彼女はごく簡単に書いています。

 と言うのも、この本は、彼女自身について語るよりも、最高の猫、・・・・・・図書館に住み、人間大好きで、スタッフや利用者に愛を振りまき続ける猫・・・・・の、デューイについて語るのが最大の目的の本だからです。

 でもね。どうしても、ここは補わないといけません。で、私固有の、例の、見てきたような嘘をいいで、補筆をさせてくださいませ。

 アイオワ州のスペンサーと言うのは、小さな町です。皆が知り合いといってもいいぐらい。その町で、24歳のヴィッキーは、貧しい方です。本人は大学も出ておらず、結婚前と言うか入院時の、職業経験は、ラッピングを専門とする工場の工員というだけけでした。ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる種と土が入ったポット(=軽いプラスチックの植木鉢)を、包装する仕事などをしていたのです。

 そして、彼女の夫も、力のない人でした。しかも、まだ、入籍をしておらず、アメリカで言う婚約の状態、日本で言う同棲の状態でした。ただ、その婚約者について語る前に親について述べましょう。この本の最後に、母親ががんにかかり、それを慰めるために、パーティを催おす場面があります。そこでは、400人近い人が集まり、夫妻(=両親であり、彼女の娘にとっては祖父母)を祝福します。

 だけど、それは、この子宮全摘手術の、30年後です。娘のヴィッキーが、立派な女性となりました。孫も、よい結婚をしています。そういう家庭の祖父母として、愛情いっぱいであったことへの、神様の祝福としての、幸福が訪れています。町中の人に祝福をされる老人となっています。

 ところが、ヴィッキーが全摘手術を受けたころは、まだ、長男が、就職したかしないかの段階で、アメリカのプア・ホワイトとしての、小規模農場を経営している段階でした。だから、町の中で、カーストが高い人ではありません。で、患者としてのヴィッキーが、文句を言うはずもないと言う安心感が、医者の側にあったでしょう。別の言葉で言えば高をくくる態度といえます。

 この、社会のカーストによって、自分の扱いが変わってくるということは、日本でもあります。そして、差別をされて、低い方の扱いを受けた人間にとっては、悔しいことでもあります。だが、実際にはあるのですね。それが、あるとして、生きていかないとだめでしょう。さて、日本から、元のアイオワへ戻ります。

 しかし、ヴィッキーはその30年後、本を書きました。さすがに、そのときの医者の実名は表記されていません。だけど、アイオワ州、スペンサーの町の人々は、これを読んだ後では、大きな興味を持って、この先生の噂をし合ったたでしょう。すでに、故人となっているかもしれませんが「そういえば、あの先生って、いいかげんなところはあったわよねえ」と、話し合っている可能性は十分あります。だから、一種の清算ができたということとなります。だけど、子宮は戻ってこないし、ヴィッキーが別の人と再婚して、次の子供を生む可能性も立たれたのでした。それは、事実なのです。

  ところで、後年、とても優れた女性として、幸福な人生を送ることになるヴィッキー・マイロンが、何の相談も事前に受けずに子宮全摘をされてしまった時に、婚約者がどうしていたかですが、事実上、頼りにできない状態でした。

 彼は、アルコール中毒になっていたのです。この件にもいろいろ書きたいことはありますが、ここは、簡単にその事実だけをおきます。そして、そういう男性ですから、医者が、尊敬をしなかった可能性は大きいです。夫(婚約者)が盾となるのが、夫婦力であり、結婚(?)をしていることのメリットなのですが、ヴィッキーは、ほぼ一人で、人生をやりぬいていかないといけなくなります。

 そんな、ヴィッキー・マイロンに、彼女が32歳のころに現れ、彼女に、17年間寄り添って、愛を与え、抱きしめ、励ましたのが、図書館猫のデューイでした。

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副題9、『夫(事実上は未入籍)がアルコール中毒であることがわかる。最悪の生活となるが、そこで、人間が変わる』

 彼女の夫(事実上は、婚約者)ですが、兄が大学へ通学していたときの兄の友人です。兄は、その本の最後の最後の方で、うつ病で、自殺をしてしまったことが明かされていますが、とても、優秀な人だったらしいのです。で、その兄が元気で明るかったころの、20代の友人ですから、夫となった人も、明るくて、頭もよくて、会話も面白い人間でした。

 だけど、どことなく、夢見がちで、繊細だった可能性はあるでしょう。この判断は私のものですが、さらに、私が判断を付け加えると、手相で、後家相と言うのがあります。最高レベルの仕事ができる優秀な女性は、夫が育たないというか、男をだめにしてしまうところがあるらしいのです。で、ヴィッキーマイロンの優秀さは後日、出てくるのですが、基本的には、彼女が若いころにも、素地としてあって、それに負けるから、夫(婚約者)がだめになったのかもしれません。

 これは、赤毛のアンを書いた、モンゴメリー女史の家庭でも見られることであり、最近では、西原理恵子さんの、ご家庭にも似たような雰囲気を感じている次第です。特にどこかで、高須クリニック院長と、事実婚の関係にあると知って、以前は高い評価を与えていた西原さんには、大幻滅をしました。

 女性にとっては、まだ、仕事と家庭の幸福の両方を手に入れるのは、難しいことのようです。洋の東西を問わず、です。 

 ヴィッキーのケースに戻れば、彼女にも、どこかに、そういう強さがあったので、繊細なあいてがつぶれた、と言う可能性はあります。または、そういう弱さを内包していた人間が、立ち直れなかったのは、『大丈夫さ、彼女なら、僕がいなくても』と思った可能性はあります。

 不思議なことなんですよね。結婚と言う人間関係って。その組み合わせの絶妙さって。また、日本人だと、惰性で、夫婦を続けていかれるところがあるのですが、外国人、特に欧米人は、割と、簡単に、愛がさめるという表現をして、離婚(または婚約解消)も多いみたいです。

 しかし、この図書館猫デューイと言う本を読むと、後に図書館の館長にまでなる、ヴィッキーは、思考が深いところがあります。だから、この結婚が破綻した影に、夫の、破滅度が、とても深かったことを思いしのばせます。

 精神的には、最も安心できるはずの、自分の家庭の中に、不安と暗闇に満ちた数年間があり、肉体的には、大きな失敗だった、出産の経過と、その後の、医師の説明さえない子宮全摘と、卵巣除去の衝撃で、真っ暗闇の中に突き落とされた20代の主人公でした。

 しかし、「もっとも大きな不幸と言うのは、出会ってしまうと、思いがけなく人間を変える」と彼女は言っています。不幸の程度が、10段階あるとすると、9のレベルの時はまだだめなのだけれど、10のレベルまで落ち込むと人間が変われるのだそうです。

 私はまだ、それほどの、窮地に立ったことはないのですが、きっと、彼女の言うことは真実だと思います。・・・・・ここですが、二日目の推敲中に、私にも、レベルテンの不幸が訪れたことを思い出しました。それは、11章目として、後で、書けたら書きます。

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 副題10.『極端な不幸に出会ったときの、対処の仕方、あれこれ・・・・・ヴィッキーは大学へ行かせてほしいと、福祉・団体にお願いをする』

 ヴィッキー・マイロンは、彼女の言うレベル10=最低のレベル=の不幸に出会ったときに、離婚(または離別)を決意します。これは、愛情豊かな家庭に育った女性にとっては、大きな覚悟を伴う決断でした。

  『アメリカ人って、日本より、何でも進んでいる。だから、離婚も多いはず』と、私達普通の日本人は、思いがちですが、一般の、しかも白人であり、中流家庭を営んで、いる人たちは、とても深い道徳観を持っていて、しかも、純真です。だから、軽々とは離婚をしないのです。特にヴィッキーは田舎育ちです。両親はお互いに、とても仲良くしています。だから、離婚はそれこそ、清水の舞台から飛び降りるような、大きな決心が必要だった見たいです。

 しかも、福祉のお世話になることを決めます。小さい子供を抱えて、しかも体調が悪いのですから、重労働ができないと見極め、いわゆるオフィス事務に就業したいと願ったのです。

 アメリカの制度は、日本と異なるとは思いますが、日本で言えば、生活保護費を申請するということでしょう。そのときにヴィッキーは、特別な付与を、申し出でます。それは、

 『もし、福祉で、生活費を下さるのなら、ぜひ、大学へ通わせてください。その学費も出してください』と、言う条項でした。『そして、それが、かなえられないのなら、福祉にお世話をなることは、要りません』と宣言するのです。

 日本と違って、町の団体が、運営しているのかもしれません。だから、全国的な法律など、適用されないのだと思います。とても、柔軟に運営をされています。

 でも、ここまでの申し出でをするということが、彼女が大きな不幸に出会った後で、学んだ、生活態度だったのです。医者に、通告もなく、子宮を全摘されてしまうような、弱い立場の女性で、しかも、その後で離婚もしてしまいます。田舎町なので、離婚は、ニューヨークなどで、それをするより絶対に不利なのです。それでも、その不幸を乗り越えた、力強さを獲得していくのでした。主張すべきことを主張しようとする女性へと変化していきます。

 彼女をそれほど、強くしたものは、もうひとつありました。それは、娘の存在です。娘は、健やかで、明るく、母を絶対に信頼します。それが、彼女に生きる力を与えます。むろんの事、大学へ通う間は、母親(娘にとっては祖母に当たる)の助力を仰いだと思いますが、小さな娘が、自分を頼り、慕い、すがってくれることは、ヴィッキーに、確実にして、抜群の力を与えたのでした。

 その素地があったからこそ、後に出会った、特別な猫、・デューイの深い愛情に、気がつくことになります。

 この本は、その、すごい猫との交流と、猫と、町、および世界中のファンとの交流の様子の描写に、60%が割かれているのですが、私は猫もさることながら、著者のヴィッキー・マイロンの、人間としての、深さに感嘆してしまったのです。

 それは、後日語ることがあるかもしれませんが、ともかく、本日は、彼女が大学へ通学し始めたところで終わりましょう。

 彼女は、その後、大学を最優等生として卒業します。そして、図書館へ就職するのです。その後、館長が交代するときに、自分がなりたいと申し出でて、今度は、館長職に就くために、その資格が必要な、大学院修士課程に、挑戦します。

 そのころ、図書館猫のデューイが、真冬の、返却ボックスの中に入れられていたので、出会うこととなります。アイオワは、アメリカでは、中西部と呼ばれていますが、私からすると、五大湖に、近い北東部であって、内陸なので、冬は、とても寒いいったいだと思われます。その凍えるような金属の箱の中に、捨てられていたのでした。

 で、この章の最後として、私が、考えている不幸に出会ったときの対策をひとつ申し上げて見ましょう。

 それは、『不幸とは、実際に起きる前の方が恐ろしいのだ。実際に起きてしまえば何とかなるものだ』という観点です。「だから、それほど、と言うか、過剰には、未来に来るかもしれない不幸を恐れるな」と言うことです。

 だけど、これは、70歳を過ぎて、経験も超が付くほど、豊富であり、かつ、楽観的になっているので、言えることであり、若いときは、不幸に出会う度に、大きなダメージを受けましたよ。不幸は怖いです(笑い)。特に、『予測が付く出来事で、時間の推移とともに、確実に、悪い方向へ行くみたいだ』と感じるときはいっそう怖いです。癌の告知など、そういう種類の不幸です。

 現代人は、皆が、頭でっかちになっています。それほど、重労働をしないで済む環境があるでしょう。だから、頭の方だけが、すばやく回転をしがちで、予想をすることが多いのです。だけど、実際の不幸に出会うと、人間は何とか、適応をして、乗り越えていかれるものです。

 だけど、一方で、人間は、死なないといけないものでもあります。若いときに交通事故で、死ぬ場合を除いて、人間は、徐々に、体力が衰えて死んで行きます。よくしたもので、死に近いほど高齢になると、よく「赤ちゃんがえりを、する」というではないですか?

 で、だんだん、不幸に対する免疫力も出てきて、だんだん、おっとりとしてくるものなのです。だけど、30~50才ぐらいまでは、次から次へと試練が訪れるものです。その際には、ひとつ、ひとつ、丁寧に、対応しておかないといけないでしょう。

 誠実に、しかも、よく考えて対応するすべを身につけておかないとだめですね。

 いろいろな、やり方があるでしょう。が、読者の皆様の、正しい選択と、その結果としてのお幸せを祈りたいです。ここで、正しい選択と言って、いますが、迷うときは、次善の選択でもいいのです。

 本日はヴィッキー・マイロンが、大きな心身の痛手から回復へ向かう分岐点まで書きました。この後で、彼女はぐんぐんと上昇をしていきます。ただ、現在の日本でよく言われる勝ち組になったというのとは、ちょっと違うのです。つまり、愛の問題に深く触れていく人となるのです。それが、ここで、この本『図書館猫デューイ』に触れた目的のひとつです。つまり、愛の諸相の、うち、奉仕の愛とか、母性愛について、感銘を深く与えられる本であり、

 真実の愛とは、何かに、すでに、お気づきになっているかたがたなら、きっと、感動を受けることでしょう。そして、私が二度目として、この本を語る際には、そのポイントを重視して、文章を書きたいと思います。

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副題11、『私の不幸度、レベル10のひとつは、そこから気構えを変えたという点では、前田祝一氏の恫喝も、そのひとつだった・・・・・そして、ヴィッキーマイロンの、娘は、思春期に反抗をするのだが、そここそ、沙彩ちゃんと違うところなのだった』

  私が気構えを変えたという点では、不幸のトップ10に入るものとして、あげないといけないのは、この2013年の5月末に、ご近所の前田祝一氏から与えられた「あんたを刑事訴訟にかける」と言う恫喝でした。彼は、自分が勝つつもりで、それを言い放ったのだと思います。だけど、私は、ピシッと背筋が立つ思いがして、『これから、本格的に書くぞ』と、決意をしました。 

 物事って、必ず両義性があるのです。彼は、事前には、自分が勝つと言う側面しか見ていなかったと思われます。だけど、私達が抱えている問題は、勝つの負けるのと言うことではなくて、正しいか、正しくないかと言うことであって、正しいのは、私の方です。だから、これからは、彼の方が、負けるのですよ。そのあくどいことをした責任を問われることとなるでしょう。

 私は常識を守って、さらに言えば他人の不幸を招きたくなくて、ずっと黙っていた数々の事を、あっさりと、これからは語っていくでしょう。誰か、それを恨むのなら、それは、前田夫妻に、かけてほしいと思いますよ。そして、誰もが、何も言わなくても、神様はその様にしてくださるでしょう。

 たとえば、私が三鷹ストーカー事件の被害者である沙彩ちゃんのママである、一ノ瀬智恵乎さんについて、激しく、かつ、厳しく糾弾するのも、元はといえば、前田祝一氏と、その、清子さんの非道と無道ぶりに怒っているからです。

 一ノ瀬智恵乎さんの、母としての、落ち度を感じ始めたのは、2005年の事です。だが、今、それをはっきりと明かし始めたのは、前田祝一・清子夫妻の、30年間に渡るとんでもない行いの積み重ねが寄与しているのでした。

 そして、一ノ瀬さんの、落ち度を語る際に、このヴィッキーマイロンのケースは非常に明瞭に対比を示しているのです。ヴィッキーマイロンのお嬢さんは思春期に反抗をすることになります。だけど、それこそ、普通の事なのですよ。

 母の愛を信じているから、反抗をするのです。そして、後ほど、大人になると、母との暖かい愛の交流が復活します。そして、無事に祝福をされた結婚をして、二人の子供に恵まれます。ヴィッキーマイロンは、孫を見るという幸せに恵まれます。自分の結婚は幸せには終わりませんでした。だが、娘は無事に、よい青年と出会って、よい家庭を築くことができました。

 しかし、沙彩ちゃんは、反抗をしませんでした。そして、セックスの快楽へ逃げて、美しいときを汚してしまいました。セックスは、よい結婚をして、健やかな赤ちゃんを産むときまでとっておくものだということさえ、母である一ノ瀬智恵乎さんは、教え切れませんでした。日本では上流階級の人なのに、そこまでを、教え切れていません。ふわふわと外出ばかりしているからです。一方アイオワの農場育ちで、いろいろな、苦しみを味わった、ヴィッキーマイロンは、ともかく、大勢の人と、図書館猫デューイの助けを得て、娘を、ふつうのコースをたどって、孫ができるまで、育て上げました。

 どこが違うのか? いずれ、それも、考察したいと思います。

    2013年11月9日から、10日にかけて書く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

  なお、このブログの2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1877821です。 

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