大変失礼をいたしました。単純なメモが表に出ていましたね。私の書き方としては変だと、皆様もお思いになったでしょう。こちらの方が、昨日夜から、今朝の早朝にかけて書いていた新しい文章でした。
これもツィッター方式で書かせてくださいませ。総タイトルは、書けたものの内容に準じて変えました。第一回目は、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと』でしたが、今は二つ目に変わっています。それは、『東電社長に、小泉純一郎待望論ですって + 久米宏の異常な怯えについて』です。そして、26日の午前三時に、上にある。三回目のものに、変更をしました。
この、朝日が軽いという部分ですが、小泉純一郎さんは、東電の社長には向かないからです。あの方は、発言者と言う自由な立場が向いている。大組織の長になったら、大切な持ち味が失われます。それに、東電の問題は、惹き句に使ったり、軽口で済ませられる問題でもないです。惹き句とは、売らんかなのために入れるものですよね。それなのに、こんなにセンセーショナルなタイトルにして、東北地方の、避難者に対して、失礼です。それに17年前より、ずっと、小泉さんは朝日系列に馬鹿にされきってこられたのですよ。まるで、手のひらを返したような今の持ち上げ方には、反発を覚えますね。
ただ、その記事のよいところは東電分社化に対していくばくかの批判をしているところです。それは、よろしい傾向でしょう。
副題1、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと?』
副題2、『久米宏は、当時はおびえきっていましたが、それは、どうしてですか? そして、今、何もして居ないのは、どうしてですか?』
副題3、『データが、私の気持ちに反して、誰かによって、世間に、拡散してしまった』
副題4、『元ソニー保険社長、川島君の訃報を聞いたときに、今の、・・・・・爆発的な量の、文章を、一気に書くスタイルが、確立したが・・・・・・』
副題5、『私は男運が、良いと言われているが、?』
副題6、『五年前は、プリンターで脅かしてきた連中が、この二日間、照明の点滅で脅かしてきている』
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副題1、『東電社長に、小泉純一郎待望論(週刊朝日)ですって。朝日新聞系列って、奇妙極まりないこと?』
本日(=2013年11月25日に、私は三菱銀行鎌倉支店の中に居ました。ロビーに、雑誌が置いてあって、黒地に、佐藤工と言う青年が主役として立っている週刊朝日を取り上げました。暇つぶしに読むつもりです。
ところが、巻頭記事が、センセーショナルです。『東電をぶっ壊せ。小泉純一郎を、東電社長にしたらどうか?』と、言う内容です。これを、鎌倉へ帰着してから、買おうと思うとすでに売っていません。それで、先週だろうかと、発行日を調べると、日付は、11月22日号です。と言うことは、まるまる2週間前。と言うことは、記事を作る段階は、11月1日ぐらいであって、それは、外人記者クラブか、日本記者クラブで、小泉さんが、記者達に質問をされ、それが、アエラの記事になった頃と、相前後しています。朝日新聞系列は、小泉さんを気に入っているみたいです。
そうなると、私が今まで、小泉純一郎氏の、原発全廃論に、今まで、触れてこなかったのは、安全だったということに成ります。
君子は豹変すといいます。だから、小泉さんが、小沢一郎氏と組んでも、おかしくないかもしれません。しかし、小選挙区制導入の頃の、テレビ朝日の、ニュースステーションの有様を見ている私には、小沢一郎と言う人物に対しては、『絶対に、信用できない』と思っているので、当時は、敵対関係にあった、小泉純一郎と、小沢一郎が、組むということが、どうしても、肯定できません。当時は、小泉さんは馬鹿にされきっていました。
その上、私は、小沢一郎氏の、原発反対は、2012年の衆議院選挙に勝つための方便でしかないと見ているので、小泉純一郎氏が、小沢一郎と組むというだけで、違和感いっぱいであって、わざと触れてこなかったのです。
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副題2、『久米宏は、当時はおびえきっていましたが、それは、どうしてですか? そして、今、何もして居ないのは、どうしてですか?』
お若い方は、それが、16年も前の事で、実際の映像として、ごらんに成っていないでしょうが、当時は、久米宏と言う早稲田大学卒業の、キャスターが、飛ぶ鳥を落とす勢いがあって、大変傲慢な、また、失礼な態度で、当時の与党の総裁候補議員たちを、引っ掻き回していたのです。田原総一郎氏も同じ働きをしましたが、切れ味は、久米宏のほうが鋭く、また、毎日の、夜10時の報道番組として放映されていましたから、久米宏のほうが影響力が大きかったでしょう。
そして、久米宏は、小沢一郎を、常に、立て、または、奉り上げ、小泉純一郎を、下手に置き、結局、中選挙区制から、小選挙区制に、移行をすることに、旗振りをして、誘導をしたのでした。小選挙区制と言うのが、日本の政治を徹底的に悪くしたと、私は、思っているので、小沢一郎と言う人物に対しては、不信感がいっぱいです。
そして、小沢一郎氏を、ニュースステーションで、持ち上げたのは、久米宏個人の考えと言うよりも大朝日の方針であり、また、国際的軍産共同体の方針でしょう。当時の久米宏は、ホテル住まいであって、おびえきっているとのことでした。何らかの週刊誌で、それを語っています。週刊朝日だったでしょう? が、そうすると、見え見えの構図なので、別の週刊誌だったかもしれません。
ここに電球の写真が入っていますが、久米宏について書いたとたんに、電球がひとつだけになったのでした。その詳細は後で、語りますが、ともかくタイミングとしては、ここが重要なので、写真を一枚ここに入れておきます。
文章のほうを元に戻します。
ところで、久米宏が怯えきっていることは、よく、わかりましたが、誰が、彼を襲います? 現代の、日本のふつうの人間って、非常に温和です。ほとんど、骨抜きになっていて、昔、浅沼稲二郎を襲った、山口乙矢少年のような、過激にして、純真(?)な少年も青年も居ません。
かろうじて、三島由紀夫氏が、市谷の自衛隊本部(?)の、バルコニーで、警世の演説をして、その後割腹自殺を果たしましたが、誰が後追いをしましたか? そして、その跡地は、新国立美術館に変更したのではないですか?
で、小沢一郎氏の、原発反対は、2012年の衆議院選挙に勝つための方便でしかないと見ている私には、小泉純一郎氏が、小沢一郎と組むというだけで、違和感いっぱいであって、わざと触れてこなかったのです。
お金儲けの世界には、英雄が生まれたりしていますが、政治思想的に、過激な青年など、どこにも居ないのです。金権主義、金銭優先主義が、日本の隅々まで、横行しきっていて、政治に殉じる人間など居ないのです。
それなのに、おびえきる。それは、一種の、過剰防衛意識であり、自分が隠していることの東映現象だと思います。何を久米宏が隠していたかと言うと、
誰かから、大きく、教唆されていて、『日本人を、こういう方向へ導きなさい』という命令を受けている・・・・・そういうことを秘匿していたのでしょう。
ここから先は傍証のないことですが、それを命令したのは、成岡庸司君だったりして?
ともかく、そこらあたりは、最大級の秘密ですが、久米宏がおびえきっているがゆえに、その構図が、見えてきたのでした。ただ、私は当時は、そんなことを外部に話したことはありません。わかっていましたが、誰にも話しませんでした。
ところで、なぜ、久米宏は、今テレビに出ないのでしょうか? 私は莫大な、報酬をその当時のニュースステーションで得たので、すでに、働く必要がないということもあるし、依然として、おびえきっているという可能性の二つがあるト思っています。反対に、みのもんたと言う人は、国際的軍産共同体からの支援を得ていません。むしろ、つぶしたいと思われている人材です。だから、現在次男の事や、自分のセクハラの事で、ひどく追い詰められているが、だからこそ、テレビの世界から去りたくないと思っています。非常に対照的です。
ところで、久米宏に戻ります。ある日、私が表参道から、銀座へ向かおうとして、半蔵門線に乗ったのです。何年前の事だろう。夜でした。たぶんですが、母の見舞いを先にして、これから、銀座の画廊へ向かおうとしていたのだと思います。または、新宿あたりの催し物に招かれていて、そちらを先に見てから、銀座へ向かおうとしていたのでしょう。または、本の事で、印刷所に向かおうとしていたか? それとも、どこかで、本を配ろうとしていたか?
ともかく、普段のスケデュールとはまったく違った時刻に半蔵門線に乗ったのでした。すると、電車内は、ほとんど、乗客が居ませんでした。夜に、都心に向かう人は居ないからです。皆、郊外にある自宅へ向かって、山手線の外へ外へと向かっているからでした。
ある車両の連結器そばの、最も目立たない席に、久米宏が座っていました。私は降りる駅で、理想的な位置で降りたくて、電車内を後ろから前へ向かって歩いていたので、たち位置として、彼よりも高い場所から見下ろす形になりました。
5mぐらい離れた位置から、久米宏だとわかりましたので、一瞬立ち止まって彼を眺めました。しっかりと見つめました。と言うのも上に書いたようなことは、常日頃忘れたことはなくて、それゆえに激しい批判心を持っているからです。
すると、彼はおびえたような目で、私を見返しました。ぜんぜん、力がなかったです。冬だったので、彼は厚手のウールのコートを着ており、それゆえに、体がまん丸に見えました。また、彼の顔を見下ろす位置に私が立っているせいか、彼は、面長とも思えず丸顔に見えました。だが、紛れもない久米宏であって、私は、ほぼ、10年ぶりに見る彼が、ごま塩・頭(三分かり)になっているのを初めて知り、それには驚きました。が、納得をするところがありました。
『彼が、重要な命令を、あの当時受けていた』ということを、確信できました。そして、馬鹿でもない筈のかれは、日本をある方向に、誘導してしまった自分の、罪の大きさにおびえていることをも。むしろ、私のほうが威風堂々としているぐらいでした。(笑)
まさか、私の事は知らないと思いますよ。その当時は、ブログもやっていませんでしたし、私がメルマガのリストに入れていた人々は、住所、顔、名前を知っている人ばかりで、あって、そういう人が裏切るとも思えませんでした。だから、久米宏は、誰に対しても、おびえていたのだと思います。その天で、彼は、自分で、自分の罪を償っているともいえます。だから、この世界では、あまり、話題に取り上げません。私は哲学的なレベルで、物事を考えたいので、復讐をすることが目的ではないからです。
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副題3、『データが、私の気持ちに反して、誰かによって、世間に、拡散してしまった』
2007年の4月17日に、私が書いた文章の、本用に編集したデータが、一種の泥棒に出合いました。頁設定まで、済ませた、データが、グーグル検索で、あっちこっちに引っかかるという形で、すべて、公開をされて閉まったのです。それには、本当に、びっくりしました。その時点で、すでに、2冊(2種類)の本を出版していましたが、三冊目から、美術、特に日本の現代アートの世界に、筆を及ぼしていたので、以前より、広範囲の読者を獲得できる予定がありました。
大手の出版社から、出版をしたいと思いましたが、なかなか、はかばかしくないので、さっさと、自分で、出版してしまおうと、準備をしていたデータです。先ほど、久米宏が私を見つめておびえたといいました。たぶん、日本に住む誰に対してもおびえているのだと思います。乗客が居ない時間帯だし、都心しか走らない部分だけを利用するつもりで、乗ったのでしょう。
が、私にしっかり見つめられて、『しまった』と思っているのが、よくわかりました。しかし、もし、私が書いているものが、ハッキングによって、盗まれていて、成岡君などがしっかりと読んでいたとしたら、それを、久米宏に回すのは十分ありうることであり、私の・かお・写真なども、彼の手に渡っていたとも推察できるのです。だから、彼があれほどおびえ多とも推察ができるのです。
そういう意味で、考えると、本を出版するために用意していたデータを、まったく私が知らないうちに、世界中に、公開してやろうとするのも、私を失敗させるという意味では、効果的な方法でした。
彼らの狙いが、わかったので、私は本を売るということを、あきらめてしまったのです。売らせない。儲けさせないという意図を、その公開によって、知らされましたので。
私はよく「ソンがあり、その大きさを、象徴的に言うと、五億円になります」と、言っています。その五億円の、うち、この本を売ることをあきらめてしまったことも、大きな額の損失となっています。あの根、ふつうの人と言うのは権威に弱いところがあります。それは、他人のお子さんを自分の事一緒に育てていた時代にも痛いほど感じました。私は保育園を名乗っているわけではありません。謙虚なママ友の一人です。そして、子供たちに公平であって、愛情豊かです。だから、はっきりといわれました。「川崎さんに、預けて居れば安心だから」と。だけど、安心しきって、甘えてきて、悪さのし放題の、子供たちをしつけながら育てるって、本当に苦労の多いことなのです。
おやつをあげること、も、その金銭的な部分ですが、それに対してもお礼を言われるわけでもないし、自分の家でケチっているのか、時間以外に、押入れの中に、隠れて、お菓子を食べてしまう子も出てくるし、本当に大変なのですよ。子育てって。
本も同じなのです。有名出版社から出版すれば権威があり、お金を取ることができます。しかし、自分の出版プロダクション、TB企画で出版すれば、馬鹿にされて、読んでくれない人も出てくるでしょう。私は今問題にしている醍醐イサムさんにも二冊は本を送っていると思いますよ。それを読んでいたら、絶対に、ああいう失礼なことはするはずがないのです。
1999年には罵詈雑言を浴びせてきた赤津正さんも、2006年ごろに、銀座で出会うと「あんたは、筆力があるからね」といってくれて、ずいぶん紳士的な態度へと、変わってきていますよ。だから、その言葉に感謝して、昔のひどいことを忘れてあげていました。ただ、三鷹ストーカー殺人事件が起きて、被害者沙彩さんの母の一ノ瀬智恵乎さんが、美術9条の会に所属をしていることを知り、その会の呼びかけ人に、赤津ただしさんが、入っていることも知って、「おや、おや、醍醐イサムが、失礼なことをしてきたのは、ここらあたりが源泉かもしれないなと思い当たり、急に思い出が復活してきたわけですが・・・・・
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副題4、『元ソニー保険社長、川島君の訃報を聞いたときに、今の爆発的な量の、文章を一気に書くスタイルが確立したが・・・・・・』
ともかく、スピンオフから元へ戻れば、私は2007年の4月17日に仰天をさせられたわけです。それでも、我慢を続けました。しかし、その9月に、訃報が届いたのです。それは、国際キリスト教大学での同級生であり、ソニー保険の社長でもあった川島君がなくなったという知らせでした。そのときに、私は思いがあふれて、3千字程度の文章を、7本連続して書いて、友達たちに送ったのでした。
それが今に続く爆発的な速さで、大量に書く事の最初の日でした。
川島君とは、単に同級生と言う間柄でしたが、7人兄弟の末っ子だという彼が、鹿児島に住むという母親に丁寧に、面倒を見てもらえず、お坊ちゃま、おじょうちゃまが多いICU生の中で、ひときわ、貧乏ったらしい、洋服を着ていたのが、心配で、きれいなキャンディの缶に、繕い物ができる針や糸のセットを作ってプレゼントをしたのです。それは、たった、23人しかいない、英語のクラス(それは、毎日、会話を一緒に習う)で、一緒だったから気が付いたことでした。
すると、お礼を言うために、彼が私の下宿を尋ねてきました。女の子の同級生が道案内でしたが、当時の下宿は三畳一間で、しかも窓から出入りする形だったので、私は何の心の用意もなくて、ひどく驚いたものでした。電話も個人用のものはない時代です。
もしかしたら、そういうきっかけで、恋愛が始まるのかもしれませんが、私は、ただ、ただ、身の置き所もない気分で、正座していたものです。川島君も正座して、じっと黙っていました。笑顔のきれいな青年で、そのときもずっと、ニコニコしていました。今で言えば酒井雅人みたいなものです。最後に、本当に優しい、いつくしむような笑顔を見せて、帰って行きました。『馬鹿みたいに、不器用だなあ。この子は。大丈夫かしら。将来』と、思っていたと思います。(笑い)
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副題5、『私は男運が、良いと言われているが、?』
デモね、川島君、心配してくれなくてもいいのよ。私はその頃、まだ、お付き合いともいえない形でしたが、すでに主人と、・・・・・大学の入学前に予備校で・・・・・、知り合っていて、『あの子って、ジャンクリストフ(ロマンローラン作)に出てくる、オリヴィエ・ジャンナンみたい。素敵だなあ』と思っていたからです。だから、誰からも、もてなくても、意外と、落ち着いていたのでした。ICUって美形のお嬢様が多いから、恋愛は、多発していましたけれど、私は、もてなくても、いらいらは、していなかったのよ。(笑い)
ところで、ここからはスピンオフ中のスピンオフですが、私は「千恵子さんって、男選びが上手ね」と主人側の親戚から言われています。(笑い) 主人の友人も、「奥さんは男運がいいですね」と言うらしいですよ。(笑い) だから、私は私で、うまくやっています。そして、川島君は川島君で、最上の細君を得ました。私もよく知っている、これも、英会話の教室の同級生で、マリア様のようにきれいで、ふくよかな優しさと、明るさのあるお嬢様と、結婚をしたのです。
二人とも背が高くて、美男、美女のカップルでしたし、体重もしっかりとあるタイプで、最高でした。決して太っているとはいえないのですよ。ちょうどいい体格で。そして、細君は、社長夫人が勤まるタイプでしたからね。よかったです。
私は社長夫人などできません。自分は、自分のやることがあるから。(笑い)私は、いわゆるわがままなタイプです。だけど、天然の純情さは持っていますよ。それに、誰も知らないでしょうが、誰の事も甘えさせるタイプです。つまり、私は意外と頼りがいのあるタイプなのです。それはそれなりに一家の柱となるタイプなのですよ。ある家族が居る場合、夫だけが出来が良い訳でもないです。バランスをとって、二人は成長するものです。無論もめた時期もあるし、喧嘩をした時期もあります。だが、最後の段階で、落ち着いているのは大切でしょう。今、私は、落ち着いていて、これで、よかったと思っていますし、今朝も、面白いジョークを彼が発して、私は笑いました。
NHKのニュースで、「会社の同僚を殺した後で、自殺した、27歳の男のシャツに被害者の血が付いていた」というのを聞いたときの事です。『今の男ってだめだねえ。僕なんて、相手から追いかけられても、捨てることができるのに(笑い)』と言ったのです。続いて
「身離れがいい男だからね。ほら、カレイみたいに、」と言って、私がしっかりと解ったかどうかを確かめるために、続けて「タラみたいにネ」と言いました。私は鰈と、聞いたときからわかっていましたが、笑いを発するのに、少し、タイミングが、遅れたので、身離れのよい魚の名前を繰り返して強調してくれたのです。無論笑いころげました。
元に戻ります。川島君の訃報を聞いたときに、あの、ひそやかな同情をしあった頃を思い出したのです。私は川島君が、ひときわ、粗末に見える洋服を着ていて、どこかが、ほつれていても、気が付かないらしいのを心配して、同情していましたし、彼は彼で、『あの子、不器用だなあ。大丈夫かなあ』と、私の行く末を心配してくれていたのでした。お互いに、他人に知られない形で、同情しあっていたのでした。(笑い)
そんな小さな思い出を、思い出したとたんに、あふれるように文章が出てきて、一気に、一日に、・・・・・7回に、分けた形でしたが、・・・・・2万字を超えるものを書いたのでした。それは、無論、同級生にだけ送りましたけれどね。その日から、今の、・・・・・爆発的なスピードと爆発的な量を一気に書く・・・・・というスタイルができたのです。
しかし、そんな内輪の思い出を語っているうちに、友達に対する熱い信頼の情があふれてきて、私は、今自分が置かれている、苦境を語り始めました。それは、パソコンが破壊される苦しみでした。それと、ありとあらゆる形で仕掛けられる脅かしに対する悲しみでした。
そのひとつの例が、・・・・・真夜中に、プリンターがカタカタ、言い出す・・・・・という脅かしです。電源を入れていないのに、突然に、電源が入って、テスト用の、カタカタ言う音が発しられるのでした。最初はひどく驚きました。で、友人達にそれも語りました。川島君の訃報を聞いたから、そこまで書いたのです。
それほど、私達は、若い日には、心通う友情を育んでいました。だから、慶応の一年生が、女の子を引っ掛ける方法を話し合っているのに仰天をしたのです。1960年代に、三鷹の大沢と言う田舎めいた地域で、恋とか、アイと言うものに、本当に慎重で丁寧で、真心をこめていましたのでね。それが、2012年に、日吉で、女性を、獲得するための、技術だけの話に終始しているのを聞いて、仰天をしたのです。
しかも超がつくほど、お上品な子達が、超がつくほど、お上品なカタリ口で、それを、語り合っていたから、余計仰天をしたのでした、スタイルと、内容の間にあるあまりに大きな乖離に驚いて。私達の方は芝生の上で、足を投げ出しながら、語り合ったり、畳の部屋で、車座になって語り合ったりしました。形としてはお行儀が悪いし、服装も上等ではないし、だけど内容が高踏だったという部分については、自信があります。
ともかくの事として、私は2007年当時、困惑をしていた脅かしのうち、真夜中にプリンターがカタカタ言うことと、アドビが、動かないことなどを、メールで大勢の人に伝えたのです。別に同情はしてもらえませんでしたよ。
だけど、あのときに、真実を語るきっかけをもらったのです。信頼しているからこそ語ったことでした。しかし、現在の問題は、そういう友情を奪われているということです。どんどん、例のあくどい連中が、侵入して来ていて、友達関係を切られています。だから、私は、現在では、神様に、深く帰依しています。人間とは弱いものだと思います。容易に、友達を捨て去る人がいるのですから。残念ながら、人間とは、そういうものでした。
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副題4、『五年前は、プリンターで脅かしてきた連中が、この二日、照明の点滅で脅かしてきている』
上のほうに、電球がひとつだけ点いたシャンデリアの写真があります。これは、7.5畳の居間、兼食堂に下がっている小さなタイプのシャンデリアで、4つの電球が点いています。帰ったときに、二つが点いていました。朝早いタイプの主人が、私が東京から帰るより先に寝ていますが、居間の電気だけはつけておいてねと頼んであります。で、下の写真のように、シャンデリアの中で、二つだけがついている形で、仕事を始めたのです。
ところが、急にあたりが暗くなり始めました。なんと、電球がひとつだけになっていて、ひとつが消されているのです。彼らは何でもできます。(笑い)
パソコンの場合は、どういう仕組みで破壊をされるかがわかります。あれは、電気信号を、+方向と、-方向の二つで、分けて、二進法で進みますがどこかで、+と-が、反転するようなバグを入れ込めればできるのです。
しかし、電球は交流です。それをどこで、電圧を下げたり、あげたりできるのか? 私達は夫婦で、電動工具の事をよく語っていて、電動工具のスピードを速めたり遅くしたりしたいと思っています。私は、主人に、「秋葉原で、変圧器を買ってきたら、どうにかなるのではないかしら」と、提案しています。
それが、昨日の午前中の話だったと思います。それで、それが、室内盗聴に引っかかって早速に昨日からそれを利用して脅かされ始めました。
私は明るいのが好きなので、昨日は四つ全部をつけていて、しかも隣の部屋の蛍光灯40wもつけて仕事をしています。ともかく脅かしようの工作はすべて真夜中に行われます。そうすると、私が誰にも相談ができず、悩むだろうと思われています。
だけど、私の方はそういう因果関係がすべて読めていますので、脅かされません。昨日は、そのひとつだけ消えるという形で、脅かしをずっと受け続けながら、それでも午後の5時から、次の日の午前4時まで、かかって、あの長い、心理劇を書いたのでした。それは、次につながる重要なものであって、本日は無論のこと、あの続きを書こうと、銀座の画廊めぐりの途中で歩いているときは文案を練り、電車の中でも、文案を練り、帰宅して、夕飯を食べるのもそこそこにパソコンの入力を始めたのでした。
すると、昨日と同じ形式で脅かしを受けます。ただ、昨日は室内盗聴で、案を思いついたということだったと思いますが、本日は実に政治的な意味合いを持って、点いたり消えたりしたのでした。五、六回ついたり消えたりしました。その後も数回ついたり消えたりしましたがすべて、久米博と言うキーワードで、移動が起きたので、教はこれを書き表したのです。昨日は脅かしの意味なら気にしませんよと言う形であって、何も書きませんでした。
しかし、久米宏が怯えているという項目で、点滅するのですから、これは、政治的に意味があります。だから、この電球の異変について書いています。まるで、久米宏自身が同時進行的にこのパソコンをハッキングしていて、自分に都合の悪いときに、このおどかし用、作業を行っているかのごときタイミングで、変圧(または、アンペアの変動?)が起きたのでした。
だから、この一文内で、真実が最も濃い部分は、・・・・・久米宏が、日本政治を破壊した張本人であり、本人もそれを自覚をしている・・・・・という部分と、・・・・・今は、働かなくても済むだけの収入を、あの時期に、得た・・・・・という部分です。
彼は暗殺を恐れていてホテル住まいだそうです。夫婦そろってそれを続けていれば、相当な額の出費が要りますね。あの時期に、5億から、10億円の収入があったと見なされます。
ビートたけし(といったら読者に怒られるかな? 北野監督といわないと?)が、2010年か、2011年に、「俺は、13億円の収入がある」と言っています。だから、久米宏は、あの歳月に、20億円ぐらいの収入があったのかもしれません。
それに今、逼塞をしていますが、それこそ、地下潜行をして、機械的にそういう装置を用意されていて、私のパソコンの画面を同時に見ていて、アップする前のブログ原文を見ていて、都合の悪い部分に対して、破壊工作を行っているのかもしれません。しかし、以前のようにワードが使えない形をすると、私がそれをやっている犯人を、すぐ見破ってしまうので、昨日から始まった電灯の点滅を利用したと思われます。まあ、誰が、やっているか、こういうブルーカラーとしてのエージェントが担う部分は、個人名が特定しにくい部分ではありますから、はっきりと、道程できるわけでもないのですが。そして、そういう作業をする人間は、相当数、たとえば、5~10人はいると思いますが、もしかしたら、久米宏にも、その役割が与えられているのかもしれません。本日はあまりにもタイミングがよかったし・・・・・
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今日書きたいことはこんなことではなかったのですよ。ぜんぜん違うことだったのですが、電灯が点滅したので、方向が曲がってしまいました。でも、この文章のほうが、自分が書きたかった最初の文案よりも一般性が高いので、それで、いいでしょう。
後で、誤変換を直したら、日付と署名を入れます。
なお、このブログの、2010年より数えはじめた、伸べ訪問回数は、1904381です。
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最後になりました。が、朝日が軽いというのは、小泉純一郎さんは、東電の社長には向かないからです。あの方は、発言者と言う自由な立場が向いている。大組織の長になったら、大切な持ち味が失われます。それに、東電の問題は、軽口で済ませられる問題でもないです。
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