銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

閥の顕現と効果・・・・東大(中谷・長男+西隣)慶応(中谷・次男+酒井忠康)早稲田(飯田隆+成岡康司)ICU(古村浩三+佐々木来目夫)旧軍(瀬島隆三+益山重夫)女子美(佐野ぬい+画家A妻)

2019-01-23 01:08:10 | 政治

 今は19-1-24 6:00です。以下の文章の、推敲が終わりました。で、その時点までの、総タイトルは、【画家A夫人の、久々の来訪は・・中谷家については触れるな・・と言う、私に対する暗喩的牽制の筈】としておりましたが、その時点で、上のものへと変更しました。

副題1、『前報(あと注1の、特にトップ)内に加筆をするよりも、こちらに独立させて書いた方がいいと、思う項目』

* 1・・・・・中谷共二家の、二人の遺児は、長男は、現在は70を超えており、次男は、まだ、60代である可能性がありますが、私が、今の自宅である鎌倉雪ノ下二丁目に、引っ越してきたときには、二人とも、親元をすでに離れていたのです。

 なんどもくりかえしてそれを書きますが、二人はお父さんよりも社会的な地位(特に他人からそれを見た時に)は、高い場所に上がりました。ご長男は、東大名誉教授で、次男は、慶応卒の三井物産勤務です。しかし、父子ともに、裏で恐るべき被害を私に与えている一家なのです。それは、なぜかというと、帰米二世である父・共二氏が、瀬島隆三などと、非常に親しい間柄にあって、(羽田の航空用燃料を一手に握っていたことでも、それが、推察される通り、一種のCIAエージェントであって、同じく、それである)瀬島の意向を受けて、私に対して、大いなる被害を与える様に命令をされていて、かつ、次男殿も、父に似て、そういう事が好きであり、積極的に、攻撃者となっているからです。

 私の子供二人が、三井物産と関係があり、それゆえに、既に多大な被害を与えられています。瀬島は、自分の親友である、益山重夫が、1978年に急死をしたことで、私を恨んでいるのです。益山重夫という人物は、旧帝国海軍参謀で、同じく、陸軍の参謀だった瀬島隆三とは親しいのでした。

 その益山重夫が、横須賀市に対して、一種の詐欺事件である、地籍変更届1200坪分を、投げかけていた時に、その悪だくみをすべて、私に知られてしまったので、妻に命令して、私を車で、ひき殺そうとしたのですが、其れが、失敗して、しかも、私は弁護士さん二人に、殺されそうになったのを電話で報告をしています。電話が、盗聴をされていることを知っていて、わざと、そう報告を、いたしました。その土地取得用詐欺事件の、鎌倉雪ノ下の方を、私はアジサイ畑欺罔事件と呼んでいるのですが、根っこは、深いし、陰惨な、裏がいっぱいある事件です。簡単な事ではありませんよ。渡辺賢司どの、それを、わかっていて、あなたは、あのような、行動を=前夜交通事故に出会った私を寝かせないために、午前10時に大音響で布団をたたいた=しているのですか?

 その・・・暗殺が、失敗した・・・という結果に、絶望をして、1978年の、10月11日、益山重夫は、自殺、(もしくは、脳溢血などの、循環器系の病気で、急死した)ことがあり、其れを瀬島隆三は恨んでいて、復讐をしようとしているわけです。ここですが、あの車を使った、ひき殺しの、たくらみが、益山夫婦そろってのたくらみではなくて、智恵子夫人の出来心だったと仮定すると、夫である重夫氏の、絶望は、さらに深いはずです。

 自分の選択の失敗によって、妻を追い込んだわけですから。というのもこの詐欺事件には、巻き込まないで置いた、地境地主もいたのです。相手方が、強いと見たら、青地設定というのを急遽作って、其れで、囲ってしまって、地境地主としての実印をもらわないでもいい仕組みも、知っていました。そして、我が家の西隣の、H家=大昔、戦前からの本当の地主=に対しては、そうしていたのでした。しかし、私に対しては、その頭脳を見くびって、とんでもない嘘=私道を、横須賀市に寄付する=使って、実印を取ろうとしたのでアウトだったのです。

 それは、鎌倉雪ノ下の方でも繰り返されている阿呆の、類例で、今、中心的話題の的としている画家Aなども、その典型です。自分の頭脳の方が、私より上だと信じていて、ドツボにはまってしまう輩のなんと多い事か?

 それらの悪人のその手先として、今、中谷共二氏の次男は、動いているというわけです。そして、そのさらに先の手下として動いているのが前田清子さん、小野寺夫人、画家A、安野忠彦・智紗夫婦という、四家族です。柳沢昇もその一人なのでしょうが、中谷家とは、彼は、直接の交流はないでしょう。柳沢昇が、この山に転入してきたときには、既に、中谷氏は、亡くなっていたし、中谷夫人は、山を下りていたからです。それに、画家Aが、中谷家とは、自分が一番親しいのだという、自分の特権的位置に、柳沢昇が、加わるのを、潔しとはしなかったと、考えられるからです。嫉妬心は無論ある筈の、男ですから。

 だけど、こちら側にしてみたら、彼らは、横須賀市の水道山分、千二百坪をただで手に入れたわけだし、その北側にあるとされる、1200坪もあいまいな、措置で、いつの間にか、自分のものにしていて、莫大が金儲けをしているわけだし、しかも、其れを成功させるために、土師淳君を神戸の方で、殺しているわけだから、黙って、いじめられているわけにはいかないのですよ。土師淳君を殺したと、されている酒鬼薔薇聖斗は、少年Aと名前を変えて、【絶歌】などというとんでもない書物を太田出版から、公刊をしましたが、其れは、彼が真犯人ではなくて、例の殺人用別動隊が、この殺人を行ったことを示唆しています。

 で、私は、しっかりと、事態を文章として書きます。それは、当たり前の話です。私が東大教授であろうがなかろうが、問題は、そこにはないのです。画家Aなどにとっては、私よりも、中谷家の二人の遺児の方が大切でありましょうが、其れは、私には、関与のほかの話です。

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* 2・・・・・画家A夫人が、長期にわたって、家出をしているのにもかかわらず、2019年1月16日に、久々に、この山にやってきて、私の主人とすれ違い、彼女の方から笑顔で、あいさつがあったと、18日になって聞きました。私は主人に向かって、「それが、何時ごろ?」と、まず、質問をして、午後、三時だったと、聞き、その上で「彼女は、山へ登っているところだった? それとも降りているところだった?」と、次の質問を出しました。すると、降りているところだったと、答えてくれます。その日の午後には、私はぴったりとしたスケデュールがあって、午後三時には、絶対に、雪ノ下の山には、いないのでした。一方、私の主人の方も、きちんとしたスケデュールがあって、午後2時半から、3時の間に、帰宅をすることが決まっていました。で、画家Aの家出中の奥さんが、久しぶりに帰ってきて、わざと、主人とすれ違ったのだと、私は判断をしました。其れが、今までに、何回も繰り返されてきた通り、彼らは、困り果てた時には、主人を利用するのです。

 ところで、私は次の次にくる副題3で、画家Aの奥さんが、私の夫にわざと会う様に、時間を計って家を出たと語っているのですが、それ以前に、彼女が、自分の、長期にわたって別居している夫に対して、何を言ったかを想像してみましょう。

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副題2、『これから先は、見て来た様なうそを言いの類で、私が時々、用いる手法なのだけれど、当たらずとも言えず、遠からずであろうと、信じている。画家Aの奥さんは、酒井忠康氏、又は、佐野ぬいさん、又は、ほかの人間から頼まれて、急遽、画家Aに・・・・・方針転換が起きたので、今までよりも、静かな行動をとれ、川崎千恵子の、目の前をうろうろするな・・・・・特にお前だけの考えでは、行動をするな。・・・・・必ず、こちら側が命令をしたことだけを、行う様に、・・・・・絶対に、自分一人の考えでは行動をするな・・・・・と伝えるために帰ってきたと、考えている』

 いろいろ、画家Aについて、分析をしています。で、此処に書く事は、文章の組み立てとしては、逆順かもしれません。下のことを書いたうえで、これを書いた方がいいのかもしれませんが、画家Aは、生活費を長らく、奥さんの、実家に、おんぶしていた可能性が強いのです。奥さんの、実家は、病院を経営していて、奥さんは、そこの東京事務所の、役員をしていることとなっていて、お給料が出ていると、推察しています。したがって、夫婦の力関係において、一般家庭よりも奥さんの、力が強いのです。奥さんは、表面上は、大変、つつましやかで、上品に見える人です。しかし、幸せに育った人固有の、浅い理解力と、浅い判断力の持ち主であって、夫が本当は、何を考えていて、何を望んでいるかを知りません。ただ、唯、自分が外に持っている、人間関係の、方を大切にしていると、見えています。ところで、彼女は、女子美卒です

 ここで、女子美の学長、佐野ぬいさんを、私は、思い出してしまいます。彼女を出してきたのは、この間、生協で、青森弘前の銘菓、ラグノオの【リンゴ何とか】をあっせんしたので、「あれっ」と、思って気が付いたのです。佐野ぬいさんの実家は、ラグノオの経営者、一族です。そして、何となんと、ラグノオの、現在の社長は、たぶんですが、くめおちゃんです。

 しかし、今、念の為に、会社情報というところを調べたら、違う人になっていました。姻戚か、又は、サラリーマン社長に変更していました。といっても、くめおちゃんは、今、75歳ですから、会長職または、引退して、名誉職となっている可能性が高いです。くめおちゃんというのは、私と国際キリスト教大学で、たった、23人しかいない、一年時の、200時間は、一緒に過ごすクラスメートです。そして、このブログの世界に度々登場する、日本最初期からのシステムエンジニアにして、私のパソコンに対して、数万回に及ぶシステム異常を起こしてきた古村浩三君とも、この三人は、同級生なのです。

 古村浩三君は、ささきくめおちゃんとは、とても親しいはずです。私と久米夫ちゃんは親しくありません。というのも、私は、クラスの男の子に、女の子として、あっぴーるする力は、当時は皆無だったのです。それは、前歯に金冠をはめていたからです。ざーんねーんだが、それで、劣等女子でした。一方で、くめおちゃんの方も、女の子に手が早いというタイプでもなかったのです。佐野ぬいさんの、弟だとすると、女性は、怖いと、思っていたのではないかなあ。「画家なんて、結局はわがままなんだよ」と、私の夫がよく言いますが、其れは、大部分の女流画家に当てはまり、才能豊かな、佐野ぬいさんだって、弘前から、「画家になります」と、言って、東京へ、進学したのですから、そりゃあ、気が強いと、言った方がいいでしょうし。で、その弟たる、くめおちゃんは、静かな、存在として、ICUで、学生生活を送りました。ところが、ここで、ラグビーか、アメフトをやるという形で、古村浩三君と、石塚雅彦さんと、親しくなります。その上、第一男子寮で、三人は、一緒です。となると、あっちこっちへ手を伸ばす、古村浩三君が放っておくはずがないです。で、佐野ぬいさんは、例の連中にべったりと、取り込まれた作家となりました。ただ、彼女からの悪影響というのは、佐野ぬいさんが、画廊るたんで、よくグループ展をしており、そのオーナー中島三枝子さんが、したたかにいじめてくると、いう部分しかないのです。しかも、中島三枝子さんを動かしているのは、赤津侃さんかもしれないので、今まで、佐野ぬいさんが、敵側に立っているとは、言ったことはないのですが、今般の、画家A夫人の動きには、複雑なものを感じるので、こういってみました。画家A夫人が、もし、うちの主人に対して、16日に、にっこりと笑いかけなかったら、此処で、こういう事は語りませんよ。でも、其れがあったので、彼女の、この山への急な、来訪の意味が、見事に分かったのでした。

 なお、これこそ、見て来た様なうそを言いの一つですが、外人記者クラブ内の、小会議室に、石塚雅彦さん、佐野ぬいさん、酒井忠康氏、中谷兄弟のどちらか、伊藤玄二郎、と、画家A夫人の六人が、集まって、あれこれを協議したと、推察しています。  

 それは、長谷川智恵子女史に、茨城県議会、専門部会で、「障害児は、妊娠中診断で、わかるのだから、その時点で、中絶すべきです。予算削減の為に」と、発言をさせた謀略を練った会議と類似している筈なので、こう書きます。今般は、中谷家の次男、佐野ぬいさん、画家Aの夫人というメンバーが、加わっていますが、そちらでは、塩見和子さんと、栗田玲子さんが、加わっていた可能性を感じています。無論のこと、長谷川智恵子さんは、参加していましたが、もしかすると、茨城県知事も、と感じています。それは、私の長男の方の孫に軽い障害が出たことを、ほじくり、ねじ込んでくるいじめでした。

 で、『ご主人には、こう告げてください。あなたには、前から、見破られない様に行動をしてくださいと、頼んであるのだけれど、どうも、筒抜けに、見破られている模様です。それは、かえって、こちらにとって、不利なので、自分一人で、考えて行動をすることはやめてください。これからは、依頼することだけをやってください。くれぐれも、自分一人の考えでは、行動をしないでくださいね』と。

  でも、画家Aが、其れを守ることができるかどうかは怪しいです。彼は、私のブログを実際問題として、読んでは、いません。で、私のことは、全くわかっていないのです。そして、根本的なところでは、私が死んだほうがいいと思って居て、其れは、変わっていないはずだと、信じていますので、又、ゾロ、同じことを、繰り返すはずです。

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副題3、『画家A夫人は、私がこれから先に、さらに書くであろう、内容において、二つのことを書いてほしくないと、思って居て、・・其れを書くな・・という暗喩的牽制を、私の、主人に向かって、し掛けてきた。彼らは、困ったときには、私の主人を利用する』

 彼ら、敵さんたちが何に、今、困り果てているかというと、私が今、心と頭の中に抱えている、爆裂的な、画家Aに対する怒りです。実は、この15年間、ずっと、彼に対しては、怒っているのですよ。今般は、特に怒っています。で、後注1に、置いた7本は、すべて、彼について、書いたものです。時間的には逆順に置いております。それは、後ろになるにつれ、真実をはっきりと書く様になっていくからです。読んでくださいとは、言いません。しかし、・・・この7本に書いた合鍵をもらって居ると、いうこともあるが、さらに、たくさんの別の攻撃も、この15年間には、あったのだ・・・と、言いましょう。

 特に、2018年12月10日、日が暮れてからの話ですが、石段で、三度も出あう形で、つきまとい、「こんにちわ」と、向こうから探る様に、かつ、舐る様に、あいさつをして来たことに、激怒しているのです。で、それ以降、書いている文章は、特に激烈な調子になっています。ほかのテーマで書く時も、怒りが根底にあるので、厳しい調子になっています。

 その時に、劇症下痢を患って居ました。画家A以外に、敵さん3人(=前田夫人、安野忠彦、小野寺夫人)と、敵がいったん自分側の人間として、攻撃手に仕立て上げたものの、逆効果を生んでいるので、元へ戻す形で、フォローをしておきたい中立一家の、平木夫人です。

 これ程の、多人数が、一気に目の前に、現れたので、私は・・・・・劇症下痢とは、敵方が、仕組んだ、攻撃の一種だ・・・・・と、みなしております。彼らは、それを事前に、知らされていて、知っているからこそ、心理面でも、痛めつけてやろうとして、目の前に現れたのでした。

 この劇症下痢が、ある個人への攻撃用爆弾として使われているのは、安倍総理大臣が、第一次内閣を総辞職したあたりでも明瞭ですが、一般庶民には、まだ、非公開の技術として、其れが、既に、可能なのだと、思います。50メートル以内なら、どんな、遠くからでも、レーザー光線ほかで、何らかの措置をターゲットの肉体の、どこかに、施すと、下痢を起こすことが可能なのでしょう。

 私は、2018年の12月9日と、10日には、尿が全くでないので(水分他、口から入れたものは、肛門からすぐ出る形になった)、これは、一週間以内に死ぬかもしれないと、思いました。父の腎臓がだめになって、3日目から、腹膜還流他、ありと、あらゆる手立てを施したけれど、一週間後に、多臓器不全で、死にましたので。腎臓が働かないと、人間が、総身で、行って居る化学反応の結果の、老廃物が、体中を、駆け巡るので、死ぬのです。たんぱく質や脂肪分が、分解すると無機質になっていきますね。無機物質というのは塩酸にしろ、何にしろ、人間にとっては、たいていは有害です。そういうものが体内にたまっていくわけだから、死にます。そういう、自らが、最悪に危険な時に、目の前に、攻撃者が、5人現れたわけですが、その誰に対しても、平木夫人以外には、深い怒りを感じています。が、その中で、もっとも、陰惨で、あくどい形を示すのが、画家Aでしたから、彼に対して特別に激怒していたのです。しかも、これが、第五波というほどに、彼からは、ひどいことをやられ続けていますので、此処では、一豪の猶予もないほどの、深い怒りに駆られているのです。 

 12月10日以降は、すべて、その怒りに満ちて、書いているものですから、2019年の元旦だって、お正月のあいさつなど、抜きにして、ブログを書いています。

 でね、横浜銀行、鎌倉支店に、二回も、ダークスーツの警察、内勤者を置いて、間接的に脅かしてきたり、電車の遅延現象を起こしたり、テレビ番組を、文化面すら方向性を、自分達が、得になり、私には、攻撃になる様な編成をしたりして、脅かしてきています。ほかにも泥棒をしたり、また、テレビや、レコーダーを機械的に壊してきたり、いろいろ、『お前なら、この現象の意味が、脅かしだと、分かるだろう』と、思う様なことをやってきているのです。

 私は無論、その意味は分かります。しかし、ここで、ひいては、被害がさらに、拡大をします。で、調子を落とさずに、書いてきています。

 そうなると、当然のことに、次の段階に入っていきます。彼らがもっとも、困るのは、中谷共二氏が行った、恐ろしい現象二つです。

 第一は、無断で我が家の崖を崩した事です。それは、未来永劫に続く大被害をもたらしています。また、我が家だけ、花畑を使えない様に、コンクリート打ちにしたこともそれと関係があり、其れらを、私はアジサイ畑欺罔事件と呼んでいます。もし、其れを、町内会全員で、決めたなどという文書が保管をされたいたら、其れは、一種の公文書偽造です。その夜、全戸を回って、誰も、この件に賛成をしていないということを、私はすでに、確かめてありますから。

 第二は、何故、其れを彼が行ったかというと、北久里浜における大事件の主、瀬島隆三から、頼まれて行った・・・・・と、言うことを書かれることでしょう。ここが、時間的に逆順にして冒頭で、書いている部分です。

 で、画家A夫人は、16日に久しぶりに、この山へ帰ってきて、画家Aに向かって、「私は、昔から、言っているじゃあない。川崎さんには、近寄るなって。どうして、彼女に、近寄るのですか? あれほど、だめだって言って居るのに」と、おしかりを与えたはずです。

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副題4、『しかし、画家Aは、納得をしていないだろう。ただ、唯、今は、混乱をしているはずだ。・・・・・例の連中=伊藤玄二郎を頂点とするCIA軍団=に忠誠を誓っても、得な事は何もない・・・・・の、典型が、画家Aだと、思う。これから、少しの間、彼と、私の交流の歴史をたどろう』

 私が、この山に引っ越してきたころ、画家Aの、お子さんは、幼稚園だっただろうか? それとも、小学生だっただろうか。ともかく、画家A夫妻は、私よりも、相当に、若いと感じました。私は創作家として生きるつもりだったので、この山を牛耳っている、安野智紗夫人、前田清子夫人、石川和子さんなどが、形成している井戸端会議主婦軍団には、全く交わる気持ちはなかったのですが、かといって、無味乾燥な人間でもないし、社交性がないわけでもないのです。

 後日、週刊朝日が、「もてまくる女の特徴」という記事を頻繁に出します。私は其れを読んで、・・・・・これは、奈良夫人等をさすのだろうなあ・・・・・と思いました。マダム奈良という方は、横須賀を中心として、起こされた、母親クラブ(今、現在も活動はあるらしい。厚生労働省支援として、全国的規模である模様)の会長をしていた女性で、外見は、扇千景に似ています。しかし、別に、『拉致されて、セックス奴隷にされる、日本人女性』という記事を、頻発するころから、『あれ、週刊朝日って、対私狙いの、記事を作りますね』と、気が付くようになります。

 私は文化庁の、在外研修生制度で、パリにいたころ、毎晩エッセイを、手書きで書いて、それを、日本にいる三人に送りました。その一人が、飯田隆君であって、これも、中学の同期生であって、かつ、早稲田の政経を卒業後、週刊朝日の編集長も経験済みの、元朝日新聞勤務の紳士です。私は敵が妨害しているとも、つゆ知らず、沢木耕太郎になりたかったし、なれるとも思っていたのでした。沢木耕太郎が、旅先から、手紙を送った送り先は、実家の、母君だったのかと、推察していますが、私の鎌倉雪ノ下の家族は、「お母さんが、ひとかどの、人物になるなんて言う事は、大っ嫌いです」と、言うムードですから、鎌倉へ送っても捨てられてしまうだけでしょう。で、ICU時代の友人で、信頼できる二人と、飯田隆君に送っていたのです。飯田隆君のことは、ずっと、・・・・・親切で上品な紳士だ・・・・・と、思いこんでいました。ところが、2010年の、3月10日(これは、うろ覚えの期日だが、もしかすると、2009年だったかもしれない)横浜のホテルニューグランドで開かれた、同期会において、飯田隆君が初めて、敵側の、人物としての会話を持ち掛けてきたのです。びっくりしました。そして、その時に初めて、そうか、飯田君は、早稲田の政経つながりで、成岡康司君とは、今も、親しいのだ。で、飯田君が、昔・・・というのは、1980年代の旧・立野校舎で開かれたクラス会だったと、記憶をしているが・・・、「成岡康司は、既に、死んでいる模様ですよ」と、私にだけ向かって、ささやいたのは、嘘だった可能性があると、気が付き始めます。でね、私が、パリについて、直後、9月4日にすでに、バスティーユで、拉致されそうになったのですが、其れを、信頼しきっている飯田君に手書きエッセイで、送っているので、それ以降、私は海外で、殺されそうになることはなくなったのです。

 これが、文章を書くことが、自分を救うのにつながるのを経験した初めての機会です。よく、「ペンは剣よりも強し」と、言いますが、其れは、確かでした。たった、三人が相手でも、文章を書いて置くことは、自分が救われるのです。

 でね、それ以降、拉致されて、四肢を切断されて、セックス奴隷になる、日本人女性がいると、言う記事を週刊朝日が、連発する様になりました。私は、今思うと、そんな話はでたらめであって、私のバスティーユにおける拉致を、一般化するための、偽・記事だと、思って居ます。今、はやり言葉である、フェイクニュースを、面白読み物として、週刊朝日は、既に、連発をしていたのです。そう思うと、【持てる女】の特徴と、いうのも、私を意識した記事かもしれないと、思う様になりました。

 それは、1998年、日傘雅水さんという、芸能人や芸術家を主にクライアントとしている有名な手相観さんから、「あなたは、芸術家でよかった。これが、普通の主婦だったら、事件を起こしますよ」といわれたことでも、裏打ちされるのです。日傘さんも後程には、裏切ってくるのですが、この言葉は、真実だったでしょう。私の両手には、金星帯というのが二本ずつあるのだそうです。片手に一本ずつ、2本ある人はいても、4本ある人は珍しいそうです。これは、フェロモンが、旺盛で、魅力がある人の特徴らしいですよ。(苦笑)

 そういえば、母って、私をほめることがほとんどない人でしたが、三つだけほめてくれて、其れは、忘れられません。一つ目は、「あんたの目って、象さんみたいに小さいけれど、澄んでいることには、驚くわね」というもので、二つ目は、「色が白いのは、七難隠すと、言うからね」というものです。三つ目は、「あんたは、免許を取ってだめ」と、言うのと、「絶対に社交ダンスをやっては駄目よ」という二つの禁止令です。

 車の運転を禁止された事は、裏返せば、私が「どれほどに、ものを考えるのが好きな人間であるか」を、語っています。後者は、「決して、容貌が優れているとは言えないけれど、劣等感を持つことはないわよ」という言葉のカンゲンだったでしょう。両親と妹は社交ダンスをやっています、妹などラテンだけは、月に10万円のレッスン代を出していると、言って居ました。しかし、母は私には「やっては駄目よ」と、厳命しました。

 なぜ、こういう事を語るかというと、画家Aとの交流は、Aからの、私への、会話の持ちかけで始まったのではないかと、思うからです。画家Aは、この山の主婦たちと、不倫の関係を持つなどという事までは、致しません。彼は、昔、「この山で、そういう関係に陥った、二つの家族がいて、一つの方が引っ越して行った」と、私に教えてくれました。そういう事を教えてくれるぐらいですから、自分が不倫の関係に陥るわけもないのです。::::::::ここで、挿入ですが、あそこの家って、奥様から私へ話しかけられた会話でもわかるのだけれど、表むきは上品なのだけれど、ご近所のうわさで、持ち切りの会話らしいです。それを後日、画家Aが敵対してきたときに私は使います。:::::::で、元へ戻ると、画家Aは、勤務者ではなくて、昼間は自由なので、有り余るエネルギーをご近所主婦たちとの会話で、埋め合わせているところがあって、今は、小野寺夫人と、マダムSとの会話を楽しんでいるところでしょう。

 しかし、ある時期は、私との立ち話を楽しんでいたと、思います。そのうち、私が画家であることを知って、自分の家のアトリエにも招じ入れてくれましたし、我が家の、ピアノ部屋にも訪問をしてきて、私の絵の批評をする様になりました。私の家族は私が絵をかいたり、パソコンを打ったりする、インテリめいた、かつ、ひとかどの人間であることが大っ嫌いなので、私はアトリエを逗子に作る以前は、ピアノが置いてある12畳の部屋で、絵を描き、夕方には、全部片づけるという、面倒な生活を送っていたのです。出来上がった絵の方は、屋根付きベランダに、簡易な塀を設置して、そこを倉庫として保管しておりました。南側が、20mはある急峻な崖となっているものですから、一般の家よりも、風雨の被害が少ない場所なのです。

 プレスという版画を制作する機械は、鎌倉の自宅へ重すぎて持ち上がらないし、かつ、毎日片づけられるものでもないので、逗子にマンションを借りて、アトリエとしたのでした。

 そして批評をしてもらうと、何らかの、謝礼をしていたのでした。そして、彼は、先生として張り切って、デカルコマニーの技法などを教えてくれていたのです。

 私は、2000年の春の事でしたが、旧鎌倉近美の、本館の二階に、彼を呼び出して、1998年にパリで、また、1999年に、ニューヨークで制作した版画を、見てもらいました。「すごく、いい」とほめてくれました。そのうちの一枚を、京橋の有名な画廊、ユマニテにもっていって、オーナーの、十束(とつか)さんに「いくらぐらいで、売ったらいいでしょうか?」と、質問をすると、「三万八千円で、売られたら、どうでしょう」と、いってもらいました。不況の時代です。で、喜んで、其れをメルマガに書いたら、ユマニテさんは、敵に取り込まれる様になったのです。

 それがなんと、山口みつ子さんが他殺であるという事を証明する人間、保坂涼子さん(現在は、航子と名前を変えている)の個展を、三回もユマニテが、開くことへつながっていくのでした.そして、金成さんという女性スタッフが、目の前で、トイレに鍵をかけるとか、引っ越しの予定を教え得てくれないとかいう、壮絶ないじめにつながっていくのです。こちらは、文章を書いたことが敵にえさを与えたというケースです。ただね、もしスタッフの金成悠子さんが、私の実力をある程度尊敬していてくれて当時送っていたメルマガを読んでいたら、引っ越しの予定を教えてくれないなどというほどの、いじめには発展をしなかったでしょう。だから、金成悠子さんも画家Aと、全く同じタイプなのです。

 画家Aは、グーグル検索などで、調べると、高知出身の画家というくぐりに入れられています。彼がいつ、今の家に、養子に入ったか、その時期がわからないのですが、奥さんも高知県出身です。二人が、同じ高校に学んでいて、其れが、結婚に結びついたと、考えると、高知で、高校まで学んだと、いう事となります。ここですが、3.11が起きた時に金成さんが、相馬市の出身だという事を知りました。二人には、共通事項があります。それは、雪ノ下の前田清子さんも、小野寺夫人も同じですが、田舎の優秀県立高校卒業者の、傲慢さの、突出的、顕現を示すのです。つまり、隣人や、知人をどう扱うかというところにそれが出るのです。東京圏のブランド住宅街で育てば、絶対にそういうことをしないであろう、隣人を粗末に扱い、あまつさえ謀略行為の対象にするなどという事は、東京圏のブランド住宅街で、育ったら、絶対にやらないことなのです。東京圏だと、隣人は、怖いのだと、身に染みて感じて育ちあがります。

 大体の背景は、わかりますよ。東大卒で、三菱重工の、支社長をしていたとか。しかし、其れ以上の能力があるかもしれないのです。特にその人の潜在的・人間関係力を考えると、どうなるか? いや、こういう風に公開をしてくれる人はまだいいのですよ。むしろ、黙って静かに暮らしている人が、どういう人なのかがわからないから、気を付けるべきなのです。特に学者とか、文筆家は、静かに暮らしています。目立たない暮らしです。ソクラテスも、そうだった様にね。しかし、だからこそ、怖いのですよ。それが、都会のブランド住宅街に、育つと、わかるのです。

 だから、みんなそれをわきまえて、礼儀上の丁寧さは、欠かしません。それを、わかっていない人間は、田舎者特有の、人間であって、すぐ、わかります。

 元に戻ります。鶴岡八幡宮の、平家池の水面の反射を、見ながら、静かにしていると、彼が、「川崎さん、いくら使いました?」と、聞いてきました。で、私が、、「パリで、200万円、ニューヨークで、200万円よ」と、答えました。パリは国費が、100万円でます。しかし、其れとは別に、私費を、200万円使いました。ギリシャへ行ったり、スペインへ行ったり、土日もない形で、版画工房へ通って、7時間いたりしたし、道具も大量に買って帰ったので、それほどに、お金を使ったのでした。別にエルメスの、スカーフや、ヴァンクリーフの、指輪を買ったわけではないのですよ。

 それを、聞いた画家Aが、「僕に、400万円があったら、全く違う使い方をするのになあ」と、いいました。その時には、私には何も理解できませんでした。

 孫が生まれていなかったし、その一人に軽い障害が、発見されると、言うのも、まだ、起きていない時期だったし、自分の貯金は、1000万円以上残っていたし、母から、将来また五千万円を超すだろう、遺産をもらう予定があったからです。しかし、画家Aの、そういう述懐を聞いた、2000年の秋に、私は、ニューヨーク、一古い版画工房で、所長の、ロバート・ブラックバーン氏と、1999年以来の旧交を温め、さらにそれを深めるし、彼と対照的に、露悪的に生きているペルー出身の、褐色の肌をした、ホアレスとも知り合う事となります。その二人が2001年と、2003年に、相次いで、亡くなります。それを、私は、2008年から、編集を始めた『黄色いサクランボ』の中で、考察し、貧乏(特に芸術家における其)を、深く、知り、考え込むこととなります。ホアレスは、当時、まだ、59歳だったのに孤独死(事実上は、飢え死に)をしたからです。

 もし、瓜南直子さんが、伊藤玄二郎らに、教唆されて、私の敵として機能をすることがなかったら、私は彼女の最後の投稿を見て、深い同情と哀悼の意を表したと、思います。しかし、伊藤玄二郎らの言うままに、FB紙上で、しっちゃかめっちゃか、いじめてきたので、2011年の、11月末からは、一切を絶ったので、亡くなったことも知らなかったし、2013年秋に其れを知らされても、心の中で、『あら、やはりですね。未だ、若かったと、思うのに、亡くなったというのは、伊藤玄二郎らの手先になって、動くからです。神様に叱られましたね』と、思っただけです。

 私は最近では、画家の、貧乏という事の実態を知っています。そのことに関する感性も、磨かれきっています。しかし、2000年の、初春の、近美の、きっさ店内では、そのことには、気が付かず、ただ、甘えられているなあと、感じて、黙っていると、彼が続けて、「〇〇子がねえ。川崎さんとは、付き合ってはいけないと、いうんですよ」と、言いました。

 私は、心中ですぐさま、『ああ、酒井忠康氏か、ほかの人間が、〇〇子さんに、連絡を取っているのだ』と理解をしました。今ここに書いている様な事=この離反は、CIA側の攻撃の一つであること=は、すべて、その時点で理解をしました。

 そして、画家Aに、向かって内心では、『どうして、奥さんに対して、其れは、だめだ。僕は、川崎千恵子の先生役をするのが楽しいから、やめたくないと、言えないのだろう』と、感じました。ただね、この時点では、画家Aが奥さんの実家から送られてくる現金収入に依存をしていることにはまだ、気が付きませんでした。

 彼が、ただ、単に、付き合わないと、言う、以上の攻撃をしてくる様になって、いろいろ、考え始めるので、気が付くこととなります。しかも、富沢夫人が、「画家Aさんは、養子なのよ」などと、補填をしてくれるので、さらに、明瞭にわかってくることとなります。

 だけど、哲学の問題として言いたいのですが、〇〇子さん(画家Aの妻)は、夫を愛していないと、この時点で、気が付いたと、言いたいです。そして、妻の言葉ですなどといいながら、そういう話をぶっちゃける、画家Aがどれほどに、経験不足の人間かをも、知ったのでした。社会生活上、経験が豊かだったら、『この一回だけを最後にして、これ以降は、付き合うまい』と、決意しますが、其れを面と向かって相手に言う事はないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『ところで、私は、16日には、主人から、画家A夫人が、この山を訪れ、主人に向けてにっこりと笑ったことを、聞いていない。それを聞いたのは、前報を、17日の深夜から、書き始めた後だった。それで、私は、誰のことをも、裏切ることなく、きちんと、予定通りの文章を書いたのだった。しかし、其れは、12月10日の深夜にすでに、頭の中では、すべてができていて、書いて置くべきことだった。ただ、ただ、ほかの事、例えば、横浜銀行鎌倉支店の、ATMロビーに、警察の内部吏員が、ダークスーツで、しかも、超が付くほどの、美形の、二人組として、しかも、時を置いて二組四人も現れたり、しているからだった。

 私は、1998年以来の、この20年間、表現者として、生きて来たゆえに、其れゆえに、かえって深い深い弾圧に見舞われてきました。だけど、だからといって、ひいていると、際限ない、困難に、見舞われます。仕方がないので、ともかく、すべてを記録しておくこととなります。

 もし、弁護士が、味方をしてくれて、助けてくれたら、外部へ出すこともないでしょう。しかし、1978年の、地籍変更届の時に、負けたと、思った、瀬島隆三は、私の知り合いの弁護士、ほとんどすべてに手をまわして、私を、たすけない様にと、教唆命令をするという手配を施したのでした。それを、知った私は、たった一人で、戦う事を決意しています。少しでも、私に被害を与える人物は、実名で、そのすべてを書く決意をしています。

 今般画家Aに関して、実名を避けたのは、・・・・・彼が、合いかぎをもらって居て、我が家に侵入をしている・・・・・と、書いているからです。もし実名を書いたら、其れは違うという事になるでしょう。テレビとか新聞とか、ありと、あらゆる手段を用いて、そういう事にさせられると、思います。したがって、此処では、其れが、予測をされるゆえに、実名を書かないのです。

 だけど、四種類の泥棒が入って居ることは確かであって、この18日の早朝だったか、小野寺夫人が、激しい攻撃をしてきたので、・・・・・あれ、異常なことが起きているなあ。特に、中谷共二氏の遺児について描いたので、これが、起きているはずだ。あそこの夫妻は、東大卒なので、中谷家の長男とは、既に、面識を持ち、お隣である私より、そちらに忠実なのである。したがって、この種の、天井灯を使った脅かしを仕掛けてきた。彼女の名前=小野寺夫人・・・・・ただし、夫婦別姓だと、聞いているが、今では、小野寺の姓を捨てて、白井達夫氏の姓に入籍しているかもしれない。ただ、一人娘だそうだから、実家の墓守等もあって、引き続き小野寺せいかもしれないが=を主なる主題としては、書いていないブログなのに、此処まで強く反応するとは、異常なことが起きているのは確かだ・・・・・と、考えて、久しぶりに外へ出て、いろいろをチェックしたら、私が、大好きなカスミソウの、茎が、6本もおられていました。

 また、家の中でも、何かが、盗まれていました。そうだ、薬です。60錠以上を盗まれていた。しかし、先生が、1月18日まで、飲まないでいいですと、おっしゃったので、19日に引き出しをあけるまで、気が付かなかったのです。だから、いつ盗まれたかがわからないです。

 こんなことが、この、現代日本にあっていい事だろうか? 本当に、不思議極まりない。で、此処まで書いたので、二報前の、今は、ひっこめている、薬の盗難に関する文章を表に出すはずです。24日に、整理して、其れを表に出すつもりです。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5xxxxxxです。

    2019年1月23日~24日にかけて、これを書く。雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

 後注1、

*1、

I decided to reduce today's sentences, because画家Aと、三井物産の関係までを書きぬけていないからです+A夫人久々に、雪ノ下に、出現する     2019-01-19 21:27:21 | 政治

 *2、

【一流の人は、何故、風邪をひかないのか?】を、有楽町三省堂で見つけて、雪ノ下を思い出す。  2019-01-08 00:01:04 | 政治

*3、 

2018-12-8 に、インフルエンザに罹ったと、ブログで書いた。すると、9日に、四人の敵が目の前をウロチョロ!+角野栄子さん、NHKCMから早々に消える,Why?    2019-01-02 04:07:19 | 政治

*4、

 画家Aがあっちこっち、箒を動かしたわけを語ろう・・・・・ご近所人間が警察から合い鍵を貰って、我が家に泥棒に入る話ー4    2019-01-01 22:52:17 | 政治

 *5

NYの空が真っ青に? 一方鎌倉では、白い幽霊が? 同じ頃、山田浩二が死刑になり・・・朝ドラで、財務局が出る・・・土師淳君殺しも絶歌をも、みんな忘れたのですか?   2018-12-28 22:55:19 | 政治

 *6

山下法相が、18-12-27に2人の死刑執行 + 株価大暴落とは? + 箒をお化けとして脅かすご近所画家A   2018-12-27 09:58:18 | 政治

 *7

敵に塩=果物=を贈る話 シロタ画廊、柄沢斉、酒井忠康、伊藤玄二郎、と、我が家の合鍵をもらって居るご近所画家A

2018-12-22 06:24:27 | 政治

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