世の中には日光以外にも問題にすべきことはいっぱいあります。それなのに、日光にばかりこだわっているのは、くどいといわれる以外の何者でもないといわれる可能性はあります。
たまたま、昨日鎌倉の鶴岡八幡宮では、丁刃式があり、日光ニ荒山神社では、弓を射る儀式があったそうで、NHKが両方を放映したそうです。(私は母の見舞いで見ておりませんが)
この二つは北関東と南関東の観光地の両雄です。全部見回るのには、まる二日ぐらいかかるであろうという意味でも両雄の名観光地でしょう。神社をメインとしているところも・・・・・
しかし、どちらかといえば、観光地としては、日光の方が寄り有名な場所でしょう。『日光を見ずして結構というな』という昔からのざれごとさえあります。そして、JRや市内のいたるところに張ってあるNIKKO is NIPPON という美しいポスターを見れば、日光が自らのポジションに対して、どれほど、誇りが高いかはわかります。
しかし、あの内殿(または、内陣というか)の出口で、高めのお札を売っていること、ひとつをとっても、それが、ハレの場所をケとしているのに、自らが気がついていないのを、反対に、お客の方が気がついてしまい、相当という以上にがっかりしてしまうのです。
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今までそれが、一切問題にされてこなかったのは、美術館でよく見聞きする光景ですが、有名人とか、大切なお客が見えるときは、別コースで、特別な体験をさせることがあるのです。すると、その発言者となる可能性のある人は、目がくらまされてしまいます。で、問題点を見つけられません。
だから、僭越に過ぎるが、私が発言をしたいのです。
これから、丁寧に推察を始めます。例の、私固有の見てきたような嘘をいいのひとつですが、・・・・・
あの諸事伝来を、説明する人が、神官でも僧侶でもないとして、案内人と言う立場だとします。大声で説明をするわけですから重労働です。となると、三十代、四十代で、「もう、これ以上はやりたくない」または、「できない」という仕事かもしれません。でも、一生をそれにかけたわけですから、五十代、六十代でも、生活費は必要です。
となると、あの御札を販売している人は、引退した説明人ででもあろうか?
となると、その人と家族の、生活、特に胃袋を満たす行為が、神域内の最も目玉の箇所で行われているということになります。本当にあの御札の販売と、それに先立つ宣伝の文句はやめて欲しいものです。
それがどうしていけないかというと、ご自分が投資をした物件でもないのに、それを使って雌伏を肥やすと言うことにあたるからです。
大本は、徳川家康が構築したといっても、徳川家の大財産は、当時の身分制度士農工商のうちの、農工商の三身分の人が、支払った税金の集大成です。そして、今でも国税の注入があるのかもしれません。わかりませんが・・・・・
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日光は華厳の瀧とか、奥日光の自然とか、最近では江戸村という新しいテーマパークもできているらしい大観光地でありますが、メインは、東照宮です。で、一種の提案ですが、ニ荒山神社を除く、輪王寺と東照宮すべての、神域を塀で囲ってしまって、ニ千円の入場料を取る。それはすべての人に当てはめて、団体客も値引きしない。
これは、トルコのエフェサスなどもその方式で運営されていると思います。25年以上前に行っていますが、その領域内では、土産物屋も無かったし、自動販売機も無かったと思います。もちろんのこと食堂も。
日光も、東側の相当広範囲の部分を塀で囲って、その中では、一切が無料で入れて、しかも、売店とか、御札の販売所、露天商を置かないという形式になさったら、ひとまず、神域としての清潔さは回復するでしょう。
今ある、神馬の厩の前の甘酒売り場なども撤去です。塀の外へ出します。そして、眠り猫の欄間も、山奥のお墓も、すべて、統一入場券で、拝観できる・・・・・ただし、輪王寺の内殿には入れないことにして、入り口から、自由に仏様を廃刊できるようにする。(今は、みじめったらしいことに、入り口には、金網か何かで、防御がされており、内陣に入らないと仏様の全貌が見えない形になっています。
その統一入場券は二千円ぐらいにすれば、今は、鑑賞券を買わないで入る人も多い模様ですから、その差額で、十分な収入(人件費と維持費)を捻出することができると思います。
複雑な身分制度、(神社庁の職員、タッチュウなどに住まっておられるお坊さん、案内人、宝物館の学芸員)で、分かれている可能性を感じますが、大体においてすべての人の、収入がリーズナブルに分配できるように、総務課かどこかで、案を練られたらよいでしょう。
ともかく、世界遺産と成った立派なものなのですから、それを生かすためには、そこが、神域であり、清涼な場所であることの本質を見失ってはだめなのです。いま、お客側からすれば、そこは既に、大切なものが失われている空間です。
日本人は対立を恐れるので、現場で文句をつけません。でも、NIKKO is JAPAN とおっしゃるのなら、これは、徹底的にまずいです。外人たちは、「それほど、感銘を受けなかった」と後で、自国でまだ、行っていない人たちに言うはずです。残念です。
2009年1月5日 送信は6日 雨宮舜
たまたま、昨日鎌倉の鶴岡八幡宮では、丁刃式があり、日光ニ荒山神社では、弓を射る儀式があったそうで、NHKが両方を放映したそうです。(私は母の見舞いで見ておりませんが)
この二つは北関東と南関東の観光地の両雄です。全部見回るのには、まる二日ぐらいかかるであろうという意味でも両雄の名観光地でしょう。神社をメインとしているところも・・・・・
しかし、どちらかといえば、観光地としては、日光の方が寄り有名な場所でしょう。『日光を見ずして結構というな』という昔からのざれごとさえあります。そして、JRや市内のいたるところに張ってあるNIKKO is NIPPON という美しいポスターを見れば、日光が自らのポジションに対して、どれほど、誇りが高いかはわかります。
しかし、あの内殿(または、内陣というか)の出口で、高めのお札を売っていること、ひとつをとっても、それが、ハレの場所をケとしているのに、自らが気がついていないのを、反対に、お客の方が気がついてしまい、相当という以上にがっかりしてしまうのです。
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今までそれが、一切問題にされてこなかったのは、美術館でよく見聞きする光景ですが、有名人とか、大切なお客が見えるときは、別コースで、特別な体験をさせることがあるのです。すると、その発言者となる可能性のある人は、目がくらまされてしまいます。で、問題点を見つけられません。
だから、僭越に過ぎるが、私が発言をしたいのです。
これから、丁寧に推察を始めます。例の、私固有の見てきたような嘘をいいのひとつですが、・・・・・
あの諸事伝来を、説明する人が、神官でも僧侶でもないとして、案内人と言う立場だとします。大声で説明をするわけですから重労働です。となると、三十代、四十代で、「もう、これ以上はやりたくない」または、「できない」という仕事かもしれません。でも、一生をそれにかけたわけですから、五十代、六十代でも、生活費は必要です。
となると、あの御札を販売している人は、引退した説明人ででもあろうか?
となると、その人と家族の、生活、特に胃袋を満たす行為が、神域内の最も目玉の箇所で行われているということになります。本当にあの御札の販売と、それに先立つ宣伝の文句はやめて欲しいものです。
それがどうしていけないかというと、ご自分が投資をした物件でもないのに、それを使って雌伏を肥やすと言うことにあたるからです。
大本は、徳川家康が構築したといっても、徳川家の大財産は、当時の身分制度士農工商のうちの、農工商の三身分の人が、支払った税金の集大成です。そして、今でも国税の注入があるのかもしれません。わかりませんが・・・・・
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日光は華厳の瀧とか、奥日光の自然とか、最近では江戸村という新しいテーマパークもできているらしい大観光地でありますが、メインは、東照宮です。で、一種の提案ですが、ニ荒山神社を除く、輪王寺と東照宮すべての、神域を塀で囲ってしまって、ニ千円の入場料を取る。それはすべての人に当てはめて、団体客も値引きしない。
これは、トルコのエフェサスなどもその方式で運営されていると思います。25年以上前に行っていますが、その領域内では、土産物屋も無かったし、自動販売機も無かったと思います。もちろんのこと食堂も。
日光も、東側の相当広範囲の部分を塀で囲って、その中では、一切が無料で入れて、しかも、売店とか、御札の販売所、露天商を置かないという形式になさったら、ひとまず、神域としての清潔さは回復するでしょう。
今ある、神馬の厩の前の甘酒売り場なども撤去です。塀の外へ出します。そして、眠り猫の欄間も、山奥のお墓も、すべて、統一入場券で、拝観できる・・・・・ただし、輪王寺の内殿には入れないことにして、入り口から、自由に仏様を廃刊できるようにする。(今は、みじめったらしいことに、入り口には、金網か何かで、防御がされており、内陣に入らないと仏様の全貌が見えない形になっています。
その統一入場券は二千円ぐらいにすれば、今は、鑑賞券を買わないで入る人も多い模様ですから、その差額で、十分な収入(人件費と維持費)を捻出することができると思います。
複雑な身分制度、(神社庁の職員、タッチュウなどに住まっておられるお坊さん、案内人、宝物館の学芸員)で、分かれている可能性を感じますが、大体においてすべての人の、収入がリーズナブルに分配できるように、総務課かどこかで、案を練られたらよいでしょう。
ともかく、世界遺産と成った立派なものなのですから、それを生かすためには、そこが、神域であり、清涼な場所であることの本質を見失ってはだめなのです。いま、お客側からすれば、そこは既に、大切なものが失われている空間です。
日本人は対立を恐れるので、現場で文句をつけません。でも、NIKKO is JAPAN とおっしゃるのなら、これは、徹底的にまずいです。外人たちは、「それほど、感銘を受けなかった」と後で、自国でまだ、行っていない人たちに言うはずです。残念です。
2009年1月5日 送信は6日 雨宮舜
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